第2章 31幕
何かを斬る音が神殿全体に響き渡る。
その大きな音に合わせ、シラの左に緩く編み込んでいた髪の毛が地面に落ちた。髪の毛の塊と一緒に赤いリボンが地面に落ちていく。
しかし、シラの首は繋がっていて、刃先は彼女の首元で止まっていた。
シラの首元の刀がカタカタと音を鳴らして震える。
「……ッ!!」
レインは悲痛の顔をしながらその刀を握っていた。
「レイン……」
シラが彼の名前を呼びながら涙を流す。
気力で自我を取り戻したレインは、彼女の顔を見つめた。三つ編みが切り落とされボサボサになった髪、見開いたアクアブルーの瞳と頬を流れる涙。
身体がいうことを聞かない。
愛しい彼女に向けた自分の刃をコントロールする為、必死に自らの身体に力を入れた。
しかし、目の前の憎い敵を殺そうと刃先は更に自分の意志と反して動く。
「駄目だ!!」
レインは歯を食いしばりながら刀を握って止める。二つの感情が身体の中で蠢き、暴れまわる。
『殺せ! 目の前の白き翼を殺せ!! 呪いだ! 神を殺せ!! 悪魔である意志を示せ!!』
「違う! 彼女は……」
『殺せ!! 敵だ! 殺せ殺せ殺せ!!!』
「駄目だ!!!!」
頭の中で巡る魂の言葉に必死で抵抗する。
レインの身体は炎を上げたり、氷を纏ったり、蠢く感情に左右されるように変わっていく。
『殺せ殺せ殺せ!!!』と、頭の中で割れるように叫ぶ。
言葉に飲まれそうになりながら握っている刀を離した。刀がシラの横に転がる。
シラは何も言わず、魂に抵抗してもがくレインを見つめていた。そんな彼女の顔を見つめる。助けを求めるように……。
しかし、見つめた彼女の瞳の中にいる自分の姿はもはや今までの自分では無かった。
赤い髪、左目の獣のような瞳、そして白い翼が徐々に黒いコウモリのような悪魔の翼へと変わっていく様……。
「俺は……おれは……」
そんなシラの瞳から逃げようと数歩後ずさる。
愛する彼女の瞳が恐ろしい。あんなに愛しく、先ほどまで彼女を守ろうとしていた自分の心が崩れていく。
『殺せ殺せ!! 彼女は敵だ! 殺せ!!!』
「嫌だ………嫌だ!!!」
レインは叫び、歯を食いしばりながらシラを見つめ続ける。
意識が消えていくのがはっきり分かる。自分の感情が魂の感情に流されていくのがはっきりと……。
このまま意識が遠のけば、次は確実にシラをこの手で殺してしまうだろう。愛する彼女を自らの手で殺すだろう。
悪魔と神は古き時代からそうしてきたように。彼女と自分はもう相反した者同士なのだ。殺し合いをする呪いを掛けた運命なのだ。
――逆らえない……。もう、この魂の叫びから逆らえない。守っていきたかった彼女の笑顔を自分は守れない。
そうなのだ、最初から仕組まれた運命の上で自分は彼女に恋をしたのだ。
彼女を好きになったのも、古き時代からの魂が呼び合っていただけ……。自分の意志とは関係なかったんだ。自分が彼女に行為を寄せていたのも、魂が呼び合っていただけのこと。
ーーそうなんだ……そう……なんだ。
「けど……」
レインはそれだけ口にする。
彼女を愛したのは確かに自分だった。彼女の為に、彼女の愛した世界を守ろうとしたのも自分だった。そこは自分の意志だったはずだ。
――だから……自分は愛した彼女を殺したくない。彼女の世界を壊したくない。
「……ッ」
レインは歯を食いしばり、自らの首元へ両手を持っていく。
