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伝言

作者: 鼎 由梨

それは雪の降る寒い夕暮れ時だった。外はもう薄暗くて、灰色のぐったりした空からは真っ白い雪が降っていた。

男は窓を開け、ハラハラと舞い落ちる白い雪を見つめて、息で自分の両手を暖めながら呟いた。

「さみぃなぁ…」

そうしてぼ〜っと空を見上げていると、

「萩原先生、さようなら〜」

その声の方に男は視線を移す。

数人のランドセルを背負った少年少女が、口々に挨拶して校門から去って行く。

男、萩原優はぎわらすぐるはこの小さな町の小学校の先生をしている。

背もすらっと高く、気さくな性格から生徒に人気もある。

「おぅ、気をつけて帰るんだぞ〜」

そう言って優は窓を閉めた。暖房のついてる職員室が、窓を開けたおかげで少しひんやりした気がした。

机と机の間を通って自分の机に座ると優は事務的な作業を続けた…。




…午後7時半、優は校舎を後に家路についた。雪はまだ少し降っていた。

コートのポケットに左手を突っ込み、マフラーで口元まで覆い、

右手にさっきコンビニで買った今日の晩御飯を持って歩いていた。



それから数十分歩き、自宅の近所の公園に差しかかった。ふと公園に目をやると、

白の長袖のシンプルなワンピース着て、真っ赤なマフラーをしている少女を見つけた。

小学校3・4年生くらいだろうか…。髪が腰元まである。

黒髪がベンチの上のオレンジのライトに照らされて、とても艶やかに見えた。

足が下まで届かないのか、足をブラブラさせてベンチに座り、空を見上げていた。

闇を照らすオレンジ色のライトと雪が、少女のいる空間だけを何だか不思議なものにしている。

そんな気がした。

誰かを待っているようにも見えた。

何故か優は少し懐かしい気持ちに駆られていた。

優の足は自然に公園の中へ…少女の元に向かっていた。




狭い公園の滑り台やブランコには少し雪が積もっていた。少女の頭や肩にも。

優が近づくと少女はそれに気付き、優を見て優しい笑みを浮かべた。

「お兄さん、こんばんは♪」

「こんばんは、こんなとこにいると風邪引いちゃうよ?」

軽い挨拶を交わす。

優は一言「隣に座っても?」と聞き、少女が頷くとベンチに少し積もった雪を払い座った。

コート差し出しても「寒くないから大丈夫」と断られた。

優は疑問を投げ掛ける。

「お父さんかお母さんは?」

少女の顔が少し曇ったように見えた。

「………」

優は質問を変えることにした。何故か優は質問を繰り返す気が起こらなかった。

「君の名前は?」

「みゆだよ。お兄さんは?」

「お兄さんは優って言うんだ」

「どんな字を書くの?」

「優しいって言う字なんだけど分かるかな?」

そう言って優は前屈みになって自分の足元の雪の積もった地面に指で「優」という字を書いてみせた。

「それくらいみゆ分かるもん」

みゆと答えた少女は頬を少し膨らませた。

みゆはベンチから立ち上がり、膨れながら優が書いた字の隣に自慢げに「みゆ」と字を書いた。

にかっとみゆは優に自慢げに笑ってみせるとみゆはまたベンチに座った。

それからみゆは一度大きく息を吸い、それをゆっくりと吐き出した。すると今度は何やら少し神妙な面持ちで言葉を紡いだ。

「みゆはねぇ、優お兄さんを待ってたんだぁ」

「へ?」

優は素っ頓狂な声を上げて驚いた。

どこかで会ったか?自分の学校の生徒なのか?いろんな考えを巡らせた。

が、どうしても思い当たる人物がいなかった。優は頭が混乱した。

そんな優を無視してみゆは話を進める。

「優お兄さん、手を出して」

言われるがままに優は手を差し出していた。みゆは優の掌に自分の掌を合わせるようにそっと手を置いた。

「目を閉じて」

また言われるがままに優は両の目を軽く閉じた。

すると、みゆが重ねた掌から全身へゆっくりと温かい光が二人を包んだ。




「目を開けて」

確かにすぐそこにみゆはいるはずなのに声がすごく遠くから聞こえる。

恐る恐る優はゆっくりと目を開けた。目が慣れてないせいか、とても光が眩しくて優は左手で目を覆った。

それから一分も経たないうちに景色がはっきりと見えてきた。

優にはとても見覚えのある景色だった。

足元にもう雪は無く、寒くもなかった。

寧ろ暑い。じわりと額に汗が滲んだ。夏の日差しが目の前の襖の隙間から入ってくる。

ミンミンゼミの鳴き声がどこかしこから聞こえてくる。

