第4章 14幕
物陰に隠れていたイレアとコハルは大きな雄叫びに驚き、その方向を見つめた。
巣の前にある開けた場所には巨大なドドンガとそれに応戦する三人の姿が見える。そのドドンガの巨体にイレアは見覚えがあった。その確信となる大きな傷跡が背中にある。
「あのドドンガ……レインさんと初めてあった時の」
「え?」
イレアの言葉にコハルは驚き声を上げた。
「じゃあ、あれがドドンガのボス」と、戦闘を見つめる。
二人はその光景を見つめた。そしてドドンガの牙に血が付いているのに気が付き、辺りを見回す。
「コハルちゃん! あれ!!!」
指さす先にはバルベド兵が倒れている。血が溢れ動いていない。もしかしたら……。
最悪の状況とその恐怖にイレアは目を瞑り、後ろに振り向いた。
しかしそんな自分とは違い、コハルはそのまま無言で彼らの戦闘を見つめる。
「こ、コハルちゃん……」
イレアは真剣な眼差しのコハルを見た。その横顔はいつもの彼女ではない、どこか大人びている。
「見届けないと……」
「……?」
「この戦い。私が見届けないといけないのはこの戦いなんだ……」
急な彼女の発言に驚く。
「この違和感は……何? あのドドンガが……この先、何かするの?」
誰かに問いかけるようにコハルは独り言を話す。
「これが、私がここに来た理由」
胸の前で両手を握りしめる。その手は震えていた。
そんなコハルの横顔にイレアの胸は締め付けられる。
これが巫女。これが……特別な存在。自分にはそれがない。戦えるわけでも、彼女のように何かに特化しているわけでもない。どこにでもいる天使。兄と二人で街で何不自由ない生活をするただの子ども……。自分には何もない。
だからレインにあんな風に言われたのか? ルイが冷たくなったのか?
イレアの心に靄が掛かる。
そんな中、コハルの見つめる先の巣の入り口では激しい音とドドンガの鳴き声で戦闘が繰り広げられていた。
ふとイレアの鼻先に何かが当たる。
「あめ?」
声に出すと同時に雨が一気に降り始めた。スコールは辺りの視界を遮るように激しくなる。
「コハルちゃん、少し移動しよう? このままだと雨に……」
「あ、うん……」
コハルは急にイレアに腕を掴まれたことで驚き肩が跳ねる。
「あの先の大きな葉の下に行こう。ここだと雨で前が見えにくいから」
その提案にコハルは一瞬悩むが頷く。
そして二人が歩き始めると同時に大きな雄叫びが上がった。その声に二人は急いで振り返る。
雨のせいで視界が悪い。何が起こっているのか……。
その瞬間―――!!
レインは目の前で大きな鼻息を上げる巨大な獣の前で何度か刀を振り、戦闘体勢を取った。
ドドンガのボスもこちらを向き睨み付ける。どうやら向こうもこちらのことを覚えているようだ。ルイ、ミネルには見向きもせず、深い呼吸と共にレインに殺気を送ってきた。
半年前に付けた傷跡はまだ完治していないようで、大きく肉が見えている。痛々しいその傷を癒す為にこの狭い巣を寝床にしていたのだろうか。この巣はボスが信頼できる者だけを残していたのかもしれない。
後方にいるルイ、ミネルの唖然とした空気を感じる。それもそのはずだろう。今まで見てきた中でもサイズが桁違いだ。『ボス』その名がふさわしいとはこのこと。見上げる程の顔立ちに鋭い牙、赤く血に染まった爪。その全てが本来のドドンガにはなかった。
ドドンガの呼吸が荒くなるのを感じつつレインも呼吸を整える。
そんな中、雲行きの怪しかった空からぽつぽつと雨が降り始める。スコールは数秒で周りを濡らし、視界を遮った。
どちらも動かず、呼吸と雨音だけだった空間を割いたのはドドンガの雄叫びだった。
「来るぞ!!!」
ルイの声にレインも反応し、刀を握り直すと牙を向けこちらに突進してくるドドンガの攻撃を交わす。
「スピードが! 今までのドドンガと違う! 早い!!」
ミネルは拳銃を構えるが、大きな的のはずのドドンガの動きに引き金を引けない。
「ルイ!」
攻撃を避けたレインは名を呼ぶと走り始めた。その声にルイも走り込む。
二人同時に斬り掛かる。しかしドドンガはその攻撃を首を振ることにより回避した。
