第3章 4幕
夢を……夢を見た。
ああ、またこの夢か……そう思った。
「----」
名前を呼ばれる。俺の名前だ。その声にゆっくりと振り返る。
そこには見覚えのある笑顔があった。スカイブルーの髪、アクアブルーの瞳の女性だ。
懐かしい、暖かい、愛おしい……俺の心の中はが幸せな気持ちで溢れる。
彼女が手を伸ばす。俺はその手を取ろうと同じように手を伸ばした。白い肌、細い指。君に触れたくて……手を伸ばし続ける。
君の為に……俺はここにいる。
「俺は……君を……」と、乾いた喉から精一杯の声を出した。
その瞬間、悲鳴が聞こえる。
急いで悲鳴の方向を向くとそこは慣れ親しんだ病室だった。病室のベッドに少女が居た。妹の七海だった。
七海は顔を両手で覆い泣き叫んでいる。「行かないで! 置いて行かないで!!」と……
俺は伸ばしていた手を七海に向ける。
一緒に居たかったのに。もっとお前の隣にいて、もっともっと家族になりたかった。父も母も……俺には要らなかった。七海がいてくれれば俺は。
「それだけでよかったのに……」
手を伸ばす。届かないと知っていても。七海に触れたくて俺は必死に手を伸ばした。
その瞬間、目の前に真っ赤な炎が舞い始める。
急いで横を向く。そこは過去の戦場だった。あの『ガナイド地区悪魔討伐戦』の戦場だった……
土砂降りの雨の中。暗闇の中で焼け焦げる家屋の間に俺は立つ。
木々が燃える。雨の音が耳元で反響する。何かが焼ける臭いが鼻に付く。喉がさらに乾いていく。
ふと気が付くと、佇む俺の足元に嘗て愛した彼女が倒れていた。
髪が水溜まりに浮かび揺れる。顔は見えない。
俺はその場で膝を付いた。
「スズシロ?」彼女に声を掛ける。
「起きて……俺……君に伝えたいことがあるんだ」
黒の軍服……細身の足……いつも握っていた彼女の手。炎に照らされスズシロは俺に背を向けている。
俺……君に伝えたいことが……あるんだ。
「----」
また名前を呼ばれる。
俺はスズシロに伸ばした手を止め、後ろを振り返った。
そこには先ほどと同じスカイブルーの髪の女性が立っている。
俺は彼女に触れたくて立ち上がり、手を伸ばす。
どうしても彼女に触れたい。その髪に、その肌に、君に触れたい。欲望が渦巻く。愛おしさが溢れる。
俺は……俺は……
「俺は君のことが好きなんだ」
声が誰かと被る。心の叫びが声になる。
ーーどうしてなんだ!? あんなに愛し合ったのに! 共にこの世界で生きて行こうと誓ったのに! 愛していた、お前を。なのに……なのにどうして裏切ったのだ! 憎い……『初代最神』
「違う! 俺は……シラを……彼女を好きでいたい。愛していたい……」
喉が痛い。声が出ない。叫びたい。君の名を叫びたいのに……声が。
ーー憎い。神が憎い! こんなに想っているお前が憎い! この世界全てが憎い!
「違う。俺は……」
ーー憎い、憎い、憎い!
「シラ……君を」
―――愛してる―――
「ッゲホ……ゲホゲホ」
レインは急に大きく咳をすると目を覚ました。急に手足が震えだす。
「ゲホ……ッ」
横になっていた身体を起こし、手を胸の前で握った。ガタガタと両手が震える。それを抑えようとすると身体も一緒に震えた。
「嫌だ……」
咽ながら言葉を吐く。
「嫌だ……俺は……」と、何度もそれだけを呪文のように吐く。握っていた手をさらにきつく抱きしめる。
苦しい。呼吸が上手くいかない。息が吸えない。さらに咽る。
息をしないと。そう思えば思うほど呼吸の仕方が分からない。
どうやって息をするのか、いくら考えても分からない。混乱する。身体がさらに硬直していく。
頭で考える。息をしろと。生きる為に。頭で考えてゆっくりと空気を肺に入れる。
「……ッ」
すると、その瞬間に何かが切れたように、苦しかったものが消えていくのがわかった。
頭の中を覆っていた恐怖が晴れていく。
「……ハアハア」
天井を見つめて大きく肩を動かし空気を肺に送り続ける。
「生きてる……」
その言葉を口にすると、自然と頬に涙が流れた。
レインはゆっくりと物置小屋の入り口に掛けてあった布ののれんをくぐり外へと出た。
一晩泊まらせてもらった物置小屋と母屋は中庭で繋がっていて、そこは井戸や小さな家庭菜園が広がっている。
中庭の塀の先は坂道になっており、昨日イレアと歩いたマーケットが見えた。
朝焼けを眺めながらレインは井戸まで歩き、水を汲む。
喉を潤し、大きく深呼吸をする。そして思いっきり顔に水を掛けた。