優は畳の上に立っていた。真新しい畳の懐かしい匂いがする。

左横には自分の背丈より少し低い、古びた木製の和箪笥と戸棚。右横は白い土壁。そこには落書きがしてあった。

横線が5cm程引いてあって右隣に『8/7優 ここ』と字が書いてあった。他にも違う日付のものがいくつかあった。

「ここはおばあちゃんちか?」

優は呟いていた。『何で俺ここにいるんだ?公園にいたはずなのに…みゆちゃん?みゆちゃんはどこに行ったんだ…?』

辺りを見回したが、みゆの姿はどこにもなかった。

取り敢えず、この空間が本物なのか…優は和箪笥に触ってみる。ちゃんと漆の塗られた木の感触があった。

リアルな空気や感触がここが幻でないことを告げている。

優はまた混乱した。目をぎゅっと瞑り、自分に『落ち着け!落ち着け!』と念じた。

そうしているとすーっとゆっくりと襖開く音がした。

優は驚いてとっさに隠れよう辺りを見回したが無駄だった。

開いた襖の向こうにいたのは…


『…えっ!?俺!?』


そう、そこに立っていた人物とは中学一年生当初の幼い自分だった。

目が合っているはずなのに幼い自分は在らぬ方向を見ている。

『見えてないのか?』

不思議な感覚だった。確かに自分はここにいるのにいないみたいだった。

優は幼い自分にそーっと恐る恐る近寄った。触れられるのか試してみたくなったのだ。

そして手が今にも届きそうな距離にきた時、


「優」


声がした。

優と幼い優は同時に声のする方に視線をやった。

そこには見間違うはずのない、在りし日の母の姿があった。母は優しい笑みを湛えていた。

幼い優は母に駆け寄って行って母の腰元に抱きついた。幼い優は母を見上げる。

母は「はいはい」とばかりに幼い優の頭を2回撫でた。そして母は幼い優の手を引き背を向け去って行った。

『何だ?これ?何なんだよ?』

そう思いながら優は軒先に項垂れながら腰掛け、空を見上げた。空は高く、青かった。


「優お兄さん」


真後ろ辺りからそう呼ぶ声が聞こえ、ばっと優は振り返った。

そこにはみゆがいた。驚いて優は2・3歩後ずさった。

「びっくりした?」

みゆはくすくすと嘲笑にも似た笑みを浮かべた。

「みゆちゃんこれは、君の仕業なの?」

みゆは笑みを浮かべたままで答えなかった。

「今日はここまでね。優お兄さん。また明日…ね」

みゆはそう言うとすーっと消えていった。

「待って!!」

そう叫んで手を伸ばした。だけど意味はなく、何も掴むことはできなかった。

それから優はまた光に包まれた。「うっ!」眩しくて目を覆う。



次に目を開けたら…そこはさっきまでみゆといた近所の公園だった。

急に寒さを感じる。雪はまだ降り続いていた。辺りを見回す。しかし誰もいない。

あるのはコンビニで買った冷え切った弁当だけだった。

優は少しの間その場に立ち尽くしていた。

不思議な感覚だ。何だったんだろうか。一体何が起こっていたんだろうか。

現実なのか幻なのか…。

あれこれ考えた結果、考えたって意味のないことに気付く。

優はただ最後のみゆの言葉「また明日…ね」という言葉を信じるしかないようだった。





次の日、ずっと雪の中にいた割りには体調は頗る快調だった。

布団を跳ね除け、上半身を起こして大きく伸びをする。背中が伸びる感覚が心地よかった。

でも、頭に昨日のことがこびり付いて離れない。心はずっともやもやしていた。

だらだらと昨日のことを考えながらぼーっとしていると、いつの間にか家を出る時間になった。

優はさっさと支度をして家を出た。

雪はもう降っていなかった。寧ろ融けかけていた。

道路は少し凍っていて足元に気をつけて歩かないと滑りそうだった。

でも、打って変わって今日は雲一つない快晴。とても気持ちのよい朝だ。

空に向かい軽く深呼吸をしてゆっくりと吐き出し、それから優は歩き出した。

近所の公園にさしかかる。無意識にふと公園内に目をやる。

犬の散歩をしている人や、ジョギングをしている人、いつもと朝の風景と変わらなかった。

優は何だかほっとした。実はあれはただの夢だったんじゃないかと…。




時間は刻々と過ぎていった。ちらちらと頭に昨日のことが過ぎり少しイライラする。

やはりこのイライラを解消するには、あの公園に行くしかなかった。

優にはそれしか思い浮かばなかった。

定時で仕事を何とか片付け、少し焦る気持ちを抑え急ぎ足で公園に向かった。

