第2章 33幕
もうすぐ夜明けだというのに松明を焚き生存者の治療や死亡した者達の遺留品を整理している人々とすれ違いながら、壊れかけた城の渡り廊下を歩いた。
城の自慢の赤い手すりもあちこち破壊されている。庭の木々も松明に照らされ何ともみすぼらしい。
戦場跡地の臭いがする。そう、死臭が……。
ヤマトはそう思いながらも、胸を張り前を向いて歩いた。そうでもしていないと今にも心が折れそうだったから。
まっすぐ歩き、いつも通らない道を進む。天界軍の軍事基地近くの少し入り組んだ道へ曲がる。
さらに奥の別塔に向かい、入り口にいる警備兵の松明を確認したヤマトは、中庭に降りると庭の中を突き進む。
中界軍の黒い軍服で髪も黒。この恰好で暗い中庭に出れば見つかることはそうそう無いだろう。足音を消すように歩き、ひっそりと佇む塔の根元にたどり着く。
雨の中で視界が悪い。濡れながら塔の壁の根元を目を凝らして見つめた。
するとそこには鉄格子の付いた通気口が拳一つ分の大きさで見つかる。
「はあ……」
声に出すほどの溜息を吐き、ヤマトは塔の壁を背もたれにして座り込んだ。
雨に当たり、黒髪から雫がボタボタと流れる。
小さな声で「ジュラス元帥が死んだよ」と声を出した。真っ暗の空を仰ぎ雨に打たれる。
「死ぬってあんなに辛い事なのに……俺はあの人にそれをさせてしまった」
ヤマトは言葉と共に握っていた拳を更にきつく握りしめた。
何かを発しようとするが、上手く言葉に出来ない。そのまま少し間を開けた。
そして「シラが反政府軍との対立と、悪魔との戦線布告を決意した」と声に出す。
その瞬間、少しだけ通気口の先から人の気配が感じ取れた。
「あと二時間後。シラが演説台に登る。そしてその演説と同時刻、お前のところにショートゲートが開通する。お前はそのゲートをくぐって城外へ出ろ」
確かにいるはずの通気口の先の人物にヤマトは話を進める。
「いいか? このままでいけばお前は明日の正午に公開処刑になる。魔王の魂の所有者。今回の襲撃の主謀者って事でな。だからシラがお前を脱獄させる為に暗部へ命令している。暗部が軍の監視包囲網を抜けれるように細工して、ここまでショートゲートを開通させる算段だ」
「……」
「それだけを伝えに来た」
ヤマトは伝えきると、また同じように溜息を付いた。
「俺は……箱庭を離れるよ」
「……」
「箱庭を離れて中界軍に戻る。そして中界軍……いや、転生天使の今の在り方を根本的に変えていく。変えてみせる」
「……」
「俺はジュラス元帥の意志を継ぐ。閣下の後を……あの椅子に座るのは俺だ」
ヤマトはそう言ってゆっくりと立ち上がった。そして「俺はあの椅子に座ってみせる。そしてこの政界に帰って来る」と声を張る。
通気口の先は何も反応しない。
しかし、ヤマトはそこを睨み付けながら「本当に俺がこの世界を変える力を持っているなら、俺はこの世界の人種による差別全てを覆してやる。そして世界の理は俺が変える!」と力強く声を出した。
そして帰路に足を歩みを進めつつ立ち止まる。
「俺達は『腐れ縁』で繋がっている。またこの『縁』で会えることを祈ってるよ……レイン」
その言葉を残し、また胸を張りながら歩き出した。
その頃には雨は上がっていた。空は少し明るみを見せている。
ぬかるんだ地面をしっかり蹴り、ヤマトは前を向いた。
◇
シラからの『お願い事』を済ませたヤマトはそのまま箱庭へ戻ろうと足を進めていた。
すると先ほど歩いてきた渡り廊下に、見覚えのある少年の姿を見つける。その少年は誰も通らないような渡り廊下の隅に膝を抱えて座り、顔をうずめていた。
「ポルクル……」
ハニーブラウン髪の少年の名前を呼ぶ。ポルクルがこちらをチラリと見たが、またすぐに同じ体勢を取った。
その少年の方へを歩みを進め、何も言わず前に立つ。
ポルクルは顔をうずめたまますすり泣いている。そんな彼の隣にドサリと座った。
沈黙が流れ、空は一秒一秒姿を変え明るくなっていく。
そんな空を眺めながらヤマトはポルクルの隣に座り続けた。
「僕の居場所は……兄さんの隣だったんだ」
ふとした瞬間からポルクルは言葉を発する。
「僕はずっと臆病で、人前に出るのが苦手だった。武術も上手じゃないし、能力も人並みにしかない。けど兄さんは違った。いつもみんなの前に出て意見を言うリーダー的存在だったし、武術も能力も僕よりずっと上手かった。父上や、母上も兄さんを血族の次期当主にするって言ってたし、軍に入った時も兄さんに期待を寄せてた。僕なんてそのついでで……」
そう言ってポルクルは一度鼻をスンとすする。
「そんな兄さんが僕は自慢だった。僕はそんな兄さんの隣で、サポートをしていこうって思ってたんだ。なのに……兄さんが……」
「……」
