第4章 8幕
イレアはみずみずしい花のようなピンクの髪の毛を揺らし上機嫌で歩く。緑人族の特徴である身体のあちこちから生えた植物が、昼間の太陽に照らされて輝く。
マーケットで夕飯の買い出しを済ませ、兄の待つ我が家に帰るところだ。
今日の夕飯のメニューは兄の好きな鶏肉のスパイス煮込みにしよう。自分は辛いのは苦手だからスパイスは少なめにして……。
兄の「お子様の料理だな」と文句を言いながらもおいしそうに食べる姿を思い浮かべ「ふふふ……」と、自然と頬が緩む。
そんな楽しい妄想をしながら家に着き、イレアは玄関ののれんをくぐった。すると中には数人の来客が来ているようだ。
入ってすぐの客間のソファーには兄であるアカギクが腕を組み座っている。その周りに緑人族の仲間が腰を掛けたり、立ってテーブルの上にある紙を覗き込んでいた。皆、真剣そうな面持ちで声のトーンも暗い。
イレアはただならぬ空気を察し、小さな声で「ただいま……」と家に入る。すると皆が一斉に会話を中断してしまった。
「お、お帰りイレアちゃん」
「買い物から帰ったの?」
「お邪魔してます」と仲間はイレアに話し掛ける。
そうしているうちにテーブルの上にあった紙は別の仲間がくるりと丸めてしまう。ちらりと見えたが、どうやらシルメリア周辺の地図のようだ。所々バツ印が見えた。
「何か……あるの?」
余りの緊迫した空気にイレアは恐る恐る兄に声を掛ける。
アカギクは大きな溜息を一つ付くと、仲間に「後は本部での作戦会議でだ。緑人族の話し合いはおしまい」と声を出す。
すると周りの者達も頷き、その場を後にしだした。
「イレアちゃんまたね」と何人かに声を掛けられる。イレアは「はい」「また来てください」と挨拶を返した。
その間もアカギクは何かを考えるように、何もなくなったテーブルを腕組したまま見つめていた。そして仲間の全員が家から出て行くのを待ち、イレアの方へと顔を向ける。
「イレア、明後日大きな作戦が決行される。俺はこれから治安部隊の作戦会議に出るから、今日明日と家に帰らないと思う。場合によったらそのまま作戦に参加すると思うから……」
「え? 待って。作戦って何?」
急な話にイレアは兄の会話を止めた。
「明後日ジャングルの中で大きな戦闘が起こる。これからマーケットにも警告が出ると思うけど、明後日はシルメリアの要塞、全てのゲートを封鎖するから、マーケットも機能しないかもしれない」
「戦闘?」
「ああ、詳しくは言えないんだけどな。お前は大人しく家にいてくれ」
アカギクの顔はいつになく真剣だ。それは緑人族の長であり、治安部隊の幹部の顔。自分にはなかなか見せない顔だ。
イレアは説明の不十分な兄に質問をしようと口を開く。しかしその声は玄関の鈴の音によってかき消された。
「アカギクさん!!」
そう叫び、鈴の音とともに入って来たのは息を切らせた魚人族の青年ルイだった。
アカギクは彼の登場に合わせてソファーから立ち上がる。
「納得いきません!」
「納得するもしないも、ライの命令だからな。仕方ないだろう?」
「でも!」
ルイはアカギクの方に歩みを進める。しかしアカギクはこの話をイレアに聞かせたくないのか、その場を立ち去ろうとルイとすれ違った。
「何で俺のチームにレインとコハルが入るんです!?」
その言葉にイレアは「え?」と声を上げた。突然、二人の名前が登場し唖然とする。
アカギクはその反応に「あ~~あ」と声を上げた。
しかしルイはアカギクに問い詰めるのを辞めない。
「いくらコハルが治癒能力を使えるからって……今回の作戦はドドンガを相手にするんですよ? それによりにもよってあの得体の知れないレインと共に行動させるだなんて!」
「だけどな。ライにはライの考えがあるんだろう? 俺達はその長の命令に従うだけさ」
「けど!!!」
二人の言葉にイレアはただ茫然と立ち尽くす。
