第5章 3幕
ヤマトは明るい日差しが入り込むシラの書斎を見回した。
いつもと変わらないその部屋に安心感を覚え、自然と笑みが溢れる。
しかし、部屋の先にあるテラスから見えるスカイブルーの髪の背中を見て、大きく深呼吸をすると気を引き締めた。
「シラ」
声を掛けるが、彼女はこちらを振り返りはしない。
それをわかっていたヤマトは今度は大きなため息をつき、彼女の元に歩きだした。
「ヤマト熾天使。お帰りなさい」
そう言って現れたのはサンガだ。ヤマトは「ああ、ただいま」とだけ言い微笑む。
サンガはその微笑みの意味を理解したのか、軽く会釈をすると自然と席を外すように歩き出し、奥の部屋へと消えていった。
そんなサンガとすれ違い、ヤマトはテラスに足を踏み入れる。そして彼女と目を合わせることなく、片膝を付き頭を下げた。
「最神、失礼したします。しばしお時間をいただけますでしょうか?」
ヤマトの言葉にやっとシラが反応し、読んでいた本をパタリと閉じる。
「はい。ヤマト熾天使元帥。話とはなんでしょう?」
冷たい言い方はいつものことだ。ヤマトは胸に手を当てて顔を上げる。
シラの表情は冷たく、鋭い。
あの日から彼女はいつもこの調子だ。きっと今でもヤマトのことを恨んでいるのだろう。
彼をあんな風にしたのはヤマトだ。あんな策を考え実行したヤマトを恨んでも仕方がない。
そして、あの場であのような判断を下した彼女自身もまた、自分を恨み悔やんでいるのだろう。彼をあちら側に行かせたのは自分だと……
ヤマトはそんなシラの苦痛な顔を見て、あのお方と同じだと思った。そんな安心感からだろうか少し口元が緩む。
しかし、すぐに表情を戻すと目の前の主君に向かって口を開いた。
「しばしこの城を離れようと思います。その許可を」
「城を? この時期にあなたは城を離れようとするのですか?」
「はい。自ら赴かねばならぬ場があります。そこに向かおうと思うのです」
「……」
シラはヤマトの瞳を鋭く見つめる。ヤマトはそのまま彼女の顔を見つめ返した。
「それはどこですか?」
「今はお伝えできません、しかし帰還し全てを手に入れた後に必ずご報告したします」
「私には言えないと?」
「はい」
「なぜ?」
「…………」
「なぜかも言えないと?」
「はい」
ヤマトはそのまま頭を下げる。それ以上は何も話すことがないからだ。
ヤマトの魂の中にセラフがいることは彼女には伏せている。それを知ればシラはもっと過去のことを知りたがるだろう。そして自分と彼の過去も。
それはどうしても避けたかった。
あの惨劇を自分の口から彼女に伝えることはできない。そう、あの過去を……
そして自分の中で欠けている記憶や感覚を取り戻すまで、この力や記憶を頼るわけにはいかなと思っている。だから、今回シルメリアに赴くことを決断した。
今のヤマトはセラフの全てを取り戻したわけではない。不確かなものに縋りながらではこの先の戦争には太刀打ちできないと考えている。力も記憶も取り戻し、全てを手に入れるまではセラフを名乗るわけにはいかない。
そう思いながらヤマトは頭を上げた。そしてこのままここにいてはいけないと立ち上がり、シラへ一礼すると部屋を去ろうとする。
「ヤマト……」
部屋から出ようとするヤマトの背中に声が聞こえる。振り返ると、そこにはこちらを向いて辛そうにするシラの姿があった。
「…………」
無言のままこちらを見つめる彼女にヤマトは微笑む。そしてもう一度軽く会釈をして、シラに背中を向けるとそのまま部屋を後にした。
鼻を啜りながら涙を拭き、ポルクルは隣に座る青年に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいや、もういいのか?」
そう声をかけられたポルクルはこくんと頷いた。
「久しぶりにこんなに泣きました。お恥ずかしい」
「恥ずかしいことではないさ。辛いことがあったのらどこかでその感情を解き放たねば、ずっと心の中で渦を巻いてしまう。だからこういう時間も大切さ」
青年はニカッと歯を出し笑う。
