第2章 10幕
「え? 何? これはどういうことだい?」
入り口に立つアッシュグレーの髪色の男は、部屋の状況を把握しきれずにそうこぼす。
「ジュノヴィス中尉……」
シラが名前を呼ぶと、ジュノヴィスはデスクに向かって歩き出す。
そしてシラに近寄ると引きつった笑顔で話し掛けた。
「シラ? コレはどういうことなのかな?」
ジュノヴィスの言うコレとは椅子で紅茶を飲んでいたレインと、その隣のソファで足を組んでくつろいでいるヤマトの事を指すのだろう。
「ジュノヴィス。いつも言っているのですが、ここへの出入りは謁見許可を取ってからお願いします」
シラはその質問に答える事無く、彼を睨んだ。
その対応にも関わらずジュノヴィスは嬉しそうに笑う。
「ごめんよ。君に早く会いたかったからね。帰還してその足でここまで来たんだ」
「ダスパル元帥にご報告もしていないのですか?」
「おじい様の前に君に挨拶するのが先だろ?」
「軍人として上官から先に」
シラの呆れた声をかき消すようにジュノヴィスは大げさに溜め息をつくと辺りを見回す。
「にしても何だい? どうしてこの部屋に黒軍服がいるんだ? しかも二人」
「それもお聞きしていないのですか?」
ジュノヴィスの言葉にエレクシアが思わず質問する。
「なんだい? エレア」
しかし、ジュノヴィスはそれに答えることなく、エレクシアに対し高圧的な態度で冷たい目を向けた。その視線にエレクシアはぐっと押し黙った。
軍事階級は同じはずの彼女がここまで押さえ込まれているということは、それだけジュノヴィスの貴族階級が高いということなのだろう。
「彼らは私が熾天使の騎士へ任命した者です」
「…………はい?」
シラの発言に驚いたジュノヴィスは声を上げる。そして間を置くと大袈裟に首を振り溜め息をついた。
「おいおい。シラ、冗談とは君らしくない」
「冗談ではありません。このお二方は私の身の回りの護衛をして頂く、あなたと同じ騎士になる方です」
彼を睨み、シラははっきりとした口調でそう告げる。
それを聞いたジュノヴィスは不快感を露わにした。
「何を言ってるんだい?」
部屋の中に不穏な空気が流れ始める。シラはジュノヴィスに話を続けた。
「彼らは私の命の恩人です」
「命の?」
「はい」
シラのはっきりとした口調にジュノヴィスはもう一度大きく溜め息をつき、肩をすくめた。
「僕がいない間、この箱庭でいったい何が起こったというんだい? 君に何かあれば……」
「それは上官であるダスパル元帥から聞くことです」
シラが彼の言葉を遮るように言い放つ。その冷たい態度にジュノヴィスは心配そうにシラの顔を覗き込んだ。
「シラ? 本当に僕がいない間なにがあったんだい? 君はもっと……」
そう言いながらシラの頬にそっと手を添えた。
シラはその行動に微動だにせず、ジュノヴィスを見つめる。
「僕がいない間、君はまた美しくなったね。急に僕が帰って来たから戸惑ってるのかな? 大丈夫かい?」
シラの頬に添えられていたジュノヴィスの手がゆっくりと首元を撫で鎖骨を通り、肩に掛かった髪の毛へと延びる。そして緩く編み込んだ三つ編みと赤いリボンを掴むと、まるで手の甲にキスをするかのようにそっと唇を軽く当てた。
そんなジュノヴィスの行動をレインは冷ややかな顔で睨み付けていた。
「なんだ? ライバル登場ってか?」
ヤマトは苦笑いをしながら、嫌悪感隠し切れていないレインに声を掛けた。
「そんなんじゃないだろ」
そう言いながらも、あからさまに嫌がるレインの態度を見てヤマトは肩をすくめる。
そしてわざとらしく「どっこいしょ」と声を出しながら立ち上がると、ジュノヴィスの元へと向かい深々と頭を下げた。