「とにかく! その話は決定事項だ。俺もクレシットも覆せない。文句があるならお前がライに直接言え」
アカギクの強い言葉にルイは歯を食いしばる。
「何でコハルちゃんがその作戦に関係してるの?」
そこで初めてイレアは兄に言葉を掛ける。アカギクはイレアの驚いた顔を見て、仕方がないという溜息を付き頭を掻いた。
「コハルが志願してきたんだ。今回の作戦は彼女の中で何かあるらしい。で、ライがルイとレイン、ミネルを護衛につけたんだ」
「レインさんを……?」
イレアがポツンとその名を繰り返す。
そして兄に向かって「私も……」と口にした。しかしその言葉はルイの「駄目だ!」というさらに大きな声にかき消される。
「お前はここで大人しくしてるんだ」
「で、でも……」
イレアはルイを睨む。
「コハルちゃんは志願したんでしょ? なら私も」
「コハルは特別だ。彼女は街巫女。治癒能力も使える」
「……」
冷たい言い方をするルイを更に睨んだ。
「お前はここにいろ」
「嫌だ! 私も行く」
「駄目だ」
「私だって役に立つよ!」
「戦えるわけでもないだろう?」
「けど!」
「これは遊びじゃないんだ」
「遊びだとは思ってないよ!」
「イレア!!!!」
言い合いの最後にルイは名を叫び、こちらをしっかりと見つめる。しかし、声を荒げた事への罪悪感で目を逸らしてしまった。
「ルイはどうしていつもそうなの?」
「何が?」
「どうして私のこと、そんな扱いするの? どうして分かってくれないの?」
「……」
「いつもそう。私はいつもみんなの仲間はずれ……。私もみんなの役に立ちたい。みんなと一緒に……」
そんなイレアにルイは切なそうな顔をした。
「イレア……俺は……」
そこまで口にしてルイは言葉を詰まらせる。そして横に立つアカギクに向かって「本部に行きます」と言い残し、颯爽と家を後にした。
その背中をイレアは見つめる。彼の背中は昔のまま……あの頃のままだった。
「ルイなんて大っ嫌い」
そう小さく吐き捨てる。イレアの言葉を聞いてアカギクはいつもの優しい顔をして微笑んだ。
「そう言っても、幼馴染だろ? あいつもお前のこと心配してるんだよ」
「けど、私は嫌い」
「そうか……」
「嫌い。嫌い! 大っ嫌い!!!」
イレアはそのまま一番近くのソファーに腰かける。そしてプイッと顔を背けた。
ルイは小さい頃からいつもそうだ。自分のことをいつもみんなと別に考える。特別扱いなんてして欲しいわけじゃない。ルイはいつも自分にばかり何かを言って来る。グチグチと言葉を掛けてくる。それが嫌い。何かとつけて手を出してくる。それが大嫌い。だから……。
妹のそんな態度にアカギクは肩をすぼませ笑った。
「ま、そういう事だ。お前は家にいろ。……な?」
「レインさんとコハルちゃんも作戦に出るのは本当?」
イレアは兄の方を向くことなく質問する。その質問にアカギクは「ああ」と返事をした。
「コハルが直接ライに言ったらしいからな。で、用心棒のレインを付かせると、俺とクレシットに連絡が来た」
「……そう」
そっけないイレアの頭をアカギクはポンポンと撫でた。
「行って来る」
「いってらっしゃい」
拗たイレアは頭を撫でられながら小さく答える。
兄妹の挨拶を終え、アカギクはそのままイレアを残して家を出たのであった。
レインは翼を大きく開き、ビルの中に出来た縦穴を下降していく。下にはいつものように巨木が微かな日の光を浴びながら佇んでいた。その根元に見える鉄の塊も日中のわずかな日差しを浴び光る。
レインはそのまま翼を上手く使い、その鉄の塊と化した戦車の横へと着地した。コンクリートの床に埃が舞う。その埃も光を浴びて輝く。
シルメリアの遺跡の一番中枢であるこの区画は、他の発掘チームはあまり立ち入らない。それはこの区画がかなり入り組んでいるうえに、変わり者達が牛耳っているからだ。そんな発掘の虜になっているメンバーの一員になり、もう半年が経つ。