「俺の名前はトール・ニルソン。親衛軍第十一部隊所属の大尉だ。君は?」
トールはポルクルに右手を差し出しながら質問する。
ポルクルは一瞬躊躇しつつ握手をした。
「ポルクル……です」
苗字も自分の階級も彼に伝えることをためらってしまい名前だけをぽそりと吐いた。今の自分を伝えてしまうと、彼との距離が離れてしまうのではないかと思ったからだ。
ポルクルの考えをよそにトールは嬉しそうに握手をすると「ポルクルか、いい名前だな」と笑った。
「俺のことはトールと呼んでくれて構わない。話し方も崩してくれ」
「いいんですか?」
「いいに決まってる。こんなところで会ったのは何かの縁だ。それに、こんな城の中枢まで入れるということは、君の貴族出の者なのだろう? 仲良くしてくれポルクル」
彼の明るい笑顔にポルクルも思わず笑みが溢れる。
「なんで泣いてたんだ? 何か辛いことでも?」
「あ、うん。昔のことを思い出してしまって。兄がいたんだ、双子の」
「双子の兄君が?」
「うん。二年前の天界襲撃事件で……悪魔に殺されてしまったけど」
そう話すポルクルを見てトールは切なそうな顔をした。
「いつも一緒だったんだ。家を出てこの城に来てからもずっと。なのにあの時、僕だけが別行動をしたんだ。それで、次に再会できた時にはもう」
「そうか、辛い過去を聞いてしまった。すまない」
トールの言葉にポルクルは首を振る。
「今の世で家族を亡くしている人は多いし、僕だけが辛い訳じゃないよ、だから大丈夫」
「しかし……」
トールは一瞬言葉を詰まらせて、目の前をの庭園に目線を向ける。
「俺は襲撃事件の後に今の部隊に所属されたんだ。あの時に亡くなった隊員の補充……だな。それまでは基地で雑務ばかりこなしていた。親衛軍は上部では階級を重んじるなんて言ってるが、俺みたいな下級貴族は損な役回りで終わることが多い。だから、親衛軍の上層部や城内警備の連中が戦死して、一気に繰り上がりになった時、かなりの下級貴族たちが喜んだんだ。そんなことを喜ぶことはいけないと思いながらも、俺だって心の片隅ではそんなことを考えていたと思う。だから、ポルクルの話を聞いて、反省した。すまない」
「トール……」
ポルクルはもう一度首を振る。
「なんというか、君は素直だね。真っ直ぐでうらやましい」
「そうか? 昔から回りくどいことは嫌いだが」
「うん、そう思う」
キョトンとこちらを向くトールを見て、ポルクルは思わず笑ってしまった。
ここ最近何かと誰かを陥れたり、蔑んだりする言葉や、戦争の緊迫した空気に当てられていたから余計にだろうか。彼の真っ直ぐな言葉にほっとした自分がいた。
「で? なんでここで、しかもそんな格好で?」
トールはポルクルを見て質問する。ポルクルはその質問に「え〜っと」と言葉を濁した。
今のポルクルは上半身は薄手の着物、膝は大きなバスタオルをかけて、少し髪の毛も濡れている。
日差しが出ているとはいえ、今の格好では少し肌寒い。
「川に落ちたんだ。あの廊下から」
そう言ってポルクルは後ろにある渡り廊下を見た。
「あそこから? 君はえらくおっちょこちょいなのか?」
「あ〜〜ん〜〜正確に言うと落とされた」
「落とされた!? 誰に!?」
「じょ……上官に」
そこでトールは突然ポルクルの両肩を掴み真剣な顔を向けてきた。
「ポルクル君はいじめに遭っているのか?」
急にそんな言葉をかけられ、ポルクルは思わず吹き出してしまう。
「あはははは、確かにそう見えるかも」
「ち、違うのか? そんな、川に落として、しかもそのまま君を置いて消えてしまう上司など」
「そうだね、最低な人だ」
ポルクルは真面目な顔で不安そうに聞いてくるトールがあまりにも面白く、笑いながら言葉を続けた。
「あのお方は忙しいから、流石にここで一緒に替えの服が届くのを待ってくださることはないだろうな」
「そ、そんな人なのか? 君の上司は」
「うん。いつもいつもバタバタされてて、追いかける身にもなってほしいよ」
ポルクルはひとしきり笑うと大きなため息をついて膝にかけているバスタオルを見つめた。
