第4章 38幕
「よかったのですか?」
ポルクルは青空を飛んでいく若草色の髪を眺めながらそうつぶやく。
「何が?」
鏡の撤去を行う兵達を見ていたヤマトはあっけらかんと質問した。
「あまり深く話しておられないんでしょう? もう少し今の現状や政界のお話をしておかなけらばならなっかったのでは?」
「ん~~。あいつはいろいろ聞いた分だけ悩むからな。あれぐらいでいいんだよ」
「そういうものですかね?」
「そういうもんなんだよ」
ヤマトはもう見えなくなった彼を見ながらニヤリと笑う。
「ま、もし間違ったことをするんなら、昔と同じように俺があいつを殺すだけさ」
「そんな簡単に言わないでください」と、ポルクルはこちらを睨む。
「そうなればあなたを守るのは僕なんですよ。あの人を敵にしていては片羽をもっていかれるぐらいでは済まされない」
「へえ、言うようになったな、ポルクル」
むくれたポルクルの頭をグシャグシャと撫でまわす。
「ッちょ! 辞めてください!!」
嫌がるポルクルの頭を撫で終わると、笑いつつ空を見つめる。そして大きく深呼吸をした。
「そんな未来にしたくないけどな。こればっかりはあいつ次第だ。あいつの魂がどこまで持つか……それは俺にも分からない」
どこか遠くを見つめるようなヤマトをポルクルは不思議そうにのぞき込む。
「だから……サタン、あいつを飲み込んでくれるなよ」
春の風がヤマトのマントを揺らし、やがて空に溶けた。
人間遺跡の中は機械の熱気で、まるでジャングルの中にいるような錯覚に陥る。
ルイは壁に寄りかかり刀の柄を撫でゲートを見つめた。
その足元には寝息を立てているミネルとフロレンス博士がいる。二人ともリリティに盛られた睡眠薬でぐっすり眠っていた。
ゲートの足元でリリティがブツブツと独り言を吐きながら機械をいじっている。何か不具合でも起きているのだろうか。レインがゲートを通過してから数時間経つが、あれからずっとあの調子だ。
コハルはそんなゲートの正面に膝を付き、頭を垂れて目を瞑っている。祈りを捧げているようだ。彼女もレインが消えてからずっとあの調子だ。
ルイは大きく溜息を付いて刀の柄を撫でながらその光景を眺めていた。
そんな時だ、翼をはためかせる音が聞こえ、ゲートの向こう側から人影が見える。
「レイン様!!」
コハルはその人物に立ち上がり近寄った。
息を切らせながらゲートをくぐってきたレインは、コハルの近くまで歩くと「現状は?」と聞く。
「俺達も分からない。ずっとここにいたからな」
ルイの言葉にレインは「そうか」とだけ言い、辺りを見回した。
「リリティ」
「はい」
鋭い声にリリティは彼の前に跪き、頭を垂れる。
「ゲートを開けろ」
「と……申しますと?」
「あいつをここに連れて来い。天界軍を牽制したいと伝えろ」
「そ、それでは……ご決断なされたのですか?」
リリティの言葉にレインは答えなかった。しかし、彼女はそれだけで察したらしい。胸に拳を当て、「今すぐに」と言った。
そんなレインにコハルは不安そうな顔を見せる。
「レイン様……」
「ごめんコハル。心配をかけた」
「いえ、けど……」
コハルはレインの瞳を見つめ、何かを感じたようにポロポロと涙を流す。
「すべて終わったよ。だから、大丈夫」
「けど……レイン様」と泣きながら彼の胸に額を当てる。
「ごめんなさい。私、私……なんのお力にもなれなかった」
「いや。コハル……君がいてくれてよかった」
レインはコハルの頭を撫で、少し悲しそうに微笑んだ。
「君がいたから七海にも……シラにも会えた。ありがとう」
「……」
そんな彼に向かってコハルは首を振り、必死に笑顔を作る。
「もう、迷いはないのですね」
「うん。だから行くよ。ありがとう」
レインはそう言ってコハルから離れ、ルイの方に向かって歩き出した。
「で? これからどうするんだ?」