遺跡の内部に入るのはライの許可が必要だ。しかし永久住民の証拠である右肩のバーコード状の入れ墨と、遺跡発掘チームへ入隊すればいつでも遺跡へと入ることが出来る。
ただ、ここのメンバーはそれ以前に遺跡から滅多に出ようとしない。なのでレインは遺跡発掘の手伝いと街の近況報告をする役目をおっていた。
いつものように大きく伸びをしながら翼を収縮させる。そして遺跡の横穴を歩き始めた。
程なくして一つの大きな部屋にたどり着く。そこはたくさんの巨大な機械がドミノのように並び、その真ん中にはさらに巨大な鉄のゲートが存在している。しかしそのゲートは何処にも繋がっていない。座標確認せずともゲートを作製出来る機械を作動させるのがこのチームの最も大きな目標だ。
レインは元人間であり、この世界に生きる者達よりも機械に触れた経験がある。そして軍人であった頃のゲート設置技術の知識もある。その為、このチームでは重宝されていた。
「博士!!」
声を上げる。部屋の中には誰もいないようだ。しかし研究するために動かされた発電機器は作動しているため、辺りは蛍光灯の光で明るかった。
「リリティ! 昼食を持って来たぞ!」と、もう一度声を上げる。
時間にしてまだ昼下がり、今の時間ならここの発掘チームであるフロレンス博士と、助手のリリティがいるはずなのだが……。
先程、体調の悪そうなコハルを家に送り届けたばかりで、自分自身も昼食にあり付いていない。レインは右手に抱えた紙袋に入ったオレンジ色の果実を齧った。甘味の中に少しえぐ味も感じる。あまり熟れていないものを買わされたのかもしれない。
せっかく昼食の差し入れと、明後日に迫るドドンガ共同駆除作戦の話を伝えに来たのだが……誰もいないとなるとどうしたものか。
そのままゲートの方へと歩きつつ果実を食した。残りの果実が入った紙袋をゲートの小脇に置いておく。こうしておけば二人は気が付くだろう。
レインは辺りを見回しながらこの場の空間を感じてみた。やはり人気は無いようだ。
「さて……」
コツコツと自分のブーツの音が部屋に反響する。
するといつもと違う場所から空気の流れを感じた。どうやら別の横穴があるようだ。
レインはその横穴を見つけると中を覗いてみる。横穴は人が一人入れるぐらいのサイズだ。昔の爆発物で開けられたものではない。
中は暗く、さらに長い。しかしその先から涼しい風が吹ている。
この遺跡に通い始めてもう半年経つが、こんな場所があるのは知らなかった。今日は風の流れがいつもと違うようだ。もしかしたら雨季に入る為、変わったのかもしれない。
レインはそんな暗い横穴を興味本位で進んでみた。
程なくして狭かった横穴は終わりを迎える。その先にあったのは大きな部屋のようだ。
どうやらこの横穴は通気口らしい。部屋の中に入ろうと段差を軽く飛び降りる。
そこは先ほどいたゲートの部屋とは違う空間だった。さらに洗礼された空気。
その場の空気を感じ呼吸してみる。
「知っている……空気だ」
そう、どこか懐かしい。そして寂しくなるような……そんな空間。
広さもだいぶあるようなのだが、通って来た通気口からの光でしか照らされていない為、辺りが伺えない。レインは辺りを見回し近くに電源のようなものを見つけると押してみた。
その場が少し明るくなる。間接照明のようなもので、所々だけ青白く光った。
薄っすら部屋の中が伺える。しかしその場が部屋と呼ぶべきものではないのに気が付いた。
「これ……」
言葉が詰まる。
そこに見えたのは大きなパイプの走る高い天井。足元に続く巨大な水槽……いやプールと表現した方がいいだろうか……。そして壁に設置されたモニターや電子機械の数々……。
そんな巨大な空間を青い光は不気味に光り、レインを迎えていた。




