猫獣人の章・4 賞金首討伐・祈り
俺はまずギルドに向かい、俺が受けられる難度の高い依頼がないかを尋ねようとしたのだが――そこには、首元を襟巻きで隠し、フードつきの外套を身につけて耳を隠したクレアの姿があった。どうしても外に出る必要があるときのために、俺が彼女に買い与えておいたものだ。
「ご主人様……いえ、リョウ様、今日はお戻りになられないのですか……? 心配で、様子を見に来てしまいました」
俺はクレアに近づき、隣に立つと、周りに聞かれないくらいの小声で、彼女に事情を説明する。
「……クレア、俺、今日は奴隷商の所に行ってきたんだ。そいつらは、亜人狩りとも繋がりがあった」
「っ……リョウ様、亜人狩りのことを調べていたんですか?」
「ああ。クレアの村の人たちも、解放したいからな……でも、俺は考えが甘かった。裏の商品……亜人の奴隷を見せてもらって、買い取ることでまず信頼を得ようと思ったんだけど……」
俺はやはり、ファムの姿を見て衝撃を受けていたのだと思い知る。
クレアにファムのことを話そうとすると、言葉に詰まってしまう。ファムが凄惨な境遇にいたこと、生死の境をさまよっていること、それを落ち着いて言葉にすることができない。
「……その亜人の人は……ひどい目に遭っていたんですね」
しかし言葉を探すうちに、クレアは顔を見ただけで俺の心情を汲んでくれた。
「そうだ。俺は、その子をどうしても助けたいんだ。亜人狩りに遭って、奴隷にされて、得られるはずの幸せも得られないで死ぬなんて、あまりにも……」
「……私も、家族のみんなも、リョウ様の力がなかったら……そう思うと、リョウ様に助けていただけるかどうかで、運命が分かれてしまう人たちは多くいると思います。ですが、目に映る人たち全てを、強い人が助ける理由はありません……王国の役人の方々も、亜人狩りを根絶しようとはしていませんから」
「せめて自分の目に映る人だけでも助けられれば……と思うけどな。それは、奴隷になるべくしてなった人間もいる。でも亜人は金になるって理由で、無理やり捕まえられてる場合が多い……エルフだってそうだし、俺が奴隷商から買い取った猫獣人の子もそうだ」
「猫獣人……獣に変化できる種族は、エルフより価値があるそうです。その女の子も、私と同じように、亜人狩りに狙われてしまったんですか……?」
俺は頷きを返す。クレアは唇を噛み、自分のことのように悔しそうにする――その気持ちは痛いほどわかる。
「十歳で家族と離れ離れになって、獣人をいたぶる趣味のある富豪に引き取られたんだ。それで……全身に火傷を負わされて……」
「……ご主人様は、とても優しいです。でも……奴隷を欲しがる人は、ほとんどが、優しくはないと思います」
金を払って人を買うというのは、そういうことだ。誰もが金で手に入れた奴隷を、自分と同じ人間として扱うとは限らない。闇医者が言っていた通り、俺のようなケースの方が珍しいのだろう。
「……とても直視できないくらいに、傷ついてる。でも、見殺しにはしたくない。もし助かっても、あの子を金で買った俺には、なついてもらえないかもしれない。その時は、クレアに世話を頼みたいんだ」
「はい。ご主人様がおうちに連れてきた奴隷なら、私は仲良くしたいです。そんなふうに人にひどい目に遭わされてしまったら、なかなか心を開けないかもしれません……それでも、あきらめないです」
「ありがとう。俺も一回噛まれてるけど、女の子には噛みつかないと思いたいんだけどな」
「少しくらいなら平気です。私、動物が大好きですから……あっ、ネコさんだと思ってるわけじゃなくて、ちゃんとネコの人だと思ってますっ」
クレアは慌てて説明するけれど、改めて言わなくても分かっている。彼女はまだ見ぬファムにさえ、その優しさを向け始めてくれている。