ルイの質問にレインは刀を握りながら「みんなを助ける」と力強く答える。
「どうやって? 向こうは人質がいるんだぞ?」
「分かってる。ルイ、お前はこのゲートからマーケットの広場までの道のりを全て封鎖してくれないか?」
「封鎖?」
「そう、誰ひとり入れないで欲しい」
「それってどういうことだ?」
不可思議な事を言い出すレインにルイは首を傾げた。
「それだけしてくれればいい。俺は誰も傷つけたくないんだ」
「…………」
「…………」
二人は睨み合うように目線を合わせる。レインの金色と紅の瞳の中に何かが見えた気がした。それが何か分からないまま、ルイは大きな溜息を付き「分かった」と答える。
「それで、この街が救えるならお前の話に乗ってやる」
「ありがとう。必ず、この街を守る。約束する」
「お前からの素直な言葉なんて。気持ち悪い」と、ルイは苦い顔をしてレインを睨んだ。
「さっさと行け、俺は意地でもミネルを起こして街の皆に外出禁止を言って回ってやるよ」
「ああ、頼む」
レインはふてぶてしいルイの顔を見て笑い、その場を後にした。
皆と飲み交わした酒場、稽古をした空き地。いつも買っていた揚げ菓子の店。
昨日まで賑わっていた繁華街が今は殺風景になり、人はほとんどいない。逃げ遅れた人々や、戦おうと武器を探している者が数人いるぐらいだ。
人影の少ないマーケットを懐かしく感じ歩く。目を瞑れば賑やかな商人の声が聞える。笑い合い、酒を飲み交わす人々の声が聞える。こちらに気が付き声を掛けてくれる仲間の声が聞える……。
ああ、もっとここにいたかった。そう思えるぐらい、自分はこの街が好きになっていた。このままこの街で過ごせていたら……そんな幻想に心が揺れる。
レインは永久住民の証であるバーコードが彫られた左腕を押さえ、悲しそうに笑った。
歩き続けると目の前に人だかりが見える。それは治安部隊の仲間達だ。皆が戦闘態勢で身構えたまま、広場のゲートを睨んでいた。
「遅くなった」
数名は振り向き、驚いた顔をする。
「れ、レイン!? お前なんでここに来た」
「隠れてろ! 今ここに来たら」
声を掛けられるが、レインは何も言わず、手を上げて言葉を止めるとそのまま前へと進んだ。
その動きに周りの者がどよめきつつ道を作るように避けていく。
レインは皆の心配そうな顔を横切りながら長のいる最前列にたどり着いた。
「お、お前!!」とアカギクが少しキレ口調でレインを睨む。
「どうして来た! ルイは!?」
「ルイには頼みごとをしてもらっている」
「で? お前の用事は終わったのか? レイン」
ライは椅子に座った状態でこちらを見上げて来る。
レインはライの隣に立つと「はい。もう迷いはありません」と答えた。
獣の瞳がこちらを見つめる。その瞳にレインは応えるように見た。
「いい目をして帰って来たな。お前の生きる……いや、死ぬ場所が決まったか」
「そうかもしれません。俺のなすべきことが見えた。なので、もうここにはいられません」
「それは残念だ。お前にはもっと俺の仕事を手伝わせたかったんだがな」とライは笑う。
「けど、そんな目をしてる奴を引き留める程、俺も聞き分けの悪い街長じゃあない」
ライは尾っぽを揺らすと前を向いた。
「はい。ありがとうございます」
レインはライに深く頭を下げた。そして大きく息を吸うと、刀の柄を握り前に一歩出る。
空が赤く燃えるように光だす。夕日が今日の終わりを示し、街を覆う。
―――この街が好きだ。みんなが好きだ。そして、この世界が好きだ。だから俺は……。
「長、マーケットから俺の部隊が着ます。けど、誰にも抜刀させないでください。意志の弱いものはこの場から離れるように指示を」
「それはどういう……」
アグニスの質問にレインは一度振り向き、笑った。皆がその微笑みに驚く。悲し気な笑みが皆を不安にさせた。
レインは皆の顔をぐるりと見渡すと、前を向きゲートの正面に立つグレーの軍服を睨んだ。
