第4章 34幕
夢を……夢を見た。
妹の七海がこちらを見て笑っている。おにいっちゃんと声を掛け、いつものように微笑む彼女を俺は病室のパイプ椅子に座って見ていた。
人間の頃は武術の稽古をしてから七海の病室に向かうことがほとんどだった。いろんな武術の道場を転々としていた俺の話を七海は面白がっていつも聞いてくれた。学校でも道場でも浮いた存在だった俺の唯一気兼ねなく話せる相手。それが妹で、早く元気になって一緒に学校に通えればいいのにと願っていた。
しかし、そんな妹と一緒に登下校することは無かった。
俺が先に人間の世を去ったから……。
その時に全てを知った。妹の身体はとても脆く、いつ消えてもおかしくないものだと。死んでから知る……なんて無知な兄なのだと悔いた。
―――だから……俺は転生した。
そんな七海が笑う顔が見える。心地よい夕焼けの病室。その病室が炎に焼かれ、消えて行く。
ああ……これは夢なのだ。そう思った時には、見たこともない場所で俺は一人佇んでいた。
「七海?」
声を出す。
「レイン?」
名を呼ばれた。人間の名を捨て、天使として授かった名を。
「スズシロ?」
彼女の笑顔が眩しい。安心する。
死を経験し、苦痛ばかりの日々を変えてくれた笑顔。彼女が俺を抱きしめてくれるから……俺はここにいれた。彼女が俺に笑ってくれるから、俺も笑えるようになった。
なのに……俺は……。君を亡くしてしまった。
零れ落ちる雫のように、俺の手から君の命がすり抜けていく。
だから……だから……。
「おれは……」
「ゆめ……」
いつもの天井を見つめレインはぽつりと声を出す。
懐かしい夢を見た。最近は古き時代の夢ばかり見ていたはずなのに、今日は自分の過去の夢だった。
頬に何かが流れる。手で触ってみてそれが涙だと分かった。
起き上がり目を擦る。
「シラ……俺、君と別れて涙もろくなったよ。過去の夢を見て泣いてしまうほど」
赤いリボンを手にして微笑む。いつものうなされて起きる目覚めでないことを噛み締め、レインはリボンを伸びた髪に括った。
リンリンと玄関のベルが鳴る。
その軽い音色を聞きながらベッドから起き上がり、玄関まで向かうと簡単に作られた扉を開けた。
「お、おはようございます……レイン様」
「コハル。おはよう。どうした?」
そこにいたのは黒髪の少女だった。
コハルはレインを顔を見ると「す、すみません。起こしてしまいましたか?」と慌てる。
「いや、今起きたところ。昨日、というか……さっきまで長室でみんなと飲んでたんだ。閉幕の準備まで仮眠を取ろうと思ったら、思いのほかぐっすり寝ちゃって」
「そうでしたか。昨晩はお疲れさまでした」
「ほんと、大変な目に遭った」
謎の美女の正体を知っているのは幹部のメンバーと彼女だけだ。その恥ずかしさにレインは頬を掻く。
「で? どうした?」
「あ、はい。これを部屋にお忘れだったので」
コハルが手渡してきたのは昨日身に着けていた装飾品の一部だ。
「あ、姐さんに返さないと。ありがとう」
「はい。あと……えっと……」と、彼女は口ごもり、何かを決意したようにもう一つ別の箱を見せてきた。
「あの、朝食を……作って来たんです。よかったら……ご一緒できないかと」
そんな彼女に少し驚いたレインだが、「ありがとう、家の裏にテーブルを置いてるんだ。マーケットが見える位置にあるからそこで食べよう」と声を掛ける。
レインの微笑みにコハルは嬉しそうに「はい」と返事をした。
二人は遅めの朝食を終え、家の裏庭から見えるマーケットを眺めた。
本来は花タバコを吸う為に設置したテーブルで、コハルの会話を聞きながらレインはミールスの葉を吸い穏やかな時間を過ごす。
マーケットはカーニバル最終日とあって賑やかそうだ。坂の上から見ていても活気がある。
「今日はこのまま幹部のお仕事に?」
コハルの質問にレインは花タバコの煙を彼女に向けないよう吐ききると、小さく頷いた。
「けど夕方から準備だから少し時間があるんだ。それまでゆっくりしようと思って」
「そうでしたか。三日間、賑やかで楽しかったですね」
「そうだな。毎年こんな感じなのか?」
「はい。けど、今年はバルベドとの合同だったのでさらに賑やかでした。カーニバルがこの形で開催されてから七年目ですが、一番賑やかだったと思います」
「七年目。それまでは違ったのか?」
レインの言葉にコハルは口を付けようとしていたコップをテーブルに置く。
「はい。七年前まではこんなに大きなお祭りはしていなかったらしいです」
声のトーンを落とす彼女に、レインは煙草を吸う手を止める。
「七年前。私が丁度この街に来た頃です。レイン様は軍におられたのでご存じですよね? 七年前の天地大戦を」
「それは知ってる。地下界との全面戦争だよな。俺の所属していた中界軍が結成されたのもその戦争からだよ」
