第3章 18幕
アカギクは大きな溜息を付いて、目の前の大きな扉を開けた。
いつも訪れる応接部屋兼、長の書斎も今日は一段と煌びやかに飾り付けられている。
アカギクはそのまま何食わぬ顔をして中まで入り、いつもの定位置である応接用のソファーに深く腰掛けた。そして大袈裟に足を組み、手を広げながら深い呼吸をする。
「また……大袈裟にしたもんだな」
アカギクの言葉が大きな部屋の中に溶けていく。部屋の丁度真ん中に位置する場所で仁王立ちした男がアカギクの言葉に「いいだろ?」と答えた。
この街で最も権力のある『長』そしてビーストの中でもトップクラスの戦闘能力を誇る龍人族のハーフである彼の背中は大きい。髪色と同じターコイズブルーの尾がユラユラと揺れる。どうやら上機嫌のようだ。
その彼が仁王立ちで見つめている先には、この部屋を飲み込もうとする程の一枚のタペストリー。壁を覆うように飾られたそれは正にこの街の力の象徴。
「街長同士の会合なんだ。このタペストリーは飾らないとな」と、背中を向けたまま街長・ライは話す。
「ビースト達の安心する場所を作る……その親父の志がここに詰まってる。反政府組織、天界の反乱分子って面も確かにあるが……その気持ちもここからだろ?」
ライの言葉にアカギクは何も言わなかった。何も言わなくてもこちらの意志を彼は分かっている。彼はそういう人だ。
「さて、無理させたな」と、タペストリーを眺めるのを辞めたライは右足の義足を難しそうに動かしながら歩き、自分のデスクに座る。
「いや……アグニスは?」
アカギクは座った姿勢を保ったまま辺りを見回す。いつもライに引っ付いているラビット族の秘書が見当たらない。
「ああ、レインとコハルを呼びに行かせてる」
「なるほど」
「で? 何か分かったか?」
ライは左手で頬杖を付きニタリと笑う。
そんなライをアカギクは少し睨むが、すぐに天井を仰ぐようにだらけた姿勢へ動いた。ソファーが柔らかい為、背もたれに身体を預けたアカギクはもう一度大きく溜息を付く。
「そんなレベルじゃない」
「と言うと?」
「あいつ……とんでもないぞ?」
「ほほう……」
アカギクのもったいぶった言葉にライは更に嬉しそうだ。
「レインは現最神の『熾天使の騎士』だ」
「熾天使の騎士? と言えば、神階級時代の天使最高階級……今の最神直属部隊……か」
「ああ、軍とは別の確立された神の騎士。その三人のうちの一人だ」
「だが、あいつは中界軍所属。元・人間だぞ? 貴族階級のはびこる天界で転生天使の騎士?」
ライは少し眉を寄せながら話をする。
「俺もそれが分からなくて調べたんだが、どうやら最神がレインともう一人を異例の形で熾天使にしたらしい。その詳細は掴めなかったが……どうやら内輪もめがあったみたいだ」
「ほほ~~で?」と、ライはアカギクに話を催促する。アカギクは天井を見上げたまま話を進めた。
「問題はそこからだ。半年前に起きた『天界の城、悪魔襲撃戦』……」
「ああ、まだ記憶に新しいな。悪魔の襲撃を許してしまった軍の失態と、その事件に伴う最神の『宣戦布告』は今の俺達にとってかなり大きいからな」
「その戦争にあいつは関与してる」
「ん?」ライが短く聞き返す。
「あいつはあの悪魔襲撃戦の最中、最神の暗殺を企てたらしい」
「最神を殺そうとしたのか!?」
ライは思わず身を乗り出して声を上げる。ここまでの展開を想像していなかったに違いない。いや、誰が想像するだろうか。
アカギクはそんなライを横目にさらに話を進める。
「暗殺は失敗に終わりその後、公開処刑されるはずだったあいつは……あの城を脱獄した」
「それで、天界を逃げ回ってる……と?」
「ああ、みたいだな。軍の中でも彼を探し出すための部隊があるほどらしいし」
「で? 何でレインは最神を?」
「俺もそこまでは掴めなかった。それに……」
「それに?」
「悪魔襲撃に関与……ここに引っ掛かりを覚える」
「最神を殺そうとした……そして悪魔襲撃を企てたとしたら……奴は堕天使とでも?」
「いや、そこまでは言ってない。確かに……あり得なくもない話だがな」
アカギクはそこまで口にするとソファーから起き上がり、大きく伸びをし「あれこれあったにしても……数日あいつを見ていて、そんなことする奴だとは思えない……てのが俺の見解だ」と、言葉を添える。
「ああ、俺もそれは思う。あいつは少なからず、己に芯がるタイプの天使だ」
ライの眉を歪めた顔を見ながらアカギクはソファーから立ち上がり「以上だ」と話を終わらせた。
「どうする? まだ調べるなら俺は構わないが」
「いや、周りをゆすってもこれ以上情報は出てこないだろう。後は本人に聞くしかないだろうしな」と、ライは歪めた眉を元に戻しつつ笑う。その顔はいつもの商売人の顔だ。
「お好きにどーぞ」
アカギクはそんな長の顔を呆れながら手を振る。
この情報をライに伝えたからといって、レインをどうこうするつもりは無いのは端から分かっていた。彼はそういう器の天使だ。
「で? 俺は部屋を退散した方がいいか?」というアカギクの質問に「ああ、そうだな。悪い、助かった」とライは答える。
「いや、これも仕事だ。報酬はたんまりもらうぞ?」
「もちろんだ。おいしい情報だった」
そこまで話すとアカギクは部屋を後にしようと入り口まで足を運ぶ。
すると、部屋の入り口からノックが聞こえた。
「失礼します」
入って来たのは秘書のアグニスだ。長い耳が特徴的な彼女がヒールの靴を鳴らしながら中へと進んでいく。
「アカギクお帰りなさい」
「ああ、帰った」
短い会話を終え、アカギクが部屋を出ようとすると、アグニスの後を追うように二人の人物が続く。
「コハルにレイン」
「あ、アカギクさん」
コハルはあたふたとした動きをしながら、入り口付近にいたアカギクに頭を下げた。
「アカギク。帰って来てたのか?」
続けてレインが話し掛けてくる。
「ああ、今な」
「イレアが心配してた」
「あ~~やっぱり?」
平常心を保ちながら、アカギクはレインと会話をした。流石に調べて来た情報の内容を考えれば少し身構えてしまう。
なぜ転生天使である中界軍の軍人が熾天使の騎士になったのか。そんな熾天使の騎士になった彼が何故悪魔に手を貸し、最神の暗殺を企てたのか……。そしてどうやってあの城から脱獄したのか。
謎の多い彼を見つめる。そんなこちらの視線にレインは首を傾げた。
「アカギク?」
「ああ、いや。何でもない」
そう言ってライを見る。ライはアカギクの視線にニタリと笑いながらアイコンタクトをして来た。
いくら謎を抱えた者でも彼は自分の目を信じるタイプだ。きっとレインにも何かを感じているのだろう。
アカギクはライとのアイコンタクトを終えるとそのまま応接室を後にした。