「お初にお目に掛かります。ジュノヴィス中尉。自分は中界軍第七番隊ヤマト中尉です。そしてあちらがレイン少尉」
その言葉にレインはその場に立つと、ジュノヴィスに向かって敬礼をして見せる。
「今後、ともに行動することが多くなるかと思いますが、よろしくお願い致します」
ヤマトの営業スマイルに対し、ジュノヴィスは醜いものを見るかのような目で二人を睨む。
「中界軍……人間の成り上がり風情が大きくでたものだな。姫の御前に立つことも本来は許されぬ身分であるぞ」
「はい。心得ております。今も姫様のご厚情賜り、我らは生きながらえております」
「ふん。汚らわしい……」
「申し訳ございません」
「シラ、騎士階級の就任の儀はまだ先だろう? こいつらを解任できるようにおじい様に取り計らってきてあげるよ」
ジュノヴィスがそう言ってシラに向かって声を掛ける。しかし、シラはその言葉に何も返事をしなかった。代わりにヤマトがジュノヴィスに向かって営業スマイルを見せながら話しを続ける。
「ですから、姫のご判断で我らはここにいるのです。ダスパル元帥や元老院の許可も頂いております」
「シラ、それは本当かい?」
ジュノヴィスはヤマトの説明に驚いた声を上げる。そんな彼にシラは無言で頷いた。
「ですから、我らはこうして午後のお茶を楽しんでおりました」
「お茶……を?」
「はい。お茶を」
「シラが? 僕以外の男と? お茶を?」
彼は戸惑いの表情で、それぞれの席に置かれているティーカップを眺めた。
そんなジュノヴィスの動揺した姿を見て、ヤマトは営業スマイルから悪だくみの表情へと変わる。
「そうですよ? いつもしています」
「いつも?」
「はい。そこにいるレインはよく姫とテラスでアフタヌーンティーを楽しむんですよ」
ヤマトの言葉にレインは慌てて余計なことを言うな!と目で訴えた。
しかしヤマトは現状を楽しんでいるのだろう。嬉しそうに笑うと、レインにウインクをして見せる。
「おっと失礼! ジュノヴィス中尉は姫の許婚ですから、そんなこと関係ありませんでしたね」
「関係あるに決まって……!」
ジュノヴィスは顔を赤くし怒鳴ろうと声を発した。しかし、ヤマトがそれを遮るように続ける。
「この世界を統べる最神の血族を守っていくお方が、まさかそのような些細なことに目くじらを立てることはないでしょう?」
ヤマトの言葉にジュノヴィスは反論出来ず口をぱくぱくとさせる。。その間もヤマトはニコニコと笑顔で見ていた。
「我らがどうして熾天使の騎士になったのか、理由も知らずに解任させるなどと、そんな心の狭い男など姫には似つかわしくないですものね~」
「あ、ああ。そうだな……」
ジュノヴィスは納得したように頷いた。
「姫様は中界軍だから、転生天使だからという理由で我らを蔑んだことはございません。もちろん中尉殿もそんな男ではありませんよね? なんていったって、この世界のトップの御方の許婚ですもん……ね?」
そう言ってヤマトはジュノヴィスに向かって首を傾げた。
「そ、それはもちろん。もちろんだとも!」
「では、そろそろお時間では? おじい様にお会いして、現状を知るべきではないでしょうか。それが姫を喜ばせる最善だと思いますよ?」
「そうだな!」
目の前の策士にどんどん乗せられている事にも気づかず、ジュノヴィスは何度も頷く。そしてシラの方を向くと彼女に満面の笑みを見せた。
「シラ、夕食は僕と取ろう。それまでにはここに戻るよ」
「…………」
シラは何も言わずジュノヴィスをただ見つめている。
「ああ、いつもの君になってくれたね。ありがとう」
ジュノヴィスはそう言って微笑むと、颯爽と部屋を後にした。