外はもう暗かった。街灯が夜の闇を照らしている。

優はただ一つのことを考えていた。

『昨日のあれはなんだったのかきちんと話を聞かないと…』

みゆがいるという確証は全くなかったが優にはそれしかなかった。



公園に着いて昨日のベンチの前まで来た時、優の息は少し切れていた。

肩で息を吸う。肺が少し痛い。『運動不足だな』そんなことを思ってみる。

優はその場をぐるりと一周して辺りを見回す。

が、しかしそこにみゆの姿は見当たらない。見当たるのは老夫婦が散歩にきている姿ぐらいだった。

『やっぱり幻だったのか…俺どうかしちゃったのかな』そんなことを思いベンチに腰掛けたその時…


「優お兄さん」


真後ろで声がした。驚いて声の方へ振り向く。そこには昨日と同じ姿のみゆが立っていた。

辺りの雰囲気が一気に変わるのが分かる。ひんやりとした空気に包まれる。さっきまで側を歩いていた人は忽然といなくなっていた。

「みゆちゃん!?」

優はベンチから立ち上がり2・3歩後ずさり対じした。

「お兄さんこんばんは。やっぱり来てくれたのね。」

優の驚きを他所にみゆは笑顔を浮かべてそう言った。何とか気を持ち直し優は尋ねる。

「みゆちゃん、聞きたい事があるんだけど…」

「昨日の事?」

優の言葉を最後まで待たずにみゆは言葉を挟んだ。

「教えて欲しい?」

そう言いながらみゆはベンチに腰掛ける。

「君は昨日また明日ねって俺に言った。昨日のアレは一体…?」

「じゃあ、お兄さんまた目を閉じて手を差し出して。」

優は言われるがままに目を閉じて手を差し出した。みゆの小さな掌が優の掌と重なる。

また温かく柔らかな光が二人を包み込んだ。




「目を開けて」

また遠くから聞こえるみゆの声促され目を開けた。やっぱり眩しくて目を覆う。

そしてまたすぐに景色が見えてきた。

それは昨日とは違う景色。また見覚えのある景色だった。

足元にはフローリング。頭上にはシーリングライト。

目の前には二人掛けの真っ白なソファーベット。ソファーの前には四角のガラステーブル。32型のテレビ。

そして真正面。壁に白色のシンプルな額縁に入れられた仲のよさそうな家族の写真が一枚飾られている。

「実家だったところだ…」

思い出したくないと言わんばかりに苦しい…押し出すように言葉を紡いだ。

「そう、ここはお兄さんのおうちだったところだね。」

いつの間にかみゆは優の真横に立っていた。

「ここにはいたくないんだ。早く戻してくれないか?」

優の息はどんどん荒くなっていった。

『頭が痛い、吐き気がする。息が…苦しい…』

「どうして?」

みゆは屈託の無い顔で優に尋ねる。

「ここは…嫌なんだ…ここは…」

あまりの息苦しさに優はその場に倒れこむようにしゃがんだ。

右手で自分の胸元を必死に押さえながら肩で息をする。

「そうだよね、ここはお母さんが死んだ場所だもんね」


ドクン…


優の心臓が激しく脈を打った。みゆの言葉にさらに息ができなくなる。

うっすらとした眼で優は前方を見上げた。するとそこにはさっきまではなかったものがあった。


「ああぁぁぁ!!!!!!!!」


両手で頭を抱え悲鳴を上げる。優が見たもの、それは…11年前に首を吊り、自殺した母の最後の姿だった。


次に目を開けたとき、優の眼前にはただの白い空間が広がっていた。何にも無いただの白。

呼吸も元に戻り、頭痛や吐き気も治まっていた。優はゆっくりと立ち上がる。

「優お兄さん」

みゆはすぐ側にいた。

「お兄さん、みゆに教えて。あの時のこと」

優の押し殺していた記憶が蘇る。ずっとずっと封印していた記憶。

優は催眠術にかかったように語り始めた。




「11年前…俺は当時中学3年生だった。


 俺はいつものようにヘッドフォンで音楽を聴きながら眠りにつこうとしていた。

 ヘッドフォンをして眠るのには理由があった。

 ほぼ毎晩続けられる父さんと母さんの口論と、母さんの泣き声から逃れるためだった。

 何だか離婚するらしい。理由は父さんが母さん以外の人と付き合っているからだそうだ。

 父さんにそう聞かされた。俺はなんて答えたっけ?…あぁ、確か『へぇ〜』だった。

 どこか他人事のように俺は思っていたんだ。

 いつからだろうか、家族らしい会話がなくなっていたのは…

 仲は良かったはずなのに…。どこにでもある普通の家族だと思っていたのに…

 そう思う度、俺は天井を見つめ泣いていた。やはり子供ながらに傷ついていたんだと思う。

 

