第2章 24幕
「ヤマト熾天使、紅茶はいかがですか?」
サンガに声を掛けられ、窓の外を眺めていたヤマトは降り返った。
「ああ、もらおうかな」
ヤマトの言葉を聞いてサンガは微笑み、紅茶をティーカップに注ぐと丸いテーブルの端にそっと置いた。
「サンキュー」
「いえ。もう少しお時間ありますし、ゆっくりなさってください」
サンガはそう言って盆を胸に抱え優しく微笑む。
「そうだな、あと一時間はゆっくり出来るってところか」
サンガは「はい」と答え、テラス席にいるシラとエレクシアにも紅茶を進めにいった。
ヤマトはティーカップを持つとゆっくり口を付け、箱庭を眺めながら一息つく。
今日はシラの誕生日であり、成人の儀。そして自分達の熾天使の騎士就任の儀が執り行われる大切な一日だ。
あと数時間もすれば各都市を納める貴族長達や、政府関係者がこの城に押し寄せる。
大きな都市とは、この日の為にゲート設置をするべく二か月前から座標の確保を行ってきている。式典後の最神軍事演説会場や、その後の貴族晩餐会などの準備も何か月も前から行ってきた。
その集大成である今日、城内は大騒動が繰り広げられている。
それに城下町ではこの日を記念日として、今朝早くから収穫祭レベルの賑わいを見せているらしい。
なのにこの箱庭はどうだ? 外の騒ぎなど全く聞こえず、鳥のさえずりや風に揺れる木々の葉の音が心地よい。
昨日に引き続き生憎の曇天だが、いつもと変わらない午前中を過ごしている。
ヤマトは紅茶で喉を潤すと、これからのスケジュールを頭の中で確認しながらそんな箱庭を眺めていた。
「何だ? 今日は偉く大人しいな」
そんなヤマトにテラスから戻って来たエレクシアが声を掛けて来る。
「いや、俺だっていつも賑やかなわけじゃないからな」
「まさかとは思うが緊張してるんじゃないだろうな?」
エレクシアの言葉に「まさか」と鼻で笑う。
「緊張するならレインの方だな」
「そう言えばレインはどこへ行ったのだ?」
エレクシアは部屋の中を見渡し、緑髪の姿が居ない事を確認する。
「医務室に行ってる。もう少しで帰ってくるはずだけどな」
「そうか」
彼女はそう言って、サンガから紅茶を受け取っているシラの背中を見つめた。
そして大きく溜息を付く。
「どうした?」
そんなエレクシアの隣に立つと質問した。
「いや……もうすぐジュノヴィスが帰ってくる頃だろうからな。今の時間ぐらいあいつも姫様の隣に居ればよかったのに、と思ってな」
「そうか、確かに時間的にそろそろジュノヴィスが顔を出してもおかしくないな」
「ああ……」
一か月前、政界で可決された議題が一つある。それが『最神の婚姻の儀』を早めるというものだ。
本来は熾天使の騎士を一年かけて三人探し、就任の儀を執り行うのが習わしである。
その儀式を終了して行うはずの『婚姻の儀』
しかし二か月前、シラが三人の熾天使の騎士を決めた。今日その就任の儀を執り行うのであれば婚姻の儀が早まるのも必然的なこと。
そのことについて意義を唱える者は誰もいなかった。シラ自身もだ。
ジュノヴィスとシラの結婚は、シラの母とダスパル元帥が当人達が幼い頃から決めていたこと。
それを覆すのはもう出来ないことは本人が一番分かっている。しかしそれを一番認めたくないのも彼女のはずだ。
それを思ってだろう。エレクシアの瞳も悲しそうだった。
「エレアはさ、シラとレインの関係どう思ってるの?」
「ど、どうって?」
唐突な質問にエレクシアは一瞬ひるむ。
「率直に、どう思ってるんだ?」と、真面目な顔をしてもう一度問い掛ける。
彼女はそんなヤマトの顔を見て苦い顔をした。
「私は……何も言える立場ではない。姫様の護衛。それが私の役目であり……」