「僕が死ねばよかったんだ。何も出来ない僕なんかより、兄さんが生き残ればよかったのに。あの時、僕が会場に行くなんて言い出さなければよかったんだ」
「……」
「どうして兄さんがあそこで殺されなきゃならなかったの? 戦場が城内にまで拡大する事なければ死なずに済んだのに! ダスパル元帥は何をお考えなの!? すぐに他の軍に応援を申請してくれていれば兄さんは死なずに済んだんじゃないの? そうでしょ!? どうして同じ天使なのに天界天使と転生天使を区別するの!!? そこにこだわったから兄さんは……兄さんは……」
「……」
「ダスパル元帥のあの時のお言葉を聞いて……僕はもう何も信用できないよ。フィール様も戦死したって聞いたし……軍の中で僕の居場所なんてもう無い。僕は……どこに居たらいいの? 兄さんがいなくなったら、僕は……」
ポルクルの悲痛の叫びに、ヤマトはハニーブラウンの髪をそっと撫でる。
「僕の居場所はあそこしかなかったのに……僕は……僕は……」
ポルクルの言葉が詰まる。涙が零れ彼の足に落ちていく。
ヤマトはそんなポルクルの頭を自分の肩に寄せ、優しく抱きしめた。
「うう……」
ポルクルは声を上げて泣き始める。ヤマトはポルクルが泣き止むまでその場でずっと彼の頭を撫で、肩を叩き、慰めた。ジュラス元帥が自分達にしてくれていたように。
そして、太陽が顔を出し始め、ポルクルが泣き止んだ頃、ヤマトはゆっくりと立ち上がる。
太陽の光がボロボロの黒の軍服を照らす。
「ポルクル、俺はこの先世界を変える為に中界軍へ戻る。天界天使だとか、転生天使だとか、貴族だとか、平民だとか、そんなもの全て無くしてやる。この軍政界を根本的に変えてみせる」
ポルクルは隣に立ったヤマトを見上げた。
「お前の居場所は……俺がなってやる。だから俺の元に来い」
その言葉にポルクルの腫れた目が微かに動く。
「お前の生きる場所を俺の隣に作ってやる。だから来い!!」
力強くそう言い放つ。彼を救いたい。目の前で自分の居場所を探す彼を、支えてやりたい。そう思ったから。
嘗て自分の父と呼ぶべき存在、ジュラス元帥がしてくれたように。自分も誰かの生きる意味を見出していきたい。そしてこの世界を変える為に、父の掲げた志を現実にさせたい。そう思った。
「もうすぐ最神の緊急演説が始まる。行くぞ」
ヤマトはポルクルにそう声を掛けると、ボロボロになった軍服を翻し渡り廊下を歩き出す。
ポルクルは一瞬その場に留まったが、急いで立ち上がると袖で涙を拭き、ヤマトの背中を追いかけた。
ゆっくりと息を吸う。シラは心の中を空っぽにするように深呼吸をした。
時間が迫っている。刻一刻と……。
「姫様……」
優しく声を掛けられ振り返ると、そこにはいつもの服では無く、紺色のタイトな軍服を着ているサンガの姿があった。
「お時間です」とサンガが微笑む。
「はい。行きましょう」
シラは拳を握って椅子から立ち上がる。
控室の扉を開け外に出ると、昨晩の土砂降りの雨が嘘のように今日は快晴だ。
雲一つない青空。朝日を浴びながらシラは目を瞑った。
そして手の平に握られている母から貰ったリボンを見つめる。
シラは少しの間そのリボンを眺めたが、ふと我に返りサンガにそれを差し出した。
「サンガ、よろしくお願いします」
「はい、姫様。お任せください」
サンガはそう言ってリボンを受け取るとシラに頭を下げ、ふわっとその場から姿を消した。
そんなサンガを見届け、シラは自分の立つべき場所へ歩みを進める。
いつもは履かないヒールの無いブーツ。装飾品の少ない青の軍服。いつも揺れていた髪は肩の位置で整えられ、赤のかんざしが朝日に光る。
呼吸を整えながらシラは前を向き、一歩ずつ進んだ。確実に一歩ずつ。
進行方向にいる軍人達は自分が姿を現すと頭を下げていく。そんな軍人の前を声を掛けることなく通り過ぎる。
そして目の前の数歩の階段を上り、開けた場所へと抜けた。そこは見渡す限りの人……。
同じ幅で並び、同じ姿勢でこちらに敬礼する軍人達の姿がそこにあった。
そんな何百、何千の軍服を眺め舞台の上に作られた演説台へと進む。
空気が張っていく。
シラはその場からゆっくりと会場を見た。
前にはグレーの軍服のダスパル元帥。そしてその隣にはジュノヴィス熾天使。
隣にはダークグリーンの軍服達、親衛軍。元帥席には誰もおらず、そこはぽかりと空いている。
そして一番色の比率の少ない黒い軍服の中界軍。その元帥席もまた空席で、その隣には目を真っ赤に腫らしつつも顔付きの変わったヤマトが立っていた。
シラはその会場を見渡した後、空を見上げる。
青い空……。彼と神殿の疑似空間で見たものと似ている。しかし全くの別物だ……。
その空を見つめシラは演説の一文を声に出した。
「我々は多くの翼を失った」と……。