「本当に困った人なんだ。肝心なとことはいつも秘密にして、何を企んでいるのかさっぱり分からないし。デスクワークが嫌いですぐに理由をつけてどこかに消えてしまうし、大切な会合だってのにいつもと同じ服装で出席しちゃうし、喧嘩っ早くて何かと口出ししちゃうし」
そこまで話すと、ふと言葉を止める。そんなポルクルを心配そうにトールは顔を覗き込んだ。
「ほんと、困った方なんだ……」
「そりゃあ、困った上官だ〜〜やれやれ。どんな奴か見てみたいもんだ」
急に後ろから声が聞こえ、ポルクル達は振り返る。そこにいたのは赤い手すりに頬杖を付きニヤニヤと笑いるヤマト元帥の姿だった。
「中界軍、元帥……どうしてこんなところに」
トールは驚き思わず椅子から立ち上がる。そして、鋭い目つきでヤマト元帥を睨んだ。
「転生天使の親玉が神聖な場をフラつくなど」
そう言って警戒するトールを見て、ポルクルはグッと拳を握った。彼は貴族であり、親衛軍の軍人だ。当たり前の態度なのに、心が痛む。
「おお、今度の親衛軍はさっきのよりも威勢がいい感じか? ポルクル、お前の知り合い?」
「閣下、いつからそちらに? 盗み聞きとはひどいじゃないですか」
「ついさっきだよ。たまたま聞こえちまっただけ、悪かった」
ヤマト元帥は手すりから手を話すとニヤリと笑い手を振る。
そんなヤマトの後ろから猛スピードで誰かが向かって来るのが見える。その人影はヤマトの後ろを走り抜け、庭に続く階段を駆け降りるとポルクルの前で止まった。
「新しい軍服をお持ちしました中佐!!!」
そう大きな声をあげてお遣いに行っていた親衛軍の男はポルクルに黒の軍服を差し出した。
「せ、先輩!?」
目の前で頭を下げつつポルクルに服を差し出す男を見てトールは驚いた声を上げる。その声に男は青ざめた顔をしてトールを見た。
「トール、なんでここに……」
「先輩がなかなかお戻りにならないから探しにきていたんです。にしてもどうして」
「そ、それは……」
そこでヤマトが「おーい」と声を上げる。
「話が混み合ってる感じだな。俺は基地に戻るから、ポルクルはゆっくりしたらいい」
「な、何をおしゃってるんですか!? 僕も……」
ポルクルはマントを翻しながら背を向け歩き出すヤマト元帥に追いつこうと椅子から立ち上がる。しかし、目の前に差し出された服に阻まれてしまった。
仕方がなく、その服を受け取り、代わりに膝にかけていたバスタオルを男に渡す。
「ありがとうございました。このバスタオルを彼女に返しておいていただけませんか?」
「はい。承知いたしました」
男はそのまま先程と同じように猛スピードで走り去り消える。そんな男を見送り、ポルクルは大きなため息をついた。
トールはポルクルが持つ服を見つめて「それは?」と言葉をこぼす。ポルクルは彼の反応に、もう隠すことはできないな、と軍服を羽織って見せた。
「僕は、中界軍ポルクル・プリュッツマン中佐。ごめんトール、騙すなんて気はなかったんだ」
「プリュッツマン家。元フィール元帥の付き人であり、転生天使にはぶらかされた恥知らずの没落貴族」
「僕そんな言われ方されてるんだ。知らなかったな」
ポルクルは笑って見せつつ、黒の軍服を整えた。そしてトールに向くと、「ごめんね。話ができて楽しかった」と伝えた。
そのままトールの横を通り過ぎようと歩き出す。すると、ポルクルの腕をトールが握った。
「さっき話していた、君を川に突き落とした上官というのはあいつのことか!?」
「え?」
「先ほど話していたことは全て! あいつなのか?」
「あ〜〜うん。そうだね」
ポルクルの返事にトールはショックを受けた表情をして、握った腕を離す。そして数歩フラフラと後退りをすると、怒りに満ちた表情を見せた。
「あんな下等生物の下で働くことなんてない。ポルクル、今からでも親衛軍に帰って来るんだ」
「ごめん、そういうわけにもいかない事情があるんだ」
「事情!? それはなんだ! 君をそんな風に扱って、あんなに嘲笑うなんて……許せない!」
