第3章 7幕
鋭くなったレインの眼つきに気が付き、ライは左手をひらひらと降って笑う。
「そんな構えるな、取って食おうなんて思っちゃいね~よ」と笑いながらレインを見るが、その瞳の中は何を考えているか分からない。
レインはシルメリア長の何とも言えない空気感に少し戸惑う。
「ただ、交渉しようと言ってるんだ」
「交渉?」と、繰り返す。
「そう、お前の情報を俺が買い取ってやろうって話」
「……」
「もっと簡単に言ってやろう。お前は今回この街のルールを破った。来たばかりで知らなかったと言え、それは罰せられないといけない。だが、俺は今回の件はお前に感謝してるんだ」
ライは一度足を組み直し、デスクに頬杖を付く。
「正直、もしあの場にシルメリアが介入しても、バエーシュマに手を出せなかった。あいつは腐っていても来週の会合の相手。大使だからな。こちら側と何かもめ事になってしまっては、後々不利になるんだ。だから、今回お前にコハルを助けてもらって感謝してる。しかし、街中で刀を抜いた……だから交渉だ」
そこまで言って、ライはニヤリと笑う。
「お前の情報を俺に買わせろ。お前の素性を買い取り、俺の決断で今回の件を上手くしてやろうということさ」
レインはその話を聞き、癖である右手の薬指を動かす。ピリピリとした空気が流れた。
「俺はここの街のいわば法律。しかし、どうしてそうなったかは街の奴らに報告しないといけない。な? 分かるだろう?」
ライの語り掛けが終わり、少しの間の後レインは口を開いた。
「もし断れば?」
「もちろん追放だ。そのポケットに入ってるIDカードは返してもらおう」
「……」
レインはライの目を見つめ睨む。
もしここで自分の素性を明かさなければこの街を出なければならない。しかし、この街には自分の知りたい多くの情報が眠っているのは明らかだ。『機械化』『過去の遺跡』『自分の過去』それを知るためにはこの街に少しでも滞在していたい。
頭を巡らせ考えたレインの結論はもう決まっていた。
「俺は確かに城下町にいた。それにシルメリアがガナイド地区の連中のテロ計画を阻止しようとしていたのも聞いている」
「やっぱり……」と、レインの言葉にライの隣に立っていた魚人族のルイが動く。
「で?」
ライが続きを催促する。
「俺はそのテロの詳細を確かめるべく軍を動かした。しかし……テロは起こった」
「軍を? ということはお前、軍人か?」
ライの質問にレインは首を縦に振り答えた。
「俺はテロ事件の当日あの場にいた。そして……彼を斬ったのは俺だ」
「!!!?」
その場全員の顔色が鋭くなる。
「ガナイド地区悪魔討伐戦……その詳細も全て知ってる。だからあの時、俺は彼を止めれたかもしれない。命を奪う事を避けれたかもしれない。けど、俺は守りたいものがあった……だから」
「それで?」とライがさらに聞いてくる。これだけでの情報では足りないようだ。さらにライを睨むと、相手はアイコンタクトで「どうぞ」と表現して来る。
レインは一度大きく深呼吸してライ、ルイを、そして後ろに立っているアカギク、ミネルを見た。
拳を強く握り、息を吸うと次の言葉を口に出す。
「俺はガナイド地区悪魔討伐戦の特別部隊に所属していた。あの戦争の生き残り」
「それって……」
眼鏡を上げならミネルがポロリと言う。「おいおい」とルイは声を漏らし、ライはここ一番の不敵な笑みを見せた。
「つまり、お前は転生天使の中界軍に所属していたって訳だな?」
「ああ、俺は中界軍所属レイン少尉……」と名前を名乗る。
その場にいる全員がレインの顔をしっかりと見つめた。
「人間の生まれ変わり……初めて見た」
ミネルの声にレインは悲しくなり寂しげに微笑んだ。少しの間、その場に沈黙が訪れる。
皆が唖然とする程、この天界では転生天使は珍しい。それもそうだろう。生まれ変わりも少ない上に、ほとんどの転生天使は中界での仕事を主にし、天界に足を踏み入れる事は無い。レインのようにこの世界を彷徨い歩く者もそうそういないだろう。
「アハハハハハハ!!!」と、突然ライが大きな声を上げて笑いだす。
「いや、すげえ! アカギクから昨日の話を聞いてたんだ。あの狂暴なドドンガを一人で倒した奴がいるってな。そしたらさっきそいつがバエーシュマの側近、エルドラドと交戦したって聞いて、面白い奴だと思ったが……。ここまでとは思わなかった! いやあ、面白い!」
ライはゲラゲラ笑いながら話す。
