第2章 30幕
「……よう」
ジュラス元帥は目の前に現れた青紫の髪の男に向かって小さく言った。
辺り一面、焦げ臭い臭いが立ち込める。そんな中で会話は始まった。
「ひさし……ぶりだな」
「ああ」
もうほとんど声になっていないジュラス元帥の言葉に男は反応する。
地面に仰向けに倒れ動くことが出来ない彼を、遠征から帰還したベルテギウス大佐は茫然と見つめていた。
「ここら一帯の敵は殲滅した。安心しろ」と声を掛けると「ああ、すまねぇ……」と力なく彼は声を出す。
「悪かった……。もう少し早く我々が帰還できていれば、このような事態にならずに済んだのだが……」
「お前の……せい、じゃあないだ……ろう」
ジュラス元帥の言葉はもう途切れ途切れだった。その言葉の後に彼の口から大量の血液なが流れ出す。
ベルテギウス大佐が駆けつけた時、この中庭周辺の悪魔の鎧兵達はジュラス元帥が一掃していた。
己の身体で中界軍の軍事基地までの道を守ったのだろう。彼は焼け野原になっている中庭の中央で倒れていた。身体全体は血で染まり、黒の軍服がさらに黒く色づいていく。
ベルテギウス大佐はジュラス元帥のそんな姿を悔やむように見つめた。彼はその顔を見て微笑む。
「一つ、頼み……聞いてくれるか?」
「ああ」
ジュラス元帥の言葉にベルテギウスは返事をする。
「刀……抜いてくれるか?」
わき腹には悪魔の刀が刺さっていた。
中庭に大の字に倒れている彼に突き刺さるその刀もまた、赤く血で染まっている。
「これを抜けばお前は死ぬぞ?」
「抜かなくても……もう……」
「……」
片目を潰された彼は力なく笑う。
「分かった」
「すまねぇ……いつも、こんな役回り……で」
そんな言葉に眉を寄せて「分かっている」と答える。
「先にオギロッドに会って来るわ」
「来世でも同じようにオギロッド大佐に会える訳でもなかろう」
「会えるさ……俺達は……そういう運だけは……つよい」
「……」
ベルテギウス大佐は彼のわき腹に刺さっている刀の柄を握った。
「あいつらに伝えることはあるか?」
「いや……もう、十分伝えた……」と、彼は目を瞑る。
ベルテギウス大佐はその刀をゆっくりとジュラス元帥の身体から抜いた。大量の血が流れだし、辺りを更に赤く染めていく。そんな光景をただ茫然と見つめる。嘗ての戦友の死を……ただ茫然と。
「閣下!!」
抜いた刀を地面に捨てるのと同時に、後ろから悲鳴に近い叫びが聞こえる。その声にゆっくりと振り返った。
そこには足取りもおぼつかないほど走り続けて来たのだろう。フラフラとこちらに向かって来る若き騎士の姿と、その援護で駆けつけた数人の中界軍人達だった。
◇
全速力で走った。そう、ここで立ち止まったら……あの人にもう二度と会えないような気がしたから。
『いいから行け!!』
あの時、叫んだ元帥の目は死を覚悟した人の目だった。ヤマトはすぐに気が付いた。
自分もあんな顔をしたことが過去にあったから……。死を覚悟したことがあったから。
だから走った。全力で……。あの人を死なせてはいけないと。
爆風の熱を帯びた空気で喉は枯れた。足は震え、脳内は不安でいっぱいになる。中界軍の軍事基地に到達し戦場から離脱しても、その震えと不安は消えなかった。
だからまた走った。同じように……。
しかしたどり着いたヤマトの瞳に移ったのは、ベルテギウス大佐がジュラス元帥の身体から刀を抜いた瞬間だった。
「閣下ッ!!」
そう叫ぶと、ベルテギウス大佐はべっとりと付いた刀を地面に捨てる。
「あ……」
ヤマトは声を出すが、擦れてしまう。
自分の大切な存在が赤く染まっていくのが目の前に見える。その現実に目を見開いた。
「閣下!!!!」
