第4章 5幕
レインは先程と同じようにテンポよくピンクの照明の区画を歩く。
遊郭の空気は独特だ。そんな空気を肌で感じながらリボンで括った髪の毛を揺らし、目的地へとたどり着く。
そこは一軒のバーだ。入り口はのれんで隠れていて、中はガヤガヤと賑わっている。かなり繁盛しているようだ。レインは何の躊躇もなくそののれんをくぐった。
中は花タバコの香が立ち込め、煙が充満している。円卓が五~六席の先にカウンターがありどの席も満席だ。ホールスタッフがせわしなく動いている。亭主と思われる男性はバーカウンーで接客をしているようだ。ボトルを開けながら、男女二人組に笑顔を振りまいている。
そんな狭い通路を軽いステップで進む。重そうなジョッキを持ち運ぶホールスタッフはそんな新しい客に通路を開けた。レインは右手を軽く上げ、礼をするとそのままバーカウンターの方へ向かう。
そしてカウンターの隣にある扉へ向かった。
急に現れた青年を見た亭主は一瞬首を傾げた。しかしカウンターの横の扉へ向かおうとするレインを「お客様!」と血相を変えて呼び止める。
「困ります。そちらはビップルームでございます。本日は御予約が入っておりますので……」
「悪い、その予約様に用があるんだ」
「御用ですか? 申し訳ありません。御予約のお客様にそのような来客があるとお聞きしておりません」
「それはそうだろうな。呼ばれてないから」
レインのそっけない返答に亭主はみるみる顔色を変えていく。
「緑の髪に目の傷。あ、あんた……」
どうやらこちらの事を知っているようだ。レインはニッコリと笑う。
「長の命令だ。そこを開けてもらう」
「ま、待ってくれ!! 俺は何も知らない! 何も知らないんだ!!!」
「それは長の前で話してくれ。俺はここの検挙に来ただけ」
さらりとした言葉と笑顔に、亭主の顔は真っ青になった。
「に……ににににに逃げろおおおおおおお!!!」
急に亭主が叫び出す。その声に合わせレインは一気に目の前の扉を開け放った。
中は更に花タバコの煙が充満している。狭いビップルームの真ん中に小さな机。机の周りに花タバコを蒸かす七人の人物。
突然の亭主の叫びと共に現れたレインをその場の全員が見つめた。そして座っていた椅子から一気に立ち上がり、刀を抜く。
レインはその部屋に入ると開け放った扉を閉める。ドアノブを凍らせ、軽いステップで部屋の真ん中にある机に飛び乗った。
その場にいた何人かは部屋の反対側にあるもう一つの扉から出ようとしている。こういう部屋は大抵逃げ道用の扉を設けているのを知っていたレインは、もう一度ステップを踏み、反対側の扉へ手を当てると一気に凍らせた。
そして何食わぬ顔をして部屋の中央へと歩くと、机の上にある花タバコの瓶に隠れる赤みがかった小瓶を手に取った。
「見つけた」
レインの行動にその場の全員が唖然とする。刀を抜いた数人も固まったまま、斬り掛かって来る気配がない。その小瓶を彼らに見えるように自分の顔の横で振ってみせた。
「この街での麻薬の売買は禁じている。その違反行為に触れたお前達にはそれなりの罰が言い渡される」
その言葉に辺りがどよめく。
「お、お前……」と、一人がやっと口を開ける。
青ざめた顔をする者達の中にはビーストも混ざっている。そんな者達を見てレインは溜息を付いた。
「街長からの命令だ。この場を検挙する。お前らはこのまま連行。裁判の後、この街からの追放だ」
そう話すと周りから声が上がる。
「片目傷!!」
「緑髪の用心棒ってこいつのことか?」
「じゃあこいつが有名な街長の犬!?」
口々に声を発する。その言葉にレインは微かに眉を動かした。