コハルはコップを両手で包み込み、ゆっくりと目を閉じた。
「当時、世界が戦乱の世にありました。このシルメリアも……。あの頃の長はそんな世界を飛び回っていました。ビーストが生きやすくするための世界を作るのを夢見て。そんな長に賛同した仲間達が反政府組織を作った。龍人族の長マルフィスの子『ライ』。世界最強と言われた長は各地で数々の反乱を起こしました」
「……」
「その頃、シルメリアは先代の長であるアレク様、長とルイくんのお父上が納めていました。アレク様はこの街をビーストの最後の楽園にしようとしておられました。ルイ君の母、人魚のフォルトゥナ様とこの街をより良いものにしようと。しかし深手を負った長がこの街に逃げ帰った時、軍にこのシルメリアの存在を知られてしまった。そして……」
コハルはそこで一呼吸を置くと、コップに残っていた紅茶を飲み干す。
「街に火が放たれた。七年前はまだ人間遺跡の調査が不完全だったんです。その為この要塞は上手く機能していなかった。そんな中での軍の襲撃……。長はその時、腕と足を無くしました」
レインはコハルの辛そうな顔を見つめる。
「放たれた炎を止めなければ、要塞の中にある居住区が全て焼き尽くされてしまう。街を守るためにアレク様はフォルトゥナ様が住む人間遺跡の中にある巨大な水槽を破壊して、水を放水する手段を取りました」
「水槽?」
「はい。人魚のフォルトゥナ様は清い水でのみ生きれるお身体。その為に人間遺跡の中にある水槽で生活されていました」
「それ……原子力発電所の貯蔵水ってことか」
レインは人間遺跡の地下に眠るアダムの周りの水槽を思い出す。
「その水槽を破壊し、街を水で覆ったのがルイ君」
「ルイが?」
「はい。人間遺跡の半分が破壊されているのはご存じですか?」
「ああ、昨日も上空から見たよ。じゃあ、あれはルイが起こした放水の傷跡……」
レインは昨日見た崖崩れを思い出す。あれが放水で出来たものだとしたら、人間遺跡はさらに大きなものだったのが感じられた。
「そうです。アレク様とフォルトゥナ様が犠牲になったあの事件から……もう七年です」
知りたかったこの街の過去。崖崩れの話の時、ミネルとルイの顔を思い出す。
「オギロッド、ベルテギウス、ジュラス」
「……え?」
知った名前がコハルの口から出たことにレインは驚き、思わず声を上げる。
「その三人です。この街を襲ったのは……」
白銀の獅子オギロッド、ガナイド地区悪魔討伐戦の参謀を務めダスパル元帥の右腕ベルテギウス、そして自分の慕っていた中界軍元帥ジュラス、その名にレインは驚きが隠せない。
「七年前の……戦争。それからこの街は変わりました。長はこの街をアレク様の理想に近づけようと必死にもがいていらっしゃる。ルイ君も過去の記憶に苦しみながら、今もこの街を守ろうと必死です。だから……私も……」
コハルはそう言ってレインに微笑む。
「私がお話しできるのはそれぐらいです。レイン様。どうか……この街を好きでいてくださいね」
彼女の切なそうに微笑む顔にレインは「もちろん」と微笑み返した。
この街の闇。そして七年前の戦争……。つらい過去を隠すように賑わう街並み。
目の前に広がるシルメリアを眺めた。
「俺は……」
そこで街の先から白い煙が見え始めているのに気が付いた。どうやら広場の中央からのようだ。
レインは口に出そうとした言葉を飲み込み、煙を見つめる。
「コハル、あれ」
「何でしょう? なにかおかしいです」
「あの場所……バルベドのとのゲートじゃないか?」
「かもしれません。問題が起きているのでしょうか」
「なにか……嫌な予感がする。行こう」
「はい」
二人は立ち上がるとゲートに向かって走り出した。
紺色の尾がユラユラと揺れる。その揺れは喜びを表しているわけではない。今回は苛立ちを表現しているようだ。
目の前に揺らめく尾を眺めながら、クレシットとアカギクは大きな溜息を付いた。
「まだ昨日のこと怒ってるのか?」
アカギクがそう声を掛けると、エルドラドは耳をヒクヒクと動かしながら「別に」と答える。
「あれはお遊びです。決して緑色が逃げたことに腹を立てているわけではありません。逃げるターゲットを追いかけるゲームなのですから、彼がああいった行動を取ったのは間違いではない」
そんな彼の不服そうな顔に、クレシットとアカギクは大きな溜息を付いた。
目の前に佇むゲートは今は調整の時間だ。座標を整える為、何色かに揺れ動き上手く機能していない。一日に一時間、程互いのゲートの微調整をし今はバルベドとの繋がりを絶っていた。
その調整がもうすぐ終わりに近づいている。三人は専門家達を見つめながらゲートの開通を待っていた。
「で? 今度は幹部二人がこちらを視察されるのか?」
エルドラドの質問に二人は嬉しそうに笑う。