もう一度叫ぶと、足は自然とジュラス元帥の元へと向かっていた。
「ジュラス元帥!!」
ヤマトは血溜まりの中へ膝を付き、彼の身体に触れる。
ベルテギウス大佐が抜いた刀の傷口からはさらに血が噴き出していた。
「駄目だ! 閣下!!!」
ヤマトは叫びその傷口に手を抑える。
「血が! 血が止まらない!!」
ヤマトの瞳は震え、焦点の合わない顔でジュラス元帥の顔を見つめる。溢れる血を止めようとするも、その手もまた赤色に染まるばかりだ。
「誰か! 閣下を! 早く!!」と、叫ぶ。
「閣下! 閣下!!」
ヤマトと共に到着した数人の中界軍の天使達がジュラス元帥の元へ近づく。
するとジュラス元帥の瞼がほんの少し開いた。
そして「よ、よう……ヤマト」と擦れた声を出す。
「閣下!!」
その瞳を覗き込む。
「無事に…帰って来たな」
「はい。閣下!」
「なら……いいんだ」
「良くないです! 閣下が!!」
「……」
傷口を抑える。しかし手が真っ赤になるほど、その傷口からは血が溢れていく。
「もう……いい」
「良くありません!!!」
「……」
「駄目だ!! 行かないで!!!」
ヤマトが叫ぶ。
しかしジュラス元帥はこちらに向かって微笑んだ。
そしてその後ろに見える自分の部下達に目で何かを訴える。ヤマトの後ろにいる大佐や中佐はそのジュラス元帥の瞳に答えるように静かに頷いた。
「誰か! 閣下を助けて! 早く!!」
ヤマトは叫ぶ。
「閣下! 閣下!! 嫌だ! 嫌だ嫌だ!」
そう叫ぶ頬にそっとジュラス元帥は手を伸ばす。しかしその手の親指が爆発によりなくなっていた。
「ヤマト……悪いな」
「閣下……」
「先に行くわ」
「いや……」
「大丈夫……お前ならやれる。お前は……俺の……」
「いやだ……」
ジュラス元帥の瞳が徐々に灰色に変わる。そして完全に光を失う前に一言ヤマトに残す。
「俺の……自慢の息子なん、だから……」
「……ッ!!」
言葉を残し、頬に伸ばしたジュラス元帥の手は血
しぶきをあげつつ地面に落ちる。手は赤い血溜まりを揺らした。
「いや……だ。嫌だ!!!」と、ヤマトが叫んだ。
「嫌だ! 嫌だ嫌だいや……だ」
後ろに立っていた大佐が彼の背中に手を当てる。
「ヤマト……元帥はもう」
「何言ってるんですか!? まだ!!」
「ヤマト……」
「まだ! まだ間に合うでしょ!?」
ヤマトは周りの言葉に耳を傾けることなく、ジュラス元帥の身体に手を添え続けた。
その手は震えている。
「ヤマト……元帥はもう……死んだよ」
「…………ッ!!」
その言葉にヤマトは小さく息を吸った。
「嘘……」
「嘘じゃない」
ヤマトの背中に手を振れた軍人がそう優しく話す。
「嘘……です」
「……」
「大佐、中佐! 嘘ですよね? 閣下はまだ!!」
「ヤマト」
仲間は首を振る。
ヤマトはジュラス元帥であったその死体から手を離すことが出来ず彼を見つめる。
そして自分の抑える傷の下にあるはずの両足が、跡形も無くなっていることに気が付いた。その下半身からはすでに大量の血が流れだしている。
「あ……」
そこで初めてヤマトはもうこの人は生きていけない体になっていたことに気が付く。
しかしヤマトは冷たくなっていくその死体に触れたまま動けずにいた。
ポツポツと空から雨が降り始める。その冷たい雨はさらに勢いを増し、ジュラス元帥の身体を濡らしていく。
「ああ……」
ヤマトはその場で叫んだ。
「ああああああああああ……」
額を死体に埋め、髪の毛が赤色に染まりながら嘗ての大切な存在に向かってき崩れる。
悲痛の叫びはいつまでも続く。涙はいつまでも、いつまでも流れた。
「あああああああああああああああああ……」