第4章 11幕
朝焼けに染まる街並み。マーケトが一望できる場所で風を浴びながら、この街の長ライはその光景を眺めていた。
マーケットの先に広がるジャングルの遥か先から光が生まれる。赤く色付きながら暗闇が消えて行く様をライはずっと見つめていた。
風が吹く。少し湿った季節風に彼のピアスが金属音を鳴らし揺れた。日の光の眩しさに目を細めながらその風を浴びる。
「ライ」
そう呼ばれ振り返ると、そこにはいつもと違いラビット族独特の戦闘服に着替えたアグニスがいた。
「どうしたの?」
「いや……」
ライは左手で右腕の切り落とされた部分を撫でる。
「俺は結局、非力なままだ……と思ってな」
「……」
「あの日もそうだった。きっとこれからもそうだ。俺は皆に生かされている。今日の作戦も俺は何も出来ない」とライは腕を撫でる手に力を入れた。
「そんなことないわ。あなたは皆の上に立ち、道を示しているでしょ? 『シルメリア』それは先代のお父上が作り、あなたが育てた」
「ああ……要塞都市としても、反政府組織としても、この街は大きくなった」
「……」
「けど俺は結局、あの頃から何も変わらない。皆を信じるしか出来ないんだな」
そう言って朝日を見つめる。アグニスはそんなライの横に立つと彼の腰に手を当てた。
「大丈夫、みんなあなたと共にいるわ」
ライはそんなアグニスに答えるように左腕を彼女の腰に回す。
「だから俺はここにいなきゃいけない。長として。皆の前に」
「そうね」
「俺は……」
ライは大きく湿った風を吸い込んだ。昔の思い出に浸り深呼吸をする。何もかもをなくしたあの日を思う。
「俺らしくないな」と、ライはいつも通りのニヤリとした笑い方を彼女に見せた。
「ほんとうに、この時期は嫌いだ」
「雨季はみんな嫌いよ」
「そうだな。嫌な過去を思い出しちまう」
アグニスを見つめる。彼女はライの瞳に微笑みながら「少し行って来るわ。待っててくれる?」と優しく言った。
「ああ、すまない」
二人の顔が近付き、鼻先が触れる。
「その言い方は良くないわね」
「そうだな。ありがとう」
「……その言葉の方が嬉しい」
朝日の光を浴びながら二人はゆっくりと口づけをした。
いつもと変わらない朝。しかし、マーケットも住宅地もどこか忙しない。それは今日の正午から始まる市街地での大規模作戦の影響だ。いくら塀の外といえ、どうなるか見当も付かない。ましてや街にいる戦闘員達がほとんどその作戦に参加するのだ。その間の街の中がどのような混乱が起こるのか。皆の不安は街の空気にまで色濃く出ていた。
そんなマーケットを抜け、ゲートまでたどり着いたレインは大きなあくびをしながら門番の元まで進んだ。
「あれ? レインはもう出発か?」
声を掛けて来たのは門番のダングだ。黒の髪の毛に狼の耳が特徴の彼は、尾を振りレインに笑い掛ける。
「ああ、俺の担当は奥地だから、そろそろ移動しないと間に合わないんだよ」
「へ~~、コハルも連れて行くのに遠出なんだな」
「その巣が一番小さいんだ」
「なるほど」
レインは右腕に刻まれたバーコードをダングに見せる。ダンスはそのバーコードを機械で読み取ると「どうぞ」と言った。
「夕刻には帰って来るんだろ?」
「だと思うけどな。流石に街の戦闘員がほぼ参加するんだ。そこまでかからないはずだけど」
「なら、夜はいつものパブで一杯やろうぜ」
「賛成、と言いたいが……多分、治安部隊の打ち上げに参加させられると思う」
「ああ、お前、酒強いもんな」
ダングは残念そうに尾を垂らす。そんな犬の仕草にレインは笑うと「また今度」と手を振った。
そしてショートゲートを潜り門を通過する。その先には少し開けた場所へと繋がっていた。
少し先にジャングルの入り口が見える。木々が生い茂る密林の先が今回の作戦の部隊。レインは先に待つ今回の参加者達の方へと歩いて行った。
「遅い!」と声を荒げるルイ、「あ、おはよう」と手を振るミネル。隣にはいつもより動きやすい服装のコハルがいた。
「お、おはようございます」
「おはよう」
レインはその場にいる皆に声を掛ける。
周りには他にも戦闘服に身を包み、各々の武器を装備したビーストがざっと見ても三十人ほど集まっていた。
「結構いるんだな」
「ああ、けど他のゲートの方が多いだろうな。俺達の区画はドドンガがあまり生息していない場所だから、そこまでの人数は配備されないんだろう」
ルイは身体の左右に挿した剣を握り答える。