「お前らばっかりこっちに来てるのは面白くないからな。俺達もそっちの街の様子を見ておこうと思って」
「ライはあの身体だからあまり身動きを取りたがらないんだ。だから俺達が代理ってわけ」
「なるほど……では、私が街を案内しましょう」
そんな話をしているうちに目の前のゲートが光出す。どうやら調整が終わったようだ。
「でも、お前も物好きだな。カエルのおっさん、けっこう気難しそうなのによく一緒にいれるよ」
アカギクの失礼な言葉にもエルドラドは動じることなく鼻で笑う。
「バエーシュマ様は街に対しての愛が少しひねくれているだけだ」
「ひねくれてるねえ~」
「私が天界天使達の迫害から逃げている中、バルベドにたどり着いた。その時に私の居場所を作ってくれたのがあのお方なのだ。だから……周りに何を言われようと、私はあのお方の御側にいようと思っている」
彼の強い言葉と、視線にクレシットとアカギクはニヤリと笑って見せた。
「じゃあ、俺達と同じだな」
「ああ、全く同じだ」
そんな二人にエルドラドは少し驚いた顔をする。
「ま、変な長に手を焼く者通し、仲良くしようぜ」とアカギクが笑うとエルドラドは一瞬戸惑ったが、「お前達と一緒にしないで欲しいものだ」とそっぽを向く。しかし尾は嬉しそうにユラユラと揺れている。
そんな尾を見てクレシットとアカギクはもう一度ニヤッと顔を合わせた。
「ゲートが開く。行くぞ」とそっけない言い方をしたエルドラドに「へ~い」と返事をし、歩き始める。
「兄様!」
そこでアカギクは後ろから声を掛けられ、立ち止まった。後ろを振り返ると妹のイレアがこちらに向かって来ているのが見える。
「悪い、先に行ってくれ」
「分かった」
クレシットは返事をするとエルドラドの後を追う。ゲートは白い光を放つのを止め、バルベドの街並みを映し始めた。無事に開通したようだ。
しかし、その先に見えるバルベドの街並みの様子がおかしい。
エルドラドはいち早くそれを察知すると、一気に走り込みゲートを抜けた。クレシットもそれに続く。
目の前に広がるのは真っ赤な炎。
「街が……」―――燃えていた。
その光景にエルドラドは茫然と立ち尽くす。愛する街が赤々と燃える。
「街が……街が……」
目を見開き、叫ぶ「長! バエーシュマ様!」と。
「バエーシュマ様! バエーシュマ様! みんな!! どうして!! 長!!!」
その瞬間、目の前に現れる人影に取り押さえられる。
急な出来事にゲートをくぐりぬけたクレシットは立ち止まるが、何人もの人影に押さえ込まれた。
「なんだ!?」
クレシットの翼に刀が刺さる。急な激痛に声を上げ、その場に倒れ込んだ。
「ああ、やっと開通したか……」
聞いたこともない声。その主が目の前に立つ。
「お前……は」
そこに立っているのは天界軍の軍服に身を包んだグレーの髪、黒の瞳の人物だった。
周りにいる者達も皆軍人のようだ。街を見渡すと、女子供が縛られ座らされている。
それを見せつけられバルベドのゲート設置班はこちらへのゲートを無理やり開通させられていたようだ。
「ビーストの街を焼き払っていたら、まさか目的地へのゲートを発見するとは……僕も運がいい」
微笑むその男はクレシットの翼を踏みつけると「醜い。ビーストなど……」と吐き捨てた。
「クレシット!!!」
その光景をシルメリア側で見ていたアカギクがこちらに走り込んで来る。
しかし口ばしを軍人に踏まれたクレシットの悲痛の声にその場に立ち止まった。
「いいか? こちらの街の者を殺されたくなかったらこのゲートを繋げたままにしていろ」
そう言って男はシルメリア側に足を踏み入れる。後ろから部下である軍人が追う。
「ここがシルメリア……反政府組織の中枢」
男は不気味に笑い、軍人達を引き連れ広場を歩く。
「クレシット!!!」
アカギクが名を叫ぶが、ゲートの先にいる彼には届かない。
「クッソ……」
歯を噛み締めつつ、軍人達から距離を取る為に後退する。
周りの者達も急なグレーの軍服の登場に悲鳴を上げ、逃げ惑った。
軍人の男はゲートから数歩歩いた場所で腰に挿した刀を抜き、地面に突き刺すと大きく胸を張りながら声を上げる。
「シルメリア! お前達の同胞を殺されたくなければ一人の男を差し出せ!」
「なにを言って……」
アカギクは男を睨み、戦闘体勢を取る。
「若草色の髪、左目に傷を負った男だ。この街に潜伏しているのは分かっている。隠すのならば容赦はしない。人質の命を奪い、この街にも火を放つ」
その特徴で思わず息を飲んだ。
「その男は元熾天使の騎士、最神の暗殺を企てた大罪人である。その身を差し出さなければ、この街は再び戦火に飲まれるだろう」
男の声が広場に響き渡る。
その男、ジュノヴィスは不気味に笑うと「さあ、レイン。お前の首を手土産に僕はシラと結ばれるのだよ」と小さな声で吐いた。