 そしていつの間にか離婚は成立した。

 父さんは、母さんと父さんどっちに着いてくるか決めろと言ってきた。

 悩む間もなく、俺は母さんと答えた。それははっきりと覚えている。

 それが俺の父さんに対しての答えだった。俺は父さんを心の奥底で嫌っていたんだ。

 それに今の母さんを見捨てることなんてできなかったし…。

 父さんはただ『そうか…』と答えた。

 母さんはやっぱり泣いていた。

 

 それから母さんと俺。二人暮らしの生活が始まった。

 俺は高校受験だったし、頑張らなきゃいけない時期だった。

 だから母さんは無理してたんだろう…俺には常に笑顔だった。

 それが俺は辛かった。だから俺も母さんの前では極力笑顔でいるように努めた。

 でも、それはやっぱり長くは続かなくて、すぐ辛くなった。

 夜一人になると少し泣いた。

 

 離婚して1ヶ月くらいで母さんは鬱病になった。いつも夜は泣いて父さんの名前を呼ぶ。

 結局、母さんは精神病院に通院した挙句入院した。

 俺は母さんのおばあちゃんの家に預けられることになるはずだったんだけど、

 この家に残って母さんが退院するのを待ちたいと言った。学校が遠くなるのも嫌だったのも あるけど、

 俺と母さん2人しかいない家族だから…。父さんにも頼りたくなかったし。

 俺は精一杯勉強して、母さんのお見舞いにも毎日行って、俺は毎日頑張った。俺なりに頑張 ったんだ。

 そのお蔭もあってか知らないけど、母さんは少しずつ元気になっていた。

 俺は単純に嬉しかった。母さんが喜んでくれるなら俺は何だってできる気がした。

 

 それから、高校受験の合格発表の日。

 母さんは一時的な退院を許可を出してもらい、家に帰ってくることになった。

 俺は難関だったS高に受かっていた。それを手土産にはやる気持ちを抑えて家に帰った。

 俺は家に到着して、玄関を勢いよく開けた。母さんの靴がある。それだけでテンションが上 がった。

 そして、リビングに着いた時俺を待っていたのは母さんの温かい笑顔じゃなくて、

 眼前に広がって見えたのは母さんが首を吊って死んでいる姿だった。

 俺はまず何が何だか混乱した。これは悪い夢か何かかと思った。足にあんまり力が入らな  い。

 よろよろと近づき、ぶら下がっている母さんの手に触れる。まだ生温かかった気がした。

 それからあんまり何にも覚えてない。おばあちゃんが来て、救急車が来て、病院に行って、 父さんが来て、それから…それから…。病院で気を失って泥のように眠った。

 

 目が覚めたとき、知らない天井と隣に父さんがいた。

 『大丈夫か?』と聞かれた気がするが答える気力が俺はにはなかった。

 父さんは一枚の手紙を俺に差し出した。

 『母さんからお前にだ』父さんはそう一言言った。

 手紙を開く手が少し振るえていたかも知れない。

 手紙にには母さんの見慣れた字が並んでいた。所々インクが滲んでいた。

 

 優へ

 

 こんな弱いお母さんを許してね。

 優は名前通り優しい子に育ってくれたね。ありがとう。

 お母さんはそれだけで満足です。

 でも、優が大変なときに何もしてやれなくて、こんなお母さんで本当にごめんなさい。

 優はお母さんに大切なものいっぱいくれました。

 優を生んで本当によかったです。でも、優を幸せにできなかった。それが悔しいです。

 

 お母さんがこんな選択をしたことは間違ってると思う。

 けど、お母さんはどうしても耐えられそうになかった。楽になってしまいたかった。

 苦しくて苦しくて仕方なかったの。ごめんなさい。自分勝手なことばかり言ってごめんね。

 