力強く叫ぶトールを見てポルクルは寂しそうに微笑む。そんなポルクルにトールはますます声を荒げて怒った。
「君はきっと騙されているんだ。中界軍の……転生天使なんていう者に関わってしまったから、きっとおかしなことを吹きこまれてしまっているだけなんだ。何か弱みを握られているなら俺が力を貸す、だからこちらに帰ってこい。君があいつなんかの下に就く必要などないだろう!?」
その叫びにポルクルは首を振り歩き出した。
「ごめんねトール。またどこかで会えたら……って、中界軍の僕と話をしているだけでも君にとってはあまり良くないよね。今後は関わらないようにするよ」
そう言って、ポルクルは廊下に上がる階段を上がり、黒マントの後を追いかけその場を後にした。
「あんな優しい子をたぶらかし、兄の死を嘆く暇もなく戦場に向かわせる……そんな、そんなの許される訳がないだろう。許さない。俺が、俺が……」
一人残されたトールは拳に力を入れポルクルの背中を見つめる。そして小さく最後にこう言葉をこぼした。
「俺が、君の目を覚めさせる。正義を持って君を」
ヤマトは城内を歩きながら中界軍の基地へと向かう。後ろを振り返るがポルクルは追いついていないようだ。
「さて、あいつに追いつかれるとまた事務処理をしろとぐちぐち言われかねないからな〜」
そう独り言を吐きながらヤマトはいつもと違う道に機動修正をした。帰る道を変えればポルクルに追いつかれることもないだろう。
すると、目の前の曲がり角に見覚えのある背中を見つける。
「エレア?」
ワインレッドのポニーテールが揺れる。すぐにエレクシアだとわかるその背中に、ヤマトは声をかけた。
この先一ヶ月ほど、城を留守にする。そのことを彼女にも伝えるべきだろう。
エレクシアは一瞬こちらを見るが、急いで曲がり角を曲がってしまう。明らかに避けているようなそぶりだった。
「なんだ?」
ヤマトは彼女の背中を追いかけその角を曲がった。
そこは日の光が入りにくい道で、人気もない。彼女の背中が何かを恐れて逃げているように感じたヤマトは思わず走り出し、そのまま腕を握った。
「エレア!」
腕を掴まれたエレクシアはその場に立ち止まる。しかし、こちらを向うとしない。明らかにおかしい彼女の態度にヤマトは不安になりもう一度「エレクシア?」と声をかけた。
「離せ。私に構うな」
弱々しい声でエレクシアは話す。いつもとは違う弱りきった声の彼女にヤマトは驚きつつもその手を離さなかった。
「どうした? 何かあったのか?」
「いいから、今はお前に……会いたくない」
「どういう意味だよ。何かあったのなら」
「何もない! ないから!! だから……お願いだ」
エレクシアは急にヤマトの腕を払い退けようと腕を降った。しかし、ヤマトの方が力が強いため振り解くことができない。
「私は……選べない! 大切な家族なんだ。なのに、お前を……私は」
「なにを言ってるんだ!? おい! エレア」
ヤマトは力強く腕をこちらに引っ張る。すると下を向いていた彼女の表情が見えた。
「エレア、泣いてるのか?」
エレクシアはその言葉にヤマトを見つめる。目は真っ赤に腫れ上がり、頬には涙か流れていた。
「ち、違う! これは!!」
急いで袖で涙を拭こうとするエレクシアだが、彼女の目からは次々と涙が流れる。
エレクシアはボロボロと涙を流しながらヤマトを見ると握られている手に自分の手を添え咽び泣いた。
「私は……お前を殺すことなんてできない。そんなことを企てながらお前の隣にいることなんてできない。だから、だからお前に会ってはいけなかったんだ。計画がお前に知られてはいけなかった。だから……避けてたのに」
声を振るわせながら訴える彼女にヤマトは驚き、一瞬動きを止める。
数秒の間を置いた後、ヤマトは大きくため息を着き「まったく……」と声を出すと、掴んでいた彼女の腕を引き寄せた。
エレクシアの頭はヤマトの胸の中に収まり、肩にマントがかかる。
「頼むから、これ以上問題事を増やすなよ」
抱き寄せたまま、ヤマトはエレクシアの頭にそっと手を置く。そんなヤマトの腕の中でエレクシアは泣き続けた。