第3章 14幕
レインはライとの話を終え、帰路に着く。夕焼けに染まる街を見下ろしながら階段を降り、少し先に見えるアカギクとイレアの家の屋根を目指した。
『君の脳みそは売れそうだ。この世で一番高価なものは知識と情報だよ。何処でどう使うか、それを見極めなさい。それがこの街で上手く生きていくコツだ』フロレンス博士の言葉を思い出す。
自分は確かにこの世界の生き物ではない。人間の知識を持ち、軍人としてのノウハウを備え……初代魔王の魂を秘めている。そんな自分はこんな平和な街にいてもいいのだろうか。不安がよぎる。
「ここにいてもいいの……かな」
レインはコンクリートでできた階段を降りようと手すりに手を掛けた。
この街は暖かい。そう思った。それはきっと彼が長だからだ。中界軍ジュラス元帥にどこか似ていて、ポカポカする。
そんな彼にこのまますがってもいいのだろうか。いくらビジネスとは言え、彼はまだレインの素性を知っているわけでは無い。
『ライの掌で踊ってみる気は無いかな?』と、またフロレンス博士の言葉が胸に響く。
「踊る……か」
レインは溜息交じりのセリフを吐き、階段を降り始める。
そのまま自分が部屋を借りているアカギクとイレアの家にたどり着いた。
玄関はシルクののれんが掛かっているだけでそのまま中へと入れる。レインは入り口に垂れ下がる鈴を大袈裟に鳴らした。
「は~い」と中から女性の声が聞こえる。のれんをくぐって出てきたのは真っ赤な顔をしたイレアだった。
「あ! レインさん。お帰りなさい」
「ただいまイレア。どうした? 顔真っ赤だけど?」
「え? ああ!! えっとぉ……」
家の中に入りイレアに質問する。彼女はその質問にモジモジと両手を触りながら口ごもった。
「あ、あの……さっき兄様が帰って来たんですけど。長から特別任務を頼まれたから数日留守にするって。
で、レインさんが家にいるから大丈夫だろうって……」
「アカギクが?」
「はい。五日後のバルベドとの会合までには戻ってくるから『レインあとは頼む』って伝言が」
「そうか、分かった。明日から遺跡に顔出すから昼間はいないんだけど、構わない?」
「はい! 大丈夫です」
レインそんな返事を聞き微笑んだ。
「じゃあ、今日の夕飯は外で食べようよ。何処かおいしいところ紹介してくれる?」
「え?」
「ずっとイレアに作らせたら悪いし。ごちそうする」
「レ、レインさんと!! お食事ですか!?」と、イレアは更に顔を赤らめる。
「じゃ、じゃあ出かける準備してきます!!! すぐ! すぐ準備しますから!!」
そう言って急いでリビングを出て行く。バタバタと階段を上がり、部屋のドアを開ける音が聞こえた。
そんな慌ただしいイレアの行動にレインは笑う。
「あ、あの……」と、リビングのソファーの横にいる人物から声を掛けられる。
そこにいたのは今日の朝に玄関で気絶してしまった街巫女のコハルだ。黒髪のストレートに黄色の瞳。
彼女はレインを見つめ、こちらに歩み寄ると目の前で止まった。
「えっと……コハルだっけ?」
「はい。今朝は……ありがとうございました」
消えるような小さな声でコハルはお礼を口にする。
「いや、大丈夫?」
「はい。もう……大丈夫です。けど、どうしてもレイン様にお礼が言いたくて……イレアちゃんに相談したら……レイン様が帰って来るまで家にいてもいいって言ってくれて……」
「そうか」
「あ、あの……」と、コハルが声を出すと二階がバタバタと騒がしい。
コハルはそんな二階を見上げて一呼吸を置く。そして両手を胸の前で握りしめながら「少し……いいですか?」と口ごもった。
するとコハルはレインの返事も待たずイレアの家外へと歩き出した。何か話したいことがあるのだろうか。レインはその後をついて行った。
彼女はイレアの家の庭先にある大きな木の下で立ち止まると、こちらに向き深い呼吸をした。
「あ、あの……」
「うん」
深刻なコハルの面持ちにレインは首を傾げる。
コハルがゆっくりと唇を動かす……「レイン様。貴方は『世界を変える力』……なのですか?」と。
「え?」
突然の言葉に動揺し、それだけを聞き返す。
「あの……レイン様。貴方様は、この世界の理の中心にいらっしゃる……んですよね?」
コハルは顔を伏せ、淡々とレインに投げかける。
「本当は長に報告するお話しなのです。けど……どうしても先にレイン様に……お聞きしたくて」
「それ……何で君が知ってるんだ?」
動揺の隠せなず質問する。
「それは……」と言葉を濁らせる。レインはそんな彼女に少しきつい目をした。
「君は一体……」
コハルは胸の前で握りしめる手をさらにきつく握りしめ、カタカタと震えだした。
「長と私だけの秘密なんです。このことを隠して、この街にいてもいいって……そう長と約束したんです。その代わりこの街の巫女になって皆さんの生活を支えるのが私の仕事……」
「……」
「けど、貴方様が昨日、街に来た。あの場であの炎を見て……私は……」
確かに、昨日レインはエルドラドと戦闘した時に魔王の力である炎の能力を少しばかり発動した。しかしほんの一瞬だった。
