猫獣人の章・1 奴隷市場
俺がBランク冒険者になった頃には、『魔法要らず』、あるいは『鉄剣』という通り名が広まっていた。この世界において当たり前のものである魔法が無くともそれを苦にしないこと、ただの鉄剣一本しか持たないことからつけられた名前だが、もはやこの町においては畏怖の対象になっていた。Bランクから上に上がるには名声を高める必要があるので、今までのように一日でランクアップとはいかなかったが、そのうち資格が得られるだろう。
クレアは俺が戦うとき、『何をしているのか分からない』と言っていたが、それは誰でも同じだった。俺が強いと分かっていても、その理由が分からないので対策が打てない。それでも名を上げようと喧嘩を売ってくる人々はいたが、何度か撃退すると、もう挑んでくる命知らずはいなくなっていた。
今日は俺の移動速度で町から10分という、ちょっと離れた場所にある山に登り、『黒妖獣』というライオンのようなモンスターと戦ってきたが、やはり一撃だった。最強の難点は、いかに新しい敵が出てきても、一撃で終わってしまうということだろう。黒妖獣はサソリのようなしっぽをしていたので、それを切り取って依頼達成の証拠とした。金貨1500枚、Bランクとしても破格すぎる報酬である。このペースだったら一日で家が買えた――ということもなく、Bランク依頼は数が少なく、俺が3件受けただけで依頼が無くなってしまった。
その三件を問題なくこなし、ギルドの受付で金貨の詰まったずだ袋を受け取るとき、受付嬢が恐る恐るという様子で話しかけてきた。
「カシマさん、あなたのおかげでギルドは潤っていますが、この町に仕事を求めて訪れる冒険者が減りつつあります。高レベル依頼が持ち込まれるようになったので、ギルド自体の収益は落ちておらず、むしろ上がっていますが……」
「申し訳ない。ランクが上がったあとは、高ランクの仕事を受けるだけにする。俺も、みんなの仕事を奪い続けたいわけじゃないからな」
「あ、ありがとうございます……これで私も、下位の冒険者の方々から突き上げを受けずにすみます。カシマさんさえいれば、当ギルドは安泰なのですが……そんな方、このギルドの歴史を振り返っても、一人もいませんでしたよ」
俺は生計を立てているだけのつもりだが、どうやら伝説を作りつつあるようだった――目立つことのデメリットは今のところないので、それはそれで良しとしよう。
自宅に戻ると、家の前庭には、初めはなかった花が植えられ、花壇ができていた。
俺が仕事をしているうちにクレアに家の飾り付けをお願いしたら、彼女は金貨百枚で見違えるほど家の環境を良くしてくれた。この町にはエルフでありながら商人を営んでいる人がいて、そこで必要なものを手配してもらったそうだった。
「ただいまー。お、もう食事の支度ができてるのか」
「おかえりなさいませ、ご主人様。わ、私、料理をしてみました……うまく出来てるか、自信、ないですけど……」
「い、いや……宿の食事より美味そうに見えるぞ。本職より上手なんじゃないか?」
「そ、そんな……私、まだまだです。お母さんの方が、上手ですから」
クレアは謙遜するが、今日初めてこの家の厨房で料理に挑戦してみたというには、完璧にもほどがあると言えた。この世界のパンは基本的にかなり硬いが、スライスして焼くと食べやすくなる。彼女はそういった手を惜しまないし、肉の主菜とスープに加え、野菜に果物と品数も宿屋より多かった。
そして宿の肉は燻製だったが、クレアは自分で狩猟クエストを受け、報酬で金貨以外に分配される肉を調理していた。獣の皮を剥ぎ、取れた肉を熟成させる方法まで子供の頃から教えられており、この世界における料理に関わるスキルはほぼ習得済みであるといえた。
「最近、森が騒がしくて、お肉がとれなかったので……この町の近くの森は、実りが豊かでした。このお肉をとらせてくれたこと、森の神様にお礼をしました」
「それで、宿の食事に感激してたわけか。クレアの家族も肉好きなのか? 俺も好きだよ」
「は、はい……エルフの村の中には、お肉を食べない村もあるみたいです。私たちは、冬を越えるときに食料としてお肉を保存していたので、冬はよく食べてました」