こうして話せて、安心した。クレアの理解を得られているなら、何も迷う必要はないと思う。
「俺は出来るだけ早く金を用立てないといけない。ファム……その猫獣人の子を助けるには、かなりの額を稼ぐ必要があるんだ」
「わかりました。ご主人様、私、ファムさんのところに行ってみてもいいですか?」
「……そうだな。俺が来るまで、見ててやってくれ」
薬液槽に入ったファムの姿を、クレアが見た時にどう思うか。それを案じはしたが、おそらく手術を受けても、ファムの火傷の痕が完全に消えるわけではない。それなら、遅かれ早かれ、見てもらっておいた方がいいだろう。
俺はクレアをディラックとローラに紹介し、クレアはファムの姿を見て目を見開き、口元を押さえた。
――しかし、彼女は目を潤ませても、泣きはしなかった。ファムの方がずっと辛いのだから、と。
この町のギルドの仕事は、Cランク以下の一つ金貨100枚にもならない仕事しか残っていなかった。
まとまった金を得るため、俺は情報屋を頼り、違う町のギルドに良い仕事がないか尋ねた――そして。
ごく稀に、この近くにある『迷いの森』に出現するという魔獣。それにはランクを問わず、発見して討伐し、討伐した証を持ち帰った者に金貨8000枚を支払うという、法外な賞金がかけられていた。
しかし迷いの森のどこに出現するかは情報が錯綜しており、森の中では磁場の異常が起きていて方向を見失いやすいことから、事実上討伐不可能な賞金首とされていた。
(小さな仕事を全部やっても、金貨千枚にしかならない。他の町のBランク以上の仕事をやっても、3千枚……この魔獣を見つけ出すか、他の方法で金を集めるか――いや。俺の能力を最大限に使えば、確実に標的を見つけられる)
俺は迷いの森に向かう。上空まで跳躍して見下ろすと、想定していたよりも途方のない広さだった。
標的となる魔獣は、黒妖獣の亜種で全身が赤褐色に染まっており、冒険者の攻撃を防ぐ装甲で各部が覆われているという。情報屋はこの辺りで出る魔物と同じだと思わない方がいい、『鉄剣』といえど奴に遭遇すれば命の保証はできないと警告してきたが、俺は感謝しつつも、その魔獣の強さ自体は意に介することはなかった。発見さえできれば一撃で終わる、それだけの話なのだから。
(少しでも早く見つける……数日もかけられない。ロードせずに一度で終わらせるには、動き続けるしかない……!)
しかしよりにもよって、16時を過ぎると、迷いの森の全域に濃い霧がかかり始め、跳躍して周囲の地形を確認することができなくなる。さらには夜になって魔物が活性化し、ゴブリン、オーク、そして大小の獣型のモンスターが活動を始め、俺を見つけるなり餌だと言わんばかりに襲い掛かってくる。
「――邪魔だ、どけぇぇっ!」
襲ってくるならば容赦する義理はない。一振りごとに魔物を斬り捨てながら、俺は血眼になって魔獣を探す。
敵がいなくなれば木々の間をすり抜け、川を走りぬけ、天然の洞窟に足を踏み入れ――似たような地形に惑わされそうになるが、俺は倒した敵の痕跡を覚えておくことで目印にし、探索した場所を判別した。
――それでも、見つからない。やがて日が沈み始め、辺りが真っ暗闇になる。視界などほとんどなく、捜索の効率は極限まで低下する。
(このまま夜を過ぎて、朝になっても探し続ける……それならまだ、他の仕事よりも早く金が稼げる。諦めるかよ……!)
少なくとも、まだ戦っていない魔物がいる場所は、まだ探していない場所だ。
俺はそれを頼みの綱にして、森を駆け回り続け――そして。
ついに俺は、自分以外の何者かが、魔物を狩った痕跡を発見した。大木に、三つ並んだ巨大な爪痕が残されている――そして、身につけた鎧を切り裂かれ、絶命しているコボルトの遺骸が数体残されている。
(血が……こっちの方向に続いてる。『奴』の血か……いや、奴にやられたコボルトの血だ……!)
