第5章 プロローグ
「ねえ、サタン」
そう呼ばれた俺は彼女の方を振り向く。そこにいるのは空色の髪をなびかせた微笑むゼウス。
彼女に俺も微笑んで「なに?」と答えた。
空は彼女のように快晴だ。遥か遠くで雲が動き、大気が流れているのが分かる。
地には白と青の花々が咲き誇り、遥か地平線まで鮮やかな色が続いていた。
俺とゼウスが大好きな場所。何にも邪魔されず、何にも染まらないこの場所に来るのが彼女との幸せの時間だ。
俺は後ろを振り向き歩みを進める。すると犬のルークと飛龍の子ガジュルが俺に向かって飛び掛かって来た。
「うわあ! おい! お前ら、一杯遊んだだろ?」
そう言ってじゃれつく二匹を撫でながら俺はその場に倒れ込む。もぶりつく二匹は俺が騒いでるのを面白がっているようで、何度も頭をぐりぐりと押さえ付けてきた。
「もう! ほら、コレ取って来い!!」
そう言って俺は右手の中で赤い光のボールを作ると、思いっきり花畑の真ん中に投げた。
二匹はそれを追い掛けるように走り出す。
俺は面白くなり笑いながらその光景を眺め、彼女の元へとたどり着くと腰を下ろした。
「まったく……あいつらの体力に着いていけない。元気すぎる」
「あら、あなたもまだまだ元気そうじゃない?」
ゼウスはそう言って隣に座る俺に向かって微笑んだ。
「もうくたくただよ。少し休憩」と、俺はそのまま花畑のなかで寝ころんだ。
隣にいるゼウスが俺の広がる赤髪を撫でる。
そんな彼女の手の温もりに俺は目を細め、幸せを感じた。
「で、何を言おうとしていたの?」
「ううん。大切な話って訳じゃないの」
彼女はそう言って首を振る。
「君が話すことは何でも聞くよ。何か悩み?」
「……そうね。悩みなのかしら……それとも我儘かも」
ゼウスはそう言って少し申し訳なさそうに頷く。
「なに? 言ってみてよ」
俺がそう話すとゼウスは空を見上げながら「じゃあ、少しだけ」と話を切り出した。
「私は何も無い空間からこの世界を造ったわ。あなたやイヴも巻き込んで。そしてそれぞれの血族も地に降ろし、生活させた。血族達が子孫を残し繁栄していくのを見守るのはとっても楽しい。世界が目まぐるしく動くのを見るのも」
「そうだね。彼らがどんどん街を造り、世界を創造していくのを見守れるのは俺も好きだよ」
「うん。けど一番失敗したのはその血族に寿命を作ったこと。老いていく身体を造り、朽ちていくのを見届けるのはとても辛いわ。何万年、何千年、それを見続けるのはとても辛い」
「けど、それを君は悔やんだから魂の循環を作ったんだろ?」
「そう。記憶を失ってもまた同じように笑い合えるように世界を造ったわ」
そこまで話し、彼女は口を紡ぐ。俺は起き上がり、ゼウスの顔を見つめた。
「それで?」と、俺が声を掛けると彼女は一瞬瞳を濁し息を吸った。
「けどね。最近思うの。その失敗はとても素敵な事なんじゃないかって」
「どういうこと?」
「終わりのある生き方がね……羨ましくなったの。限りある人生を精一杯生きる血族達を見たらね、命の輝きがすごい素敵に見えたの」
「なるほど」
俺が相槌を打つと、ゼウスは困った顔をした。
「こんなこと、世界の創造主が考えてたら駄目よね」
「ダメじゃないよ。長い年月の中で思想が変わるのは当たり前さ。君は血族達を見てそう思った。それはきっと素敵な事だよ!」
俺はそう彼女の不安そうな顔を覗き込むように声を掛ける。
「けど、そうだな。セラフが聞いたら怒るかもな」
「そう……よね」
ゼウスは俺の付け加えた言葉に寂しそうに微笑んだ。
「歳を取るって素敵なことだと思ったの。成長する喜びも、老いていく寂しさも……私が失敗したと思っていたことが最近羨ましいの」
彼女の悩み。それは俺にとってはいまいちピンとこなかった。
俺はいままで彼女の隣にいれて幸せだったし、いつまでもゼウスと一緒にいたいと思っている。永遠に彼女の隣で笑い合っていたいと思う。
けど、彼女はこの世界を見て、この世界で感じて新しい気持ちになった。それは喜ぶべきなのだろう。
けど……。
俺は目の前に広がる青空を眺めながら彼女の想いを考えた。
「君の瞳の中にいるみたいだ」
そうボソリと口に出すと、サタンは少し驚いたような顔をし、その後に嬉しそうに笑った。
そんな彼女の笑顔が俺は好きだ。真っ赤になる頬も下がる眉も。
「そうだ!」
俺は声を上げ、目の前の青い花を摘み取ると彼女に差し出す。
小さな野に咲く青い花。その花を見つめ彼女は不思議そうに首を傾げた。
「今日から俺達も歳を取ろう。見た目や老いは変わらないかもしれないけど、今日から毎日この日をお祝いしようよ!」
「今日をお祝い?」
「うん。血族達のお誕生日みたいに。俺達も一年ごとにこの日をお祝いするんだ。今日は君の一歳の誕生日! だから俺はこの花を贈るよ」
俺はそう言いながら彼女の左手を握り、薬指に結ぶ。
「そして、来年は二本の花を贈る。再来年は三本。毎年お祝いするだけの花を君に送る。そして歳を取る喜びを感じよう。その為に俺は花を育てるよ。毎年この時期に咲く花を。そして何年もそれを続けていく。そしたらどんどん花も増やさないと。今までみたいに何千年、何万年と君の側にいる。君の為に花を増やして、そしてこの世界を花畑にしよう!」
手を握りながら話す俺にゼウスは思わず笑いだす。
「君の考えとは少し違うけど……ダメかな?」
「いいえ。とっても素敵だわ。嬉しい。私は今日一歳になったのね」
「うん。ゼウス、一歳のお誕生日おめでとう!」
ゼウスははにかみながら俺の手を握り返す。
「ありがとう。嬉しい……」
「よかった!」と俺は思わずゼウスを抱きしめる。その反動で彼女はドサリと花畑の中へ倒れ込んだ。
彼女の顔を見つめ「大好きだよ、ゼウス」と言うと、「私もあなたのこと大好きよ、サタン」と彼女は言った。
そしてゆっくりと近づき優しく口づけを交わす。
幸せが溢れる。この幸せはきっと永遠だろう。そう、これからもずっと続く永遠……。
唇を放しクスクスと笑い合う二人に、どこからかクラクションが鳴らされる。
俺は起き上がり辺りを見回した。
少し丘になっている場所に黄色の車が見える。その持ち主はこちらに手を振りながら「おーい!」と叫んでいた。
「サタン、ゼウス! いつまでここにいるんだい。定例会議の時間だよ!」
「ごめんイヴ! すぐ行く!!」
金色の髪に赤い眼鏡の人間王イヴ。彼女は少し呆れたようにこちらを見ている。
「ゼウス行こう!」
「うん」
俺はゼウスの手を取り立たせると、イヴの方へと歩き出した。
今日も青い空が世界を覆っている。世界に幸せが満ちている。
世界歴一万二千年。世界にはまだ悪という言葉の無い時代。そう、全てが善で出来ていた。
それが壊れるのは世界歴一万二千二十年。彼女の二十歳の誕生日の出来事だった……。
――BlueSkyの神様へ――
第五章ノ壱 地下界魔王編