グレーの髪、黒の瞳。その出で立ちにレインは目を鋭くする。
「久しいなレイン」
ジュノヴィスはそう言ってこちらを睨む。
「日没までには姿を現したか。やっとお前の顔が見れて嬉しいよ」
「ジュノヴィス。俺はお前には会いたくなかったけどな」
一歩ずつ前に進む。その足取りにジュノヴィスは嬉しそうに笑った。
「ははは……人質の為に自らを差し出すのかレイン。この獣たちがよっぽど気にいったんだな」
「…………」
「お前ら、誰も手を出すな! 奴は僕が殺す」
「…………」
無言のまま、一歩一歩……。その不気味さに周りの者達は警戒しつつもジュノヴィスから遠ざかり、二人を見守った。
「お前の首を手土産に僕はシラと結ばれる! 彼女に相応しいのは僕だ! お前のような……お前などに!!」
ジュノヴィスの叫びが広場全体に響き渡る頃、地響きのようなものが聞こえ始める。その音はマーケットの方からだ。
急な地面の揺れに、周りの者が怯え始める。そしてただならぬ寒気に震えた。
「な、なんだ? 何が起こっている!?」
ジュノヴィスは刀を握り辺りを見回す。
その地響きがやがて足音に聞こえ始める。何かの足音。それも幾重にもそろったものだ。
レインはその場に立ち止まり、大きく息を吸うとゆっくり抜刀した。
ジュノヴィスもこちらに刀を向ける。
「レイン!! 貴様!」
その瞬間、レインは踏み込みジュノヴィスに向かって刃を突き付けた。
身体は炎を纏い、髪の毛が赤く燃える。紅い瞳は更に明るさを増し、背中の翼が大きく燃え広がる。走り込むその姿はやがて赤々と燃える火だるまになり、ジュノヴィスへと近づいた。
「ひああああああ!!!」
甲高い悲鳴を上げ、ジュノヴィスが叫ぶ。
その炎が収まると、刀が彼の首元に光る。周りの部下達が一斉にレインに向かって刀を構えた。しかし、その刃先が揺れる。その見た目があまりにも先ほどと違うことに驚きが隠せないからだ。
赤い髪、紅い瞳と金の瞳、首筋の火傷、そして……背中の悪魔の翼に一同が目を見開く。
シルメリアの治安部隊達もだ。レインの姿に驚き、声を上げた。
『呪いだ! 殺せ!!』
辺りに呪いの言葉が舞い始める。脳内に響く殺人欲求の言葉。それに皆が呻き頭を押さえた。
悪魔がその場に現れたことにより、皆がレインを殺したいという欲に襲われる。
レインはジュノヴィスの首元の刀の先を見つめながら、ぐっと歯を噛み締めた。
「すぐにこの場から去れ。でないと、俺はお前を殺すことになる」
「な……何を……」
ジュノヴィスはその場に立ち尽くしたまま、言葉が出てこない。
「城に帰って皆に伝えろ。新たな魔王の誕生を」
その場にいる全員がその言葉に息を飲む。
だが地面を揺るがす音が徐々にこちらに聞こえてきているのに気が付いた治安部隊が、驚きの声を上げ一斉に左右に動き道を作った。
そこに現れたのは白い軍服を翻し進んでくる『地下界軍』。その兵の数は何百……だろうか。
辺りに更なる呪いの言葉が渦を巻く。
『呪いだ。殺せ。敵を殺せ』
悪魔の軍勢は徐々にこちらに近づき、広場の入り口にたどり着くとピタリと静止した。
辺りが一瞬静まり返る。
天界軍、地下界軍、治安部隊。三勢力が互いの出方を見る。
そこで動き出したのは地下界軍で、マントをなびかせながらレインに向かって歩き出すと、片膝を付き忠誠を誓った。
「お迎えに上がりました。レイン魔王陛下」
頭を垂れるのは黒い仮面を付けた男。リュウシェンだ。
レインはその男に向かって殺気を帯びた目を向ける。目の前の男は嘗ての自分の最愛の人を殺した悪魔。そして愛する彼女を傷つけた男……。
憎い男を睨みつつも、ぐっと心を押し殺し、ジュノヴィスへと目をやった。
真っ青な顔をした彼から刀を下ろす。大きく溜息を付き「早く消えろ、でないとこの呪いでお前を斬り殺してしまいそうだ」と吐き捨てる。
