第4章 22幕
一面の平原に風が舞い、辺りの草花を揺らす。頭上を見上げれば青空の中を雲がゆっくりと動いていた。
あまりの心地よさに目を細め、その場で大きく呼吸をする。そして背中の六枚の翼を動かした。
「なあ、セラフ」
そう声を掛けられ、セラフは平原を眺めている紅髪の青年の背中を見つめる。
「こんなに素敵な日々がいつまでも続けばいいのにな。お前もそう思うだろう?」
青年は嬉しそうに笑った。
「俺はこの世界が好きだ。俺の民が好きだ。もちろんゼウスは大好きだし、デミウルゴスやイヴは大切な友人だ。お前は親友だと思ってる、セラフ」
「それは光栄なことだな」
セラフは白く光る髪をかき上げながら、紅髪の青年の隣まで歩く。
白い髪、白の瞳に真っ黒の衣を纏うセラフと、紅髪と全く同じ紅色の瞳の青年。その二人の色は草原の緑に良く映えた。
「セラフ。俺さ、この世界をもっとより良くしたいんだ。この世界を誰よりも愛する彼女の為にも。だから……お前も力を貸してくれるか?」
紅髪の青年はこちらを向く。そんな彼にセラフは微笑んだ。
「お前だけで何かを起こすと、必ずドジをするからな。仕方ない」
「仕方ないって……」
「ハハッ。で? 何を企んでるんだ?」
セラフの言葉に彼は嬉しそうに歯を見せた。
「イヴが別空間に移動する機械を作ってるんだ」
「別空間?」
「そう、この天界以外にみんなの居住区を作る計画だよ」
「また変わったことを考えたな」
「だろ? そのイヴが作ってる空間転移装置『ゲート』を使って、別世界と行き来出来るようにする。アダムって名前の巨大な機械と連携させてさらに世界は良くなっていくよ」
「で? その話をゼウス様にしようって話か」
「うん。彼女はいいって言うと思うか?」
「さあな。けど、まあ俺も付き合うよ」
「流石、セラフ!」
紅髪の青年は明るい顔をして喜び、腕をこちらに向ける。
「ま、親友の頼みだ。手を貸そうサタン」
セラフはその動きと同じように腕を上げ、お互いがコツンと当てた。
そう、その頃はまだ世界は平和で、みんなが笑っていた。あの時の幸せな日々がいつまでも続くと……本気で思っていた。
ーーそれを自分は思い出した。思い出したんだ。
その後の世界を掛けた戦争や、世界汚染が起こることも。汚染から逃れる為に人間を、作ったばかりの中界に転生させることも。
その力を使ったことでゼウス様が壊れてしまうことも。
彼女が壊れていくのが分かっていながらも、何もできなかった自分のことも。
その中でも必死にみんなの幸せとゼウス様を愛し続け、その為世界から裏切られ、全てを憎しみながら地下へ落されたサタンのことも。
そのサタンを殺したのは紛れもなく、俺だったことも……。
全て……思い出した。
耳鳴りがする。いや、違う。これは人の声だ。自分に向けられた罵声の声……。
ゆっくりと目を開ける。現実に帰ってきたヤマトは、そのまま大きく溜息を付いて足を組み直した。
「ではこの先の作戦はどうするのです!?」
「悪魔軍がこのままガナイドを突破してもおかしくない状況で進軍するのですか?」
「ガナイドで留めておける今、進軍するべきではないのか!?」
灰色の軍服の軍師達が叫び、それに元老院がさらに声を張り上げる。
軍議室の椅子の背もたれに深く寄り掛かりながら、ヤマトは左側の白い髪を撫でた。
「何故このような状態に……中界軍は一体何をして来たのだ! これを機に攻め込むべきだったのではないのか!?」
ガナイド地区防衛戦線から離脱し城に帰ってきたヤマト。休む暇もなくこの軍議室に押し込められ、数十分間一言も発することなく今に至る。
所々で嫌味を交えてはいたものの、一向に話を振って来ないのでどうしたものかと思っていたが、やっと発言を許されたらしい。
ヤマトは白と黒の髪をいじりながら、もう一度深い溜息を付いた。
「ヤマト熾天使元帥。君のお考えを聞いても良いだろうか?」
そう言ってきたのは灰色の軍服達の一番前に座る人物。ダスパル元帥だ。
ヤマトは軍議室の中で一番大きな椅子に座る最神を見る。そこに座るスカイブルーの髪の女性はその瞳にうなずいた。
「ヤマト、今回の話をきちんとして頂けますか? その後、こちらの出方を考えましょう」
ヤマトは背もたれから身体を放し「では、発言させて頂きます」と答える。
「まず、悪魔軍はガナイドに進行してくることはありません。そして我々、中界軍もガナイドに踏み込むつもりはありません」
「それはどうして?」
シラの質問にヤマトはデスクに手を突き、話を続けた。
「出撃前の軍議で話をしたではありませんか? 進軍し地下界まで攻め込むのは天界軍が行うと。我々はあくまで防衛ラインをガナイドに留めることを最優先したまでのこと」
その淡々とした受け答えに、部屋にいる者達は戸惑いが隠せない。