「御託はいいから」
ヤマトがエレクシアの言葉を遮る。
「……」
「……」
二人は数秒言葉を止めた。
「はい、エレア。紅茶をどうぞ」と、サンガが二人の無音をかき消すようにエレクシアに紅茶を差し出す。
「あ、ああ……すまない」
エレクシアはそう言って紅茶を受け取った。
「サンガはどう思ってるんだ?」
ヤマトは飲み切ったティーカップを下げているサンガに向かって声を掛ける。
「僕はいつでも姫様の味方ですよ? 御公務もプライベートも、もちろん恋愛も……」
先ほどまで『自分は全く話を聞いていませんよ』とすまし顔をしていたはずなのに、サンガはちゃっかりそう答える。
そして「エレアも同じでしょう?」と、笑顔で言った。
「ああ、そうだな」
サンガの言葉にエレクシアも微笑んで答える。
「そうか、そうか」
ヤマトが突然そう言い、何か納得したように大袈裟に頷き始めた。
「何だヤマト……」
エレクシアは不気味なものを見るかのように睨んだ。
「いや、ここの箱庭の気持ちは同じということだな!」
その言葉にサンガは嬉しそうに笑う。エレクシアも二人に釣られて笑った。
「そうだな……」
エレクシアが声を出したその時、ドアがノックされる。
「どうぞ」
サンガが答えると、大きく溜息を付きながら若草色の髪の青年が中に入ってきた。
「お帰りなさい。レイン熾天使」
サンガがそう言うと少し元気の無い声で「ただいま」とレインは言った。
「まだ義眼届かなかったのか?」
エレクシアの言葉の通り、左目はまだ包帯でグルグル巻きにされている。
「ああ、間に合わなかった……」
レインはそのことを気にしているようで、もう一度大きく溜息を付いた。
「それは残念だったな」
ヤマトの言葉にさらにがっくりと肩を落とす。
「包帯巻いて儀式参加かあ……目立つよなあ」
「巻いてなくても俺達は目立つとは思うけどな」
レインはまた溜息を付く。
そんな彼の姿を見て三人は何故か可笑しくなって笑った。
「なんだよお前ら……こっちは真剣に悩んでるってのに」
ヤマト、サンガ、エレクシアの顔を見ながらレインはふてぶてしい顔を見せる。
こちらを見てくる彼を「まあまあ、シラに報告して来いよ」と、ヤマトはテラスへ促す。
レインはその言葉にテラスの方へと歩いていく。そしてシラの座る席の向かいに付くと彼女に声を掛けた。
「レイン!」
シラの嬉しそうな声がテラスから聞こえてくる。
「シラただいま。ごめんやっぱり包帯のまま出席になりそうだ」
「そんなこといいんです! 痛みはありませんか?」
そんないつもの会話が始まり、二人は見つめ合いながら嬉しそうに笑った。
「このまま……このまま時が過ぎればいいのにな」とエレクシアは話す。
「姫様が笑っている。そんな時間がいつまでも続けばいいのに……」
その言葉にヤマトは「そうだな」とだけ返した。
「大丈夫ですよ。我々が居ますから」
サンガがこちらに微笑み「我々が居ますから」と、もう一度噛みしめるように言葉にする。
ヤマトもエレクシアもゆっくりと頷いて見せた。
その瞬間、部屋の入り口が激しい音と共に開かれる。
「シラ!!!! 僕が帰ったよ!!」
その突然の声に、その場の全員が同時に振り返った。
言葉を発したその人物は、アッシュグレーの髪色に黒の瞳、グレーの軍服姿の……。
「ジュノヴィス……」
ヤマトがそう呼ぶと前回と全く同じ登場をしたジュノヴィスは、部屋の中の状況が飲み込めないのかキョトンとした顔をした。
◇
その場にいる全員が招かざる客人、ジュノヴィスを見つめた。
レインもシラと向かい合わせに座っている場所からその姿を苦い顔をしつつ睨んだ。
「ジュノヴィス」