塩は結構取れるみたいなので、宿の燻製肉は塩気が結構きつかった。身体を動かしたあとは、塩辛いものがありがたかったりするのだが。クレアの村でも、冬は保存のきく塩漬け肉を食べていたのだろう。
「じゃあ、早速食べようか。クレアもテーブルにつくんだぞ、床に置いてるけど」
「あっ……ど、奴隷なので、床で食べるのがいいと思ってました」
「そんなことされたら、俺も床で食うぞ。それはそれで、どこかの民族っぽくて悪くないけどな」
俺はクレアの食事をテーブルに運んだ――そのとき彼女に近づいて、思わず目を留めてしまう。
裁縫もできるという彼女に、俺は料理をするときに着ける前掛けを作って、身につけて欲しいと頼んだ――つまりはエプロンだ。
「ご主人様、これ、とっても使いやすかったです。これがあると服が汚れません」
「あ、ああ……それは良かった。それは、エプロンっていうんだ」
「エプロンですか? 私、エプロン好きです。洗って替えるときのために、もうひとつ作ります」
(そのエプロンを、素肌に身につけるという文化を教え込めれば……いや、さすがに騙されないよな)
「……ご主人様?」
「な、何でもない。さぁて、食べるぞ」
「はい! 今日は多めに作りましたが、ご主人様がこれくらいがいいって分かったら、その分だけ作りますね」
「……ほんとにクレアは、よくできた嫁……いや、奴隷だな」
「ご主人様は、とっても素敵な旦那様です♪」
木製のおたまみたいな道具を持って、クレアは嬉しそうに言う。もう嫁でいいんじゃないかな。
そしてその日の夜は、寝室においてもエプロンが役に立ったことは言うまでもない。
正確に言うと夕食の片付けをしているクレアの後ろから捕まえ、エプロンの横から手を差し入れたり、それだけでおさまりがつかなくなったりもしたのだが――新居が手に入って気分が高揚していたのだ、ということにしておきたい。
翌日、俺はギルドで新しい魔物の討伐依頼を受けて、期限に余裕があると確認したあと、ギルドに出入りしている情報屋の男から奴隷市場の場所を教えてもらった。
相場についても聞いたが、人間は金貨100枚、若い男性は200枚というくらいだった。女性より高いのは、労働力として重宝するからだという。
奴隷市場は町外れにあった。元は地下迷宮だった場所の第一層を利用して作られたらしい――大昔に攻略が終わり、魔物がいるだけの場所とされていたが、実はその噂を流したのは奴隷商人の組織で、実際は奴隷の監禁場所として使われ、取引が行われているというわけだ。
情報屋はどんなルートを持っているのか、奴隷商に金貨10枚で紹介状を書いてくれた。これを理由に当局に俺を売ったりはしないだろうな、と冗談めかせて聞いてみたが、情報屋はそれをしたら自分も破滅だし、『鉄剣』を敵に回す馬鹿はこの町にはいないと言っていた。カマをかけるだけで青ざめていたので、俺との取引には相当緊張していたらしい――やはり怖がられすぎるのもいい気分はしないが、彼は今後ともよろしくと言っていたので、金さえ払えば上客として扱ってくれるだろう。
「お客さん、予算はどれくらいです?」
「それは実際の奴隷を見て決めさせてもらおう」
「予算によっては、『掘り出し物』もご用意がありますが……おっとすいません、口を滑らせました」
(ビンゴだ……この奴隷商、裏で亜人を扱ってるな)
俺が『鉄剣』であることも知っていて、金払いがいいと見込んだのだろう。紳士的な態度をした中年の男性だが、商魂は逞しそうだし、奴隷商人だけあって腹に二つも三つも黒いものを抱えていそうだ。
俺は若い男奴隷の部屋、少年少女奴隷の部屋、女奴隷の部屋を順に見せてもらった。人間の奴隷は、借金などを背負った人間が、返済のために奴隷として売られることを国が認めているため、表立って扱うことができるということらしかった。
――亜人は国に認められていない、借金以外の理由で奴隷にされる。つまり、亜人狩りだ。
女奴隷の部屋は甘ったるい香気で満ちており、捕らえられている女たちは露出度の高い服を着せられ、俺が来ると色目を使ってくる――これではまるで娼館だ。
