第2章 20幕
レインは白い翼を使い、地面に書いてある着地地点にふわりと降り立つ。そして足が地面に付くのと同時に歩き出し、街の方へと向かった。
ここは二ヵ月前にお忍びで訪れた城下町のマーケット近くにある飛行台だ。
ヤマトと一緒に視察で歩いたこの道は、今ではもう慣れ親しんだ場所になっている。
レインは最近この飛行台を使い城下町に来るのが日課になっていた。それはシラに頼まれた熾天使の騎士としての仕事があるからだ。
今日はぶ厚い雲が掛かっていて少し湿度も高い。これから雨になるかもしれない。
湿気を帯びた風に当たるとすこし肌寒かった。黒の軍服の上に茶色のロングコートを着たレインは、そんな空気をスンスンと匂いながらマーケットに向かって歩く。
そしていつも通りマーケットの入り口にある花屋に向かうのだった。
「こんにちは」
声を掛けると中から中年の女性が顔を出す。女性は声をかけてきたのがレインだと分かると嬉しそうに微笑んだ。
「あら、今日は早い時間に来たんだね」
「はい、午後から会議なので……」
「そうかい、少し待ってくれるかな?」
親しく話す女性にレインはこくんと頷いて見せる。
すると女性は店内の奥にいる男性を呼んだ。
「あんた、軍人さんが来てるよ」
「お! 分かった」
女性と歳同じぐらいの男性はその言葉を聞くと、椅子から立ち上がりレインに微笑む。
「すぐ作るから待ってくれるか?」
男性はそう言って目の前にある白いユリを何本か手に取り器用に束ね出す。
「いつもすみません」と声をかけると女性がゆっくりと首を振った。
「いやいや、こうやって三日に一回はこうして城から通ってるんだろう? みんな喜ぶさ」
「はい、そうだといいんですが……」
そんな会話をしていると、奥で作業していた男性が片手で抱えるほどのユリの花束を持ってきた。
「はいよ、いつも通りね」
「はい」
レインは胸ポケットから銀貨を数枚出す。
「お前さんがこうやって通ってくれて、うちも助かってるんだ。こんなことになってマーケットもなかなか機能してなかったからね。商売どころじゃなかったし……。一人でも客が来てくれるってのはありがたいことだよ」
銀貨を受け取りながら女性は少し悲しそうに笑う。
その言葉にレインは何も言えず男性から花束を受け取った。
「多分、数日は来れません」
「仕事、忙しいのかい?」
「そう……ですね。最神の成人の儀が明日執り行われるので」
「ああ、もうそんな時期かい」
「はい」
「そうかい。軍人さんだと忙しいだろうね」
女性はレインに優しく微笑むと「無理したらだめだよ」とそっと付け加えた。
そんな女性にレインはにっこりと笑って見せる。
「また、落ち着いたら来ます」
「待ってるよ」
レインは笑顔で見送ってくれる二人に頭を下げ、マーケットの中心部へと歩き出す。
ユリの花の香りが漂う。曇天の中、湿った風がその香りを辺りに広げていった。
マーケット中心部に向かうに連れて店は徐々に減り、二か月前には賑やかだった噴水前ではなにもない空き地へと変わってしまっている。
あるのは真ん中の止まった噴水と、その噴水の周りに置かれている数々の追悼の品。そして噴水の岩に掘られた自爆テロの悲惨さを綴った文章だけ。
レインは噴水の前に立つと深く呼吸すると片膝を付き、抱えていた純白のユリの花束をそっと置いた。
そのまま頭を垂れ、翼を地面に付けるように下げると、その噴水に向かって黙祷を捧げる。
そして数分の黙祷を終えるとゆっくりと立ち上がった。
あれほど賑やかだった場所とは思えない静かな大広間を見渡す。
二か月前に起こった自爆テロの惨劇が思い出されるようにあたりの建物の壁は黒く煤け、その前を歩く人達もどこか俯き加減だ。
「あんた!」
急に後ろから声を掛けられ、レインは降り返る。
そこにいたのはあの日、この場所でドラゴンの串焼きを販売していたお店の女性だった。
◇
「あんた……無事だったんだね」
噴水から少し離れた木陰で話し掛けてきた女性は、レインに向かってそう言った。
「なんとか」
「そう、けどその目……」
女性はレインの包帯に巻かれた左目を見て悲しそうに見つめる。
「はい、あの時に……」
「まだ痛むのかい?」