ヤマトのその言葉にキョトンとしたジュノヴィスは、我に返ったように大きな足音で部屋の中を歩きシラの目の前へ立つ。
「ただいまシラ、元気にしていたかな? 君の大切な日に間に合わせて帰還したよ」
その言葉にシラは「はい、そうですか」と、何ともそっけなく返す。
ジュノヴィスは「あはは。儀式の前で緊張しているのかい?」と、明るい顔で言った。
何と自由な奴だ。レインは席に着いたまま、テラスのテーブルに頬杖をついて溜息を付く。
するとそんなこちらの態度に気が付いたのだろう。ジュノヴィスはフンッと鼻を鳴らした。
そして「お前も居たのだな」とそっけなく言葉を発する。
「……」
レインはその言葉に何も言わずにジュノヴィスの顔を睨んだ。彼はこちらの態度に眉を動かす。
一か月前の模擬戦以来の二人の会話だ。その場の空気が張る。
少しの間、睨み合った二人だったが、レインがもう一度溜息を吐き目を反らした。
「席を変わりましょう。シラと話をされるんでしょう?」と、席を立ちジュノヴィスに譲る。
しかし彼はその席に着こうとはしなかった。
「貴様、なんだ? その無礼な態度は……」
ジュノヴィスの食って掛かるような発言に、レインの眉が少しばかり動く。
「いいえ、そのような事は無いと思いますけど?」
「言うようになったな。一度あのように勝敗を決めたからと言って僕に楯突くのか?」
「いいえ」
「熾天使の騎士になったからと言って調子に乗るなよ」
「そのつもりです」
二人の会話で部屋の中が凍っていく。
睨んできたジュノヴィスに向かってレインは右目に光を帯びながら睨み返す。
そんな瞳を見て、先月の模擬戦を思い出したのだろう。相手は「ヴッ……」っと声を出して数歩後ずさりした。
うろたえる彼の横を通り過ぎ、レインはヤマトのところまで移動する。
「お前、成長したな」
ふて腐れた顔のレインに向かってヤマトが声を掛けた。
「何がだ?」
「自分を出してるじゃん。貪欲になった」
言葉の意味を理解したレインは「うるさい」とだけ言って、近くの壁によりかかり腕を組んだ。
確かにあの模擬戦以降、自分の中で何かが吹っ切れているのかもしれない。
自分の立場がどんなものか、どこまで自分の意志を通してもいいのかがなんとなく分かってきている。
さっきのジュノヴィスに対してもそうだ。
以前のレインなら自分を押し殺してジュノヴィスと対話しただろうが、自分の今の状態や彼との関係を把握した今だからこそ、あそこまで失礼な態度を取れたのであろう。
自分自身でも思う。自分は少し欲深くなったと……。
そんなレインを見てヤマトは「ま、まだまだだがな」なんて言った。
「シラ、メイド達に聞いたんだ。準備を始めるまであと一時間程あるのだろう? それまでは僕も時間に余裕があるから二人でゆっくりしよう。それから着替えて、各貴族長との対談。僕も君の夫として出席するつもりだからね。来年になれば僕たちは夫婦なんだから当然だよね? そうだ! 僕の母上に挨拶に行ってきたんだ。君との婚姻の儀が早まったと言ったらたいそう喜んでね……」
ジュノヴィスの弾丸トークが始まる。
シラはそんな彼の話を全く聞いていないようで、そっけなく紅茶を飲んでいた。
先ほどまで笑顔で話していた人物とは思えない。
レインはそんな二人を見て歯を噛み締めた。
「ピコーン!」と、突然隣にいたヤマトが声を上げ、人差し指を立てつつにたぁっと笑う。
「な、なんだよ……」
ヤマトのそんな顔にレインは驚いて問いかけた。
「レイン、いいか? 俺達が上手く動いてやる。だから男を見せろよ!」
「何の話だ?」
「婚姻の儀が迫っている今! 彼女の心をお前のものにしろって言ってるんだよ。チャンスは今しかないと思えよ!」
「だから……なん」