息を殺しながら、俺は血の痕を辿っていく。巨大な獣が通ったあとに作られた、獣道を進み――そして。
赤褐色の表皮を持つ、鎧を身につけた獅子のような魔獣――黒妖獣の二倍の体躯を持つ怪物が、その威容を晒していた。
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>暴食の鎧獅子
特殊行動「バーサークブラッド」を発動しました。
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森を揺るがす獅子の咆哮と共に、全身を赤いオーラが包み込む。獅子の丸太のように太い腕に血管が走り、ただでさえ巨大な上半身が、さらに攻撃に特化して膨れ上がる。
(森に身を隠すだけの知能……そしてこの強さがあれば、まさに百獣の王だな)
「――グォォォォォッ!」
自分より小さい標的である俺を確実に仕留められると思ったのか、鎧獅子は俺を簡単に飲み込めるほどの顎を開き、猛然と飛びかかってくる。
(俺が普通の人間なら、それで正解だった。だが――)
せめて残骸が残るように、けれど確実に仕留められるように、俺は鞘から抜き放った剣を獅子に向けて振りぬく。
「ゴァァァァアッ!」
一撃で血の華となることもなく、斬撃を受けた鎧獅子が怯む――攻撃力プラス三十万の補正を受けた俺の一撃に耐えてみせたのだ。
――だが、鎧獅子の割られた額から血が伝ったあと、その巨躯はぴくりとも動かなくなった。
鎧獅子は足を止め、そのまま立ちすくんで静止している。近づいても、その瞳はもはや獰猛な光を宿してはいない。
立ったままで命を落としている。やはり俺の攻撃に耐えられる者などいない――そう確認する。
俺は鎧獅子を討伐した証拠として、その前足に一本ずつある、黄金に光る爪を切り離した。
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>トレジャー
「鎧獅子の黄金爪」を二つ入手しました。
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迷いの森の覇者であった魔獣。その討伐の証を持ち、俺は森を離れる。
これで、ファムに手術を受けさせることができる。あとは、ディラックの腕を信じるしかない。
鎧獅子を討伐した俺は、その場で地方のギルドが認定できる最高位、Aランクに昇格した。迷いの森で数えきれないほどの被害者を出した魔獣、それを討った俺の名声は、もはや一つの町の中でおさまるものではなくなりつつあった。
8千枚の金貨を直接運ぶわけにもいかず、俺はギルドの受付で千枚の金貨と引き換えられる手形を八枚発行してもらい、それをディラックに支払った。
「一日で用意するとはな……最低でも3日はかかると思っていたが、大したもんだ」
「……頼む。ファムの手術をしてやってくれ」
「ああ、すぐに始める。あんたの所の奴隷と名乗る女も、そっちの部屋で寝てる。魔法を使って疲労が出たようだな」
「クレアが……?」
問い返すと、ディラックは片眉を釣り上げて苦笑する。初めて見る、この男の人間らしい表情だった。
「そのクレアといったか、精霊魔法であの猫獣人の意識に語りかけていた。患者を動揺させるなと言ったんだがな、これがどうして、効果があったようだ。まあ素性に気にかかるところはあるが、いい奴隷を持ってるな」
「……俺もそう思う。俺についてきてくれて、本当に感謝してるよ」
「おかげで猫獣人の精神状態は安定している。まあ、心配するな……5000と言ったところを、3千も上積みしてもらったんだ。これで心おきなく、手段を選ばずに治療ができる」
「頼む……先生。あの子を助けてやってくれ」
「……そう呼ぶのは、成功した後にしておけよ。あまり信頼されすぎると、手が震える」
ディラックは言って、薬液槽のある部屋に向かう。すると、ローラがクレアをこちらに連れてきてくれた。
「これより執刀を開始します。手術には12時間から、24時間ほどを要します。こちらでお待ちになられるのであれば、そちらの毛布などをご利用ください」
ローラが奥の部屋――おそらく手術台のある部屋に戻っていく。扉が閉じられたあと、クレアは俺に歩み寄り、身体を預けてきた。
「……あんなに酷いことを、どうして……どうして、あんな可愛い子に……っ」
クレアは声を殺して泣いていた。俺はその背中に手を回し、頭を抱くようにしながら、一つのことを考えていた。
もし手術が失敗すれば、俺は別の方法で金を稼ぎ、ファムの治療を依頼する。何度でも、八千枚で足りなければ一万枚、それで足りなければ――。
しかし、予感がしていた。クレアが魔法で語りかけてくれたことで、ファムはただ、この世界に絶望するだけではなくなったのではないか。
それはまだ祈りでしかなくても、俺にとっては、縋る価値のある希望だった。
※次回は明日更新です。
 




