第4章 10幕
ーー夢を……見た。
そう、いつもの夢だ。なのにいつもより鮮明だった。
晴れた空を見た、綺麗だと思った。汚れた世界を見た、醜いと思った。戦場を見た、苦しいと感じた。
愛する君を想った……愛おしくて……愛おしくて。君と共にいたいと思った。
いつもの笑顔、凛とした姿、あどけない笑顔。そんな君の隣で俺は生きていこうと思ったんだ。
そう、俺は……君のことが好きだ。君の見る夢を俺は叶えていこうと思った。だから、どんな障害だって君の為なら。
なのに……俺は君を殺そうとした。君を憎いと思ってしまった。
だから俺は死のうとした。君の隣で生きたいと、こんな俺でも生きていきたいと……そう思っていたのに。
もう一度、君の名を呼ばせて欲しい。君に愛していると伝えさせて欲しい。いつまでも……いつまでも君を愛していると。
君を愛し、君の為に生きると誓わせて欲しい。
だから……シラ、君に逢いたい……。
ーー愛していたんだ。愛して……なのに俺は裏切られた。あんなに愛し合った彼女に。共に生きていこうと誓ったのに。
汚染された世界でも、俺はお前といれたらそれでよかった。共にこの世界をやり直そうと、そう思っていたんだ。
なのに……。
真っ赤に染まる視界。左目を抑えていた掌は自分の血で染まっていった。息が上がり、呼吸が出来ない。
目の前にいる彼女の顔は悲痛に歪んでいた。俺を見下ろし、無言で俺を見つめる。
俺はお前に触れたくて手を伸ばした。左目を抉られた痛みから意識が遠のく。
愛している。お前を……。そう口に出したかった。
本当はお前を愛しながら死にたかった。お前と……また笑い合えると思っていたのに……。
愛している。愛してる……。何度も口にしたはずの言葉。
なのに……口から出た言葉は違っていた。
「憎い……」
それだけだった。友を殺され、俺までも……そんなお前が憎い。
ああ……憎い。裏切った……お前が!
愛していたのに。愛していたんだ!! なのに……。
ーーゼウス。俺はお前が憎い。だから……俺はお前を呪おう。お前を……全てを呪いながら死のう。
世界を呪い、世界を……歪ませ。その全てを……お前に捧げよう。
ーーこの先、永遠に愛し続けよう……ゼウス、お前を。
レインは大きく肺の中に煙を取り込む。そして溜息を付くように肩で呼吸した。
ぼんやりと外を眺める。街明かりはピンク色の照明の為、他の区画よりも幻想的だ。
無言のままもう一度マウスピースを加え、そのまま同じ動作を繰り返す。窓に当たる煙はそんなレインを覆うように渦を作り、やがて消えていく。その煙がどことなく自分に似ているようで、ずっと眺めていたい。そう思った。
ドドンガ共同駆除作戦が明日に迫った夜。レインはアリュークの営む花タバコ専門店に来ていた。それは前回のアリュークに依頼された事件の報酬を受け取るためだ。
そして今日もいつもと同じようにアリュークの仕事の区切りがつくまで、自室の隅にある窓辺に座り花タバコを蒸かす。
昨日の遺跡で呼び起こした過去の記憶はあまりハッキリしていない。曖昧な部分が多く残る。
解明された過去……それに合わせて増えていく謎。そして身体に入ってきた感情に押しつぶされそうになりながら、レインは一晩を過ごした。発作に苦しみ、何度も悪夢を見た。その為、一睡も出来ずあれから食事も取れていない。
いつもは何かと話を振って来るアリュークだが、そんなレインの様子を感じてか、何も言わずにデスクで仕事をこなしている。
愛し合っていたはずの二人。何故、ゼウスはサタンを裏切ったのか。何故、悪魔という種族全てを地下界へ落とす必要があったのか。人間と三種族が天界に残る術はなかったのか……。
ゼウスの裏切り、サタンの憎しみが体の中を取り巻いたまま離れない。
タバコを蒸かすレインの息遣いと壁に掛けてあるカラクリ時計の秒針、そしてアリュークの走らせる羽ペンの音だけが部屋に響く。
程なくして「さてと……」とアリュークが伸びをした。そしてデスクを立ち、レインの方へと歩いて来る。ピンヒールの音でレインは外の風景を眺めるのをやめ、彼女を見つめた。
その顔は疲れきっていて、目元が少し赤い。それを見てアリュークは微笑んだ。
「どうかしたのか? 浮かない顔じゃのぉ」
レインは力なく笑う。そしてまた窓の外を眺めた。
「……姐さん」
「なんじゃ?」
疲れ切ったレインにアリュークは優しい声で返事をする。
「愛していた人を……心の底から憎しむことってあるんですかね?」
突然のレインの言葉に彼女は少し驚いた顔をした。しかし、はぐらかすことなく「そうじゃなあ~」と言葉を選ぶようにつぶやき、レインの座る椅子の肘掛けに腰かける。
「本当に愛していたのなら……あるやもしれんな」
「愛していたのに?」
「愛していたからこそ……じゃな」
「……」
「愛が深ければ深いほど、何かの拍子にその気持ちが憎しみへと変わることはあるじゃろうな。愛していた者を想う気持ちは変わらないじゃろうが……」
「変わるでしょう? 愛することと、憎しむことは違う」
レインはアリュークを見つめる。その瞳は必死だった。
「愛と憎しみは紙一重。相手を想えば想うほど深くなっていく……だから難しい」
彼女は切なく微笑み、レインの持っている花タバコのマウスピースを加えた。肺に煙を入れて一気に吐き出す。その煙は部屋に浮かぶとふわりと消えていった。
「誰かを想う気持ちは一つではないからのぉ。怨み、妬み、憎しみ……これも誰かを『想う』気持ちじゃ。人は良い感情でも、悪い感情でも誰かを想っていたい。誰かを想い続けることで自分を保てる……そんな難しい生きものなんじゃよ」
アリュークの言葉を心の中にしっかりと仕舞い込むように目を閉じる。
「姐さん。俺……」と、小さい声を出す。
「うん?」
「俺……彼女を愛していたいんだ。ずっと……ずっと……なのに……それがいつか変わってしまうんじゃないかって……怖いんだ」
それ以上は口に出来なかった。それ以上口にしたら自分を保てない。
レインは無意識に左目をさする。
「そうか……」
アリュークはレインの顎を撫で、自分の方へと向けた。泣き過ぎて目が腫れている。そんなレインの顔を切なそうに見つめた。金色と赤の瞳が力なく揺れる。
「何じゃ? それってわっちのことかえ?」
そんな空気を切り裂くようにアリュークが声のトーンを上げた。
「は? 何で?」
急なアリュークの言葉にレインは睨み速攻で答える。
「ええ~~! これは愛のコクハク! かと思って、わっちの心は張り裂けそうだったのに~~」
「それはありません」
ピシャリと言い放たれアリュークは「いけず!」と嘆く。そして掌に収まるサイズの木箱をレインにそっと渡してきた。
「例のブツじゃ。ミールスの葉は最高級品だからの。この量が精いっぱいじゃ」
「ありがとうございます」
「愛する人の香なんじゃろ?」
アリュークの言葉にレインは「ばれてましたか?」と笑う。
「さすがにな。それぐらいは気が付く」
そしてレインに微笑みながら「いつまでも想ってあげなんし。それが人を愛するというものじゃ……」と言った。