第2章 23幕
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ああ、遂にこの日が来てしまった。遂にだ。
長い年月だった。
苦しい日々だった。
しかしそれも今日で終わる。今日で終わるのだ。
醜い天使や貴族、軍人共を薙ぎ払い、まだ見ぬ主君が君臨するのだ。
ああ、待ちどおしい。
しかし、動揺してはいけない。
少しでも心が乱れれば翼が濁ってしまう。
そうなれば十年の月日を無駄にしてしまうではないか。
動揺してはいけない。
この十年、苦痛の日々を過ごしたのが水の泡だ。
だが心は高揚していく。遂に……遂にだ。
手筈は全て整った。
そう、全てはあの御方に御仕えし、この恩義を御返しする為に。
まだ見ぬ『絶対的主君』を御迎えする為に。
だから私は名を変え、全てを捨て……まだ見ぬ絶対的主君の為に『元帥』という地位まで上り詰めたのだ。
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ここはどこだろう。
俺は素足で草原の中を歩いていた。
新緑の季節なのだろう。足元は美しい緑で覆い尽くされていて、空は青空が広がっている。
『ねえ。----』
そう名前を呼ばれ、俺は急いで振り返った。
何と呼ばれたのか、名前の部分が上手く聞き取れない。
そこには空と同じ色の髪を腰まで伸ばした女性が立っていた。
白銀の翼に真っ白のドレス、瞳はアクアブルーのその女性は俺に向かって微笑んでいる。
『----』
また名前を呼ばれた。何といっているのか聞き取れない……。
しかし、それは俺の名前だった。
彼女は手を差し出す。その俺は手を握った。
彼女の瞳の中にいるのは確かに自分自信だ。
なのに、その彼女の瞳に居るのは真紅の髪を長く伸ばし、赤い目をした見知らぬ男だった。
俺……のはずなのに。瞳の中の男は、俺ではなかった。
その男は彼女と見つめ合い、微笑む。
目の前の女性を愛おしいと感じる。暖かいその彼女との時間が幸せと感じるのだ。
ああ、いつまでも続けばいいのに……そう思う。
しかし、目の前の彼女は瞬きをすると消えてしまっていた。
俺は焦り、裸足で走り出す。
しかし数歩足を動かすと足は真っ白のブーツを履いていた。
そして周りは見たことない洋館へと変わっている。
どこだろう。全く身に覚えが無い。
しかし俺の足は知らない場所なのに、まるで知っているかのように目的地へと歩き出す。
洋館……いや、これは城ではないか?
目の前に大きな扉が姿を現す。装飾の施されたその扉は煌びやかで厳かだ。
俺はその扉をゆっくりと開け、中へと入った。
するとそこには何人かの見覚えの無い人物が頭を垂れて俺を迎え入れる。
俺はその者達の前を通り過ぎ、目の前にある真っ赤な背もたれのある巨大な椅子へ腰を掛けた。
そして足を組み頬杖を付く。
俺の目の前に広がる景色は兵士の大軍勢だった。
『----!!!!』
誰かが俺の名前を叫ぶ。
その声にまた場面が目まぐるしく変わる。
見ていた風景が歪み、俺は背後から感じる殺気に振り向いた。
その瞬間。白い物体がドスンとぶつかる。
白い物体は俺のわき腹に刃を刺していた。
後方に先ほどのスカイブルーの髪の女性が見える。
彼女は悲痛の顔をしていた。あの笑顔は無かった。憎しみの顔をしていた。笑ってはいなかった。
俺の中で一気に憎しみが沸き起こる。
憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い!!
こんなに愛しているのに『----』お前が……。
……憎い!!
「----ッ!!」
レインは突然の恐怖に右目を開けた。
目を開けると、そこは二ヶ月慣れしたしんだ自室の天井がいつものように見えている。
そう、何も変わることのない日常の天井だ。
しかし呼吸は荒く、首回りや額は汗でぐっしょりとしている。
「ゆ……夢」
それだけを口にした。喉がカラカラに乾いている。
息を整えながらレインは一度目を瞑り、心を落ち着かせた。
ーー嫌な夢だった。ここ最近この夢ばかりだ……。
いつも同じ結末の夢を見る。
最後に憎いという感情だけ置いていくその夢。
最初はあまり覚えていなかった。しかし、ここ最近は内容や登場する人物の細かな表情まではっきりと覚えている。
大きく深呼吸をしてゆっくりと包帯の巻かれている左目をさすった。
眼球の無いその凹みを指でなぞる。何もない筈なのに、その凹みがなんだか不快に感じた。そう、モヤっとする感覚だ。
そして夢に出て来たスカイブルーの髪の女性を思い出してみた。
どこかシラに似ている……しかし全くの別人。
――彼女は何者なんだ?
その瞬間、ヤマトの仮説を思い出す。
『世界を変える力』を持った者は、前世つまり『古き時代に何か起こした魂かもしれない』
ーーそうなればあの女性は古き時代のシラの前世で、俺はあの時代に彼女に会っていた?
先ほどの夢が真実だとするなら、自分は大勢の兵を束ねていたようだ。古き時代に何かを起こした魂なのかもしれない。
そんな魂だから自分はこれから起こる『災い』から『世界を変える力』を持った者としてここに導かれたのだろうか?
レインはゆっくりとベッドから起き上がり、もう一度深呼吸をした。
まだ朝日の昇る前。いつもの稽古の時間だ。
冴えない頭を振り、気持ちを切り替える。
ーー過去何があったのかは今の自分には分からない。しかしこれから先、『彼女を守る』『彼女の夢を守る』という自分の意志は変わらない。なら……。
ぐっと胸を張り、自室の扉を開けた。