『俺はこの先も、誰かを守る為なら誰かを殺す事を厭わない。君が誰かに命を狙われるならば俺はその誰かに刃を向けるよ』
以前、自分が彼女に言った言葉だ。
――そう、それがもし自分であるのなら……シラを殺す前に……彼女を守る為に……死を選ぼう。
「レイン?」
シラがもう一度名を呼ぶ。そしてまた涙を流した。
――泣かないで……俺は……君の笑顔が見たいんだ。
「シラ……ごめん」
首元に持ってきた両手にぐっと力を入れる。そして徐々に首を絞めていく。
「……愛してる」
それはレインが意識を保ち、口にした最後の言葉だった。
◇
「嫌!! レイン!!」
目の前で首を絞めていくレインの姿を見て叫ぶ。
自分が想いを寄せている彼が、自らを死に追いやっていくのを目の当たりにしさらに涙を零した。
身体を動かしても毒のせいで動かない。必死にもがくも彼へ届かないのだ。
「レイン!!!」
そんなシラの言葉がもう聞き取れないのか、炎を更に纏った彼は悲しそうに笑った。
「……ッ!!!!」
その瞬間、シラの中で何かが動く。
過去の自分が一瞬見えた気がした。スカイブルーの髪の女性が薄っすらと見え、横切る。
するとシラの身体は自然と前へ動いていた。毒のせいで足取りがおかしい。だが、力を振り絞り立ち上がると炎の中へ飛び込んだ。
そしてレインをきつく抱き締める。
焼けていく身体。熱さに耐えながら、首を絞めていく彼の唇に自分の唇を重ねた。
そっと寄せた唇。その瞬間から炎は徐々に消え、辺りには少しだけ冷たい風が吹き抜ける。
シラは急いでレインを見る。すると背中で黒に変わりつつあった翼が、元の白い翼に戻っていくのが見えた。そして炎が収まるに連れて彼の髪の色もまた、赤から緑へと戻っていく。
それを確認し、もう一度思いきり抱きしめる。答えるようにレインもシラをきつく抱きしめた。
しかしレインの身体は力を失い、その場にグラリと崩れる。シラは彼を支えようとしたが一緒に膝を付いてしまった。
「レイン! レイン!!」
叫ぶが反応がない。
そんな光景を見てフィールが「くそっ」と声を漏らす。
「自我の方が勝ったということか? けど、もう魂は初代魔王に転生しているはず。身体が天使に戻ったとはいえ、その気になれば悪魔に転生できますでしょう」
シラはレインを支えながらフィールを睨む。
「君が邪魔なんだね。だからレインは魔王に転生出来なかった。だから……ここで君を殺そう!」
フィールはそう叫ぶと、自分の懐に挿していたダガーナイフを取り出し、シラに向かって斬りかかって来た。
そんなフィールをシラは睨み続ける。
刃先が額に近づいた瞬間、意識を失っているはずのレインは転がっていた自分の刀を素早く握り直した。そしてフィールのわき腹めがけ刀を斬り付ける。鈍い音が響いた。
「ッチ!」と、ダガーナイフをシラに向けたままフィールが舌打ちする。
「意識を失っても尚、彼女を守ろうとするのかい? レイン……」
「…………」
レインは光を失った瞳をフィールに向けながら、その刀を握っていた。
「フィーーーール!!」と、神殿の中に突如女性の声が響き渡る。
その場にいた全員が、その声のする方を振り向く。
入り口に立っているのは、わき腹の出血を抑えながらこちらを睨むエレクシアだった。
「貴様あああああ!!!」
エレクシアがそう言って叫びながら刀を握り、走って来る。その顔は正に獅子!!