「いえ、もう痛まないんですが、この間少し無理をしまして……傷口が空いてしまって」
レインは左目があった場所をさすった。
ジュノヴィスとの模擬戦終了後、中界軍の連中にもみくちゃにされた時に無理をしたのもあってか左目の傷口が空いてしまい、あれからまた包帯の生活をしている。
そんなレインの姿を見て女性は辛そうな顔をした。
「いつも一緒だったあの男の子や、あの日連れてた女の子達は?」
「無事です」
「そうかい……」
「はい」
そう答えると女性は深い溜息を付いた。
「なんであんなことになったんだろうね」
「……」
「軍に恨みがあったとしても、あの場には何の関わりのない人達も沢山いたんだよ?」
「そう……ですね」
「なのに、どうしてあんなこと……」
女性の言葉にレインはあの時のことを思い出していた。
シラの護衛で訪れたマーケットに突如起こった自爆テロ。死者は軍人、民間人、総勢四十八人。
そのほとんどがガナイド地区のテロを起こした人物達の爆発物による死者だ。
それに心を痛めているシラは、あの事件から三日に一回レインをこうして事件跡地に赴かせている。熾天使の騎士となった自分は彼女の命令とあらばどこへでも行ける身分だ。
あれから二か月たった今でもこの地区の復興は滞っている。
それはレイン自身が肌で感じていることだった。
「これから、どうなるんだろうね」
不安そうにレインの横で女性はその言葉を発した。
「一応、軍議で復興財源を確保して……町の人達に給付金をって話にはなりました。あと明日、最神が成人の儀を執り行う際に新しい軍事政策の発表をします」
そんなレインのはっきりとした返答に女性は驚いた顔をした。
「あんた……軍人さんだったのかい?」
「はい」
そう返事をすると女性は「そうかい」と小さく言った。
「街の皆はね、最近物騒な話しかしないよ」
「物騒?」
「ああ、こんなことになったのは最神が今まで反政府組織を野放しにしてきたからだって」
「……」
「だから今からでも軍を動かして、その反政府組織を壊滅させればいいんだって」
「……」
レインはその言葉に自分のつま先を見るように頭を下げた。
「今回の事件も反政府の『シルメリア』が絡んでるんだろ?」
「……」
「あんたは何にも答えられないね。ごめんよ」
「いえ」
レインは言葉を詰まらせる。
「もう、行きます。時間なので」
「そうかい。少しでもあんたと話せてよかったよ」
「自分もです。お身体大切に」
「あんたもね。あと、あの子達のこと大切にするんだよ?」
「はい」
レインはそう言って女性に頭を下げ、元来た道を歩き始めた。
『軍を動かしてその反政府組織を壊滅させればいいんだって』
女性の言葉が頭の中で巡る。
あれから軍議はその話ばかりだ。ここで軍を動かす以外、道がないのはもう目に見えている。
そうでもしないとここまで膨らんだ民意を落ち着かせることが出来ない事も、誰が見ても分かっていた。
『テロ撲滅』『民の安全を守るために戦争を起こす』『反政府組織の壊滅』その言葉が今の政権のほとんどを占めていた。
そして、シラも少なからずその言葉に賛同している。
今回の事件以降、彼女は変わりつつある。彼女は積極的に議会で発言し、政界を動かそうとしているのだ。
そんな彼女は明日、成人の儀を執り行う。
その後に彼女の口から今後の政策の発表をすることになっている。それは民意に基づく『反政府組織への戦争宣言』
彼女は決断したのだ。この先同じようなことが起こる前に、その根源を絶つことを。
レインはそのことを受け入れた。
もし彼女の命令で戦場に行けと言われば、その足で赴くことも厭わないと思っている。
そう、自分はもう熾天使の騎士。彼女の意志を守る、彼女の夢を守る騎士なのだから。
世界は明日、大きく変わろうとしている。
それは以前、天界巫女が話していた世界が揺ぐ災いなのかもしれない。
自分達が関わる『世界の理』と『世界を変える力』それは明日の儀式での彼女の演説なのだろうか……。
街中を歩き、この街に住む人々を眺める。
彼女の守りたいこの世界の人々。その生活。
彼女の守りたいものは大きい。そんな彼女を守るために……。
レインは少し胸を張り、城へと戻る退路についた。