「では、何故こんなに戦力差があるのに彼らは進軍を止めたのですか?」とシラは質問を続ける。
「それは簡単です。我々の手の内を明かしたからです」
「手の内?」
シラは不安そうな顔をする。天界軍ダスパル元帥、親衛軍ベルテギウス元帥もだ。
「はい。我々は今、人間の兵器を所有しています。古き時代、この世界を火の海にした科学兵器です」
部屋の中にいる者達がどよめく。
「そんな古き時代の代物を今更?」
「人間の兵器など……」
「転生天使の考えることは……」
あちこちで声が聞える。その言葉を遮り「その兵器とやらは今どこに?」と声を掛けられる。
声の主であるベルテギウス元帥は、こちらを睨みながらも不気味に笑っていた。
「我々が厳重に管理しています。『核』と呼ばれるものです。細かな説明は……皆さんには不要でしょう?」と、ヤマトは少し小馬鹿にしたように鼻で笑った。化学物質の話を出しても、どうせこの場にいる者たちには理解できないだろう、と思ったからだ。
「我々はその『原子力爆弾』を所有しています。そしてそれを搭載し、空を飛ぶ人間の翼も」
「人間の翼!?」とさらに声が上がり、空気がどよめく。
「ええ、天界は自らの翼で空を飛ぶことが出来ない。しかし、我々中界軍はその空を自由に飛ぶ手段を手にしました。制空権を握っている。そう思って頂いてもいいでしょう」
「そんな……」
「そしてボタン一つ押すだけで街を一瞬で破壊するほどの兵器も、我らの手の内に。いや、我々もまだ仕様していないので、それ以上の破壊力かもしれません。なんて言ったって、古き時代の三種族戦争時に世界を破壊した兵器ですから」
淡々と話すヤマトを周りの者達は唖然と見つめる。
「そこまで話せば後はお判りでしょう?」
人間の兵器。天界天使達にとっては未知のものだ。そのような存在を信じない者も少なくないだろう。しかし、地下界軍はその事実を知って進軍を止めている。それはつまり、その兵器の存在がどれほど大きなものなのかを意味している。そしてその恐ろしさのあまり、あの軍勢はガナイドから一歩も前に出れないのだ。
その事実だけでこの場にいる全ての者に十分恐ろしさが伝わっただろう。
――ま、実際はまだ動かないんだけど。
ヤマトは背もたれに身を預ける。
兵器によって地下界軍が動きの止めた訳ではないが、話した内容は間違ってはいないだろう。所有しているのは事実だ。そしてその兵器は三種族戦争時に世界を破壊したのも事実。
それにリュウシェンはきっとこちらが核を保有しているのを薄々分かっているはずだ。
「まぁ、信じるかどうかは皆様次第ですが」と、ヤマトは椅子の背もたれに深く沈む。
ヤマトの言葉を聞き終え、軍議室の中は静まり返る。
それもそうだろう。目の前の黒い軍服に身を包んだ青年が事実上この世界の戦力の頂点になったのだから。
この場の空気が変わりつつあるのを肌で感じた。
そう、皆が転生天使、中界軍の在り方を改め始めている。
ヤマトはニヤリと笑い、ピリピリとした空気を思う存分感じた。
軍議後。
ヤマトは一人赤い手すりを撫で、歩き箱庭に向かう。
森の入り口が近付いてきた頃、いつものようにワインレッドのポニーテールが腕を組んでこちらを見つめているのが見えた。
「エレクシア」
ヤマトがそう呼ぶと、エレクシアは深い溜息を付きながらこちらに向かって来る。
「無事に帰ったようだな」
「ああ、心配かけた」
「別に心配はしていなかったがな」なんて彼女はぶっきらぼうに答える。
「あっそ。そりゃどうも」
「ポルクル中佐は?」
「負傷して医務室に。本当は現地に残して治療に専念させたかったんだが、着いて来るって聞かなくてな」
「そうか……彼に礼を言っておかないと」
「なんで?」
ヤマトが首を傾げるとエレクシアが「こっちの話だ」と言葉を濁す。
「で? 何か用でもあったんじゃないのか?」
「いや、お前の顔を見ておこうと思ってな」
「ああ、出迎えてくれてたのか? ありがとう」
素直な言葉にエレクシアは驚いた顔をする。そして、少し安心したように微笑んだ。
「お前、少し変わったな」
「ああ、この髪? 色がこの部分だけ戻らなくなってさ」
「いや、それだけじゃない」とエレクシアは首を振る。
「なんだろう。柔らかくなった」
「そうか?」
「ああ、前よりお前らしくなった」
彼女の微笑みにヤマトはニヤリと笑う。
「そうかもな。全部吹っ切った」
「それは良かった」
「それに……」と箱庭の中を眺める。
エレクシアはそんなヤマトの顔を不思議そうに見た。
「シラは書斎に?」
「ああ、姫様は今書類整理をされているが……」
彼女の言葉を聞き、ヤマトは箱庭に進む。
「ヤマト?」
「少し二人で話がしたい。今後の重要な話なんだ」
ヤマトはそう言って、シラのいる箱庭の中心に向かって歩いた。