そんな攻撃を避ける為、フィールは動こうとするが、レインの刀がわき腹に刺さったままで身動きが取れない。
「クソッ!!」と、短く叫ぶフィールめがけ、エレクシアはレイピアを勢いよく突き刺した。
その刃先はフィールの心臓を貫く。フィールはエレクシアの顔を睨みながらその場に倒れ込んだ。
そんな顔を見ることなく、エレクシアはレイピアを抜き取ると、後ろにいた仮面の悪魔に斬りかかる為に体勢を変える。
仮面の男は両手に炎を纏わせ、エレクシアに攻撃を仕掛けようと構えた。
その瞬間「地下の黒き翼よ!!」と、祭壇の方から声が聞こえ、暗い部屋が一気に明るくなる。壁の色が真っ白に変わり、松明が燃え盛った。
「これ以上この場での無礼を禁じます!!!」
そう叫ぶのは祭壇の前に佇む天界巫女。
「引きなさい! 地下の黒き翼」
凛としたその声は部屋中を駆け巡り、その場を制していく。
「……」
仮面の男はその言葉を聞くと、纏っていた炎を素直に収めた。
男とアカシナヒコナが睨み合い、少しの間沈黙が流れる。
そんな二人をシラとエレクシアは見つめた。
すると沈黙を破るように、心臓で形成された黒いゲートから鈴の音が聞こえ始める。
シャリン、シャリンと音を鳴らしながらゲートを潜り誰かが顔を出す。
「リュウシェン様。ここは引くべきかと……」
ゲートから現れたのは黒い翼の生えた悪魔の女性だった。
深緑の髪にオレンジの瞳、そして西洋風のドレスに身を包んだその女性は仮面の男へ歩みより、声を掛ける。
「目的は果たしております。撤退を」
声は少しアカシナヒコナに似ている。シラはその女性を睨んだ。
「天界巫女。無礼をお許しください」と、その悪魔の女性はアカシナヒコナに頭を下げる。
「地下界巫女……。まさかわたくしの代であなたにお会いするとは思いませんでした」
アカシナヒコナはその女性を睨む。
「わたくしもでございます」と、地下界巫女は淡々と話す。
「我らが顔を揃えたということは……これこそが『世界を変える災い』なのですね」
アカシナヒコナがそう話すと、地下界巫女はゆっくりと首を振った。
「いえ、天界巫女。これは序章に過ぎません。これから世界は大きく変わる。我らが絶対的主君が……変えていくでしょう」
「しかし、レイン様をあなた方にお渡しすることは、わたくしが許しません」
「はい。この度はこちらが引きます」
地下界巫女と呼ばれた女性はまた天界巫女に頭を下げる。
「しかし、彼は必ず我らの王になりますでしょう。それが必然、それが運命。そう、それが……『世界を変える力』でございます」
「……」
天界巫女はその女性の言葉を聞き、ぐっと拳を握った。
地下界巫女は黒いゲートへ戻って行く。仮面の男はその女性に続きゲートをくぐるろうと足を進める。しかし、ゲートの前でこちらに振り返り一呼吸置いた。
「陛下、魂は貴方の元へお返ししました。貴方様が強く想えば力は目覚める。それを我らは待ちましょう」
仮面の男はレインに頭を下げる。そして心臓を貫かれたフィールの死体を見て「大義でありましたフィール」と声を掛け、ゲートをくぐっていった。
その瞬間、ゲートは跡形も無く姿を消す。残されたのは動きを止めた心臓と赤い血溜まりのみ……。
シラはその光景を見ながら気を失っても尚、自分を守ってくれたレインの身体を抱きしめた。
「姫様……」
エレクシアがわき腹を抑えながら、シラの元までやって来る。
「エレア……」と声を出したが、それ以上言葉が見つからない。
シラの顔を見てエレクシアは安心したのか、その場に座り込んだ。
「姫様、大変申し訳ありませんでした」
今度は天界巫女が声を上げながらシラの元へ駆け寄る。
「わたくしの力が弱いばかりに、悪魔の侵入を許してしまった……わたくしが」
「いえ、巫女様」
アカシナヒコナの言葉を遮りシラは首を振る。
「これが『災い』だったのなら誰も防げなかったでしょう」
「しかし……レイン様が」
「……」
シラは巫女の言葉に彼を更に抱きしめる。
するとレインはやっと力を抜いたのか、握っていた刀を離す。金属音を出し、刀が地面に転がった。
「巫女様……」
「はい」
シラは巫女を見つめる。その瞳は今までの彼女のものとは違い、何かを決意したものだった。
「私は彼を……レインを助けたい。その為に、私は何をするべきなのでしょうか?」
「……」
巫女はその強い瞳を見つめ返す。
「私は……彼を守りたい!!」
その瞬間、神殿の中に微かに風が起こる。
風はレインの前髪、そして切り落とされたシラのスカイブルーの髪を撫でた。