「若い男性が奴隷を買うほどの財産を持ち、ここを訪れることは少ないですからな。若い男奴隷の部屋に、女主人が来たときなどは、この光景の逆が見られますよ。まあ、旦那は男には興味がないでしょうがね。どんな女がお好みです? 向こうには少し値は高くなりますが、貴族の侍女をしていた女も……」
「それも興味はあるが、掘り出し物だったか。そいつを見せてもらえるか」
亜人狩りの手がかりを得るために、奴隷商の信頼を得る必要がある。それもあるが、俺は『掘り出し物』の奴隷に純粋に興味もあった。亜人はエルフだけではなく、さまざまな種族がいるというからだ。
「紹介料をいただきますが、よろしいですか? うちも、商売なんでね」
奴隷商は指を三本立てた後、両手を広げる。金貨30枚、なかなか吹っかけられてしまった。
「買う気はあるんだ。もう少しまからないか」
「分かりました、購入されれば紹介料は返す決まりですからな。今回は特別に、お目通ししましょう」
奴隷商はそう言って、俺を普段は使わないという、迷宮の第二層に連れていった――一層と比べると、瘴気が強まったように感じる。
「これ以上下に降りると、魔物がたまに湧きますからな。環境としては悪いのですが、こちらの商品は、絶対に表に出すわけにはいきません。仕入れにも金がかかっておりますからな」
商品の価値を上げようということだろう、商人はこれから俺に見せる『掘り出し物』について語って聞かせてくれる。
――状態は見てもらえばわかりますが、あまり良くはありません。
――警戒心が強くなっておりましてな。しかし奴隷の首輪で、言うことは聞かせられます。
――前の主人が、うまく懐かせられませんでして。それで、少々傷ついておりますが――。
――珍しい、猫獣人ですからな。状態に関係なく、相応の代価をいただかなくては。
奴隷商人は話しながら、俺を第三層に向かう階段の脇にある檻へと連れて行った。
カビの匂いがする。そこは『廃棄処分』の檻だった。
廃棄するはずだったものを、掘り出し物だと言って、高額で売ろうとしている。奴隷商は、俺のことを好事家だと判断したのだ――。
亜人ならばなんでもいい、そういう輩だと判断した。そのことに怒りを覚えはするが、どのみち俺は、奴隷市場とその組織のシステム自体を掌握し、潰すつもりでいた。ここでこの男に憤激し、殺しても意味がない。
「いかがなさいますか? ご興味があれば、檻を開きますが……何人も、噛まれておりましてな。『鉄剣』といえど、あれを殺してもらっては困りますよ。大事な『商品』ですからな」
「……いいから、開けろ。金を払うかどうかは、実際に見てから決める」
「っ……か、かしこまりました……妙なことを考えんでくださいよ。下手なことをすれば、あんたを無事に返すわけにはいかなくなる」
少し脅しをかけただけで、言葉が乱れる。幾ら紳士ぶっても、その奥の本性を隠せはしない。
廃棄処分の檻を奴隷商人が開ける。錆びた音を立てて鉄格子の扉が開く。身を低めなければ通れないその狭い入り口を抜けて、俺は饐えた匂いのする、苔むした牢獄に足を踏み入れた。
誰もいない。そう思って眺め回した空間、その隅に、ぼろきれのようなものがわだかまっている。
その奥に、銀色の光が二つ――それは、紛れも無く獣だった。
「シャァァッ……!」
――獣の姿が、一瞬にして人型に変じた。
威嚇するような鳴き声と共に、ぼろをまとった人影が飛びかかってくる。
しかし俺は、鉄剣に手をかけることも何もしなかった。
なぜ、襲いかかってくるのか。そんなことは、考えるまでもなかった。
「――ファムッ! 彼は客だ、止まれっ!」
「ぐるるぅっ……!」
商人の命令に動きを遅らせる――しかし、ファムと呼ばれた人影は、俺の腕に噛みつくまで止まらなかった。
「……がるるぅっ……ぐるぅっ……!」
腕の痛みなどない。しかし、ファム――猫のような獣耳を持ち、俺に憎しみを込めて牙を立て、噛み付いている少女は、俺を傷つけられないと知っても必死で噛み続けていた。
――あまりにも、凄惨だった。なぜ、ファムが包帯を纏っているのか。
なぜ、『廃棄処分』の檻に入れられていたのか。その答えは、彼女の身体にあった。
ファムの猫耳の片方は噛みちぎられており、包帯に覆われた身体は、多くの箇所に渡って焼けただれていた。
 