「アカギクさんやクレシットさん達はもう出発したよ。ジャングルの中枢は緑人族を中心に幹部が受け持つみたいだから」
「なるほどね」
レインは目を擦りながらミネルの言葉に返事をした。
「あれ? レイン君、寝不足?」
「ああ、ちょっと最近、寝付けなくて」
「顔色もあまりよくないです。お食事はきちんと取られてますか?」
コハルが心配そうにレインを見つめる。
「うぅん……少しは食べてるから、それは大丈夫」
「体調不良ですか? それとも……心配ごとでも?」
その言葉にレインは「大丈夫だよ。ありがとう」と微笑んだ。
実際はあまり大丈夫とは言えない。
あの日……遺跡の地下、アダムとの接触以来まともに寝付けない。少しでも気を許すと過去の記憶に眠る何かに心が蝕まれていく感覚に陥る。心の中に黒い何かがシミを作るように広がり、恐怖や憎悪が霧のように辺りを舞い始める。受け入れてはいけない。そう思いながらこの二日間を過ごした。
その何かは分かっている。アダムから流れてきた過去の記憶。あの『サタン』の記憶が自分の中に流れこんで来ているのだ。その記憶の断片と、彼の想いを受け入れてはいけない。
彼女を思い続け自分を保つ為にはサタンを拒絶しなければ……。
もしもサタンの魂を受け入れれば、自分は彼女を愛し続けることが出来ない。必ず彼女を殺そうとするだろう。そうなれば彼女を殺す前に自らを殺さなければならない。死を選ぶしか無くなるという事は彼女からの言葉である『生きる』という行為を辞めてしまう。そうなってはいけない。
彼女の為に……彼女を愛し続ける為に、サタンの魂と記憶を受け入れてはいけない。そう思えば思うほどレインは潰されそうな感覚に襲われる。
その為、睡眠や食事がおろそかになっていた。
コハルの不安そうな顔にレインはもう一度「大丈夫」と声を掛ける。
「はい。けど……」
コハルは胸の前で両手を握りながら言葉を探す。
「レイン様……なにかあったのでは?」
彼女の言葉にレインは一瞬、二日前の出来事を話してしまおうかと口を開く。彼女なら、天界巫女であるコハルなら話してもいいのではないか。そう思ったが、彼女の不安そうな顔を見て思いとどまり
口元を緩ませ「いや」とだけ返事をした。
突然、辺りが急にざわつき出す。どうやらジャングルの中に入って行くようだ。
「俺達は一番最後だ」
ルイがレインとコハルに向かって声を掛けてくる。
続々と集まった者達が、各自の配置場所に移動していく。大がかりな作戦である為か、はたまた久しぶりのお祭りを楽しんでいるのか、それとも腕試しが出来ると喜んでいるのか、皆の顔つきは穏やかだ。
ガヤガヤと賑やかに進む一行を見ながらルイは「遠足じゃないんだぞ」と吐く。
「まあまあ、久しぶりに暴れられるって人達だからね。多めに見よう」
ミネルはあははと笑いルイの肩を叩いた。
「さ、みんな行っちゃったし、僕達も出発しようよ」
「そうだな、時間までに配置についてないと後々面倒だろ?」
レインの言葉に「分かっている!」とルイはこちらを睨む。そのルイの反応にレインもむすっとした。
「足を引っ張るなよ」
「それ、誰に言ってる?」
「お前以外誰がいるんだ」
「へえ、俺に?」
二人の言葉がピリピリと弾く。
「あああ~~もう! ここまで来て喧嘩しない!」とミネルが手を上げながら二人の間に割り込んだ。
「いい? 今日はチームメイトなんだから! 二人ともしっかりしてよ? コハルちゃんがいるんだからヘマしないでよ」
「分かっている!」「ああ……」
ルイ、レインの言葉にミネルは「まったく!」と頬を膨らませた。
そんな三人を見ていたコハルはクスクスと笑いだす。
「なんだよ」とルイが話し掛けると、コハルは「いえ……」と微笑んだ。
「三人は仲がいいんですね」
「はあ!? どこが!?」「まったく」「二人は似てると思うけどね」と三人別々の答えを返す。
それを聞いてさらにコハルが笑った。
そんな話をしていると辺りが四人だけになっていた。そろそろ出発してもいい頃だろう。
ルイを先頭にジャングルに足を踏み入れようとしたその時だった。
レインは急に立ち止まり、その場の空気を感じる。
「レイン様?」
レインは人差し指を口元にもっていく。『静かに』という合図に皆が不思議がっていると、その場から少し離れた植物の葉を動かしてみた。するとそこにいたのは……。
「イレア?」
そこに隠れていたピンク色の髪の緑人族、イレアが申し訳なさそうに「あはは……」と笑った。