「街をひとつ滅ぼすほどの力を持ってるって噂のか?」
「湖を凍らせるってのは本当?」
「戦で五百人斬ったって聞いたぞ!」
さらに出てくる噂話にレインは苛立ちを隠せず、右手の小指を動かした。
「誰が長の犬だって? あの人の犬になった覚えはないし……誰が街を滅ぼすだって?」
苛立ちに髪の毛がフワフワと揺れる。その変化にビップルームに閉じ込められた七人は顔を真っ青にした。
「どうして、こう……変な噂ばっかり広まるかなあ」
そう言ってレインの瞳が動いたのを見た数人が恐怖に刈られたのか刀を握り直し、こちらへ攻撃してきた。
その攻撃を鞘を抜かないままの刀で受け止める。そのまま周りを一掃した。
斬り掛かって来て返り討ちにあった数人と、それをただ茫然と見つめる数人。そんな中からレインは一人の男を見つけると、その男に向かって歩く。
「ひいいいいい!!」と男は声を上げその場に尻餅をついた。
その男の首元からキラリとネックレスが見える。その男の首にあるネックレスを手に取ると引きちぎった。
そして「姐さんから伝言。サヨウナラ」とその男に言い放つ。
男は何も言わずにその言葉を聞き入れ、その場で固まる。どうやらその言葉の意味を理解したようだ。
すると氷結で固めた筈の入り口がガタガタと揺れ始める。そのまま扉がものすごい音を立てながら開け放たれた時には、レインはそのネックレスをポケットに入れていた。
「ああああああ!?」
突然声を上げて入って来たのは見覚えのある顔だ。
「ルイ?」
そこにいたのは二刀の刀を握る青年。ターコイズブルーの短髪、コバルトブルーの瞳。そして耳の付け根から伸びる鰭。街長の弟であるルイだ。
「あれれ? レイン君? 何でこんなところに?」と、ルイの後ろから声を掛けて来たのは茶色の髪に、ライトグリーンの瞳の眼鏡をかけた少年、ミネル。
「何でって……今日ここを検挙する予定だったんだろ? 手伝いに……」
ルイは「何でお前が知ってるんだよ!」と声を荒げる。
「このことは治安部隊にしか知らされてなかったことだぞ!」
「俺は姐さんからの依頼。手を貸してやれって」
「アリュークさんから? 確かにこの区画はあの人の管轄だけど」
ミネルの言葉に「そうだろ?」と頷く。そしてそのまま何食わぬ顔をしてビップルームを出た。
「おい! 勝手な真似しやがって!」
ルイの叫びにレインは大きな溜息を付きながら睨み付ける。
「ならお前らがもっと早く来ればよかっただろ?」
「はあ!?」
「どうせここまで来るのに時間掛かったくせに」
「な! なななな!!」
「あ~~レイン君、それ正解」
ミネルが肩をすぼませる。
「ミネル!」
「ルイがなかなか出発しようって言わないんだよ~。場所が遊郭じゃない? だから時間掛かってさ」
「お前! 余計な事言うな!!」
ルイがこの遊郭に立ち入るのを躊躇するのはハナから分かっていたことだ。そんなルイの叫びを背にレインはバーの方へと移動する。
そこに騒ぎで客は全くいなかった。代わりに数人の若いビーストがいる。どうやら治安部隊に入隊したばかりの者達を連れてきたようだ。
「お疲れ様です!」
一人がそう言ってレインに頭を下げる。すると他の数人も同じように頭を下げて来た。
「ああ~~俺は治安部隊じゃないからそんなの気にしないでいい」
そう言って手を軽く振る。
「し、しかし……」と、どうしていいかわからない新人をよそ目に、レインはその場から退散することにした。丁度いいタイミングで治安部隊が来たので後処理をしなくて済みそうだ。
そのままポケットに手を突っ込み先ほどのネックレスがあるのを確認すると、また同じように軽い足取りでピンクの街頭に照らされながら帰路に着いた。