ヤマトはジュノヴィスが開け放たれたままの入り口の扉と、それを睨むレインの顔を交互に見る。
そして「いやはや。楽しくなってきたな」と小さい声でボソリと吐いた。
◇
それから数時間後。ジュノヴィスが箱庭に帰って来たので、約束通り夕食を取ることになった。
しかし、彼が「転生天使と同じ席に着くなど考えられない」と、全員での食事を拒んだ為、レインとヤマトの席は用意されず、部屋の端に待機させられる事になる。
そこで貴族階級であるシラ、ジュノヴィス、エレクシア、サンガの四人での夕食となった。
食事中、話しをしているのはジュノヴィスだけで、エレクシアとサンガは一言も話をすることはなく、シラも顔を伏せ気味に静かに食事をしていく。
そんな冷え切った雰囲気など気にすることなく、ジュノヴィスは嬉しそうに自分の英雄伝を熱く語っていた。
あとからエレクシアが説明してくれたのだが、彼が参加する食事はいつもあのような感じになるらしい。
――それにしても酷い食事風景だった。
ヤマトはそう思いながら、暗くなりつつある渡り廊下を歩き自室に向かった。
程なく歩くと進行方向に明かりがを見つける。
ヤマトはそんな明かりを見て「ん?」と、目を細める。
どうやら渡り廊下の端でランタンに明かりを灯し晩酌をしているレインのようだ。
薄着の私服に着替え、廊下に腰掛ける彼にヤマトは溜め息をつく。
そして近くまで来るとレインに声を掛ける。
「もう飲んでるのか?」
レインはヤマトを見上げ「まあな」と答えた。
レインの横にはナッツ系のつまみが置いてある。
「どっこいしょ」
そう言ってヤマトはつまみの隣に腰かけた。
レインの近くには半分以上飲み干されているウィスキーのボトルが置かれている。
「まさかとは思うけど、お前もうこんなに飲んだのか?」
「まあ~な」
レインの返事にヤマトはやれやれと肩をすくめた。
相変わらずの豪酒だ。いくら飲んでも顔色ひとつ変えないレインの飲みっぷりには毎回呆れる。
「じゃ、俺はハイボールで」
「そんなのできるわけないだろ」
「だよな~」
レインはあらかじめ用意してあったロックグラスに指を近づけると能力で氷を作り、ウィスキーを注ぐ。
そして「ん」と短く声を掛けヤマトに差し出した。
「サンキュ」
ヤマトはそれを受け取り、二人は軽く乾杯する。グラスの中の氷がカランと音を立て揺れた。
「…………キッツ!」
ヤマトは潤したはずの喉に熱さを覚え、思わず声を上げる。
「お前、よくこれをロックでガブガブ飲めるな」
「そうか? 美味いぞ?」
レインは何食わぬ顔でナッツを口に入れると、グラスに注がれたウイスキーを一気に飲み干し、空を見上げた。
ヤマトもウイスキーを口にしたが喉の熱さに眉間にシワを寄せる。そして同じように目の前の空を仰いだ。
そこには大きく光る月が見えている。
「……今日は慌ただしい一日だった」
レインがぼそりとつぶやいた。
ヤマトは「全くだ!」と同意しながらナッツを口に放り込むと、それをウイスキーで流し込む。
そして一呼吸置くと「どう思う?」とレインに声を掛けた。
「どうって?」
ヤマトの質問に質問で返しながら、レインは空になったグラスにウイスキーを注いだ。
「巫女の話だ。世界を変える力。本当にそんなもの俺達にあると思うか?」
「さあな」
「それに、ジュノヴィスが帰還するギリギリのタイミングでの呼び出し。あいつは世界の理や予知された災いに関係ないって事で間違いないと思うんだが」
ヤマトの話を聞いたレインはあからさまに不機嫌そうな顔をして、新たに注いだウイスキーに口を付けた。
その態度にヤマトはレインの顔を覗き込む。
「あれ? お前やっぱり気にしてるの?」
「…………何が?」