「気に入った! ますます気に入った!! そりゃあ悪魔討伐戦の特攻にいたんだ、強いに決まってる!」
ライの言葉にレインはポカンと眺めた。涙を貯めながらゲラゲラ笑い転げるシルメリアの長に、どう反応していいか分からなくなってしまう。
「決めた! よし、今回の事件、全部水に流してやろう」
「兄貴!!」
ルイがすかさず声を上げる。
「但し!」と、弟の声に被せライが声を上げた。
「一つ提案だ」
「提案?」
「俺の用心棒にならないか? 今回の件も用心棒の仕事の一環として見てやろう」
「待てよ兄貴!! こいつ俺達の仲間を殺したんだぞ!? しかも、今話したことが全部本当か分からないのに」
ルイはライに食いつくように言葉を発する。ライはニヤニヤしながらラビット族の女性を見ると、女性は「今の会話に嘘はなさそうよ?」と言った。
「用心棒としてここにいれば、ある程度の金銭の保証はしてやろう。住む場所もどこか探してやるし……気が向けばこのまま住民登録して住み続けても構わん。その代わり、俺の言う仕事はこなしてもらう。どうだ? お前にとっても悪い話ではないだろう?」
話の進む状況に、レインはぽかんと口を開けた。
「俺は天界の嫌われ者だぞ? 転生天使と分かっていて……」
「何言ってんだよ。俺達も似たり寄ったりだろ?」
その言葉にレインはさらに戸惑い、後ろにいるアカギクを見た。彼は肩をすくめ「呆れた」と表現する。
「異論は無いな! よし! 決定! 解散!!」
ライはそう言って大きく伸びをする。そして尾を振った。
「え? は? 俺まだ何も……」と声を掛けたが、アカギクがレインの肩を叩き部屋を出ようと促す。
「決定だとさ。家が見つかるまで俺の家の離れを使えよ」
「え?」
「ライはああ言い出したら聞かないからね。もう決定事項だよ」
部屋を出ながらミネルが微笑みこちらに話し掛けてくる。
「これからよろしくね、レイン」
「あ、ああ……って!」
レインは部屋を後にしながら振り返り、ターコイズブルーの髪の兄弟を見た。そこでは「兄貴はいつもこうだ!」「全て自分勝手に決めて!」「今後どうするんだ!」と弟がガミガミと兄を叱る姿が見える。
そして大きな扉が閉められ、その姿は見えなくなった。
「で? どう思った?」
レイン、アカギク、ミネルが部屋を去ったのを確認し、怒るルイをよそ目にライは隣にいるラビット族のアグニスに声を掛ける。
「言った通りよ? 嘘は言っていなかったわ」
アグニスは眼鏡を上げ答える。
「けど、まだ何か隠してるわね。しかもかなり大きな事を」
「やっぱり……」
ライはニヤリと笑い、足を組み直す。
「何だと思う?」
ライの質問にアグニスは少し悩んだ。
「声のトーンや話し方、仕草……それからして、きっと我々の想像も出来ないような事を彼は背負ってるわ」
「と言うと?」
ルイがさらに聞く。しかし、アグニスはゆっくりと首を振った。
「私の耳はそれ以上は分からないわ」
「いや、それだけで十分だ」と、ライは嬉しそうに声を上げる。
「……面白い」
その言葉にルイ、アグニスは目を合わせ「また始まった」と言わんばかりの大きな溜息を付いた。
ブーツの音が渡り廊下に響く。軍服用のヒールの無い靴を履き始めてもう何ヶ月目だろうか……。
この靴に慣れ始めてしまうということは何を意味しているか、それを心に留め、赤い手すりの続く廊下を歩く。
すると目の前を歩いていたオレンジ髪の少年が振り向き、こちらに微笑んだ。その先には会議室の扉が佇んでいる。サンガはその扉を開けこちらに一礼した。
サンガにお礼を言い部屋に入ると、そこにはすでに今日の話すべき相手が定位置に座っている。
部屋に入る瞬間、スカイブルーの髪が風に吹かれなびく。
肩で切りそろえられた髪をハーフアップにしオレンジと赤のグラデーションのかかったかんざしを挿したいつもの髪型。神の名を持つ者だけの青色の軍服に身を包んだ彼女は、もう二十歳になり半年経つ。
アクアブルーの瞳を閉じ、その爽やかな風を少しだけ感じた。
「最神、どうされましたか?」
部屋の中にいた初老の男はこちらに声を掛けてくる。
「いえ、すみませんダスパル元帥。お待たせしました」
そう言って最神と呼ばれた彼女は自分の席に着いた。
凛とした声で言葉を紡ぐ。
「では、始めましょう。報告を……」
そう言って、この世界唯一の『神』であるシラは天界軍元帥ダスパルとの会議を始めた。