 入院中にお母さん優にプレゼントを作りました。手紙と一緒に入れてあります。優のマスコ ットです。

 優はもっとかっこいいけどね。お母さんからの最後の気持ちです。

 優はたくさん幸せになってほしい。いつもお母さんは優のことを思っています。

 たまにこんなお母さんがいたことを思い出して下さい。

 

 最後にお父さんを責めないで下さい。お父さんはたった一人しかいません。

 

 優、ごめんなさい、ありがとう。

 

 母より

 

 俺は手紙を読み終わると、封筒の奥に手を伸ばした。中には掌サイズのマスコットが入って いた。

 マスコットを手に取り、抱きしめるようにして俺はわんわん泣いた。

 離婚が決まった時とか全然泣かなかったのに、今になって急に溢れ出る気持ちを抑え切れな かった。

 こんなに涙って出るんだってくらい泣いて泣いて泣いた。

 そんな俺を父さんはずっと抱きしめてた。」

 

 

 

「辛かったんだね…」

みゆのその言葉に優ははっとして2・3度瞬きして当たりを見回す。

真っ白い空間の只中にみゆは悲しいそうな笑顔を浮かべて立っていた。赤いマフラーがよく映える。

優はその場に経垂れ込むように座った。

みゆはその小さな掌を優に向かって差し出した。そこには優の母が最後にくれたマスコットがあった。

「どうしてこれを…?」

優は精一杯の力で絞るように声を出す。

「お兄さんのお母さんに頼まれて持って来てあげたんだよ」

「えっ?」

「お兄さんこれ引き出しの奥に入れて忘れてたでしょ?お母さん寂しがってたよ」

「忘れてなんかないよ、ただ…」

「ただ?」

「思い出したくないだけだったんだ…」

「何で?辛いから?」

「そんなんじゃない!」

「お母さんは言ってるよ。いつも優を見守ってるからって約束したでしょ?って」

「ホントに…?」

優は言葉を詰まらせた。どうしようもない気持ちが溢れてきて、それは涙に変わった。

涙は溢れてくるばかりで、止まりそうにない。

みゆの掌からからマスコットを受け取る。両手で抱えそれをじっと見つめながら泣いた。あの時のように…。涙が止まらない理由を優は探していた。ただ、思い出したくない記憶だからだったのか、それともいつからか自分が母親の存在を消したがっていたのか…。後者だと気付いたその時、

「母さん…ごめん…」

優は呟いていた。

「みゆができるのはここまでだよ。後はお兄さん次第。あのときの気持ちからどうか逃げないで。

 みゆはお母さんの気持ちを伝えにきたただの伝言人。いると思えばいるし、いないと思えばいない。

 でも、きっともうお兄さんに会うことはないと思う。お兄さんは気付いたから。

 さよならお兄さん、元気でね。」

そういうとみゆは優しい笑顔を湛えてすーっと霧のように消えていなくなった。



優ははっとして顔を上げる。

しかし、そこは真っ白い空間ではなく、いつもの公園だった。

急に寒さを感じる。オレンジのライトに照らされてベンチに一人座っていた。

何だか妙に頭がすっきりした気分に優は包まれていた。大きく伸びをして息を吐き出す。息は少しして夜空に消えた。

優は握り締めた掌をそっと開いた。小さなマスコットが優に笑いかけているように見えた。

優はそのマスコット優しい笑みを返す。

頭上の綺麗な満月と街の喧騒が優を包んだ。




日は昇り朝がやってきた。優はいつも通りに学校へ向かう。いつもの日常だ。でも、一つだけ違ったことがある。

それは…

「先生、それなぁに?」

一人の生徒がいつもは何もついてない質素な鞄なのに今日は何故かついてるそれに気がついた。

「これかい?これはね、先生のとっても大切なものなんだ。お母さんがくれたんだよ」

優はマスコットを見つめて言った。

「これ先生?可愛いね」

「あぁ、そっくりで可愛いだろ?」

優は自慢げに生徒に見せた。優の笑顔はいつもと何だかどこか違ってみえた。生徒はそれに気付いて尋ねる。

「先生何かいいことあったの?」

「うん、とってもいいことがあったんだ」

「そっか、先生よかったね!」

生徒は優に微笑みかける。優も生徒に微笑みかける。


ふと優は空を見上げる。今日も雲一つない快晴。

葉が落ちきったイチョウの並木道を生徒達と歩く。

歩を進める度にマスコットは軽く揺れる。

ただ優しい微笑みを浮かべて。


処女作なので、かなり粗削りな内容と文章になってしました。少しダークで重いですが、これもこれということで。

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