また……同じ夢を見た。何度も何度も繰り返される夢。
城の牢獄から脱獄して以降、ずっと見続けている夢だ。
その度に発作的に息が出来なくなる。
城を出てもう六ヶ月も経っているのに、レインはその発作的感情のコントロールが出来ずにいた。
ーー過去のことを忘れるな、ということなのだろうか。
レインは前髪に掛かった水を振り落とすように頭を振る。そして、井戸の淵に座ってもう一息付いた。
もう……彼女と離れて六ヶ月。しかし、肌で感じている感覚では一、二年に相当する気分だ。
あれからレインは天界をずっと旅してきた。『大罪人』である以上、追っ手に追いつかれるかもしれないという恐怖がぬぐえなかったからだ。
沢山の街を見た。天界天使の貴族の街。農村。そしてビーストの街。
天界には国という概念がない。国という個体が存在しないこの世界は、街や村が人間界で言う『国』の役割を担っている。それぞれの街はそれぞれの秩序で成り立っていた。
その中で一番驚いたのはビーストの存在だ。
『ビースト』中界軍や天界の城に居た頃には実物を見たことも無かった種族。
しかし、一歩その狭い視野から出てみれば、数多くのビーストに出会うことが出来た。自分が知らなかっただけで半獣種族は多く存在しているようだ。や天界天使の作る街では迫害を受け、農村では奴隷のように扱われる姿を多く見た。
この街はほとんどの者がビーストらしい。それぞれの種族特有の暮らしをしながら、この街で生活しているのが見える。ここの宿主の兄妹もそうだ。
少し転生天使、中界軍に被る部分がある気がした。天界天使からの迫害を受けながらも寄り添い支え合いながら生きている姿が……
「一緒なのかもな……」
レインは一言口に出す。
その言葉をかき消すかのように母屋の入り口の布が動いた。
「あ! レインさん、おはようございます」
そこにいたのは咲き誇る花を思わせるピンクの髪、紅い瞳。そして緑人族特有のあちこちから生えた植物が見える肌の少女だった。
「おはようイレア。朝早いんだな」
イレアは「あはは」とから笑いをする。
「昨日の夜に兄様にこっぴどく叱られまして……これから一ヵ月、毎朝早起きして家の掃除と洗濯と炊事を」
「なるほど」
「いつもは交代制なんですよ? なのに……一ヶ月って長くないですか?」
イレアの大きな溜息にレインは少し笑う。
「あ、レインさん、笑ってる! ひどい」
「いや、ごめん。仲が良いなと思って」
イレアは頬を膨らませた。
「仲は……良いですけど。兄様は過保護なんです! 私ももう十八歳! もう少し妹離れして欲しい……」
「誰が過保護だって?」
愚痴に被せるように母屋ののれんが動く。イレアはその声に肩を跳ね上げ驚いた。
「お、おおおおおはよう。兄様」
振り返りながら兄であるアカギクを見る。
「おはようイレア。俺がなんだって?」
マラカイトグリーンの髪に特徴的な真っ赤な瞳。身体にはイレアと同じく植物が生えており、額には葉で出来たバンダナを付けている。
「いえ~なんでもないで~す」
イレアはそそくさとその場を後にしようと歩き出す。
「おはようございます」
レインがそう声を掛けると、アカギクが右手を上げなら中庭に入って来る。
「おはようレイン。良く眠れたか?」と言うアカギクの言葉にレインは「はい。お陰様で」と答えた。
「なら良かった。ってか、敬語じゃなくていいぞ? 俺のその方が話しやすい」
「では、遠慮なく」
話を聞きながらエレアはレインの隣で水を汲む。
「今日はレインさんがいるから朝食は腕を振るいますよ~。レインさん! その後、街を案内しますね!」
「いいのか?」
「もちろん! 昨日のお礼です」
「い・つ・も・腕を振るって欲しいもんだな」とアカギクが付け加える。
そんな兄の言葉にイレアは頬を膨らました。
「兄様は目玉焼き無し!」
「おいおい。冗談だって」
「無し! 無しったら無し!」
イレアはアカギクの焦る顔を見ながら、鼻で「ふんっ」と声を出し、桶を抱え母屋へと消えて行く。
「分かったって! イレア!」
アカギクはそんなイレアの後を追いかけるように母屋に入って言った。
そんな光景を眺めレインは平和なひと時に微笑む。
「おい! レインも入れよ」
アカギクが母屋ののれんを少しだけ開け、こちらに声を掛けてくる。
「ああ……今行く」
レインは井戸の淵から立ち上がり歩き出した。レインの髪がフワリと靡き、括っている赤いリボンが揺れた。