レインの言葉を最後まで聞かず、ヤマトはベラベラと話しを続けるジュノヴィスの所まで行ってしまった。
「姫様、そろそろお時間です」
「時間?」
「はい」
「何のでしたっけ?」と、シラは不思議そうにヤマトへ首をかしげる。
「あれ? 姫様もうお忘れですか? 先ほど、準備までの待ち時間がもったいないから儀式の『唄』を練習をしておきたいっておっしゃったではありませんか?」
「そ、そんな話……」
「だから、これから会場である神殿に向かうのでしょう? ささ、準備してください」
言葉を上から被せながらヤマトが席を立つように促す。
「え? ええ?」
シラはそんな聞き覚えのない話に困惑したような声を上げる。
するとヤマトは後ろを振り返り、こちらに向かってニヤリと笑った。
その顔にエレクシアは何か感じ取ったらしい。急にシラの元へ歩き出すと彼女の座っていた椅子を引いた。
「姫様、早く動かないとお時間がもったいないですよ」
「エレアまで?」
エレクシアは優しく微笑む。
「神殿へは私とレインがお連れしますから」
「え? 俺?」
そこで自分の名前を上げられ、レインは驚いた声を上げる。
ヤマトとエレクシアはジュノヴィスに見えない角度でお互いアイコンタクトを取ると軽く頷いた。
「神殿で唄の練習か。では僕も一緒に……」
そう言ってジュノヴィスも立ち上がる。
しかしヤマトがジュノヴィスに向かって「いやいや」と手を上げた。
「ジュノヴィスは俺と一緒に貴族長達のお出迎えに行くんだ」
「何故? 僕はシラと一緒に……」
ジュノヴィスの言葉を更に遮り「将来の最神の夫となる人物なら、貴族長達と懇親を深めるのは大切だと思うけどなあ」とヤマトは話を続ける。
「お前の叔父上も一緒に貴族長をお迎えするんだけど、お前が隣に居れば、鼻高々だろうな~」
「た……確かに」
「それに姫様は儀式でジュノヴィスの為に唄を歌うのに、先に聞いてしまってはせっかくのサプライズが台無しだろう?」
ヤマトの言葉にジュノヴィスは驚き、そして目を爛々と輝かせて「本当かい?」とシラに問う。
「君は僕の為に今まで唄の稽古をしてくれていたのかい?」
「え?……」
シラはそれだけしか声を出せなかった。
「そうそう! なのに先に歌声を聴いてしまってはいけないだろう。いい男ってのはそういう女のサプライズを陰でエスコートするものだろ?」と、ヤマトがさらに言葉を付けくわえる。
「確かに、確かに……」
口車にまんまと乗せられたジュノヴィスは嬉しそうに頷くと、シラに向かって微笑んだ。
「では、唄の練習は僕は控えておくよ。僕の為に日々稽古していたものをここで聴いてしまっては、君の気持ちを踏みにじることになるからね」
ジュノヴィスは白い歯を見せて嬉しそうだ。
呆気に取られているシラの肩へエレクシアが手を添え「さ、神殿へ向かいましょう」と、促す。
シラは話についていけれず、隣にいるヤマトへ不安な顔を見せる。ヤマトはそれに答えるように眉を少し上げた。
「流石ヤマト熾天使。策士ですね」
そんな光景をレインの横に来たサンガが嬉しそうに話す。
「狸か狐か……本当に」
そう皮肉った。しかし彼の行動に感謝する。
ジュノヴィスとシラのツーショットは自分の中でダメージが大きいからだ。
レインは入り口へと向かうシラとエレクシアの後ろに着いて行った。
「レイン!」
部屋を後にしようとしたレインはテラスからヤマトに呼ばれ振り返る。
「また会場でな!」
そう言ってヤマトは歯を見せて笑い、親指を見せる。その顔には「上手くやれ!」と書いてあった。
「ああ、分かった」
レインは言葉の意味を何となく察して右手を上げた。
そしてエレクシアの先導の下、箱庭を後にするのだった。