そのまま飛び込んだレインはドドンガの頭上に飛び跳ねると、以前の傷口に向かってもう一度刀を向ける。能力を込め一気に斬り掛かるが、その動きも素早く見抜かれ回避された。
「くそ!」と、レインは翼を使いつつ着地しそのまま後退する。
「こ、こんなに俊敏に動くの!?」
「流石、ボスってか?」
「いや、怒りで我を忘れてる。前より動きが早くなった。代わりに交わし方が雑だ」
二人の会話にレインが答える。
「どうする? このままボスを仕留めてもいいの?」
「二人も殺されてるんだぞ!? このまま野放しに出来るか!」
「確かに……この荒れ狂い方。街に向かわれても困る」
三人の意見が揃ったところで、またドドンガがこちらに突進してくる。その動きに皆が一気に散った。
雨の音で少し距離を置くとお互いの声が聞こえない。
レインは額にへばりついた前髪をかき上げながら低い体勢を取った。スコールの激しさが増す中での戦闘に気が散る。
ドドンガはスピードを落とすことなく大きく旋回するとレインの方に向かって来る。
レインは低い姿勢のまま刀を前に出し、能力を起こす。そして突進してきたドドンガの牙を受け止めた。
身体に衝撃が走り、歯を食いしばる。足元がぬかるんでいる為そのまま押されていき、後退していった。
「凍れ!!!」と、レインの叫びに合わせ、刀に触れた牙が白く凍っていく。その場の空気や雨も氷に変え、ドドンガの鼻先や目元までもが氷に覆われ始めた。
「ミネル!!!」
レインの叫びにミネルの拳銃から放たれた銃声が響く。ドドンガの頬や足元から血しぶきが上がった。
「グオオオオオオオオ!!」
叫びと共にドドンガが首を振り、もがき苦しむ。その姿にレインは片膝を付いた。
「うおおおおおお!!」
動きを止めたドドンガに向かって二本の刀を握りしめたルイが走り込み、両足を更に傷つけた。雨に打たれ水の能力の鋭さが増した攻撃は更にドドンガに致命傷を負わせる。
「よし!!」
離れたところからのミネルの声が聞こえる。
「もう一発!!」
ルイは一度離れた場所で体勢を整えると、さらに斬り掛かっていった。
刀を構え、斬り込む。しかしドドンガは口を大きく開きレインの凍らせた鼻先の氷を落とすとルイに向かって牙を向けた。
ルイが瞬時に反応し交わす。そして新たに攻撃をしようと踏み込んだ。
彼の足元を見ていたレインは咄嗟の判断で走り込む。そのままルイの真横に行くとドドンガの攻撃を刀で押さえ込んだ。
「だから!!」ーー踏み込みが甘い! そう叫ぼうとした瞬間だった。
身体がぐらりと揺れる。身体の力が抜けていくのが分かった。
先程の能力からの疲労? いや、そんな……いつもならこんなことにはならない。
しかし今のレインのコンディションでの戦闘。打ち付ける雨、脳内がおととい見た遺跡での出来事に侵食される。
眩暈と吐き気に襲われ身体がぐらつく。刀を握る力が弱まり、叫ぼうとした言葉が途切れる。
そんなレインの攻撃をドドンガは撥ね返し、崩れかかる身体に牙を向けた。牙はレインの右腕を捉え、上下から一気に骨を噛み砕く。
バキバキと自分の身体が砕ける音が聞こえる。激痛のあまり顔を歪ませ刀を離した。
レインは腕を咥えられたまま声を上げる。
しかしその痛みのおかげで脳内の侵食された記憶から意識を取り戻し、左手を目の前にあるドドンガの鼻先へと押し当てた。
「……ッッッ!」
歯を食いしばり、左手から能力を一気に放出する。ドドンガの鼻先は一瞬で凍り付いた。
その攻撃にドドンガは先程と同じように首を大きく振り暴れる。レインはその動きで牙から解放された。しかし跳ねのけられた反動で身体は宙を舞い、離れた場所に倒れ込んでしまう。
右腕からは大量の血が流れ始める。雨の打ち付ける地面がレインの血で染まった。
「レイン君!!!!」
「レイン!」
二人の叫びに「俺はいい! 殺れ!」とレインは叫ぶ。
動揺した二人はその叫びに再び目の前の敵を見つめた。
しかし……ドドンガの動きが一瞬止まる。何かを感じたようだ。ルイ、ミネルとは反対方向を向くとゆっくりと動き出す。
その動きにルイは「ダメだ!!!!」と叫び、走り込んだ。
「その先には!!」
--その先には彼女がいる!