「シラの許婚のジュノヴィス坊ちゃん。気に食わないんだろ?」
ヤマトが質問すると、レインは「別に……」と言いつつも苦い顔をしていた。
そのあからさまな態度にヤマトはにやけた顔を隠せなくなる。
レインはそんなヤマトの顔をじとりと睨んだ。
「天界の姫様だぞ? そういうのがいてもおかしくないだろ?」
その言葉にヤマトは「まあな」と答えつつ、もう一口ナッツを口に入れた。
「だから別に気にしていない」
「へ~なるほどなるほど。で?」
ヤマトの興味津々な様子に、レインはさらに目を鋭く睨む。
そんなレインの態度を気にせずヤマトは促すように「続けて、続けて」と微笑んだ。
レインはヤマトに文句の一つでも言おうと口を開けたが、いくら言っても意味が無いとそのままグラスに残っているウイスキーを飲み干した。そして、空になったグラスを眺めながら大きく溜め息をつく。
「俺は別に、彼女と恋人になりたいとか、将来伴侶に、なんて考えてないさ」
レインはそう言うと眺めていたロックグラスにウィスキーを注いだ。
そのままヤマトのグラスにも注ぐ仕草をする。しかしヤマトはグラスを自分の手元に引き、それを拒んだ。
「続けて」というヤマトが言うと、レインはウィスキーのボトルを静かに置き続きを話し出す。
「俺とシラの間にはいろんな障害がある。転生天使、中界軍、名乗る姓もない。そんな俺が彼女と釣り合うはずないだろ?」
「じゃあお前は今後どうするんだ?」
レインはヤマトの質問に、飲もうと傾けていたグラスを戻すと切なそうに微笑んだ。
「このままでいいよ。俺は彼女の側で騎士として彼女を守っていきたい」
「……」
「彼女も、彼女の守りたいこの世界も、彼女が描く理想も、俺は守っていきたいんだ。だから世界の理だとか、世界を変える力だとか、災いだとか、俺には関係ない。俺はただ、彼女の側にいられればそれで……」
レインは少し切なそうな顔をし、グラスを傾け口を付ける。
「お前ってさあ……」
ヤマトは少し呆れた顔でレインを見た。
「もっといろいろあるだろ?」
「何が?」
「いや、あんな男に自分の愛した女性を取られて悔しくないのかよ」
「う~ん、そう言われるとなんと言っていいか困るが……。仕方ないだろ?」
レインの返答にヤマトは深い溜め息をついた。
「お前のそういうところ、もう少し何とかならないのか?」
「何が?」
「だからさ!」と、ヤマトは思わず声を上げた。
「お前はもっと欲深く生きろよ!」
レインの顔を見つめ、ヤマトはさらに強い口調で話しを続ける。
「欲深く?」
「何でもかんでも流れに身を任せ過ぎだ!」
「そう……か?」
「そう!」
突然声を荒げるヤマトにレインはたじろぐ。
「や、ヤマト……酔ってないか?」
そう言われヤマトははたと気付き、飲み干したグラスを見つめた。
「いや、そういうわけじゃないんだが……すまん」
柄にもなく熱くなってしまったてしまったとヤマトは深呼吸をした。そしてもう一度レインを見つめる。
「レイン、俺は貪欲な天使だ。俺みたいになれとは言わない。けど少しは自分を出せよ。じゃないと……」
そこで言葉を詰まらせる。そんなヤマトを見てレインは首を傾げた。
「いや、いい」
ヤマトは大きく溜め息をつくと、グラスをその場に置いて立ち上がった。
――こいつには辛い過去がある。人間の頃にも軍人の頃にも。だからこういう性格になったのは分かっているつもりだったけど……。
こうもあっさりしているレインの言動にヤマトは不安を覚えた。
「ごちそうさま。もう寝るわ」
「お、おう」
急に立ち上がるヤマトを見上げ、レインは拍子抜けした声で答える。
ヤマトはそんなレインに笑って見せ、自室に向かって歩き出した。