自分自身、魔王の能力をいくら使おうと翼は黒くはならないし、悪魔の魂の根源を外に出すことが無いのはこの半年で立証済みだ。だから少しだけならと炎の能力を活用している。なのに、目の前の少女はそれを感じた。
「君はあの炎の正体を知っているのか?」
レインの質問に彼女は急いで首を振る。長い黒髪が一緒に揺れた。
「そこまではわかりません。けど……この世界でレイン様は大きな力を秘めている。それは分かります」
「それはどうやって?」
「……」
コハルはまた口を閉ざす。少しの間が開き、コハルは胸の前で握っていた手をそっとレインの右手へ伸ばした。両手でしっかりと握る。
「長、あなたとの約束を破ることをお許しください」
コハルは悲痛な顔をし何度か呼吸をした後、レインの瞳を見つめ答えた。
「私は『第七百三十二代天界巫女。アカシナヒコナ』の妹。天界巫女は……私の姉です」
イレアは部屋の中であれこれと洋服を取り出しては悩み、取り出しては悩みを繰り返していた。
下ではレインが待っている。時間は無いのは分かってるのだが、男性との食事など初めてのことで……。
数十分前、兄であるアカギクが家に帰り『数日留守にする』なんて言われた時はビックリした。
確かに年に一度ぐらいは外泊での仕事を受けたりすることはあった。けど、ここまで急に数日兄が留守にすることは今までに無く、しかもレインが家にいるから大丈夫だろうからって……そんな……そんな……。
「それって、レインさんと二人で数日住むって事でしょ!!?」と顔を真っ赤にしながら一人で叫ぶ。
いやいや、確かに二人での生活ではある。けど、レインは離れの小屋に寝泊まりしているんだし、先ほど言っていたではないか『昼間は遺跡に行く』と。
「けどさ……二人で食事したりとかさ……お話ししたりとかさ……それって」と、そこまで言葉にしたイレアは首を振る。
「駄目駄目! 私の悪い癖!」
そう言ってイレアは着替えを済ませ、階段を降りる。今は二人での夕飯の行き先を決めるのが先だ。
「お待たせしました~」と、声を出してリビングに降りる。
「あ、あれ?」
リビングには誰もいないようだ。
一緒にレインの帰りを待っていたコハルの姿も無い。
「二人ともいない?」
そう言って辺りを見回す。
すると玄関ののれんの隙間から緑の髪と赤いリボンの後ろ姿がチラリと見えた。
「あ、いた!」
イレアはのれんをくぐろうと手を伸ばし、声を掛けようと息を吸う。
「……?」
しかし、その光景にイレアは首を傾げた。コハルが彼の手を握ってる。そんな彼女をレインが見つめて……。
「ん……?」
イレアの思考はフル回転する。しかし、あの現状は何なのだ?
「ど、どうしよう」
見なかったことにした方がいいのか? そんな風に思い首を傾げていると「何やってんだ?」突然、視界にターコイズブルーの短髪、コバルトブルーの瞳。そして耳の付け根から伸びる鰭の付いた青年が顔をのぞかせる。
「わ!!」と、イレアは声を上げながら家の中に数歩入った。
「ルイ!? 何で急にうちに!?」
長の弟、魚人族のルイはそんなイレアの驚きなど気にせず部屋に入って来る。
「あいつはいないようだな」
「あ、あいつって?」
イレアは突然の来訪者に焦りながらさらに数歩下がった。
「レインだよ」
「ああ~~えっとぉ……」と、イレアは目を泳がせる。
「何だよ」
「何でもない」
こちらを不思議そうにルイは見るが、一度溜息を付いて落ち着くとイレアと向かい合い見つめる。
「イレア、あいつには気を付けろ」
「き、気を付けろって……レインさんのこと?」
「そうだよ。それ以外に誰がいるんだよ」
「けど、レインさんは長に正式にこの街にいてもいいってお話し貰ったんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「じゃあ何でルイがそんなこと私に言ってこないといけないの?」
「あいつは何を隠してるか分からない」
「何それ」
イレアは不確定な言い回しのルイに少しムッとした。突然家の中に入って来て、突然自分の想い人を否定する。何て不愉快なのだろうか。
「レインさん、何か悪い事したの?」
「いや、そういう訳じゃない。けど……」
「ルイ、何が言いたいの?」
イレアの苛立った顔をルイは見つめたまま言葉にする。
「あいつを……お前の側に置いておけない」
「それを決めるのは兄様と長だよ」
「けど!!」と、ルイは何か続きを口にしようとして思い留まった。そんなルイにイレアはますますイライラする。何もかも自分が知っているような口ぶりで、結局何も知らない。そんな彼の傲慢な態度が昔から嫌いだ。そう……昔から。
「私、ルイのそういうところ大っ嫌い!!」
イレアが叫びルイの横を通り過ぎようとすると「イレア!」と腕を掴まれる。
「もう! ほっといてよ!」
ルイの手を振り払い、玄関を出る。
庭先にある木の下にはコハルの姿は無く、そこにいたのはレインだけだった。彼は何かを考えるように赤く染まる空を仰ぎながら茫然と立ち尽くしている。風が彼の若草色の髪をなびかせ、赤いリボンが揺れる。そんなミステリアスな彼を見て、イレアは一瞬立ち止まり、声を掛けるのを躊躇した。