血の気が引いた。このまま進めばコハルとイレアのいる方に向かってしまう。それは阻止しなければ。
しかしその思いとは反対にドドンガは急に走り出し、木々の中へと向かいだす。
その足元にミネルの銃弾が飛ぶ。数弾当たり、ドドンガの動きが鈍くなるが動きを止めることは無い。
「やめろおおおお!!」
ルイは走り、ドドンガの前へ回り込んだ。そこは恐怖に怯えるイレアとコハルの目の前だった。
「イレア!!!」
ルイの叫びに彼女は一瞬安堵の顔を見せる。
ーー彼女を守るのが俺の!!
ルイの瞳にイレアが写り込んだ瞬間――ルイの左脇腹にドドンガの鋭い爪が斬り込まれた。
全てがコマ回しに見えた。
自分を見る彼女の目が一瞬だけ映り込んだ気がする。しかしその一瞬の出来事は激痛と共に消えていった。
左のわき腹から血しぶきが上がる。その痛みでドドンガの牙を受け止めきれなくなり、目の前に巨大な口が姿を現わす。頭を丸齧りしようとドドンガの息がこちらに向かって来るのが見えた。
「あ……」ーーイレア……。
ルイの叫びは喉から出ることなく消えていく。
その時、雨音の中からの銃声が耳に届いてくる。
銃声はドドンガの左目を貫通し、ルイを喰いちぎろうとした獣は痛みの声を上げつつ離れていった。
そしてそのまま深い呼吸を何度かすると、辺りを見回しゆっくりとジャングルの中へと歩き始める。
雨の視界でジャングルの先は見えずらい。ドドンガはそのまま木々の中へと消えて行った。
その背中を見つめていたルイは立っていることが出来なくなり、その場に倒れ込む。
「ルイ!!!!」
仰向けに倒れ込んだルイの視界にピンク色の髪が入り込む。
「い……イレア」
ルイは消え入るような声で彼女の名を呼ぶ。
「ルイ! ルイ!!!」
イレアの叫びがまるで遥か遠くに聞こえる。
脇腹の傷が雨に打たれ、その場が赤く染まっていった。
「イレア……怪我は?」
「ううん。ないよ。けど……ルイが!!」
イレアの顔が雨のせいか、涙のせいかぐしゃぐしゃになっていく。
ーーそんな姿にさせるつもりはなかったのに。
ルイは申訳ない気持ちになりながら、泣きじゃくるイレアに微笑んだ。
「やっと、あの時の……恩が返せる」
ルイの言葉にイレアは驚いた顔を見せる。
「なに……それ」
「お前は忘れたかも知れないけど……俺はあの時からお前に救われてたんだ。シルメリアとお前を守るのが俺の……役目。それがやっと果たせる……のかな」
「何言ってんの!? ルイ!」
「けど、ごめん」
ルイはイレアを見つめた。雨のせいなのか、痛みのせいなのか、視界がぼやけ始める。
あの時、親父が死んで母さんが死んで……兄貴は右手右足を失った。
ーーあの時、あの時にお前は俺を救ったんだ。だから……自分にとってお前は……特別。お前がいくら特別なのを嫌っても俺は……。
『後から後悔する前に想いは伝えておけ。じゃないと……』
先程レインに言われた言葉が脳裏をよぎった。ああ、そういうことか……そう思った。
早く、もっと早くに言えばよかったのかも知れない。この気持ちはいつまでも続くものだと思っていた。
そうか……親父や母さんが突然死んだように。自分も……こうやって死ぬんだ。
--だったら……伝えるべきだったな。
ルイはイレアの瞳を見つめながら一度歯を食いしばり、そしてつぶやく。
「イレア……俺、お前が好きだ。俺……おれ……」
想いを伝えると涙が溢れて来る。
「ずっとお前が好きだったんだ。俺……お前に嫌われても、お前が誰かを好きになっても……俺はお前を好きでい続けて、お前を守っていこうって……そう思ってたんだ」
「…………ルイ」
「今まで……ごめんな。嫌な思いさせて……けど、今日でおしまいだから」
そう言って涙を流したルイは目を瞑る。最後に見れたのが彼女の顔でよかった。そう思いながら。