猫獣人の章・3 闇医者
奴隷商人は外に出ると射手が伏せていると言っていたが、誰も撃ってはこなかった。
俺には全ての間接攻撃が通じないというのも、通り名と一緒に広まっているのかもしれない。もし射られても問題なく対処できるが、出来る限りファムの身体に障るようなことはしたくない。
「はぁっ、はぁっ……」
ファムの身体は、抱き上げているうちに燃えるように熱くなり始めていた。既に予断ならない状態になっている――火傷を広範囲に渡って負ったために、体温の調節ができていないのだ。
「……ゆる……さない……私は……奴隷を売るのも……買う、人間も……」
「……憎いよな。そうだよな……」
彼女は俺に感謝などしてはいない。あの檻から連れだされても、焼けるような熱に浮かされても、その瞳からは憎しみが消えていない。
――クレアと同じだ。彼女も、村を襲った亜人狩りを許しはしなかった。
だが今は穏やかに日々を過ごしている。それは俺が、村に残っていた亜人狩りに対して、彼女の代わりに復讐を果たしたからだ。
ファムの前の主人には、然るべき報いを受けさせる。しかし今はそれよりも、ファムに治療を受けさせなければならない。
俺は冒険者稼業をしているうちに知り合った闇医者のもとに向かった。なんでも治療した患者に治療費を踏み倒されたので、回収してくれという依頼内容だった――取り立てはこともなく成功し、また怪我でもしたら治療の相談に乗ると言われていた。俺には必要ないと思っていたが、ファムの治療には専門の医師の力がどうしても必要だと思った。
異世界における医療技術自体は、俺の前世における中世のレベルに等しい。皮膚を移植して治療することなどできない――しかしその代わりに、治癒魔法や、絶大な効力を持つ調合薬を使用した治療法がある。
クレアの回復魔法は、精霊の力を借りて自然治癒力を高めるものだ。しかし闇医者の場合は、調合薬を使って生命力自体を注ぎこむことで、本人の体力が衰えていても回復させられると言っていた。
町の中でも、最も治安が悪い五番通りの酒場の地下に、その闇医者はいる。酒場に入ってすぐ脇にある階段を降り、薄暗い通路を抜けて奥の部屋に入ると、ひげを蓄えた中年の男が椅子に座って机に頬杖を突いており、その傍らには、無表情で病的に肌の青ざめた、白い服を着た助手の少女がいた。
「……おお、あんたか。患者を連れてきたのか?」
「ああ、この子を治療してくれないか。一刻を争う状態なんだ」
「……患者様を、こちらへどうぞ」
俺は助手の少女に促され、ベッドにファムを寝かせる。医者は立ち上がり、苦しそうに喘いでいるファムの様子を見る――包帯をめくっても、男は表情ひとつ変えなかった。
「……獣人の生命力がなければ、もうとっくに死んでいる。しかし、それももう限界が来ているな……このままでは、いずれこの子は死ぬ」
「っ……頼む、治してやってくれ……俺に出来ることなら何でもする!」
「これは……奴隷の首輪か。あの『鉄剣』は、どうやらとんだお人好しだったようだな。瀕死の奴隷を買い取って、治療してやろうというのか。だが言っておくぞ、これほどの火傷が綺麗に消えることはない。それに、失われた耳もだ。これを戻したいというのは、神の奇跡を求めているのと同じだ。人の領域を超えている」
「そんなことはいい……何でもするって言ったはずだ。頼む、この子を治療してくれ……!」
俺の回復力を、この子に分けてやれたら――そんな特典を取っておけば。
今からでもそうしたいと思っても、ソロネは俺の声に答えてはくれない。今は、俺のことを見ていてはくれないのか――天使の力で干渉できることと、そうでないことがあるのか。
「……あんたには借りもあるが、この状態から治療するには、まず生命を維持するためにも費用がかかる。生命力を回復させる薬液で満たした槽に入れておかなければならないが、その費用が一日あたり、金貨200枚。そして槽から出ても生活できるように手術を行うが、その費用が金貨5000枚。火傷を負ってから、かなり日数が経過しているからな……できる範囲で皮膚を再生させなければならないが、それは俺にも、必ず成功するという保障はできない。だが、成功と失敗を問わず、金はかかる」
「分かった。必要な金貨は、必ず用立てる」
「……本気か? その費用があれば、怪我一つしていない若い女奴隷を何人買えるか、知らんわけではあるまい。そこまでこの獣人の娘に施してやる必要がどこにある?」
俺には、それを疑問に思うという思考回路が存在しない。
助けたいと思ったのだから、助ける。どれだけ金がかかろうが、この町の仕事で足りなければ他の町に向かい、そこで仕事をこなせばいい。
「必ず金は用意する。俺を信じてくれ……頼む」
「……ディラック様、借用書を書いていただきますか?」
この医者の名はディラックというのだと、その時初めて知った。俺が彼から受けた依頼は匿名で、最後まで彼の名前を聞くことはなかったからだ。
「いや、要らんよ。この男がやるといえば、それはやるってことだろう。ローラ、この娘を薬液槽に入れるぞ。この身体の大きさなら、二番槽でいいだろう。薬液は最高のものを充填してくれ」
「かしこまりました」
ローラという少女だけでファムを運ぶことは難しそうだったので、俺は自分で運ぶことを願い出た。
まだ魘され続けているファム。俺は彼女の耳元に、静かに語りかける。
「……ファム、聞こえるか。これから、この医者で治してもらうからな……そうしたら、苦しいのは楽になる。ごめんな、すぐに治るからな」
「……どう……して……人間……私……虐めたのに……」
「俺はファムを虐めたりしない。絶対に、助けるからな」
朦朧としながら、ファムは俺に手を伸ばそうとする。しかしその手が届くことはなく、もう一度意識が途絶える。
培養槽の置かれた部屋で、薄い緑色をした薬液に裸で浸かっているファムを、ローラという少女が見守っている。薬液で肺までを満たすと、空気を取り入れて呼吸をする必要はないとのことだった。
身体の多くに残された、酸で焼かれた痕。やせ衰えた身体――見ているうちに、胸に憤りが溢れる。どんな思いで責め苦を受けたのか、それをした人間への怒りが、どす黒い殺意に変わっていく。
「……カシマ様?」
「っ……あ、ああ。すまない。すごい薬があるんだな……」
ファムの命を維持するこの薬液は、一日ごとの交換で莫大な費用を必要とする。ファムが普通の生活を送れるようになるには、さらに手術のために5千枚の金貨が必要になる。
手術が成功するか否か、そこに絶対はないのかもしれない。
――ならば俺は、費用をあらゆる方法で稼ぎ、ファムの手術が成功するまで、違うパターンを繰り返す。
ファムにつけられた奴隷の首輪は、まだ発動していない。彼女はまだ、俺のパーティの一員ではない。
つまり手術を受けるまでの苦しみを、ロードするたびに繰り返すということはない。
(……失敗した世界では、ファムは死ぬのか。それを考えると……一度でも、失敗するわけにはいかない)
それでも俺は記録する。どんなことをしてでもファムを救うと決めたのだから。
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SYSTEMCALL>SAVE
?NAME:リョウ・カシマ
1156/3/17 15:28
SAVE RENEWED .
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※次回は明日更新です。