「お前達がこれ以上この地で血を流してみろ。俺の兵がお前らを潰す。もう一度言う、すぐにこの場から去れ」
ジュノヴィスはその言葉にさらに身震いすると、何かを言い掛けたが部下を連れバルベドの街へと消えて行った。
天界軍を追いかけ、アカギク率いる治安部隊が仲間の救出に向かう。どうやら天界軍は人質を置いたまま撤退したようだ。
「なんとあっけない……」と、リュウシェンは天界軍の撤退していく様を見つめる。
「この兵力差だ。流石に戦うことはないだろう」
レインが刀を収めると炎が消えて行くにつれて髪も元の若草色へと戻っていった。
大きく深呼吸をし、その場を離れようと歩き出す。そこには嘗ての仲間達が不安そうにこちらを見ていた。
ライはさきほどと同じ椅子に座ったまま動いていない。隣に立つアグニスは少し警戒した目をしつつ、こちらを見ていた。
「流石に、こうなるのは俺も予測していなかった」
ライの言葉にレインは少し微笑むが何も言わずに横を通り過ぎる。
『殺せ、殺せ』
呪いの言葉が脳内を駆け巡る。この街にいれなくなった証拠。
互いを殺さずにはいられない呪い。同じ土地で笑え合えない呪いだ。
「レイン、お前は俺達の仲間だ。それだけは忘れるな」
その言葉を聞きながら悪魔軍を率いてレインはマーケットから撤退した。
人間ゲートへ悪魔軍が撤退を始める。その軍勢を茫然と見つめながらコハルは呪いの言葉に吐き気を感じ機械に身を預けていた。
『殺せ。殺せ』
なんと邪悪な感情なのだろう。こんなに人を憎んだ想いを心に植え付ける呪いとはいったい……。
急な不安にコハルは両手を胸の前で握るとぐっとゲートを睨む。
全ての兵が消えて行く中、最後に姿を現したのは若草色の髪の青年だった。
「レイン様!!」
声を上げ、彼に駆け寄ろうとする。しかし、呪いの感情に押され、コハルはその場に立ち尽くした。
レインを見つめる。その翼は黒い悪魔のものへと変わり、彼を見つめるだけで殺意が芽生える。『殺せ。殺せ』と彼を憎しむ感情が脳内を汚染していく。
「レイン……様?」
「コハル」
レインはこちらに気が付くが、それ以上近づこうとはしない。こちらに微笑み、それ以上何も言わなかった。
一定の距離を取りながらゲートに向かう。そんな彼にコハルは胸を締め付けられるような感覚に陥った。
呪いの言葉で吐き気が収まらない。彼を殺したくて仕方がない。
けど……それ以上に想う気持ちが胸を締め付ける。
ここで、言わなければ!
「レイン様!!!!」
声を張り上げ、コハルは彼の名を呼ぶ。
その声にゲートをくぐろうとしたレインは振り返った。
「わたし……私!!」その先の言葉が出てこない。あなたを……あなたを……。
―――お慕い申しております。
しかし、コハルはその想いを飲み込んだ。自分の想いを伝えることより、彼の行く末を祈ろう。そう思ったからだ。
「どうか、ご無事で。世界を変える力」
レインは微笑み「ありがとう」とゲートをくぐっていった。
コハルはその背中を見つめただ涙を流し、彼へ祈りを捧げることしか出来なかった。
黒いゲートを抜け、地に足を付ける。振り返るとそこにはもう人間ゲートの痕跡は消えていた。
「ありがとう、シルメリア」そう話すと息が白く溢れる。
「陛下、こちらを」と、リュウシェンは白いマントを肩に掛けてくる。ファーの付いた厚手のマントに身をくるませ、レインは新たな大地を見上げた。
そこは真っ白な雲が覆われた空……いや、雲の上には何か光る岩のようなものが見える。
「空……が無い?」
レインの言葉にリュウシェンは頷くと「ようこそお戻りくださいました。我が王。ここが、空の無い世界、『地下界』です」と微笑む。
ふと何かが目の前を舞う。それは白く儚げだ。そっと手を差し出す。掌に乗ったそれは手の温度により雫へと変わった。
「…………雪?」
冷たい大地の風が髪を揺らす。
レインはその風に逆らうように前を向き、歩き出した。