第4章 21幕
「ポルクル!!」
抱えた身体を抱きしめヤマトは叫ぶ。しかし返事はない。
「くそッ!!」
ヤマトは後退した本部に向かおうと家屋を走り抜けた。
辺りは火の海だった。建物のあちこちで爆発音と交戦する音が聞こえる。
曇天の空にさらに黒い煙が舞い上がっていくのがあちらこちらで見えた。
――あの時と同じだ……。
歯を食いしばる。
――何が元帥だ。何がみんなの前に立ち道を指し示すだ。あの時と何も変わらない。自分はこんなにも非力だ。
「ジュラス元帥!!」と、走りながら父の名を叫ぶ。
あの人に近づこうともがいた。必死に……。皆の前に立ち、あの人の描いた未来を、転生天使の在り方を、夢を、追いかけた。なのに! なのに!!!!
「俺は……あなたになれない!」
大きい父の背中。追い付けない理想。潰れていく……自分が。
――己を差し出せ。
また声が聞えた。聞いたことのある知らない声が。
「うるさい!」
――神に己を。
「うるさい! うるさい!!!」
――世界を変える力を。
「ジュラス元帥! 俺! おれ!!!!!」
ヤマトの叫びが曇天の空に響き炎に照らされた地に舞う。
――己を取り戻せ。記憶を……。
「ヤマト……元帥」
か細い声がその叫びをかき消す。
「ポルクル!!」
ヤマトはその声に安堵の顔をした。
しかし苦しそうにしながらも発したポルクルの言葉は「僕を置いて行ってください」というものだった。
「なに言って……」
「僕なら大丈夫です。片羽をもっていかれただけですから、閣下は早く本部へ」
「ダメだ!」
叫びを否定するようにポルクルは突然、身体を動かす。その動きでヤマトの腕から離れ、地面に身体を打ち付けた。
「ポルクル!」
倒れ込んだ身体を再び抱えようと手を差し出す。しかし、ポルクルはその手を振り払った。
「行ってください。あなたがここで死ぬわけにはいきません」
「だけど」
「あなたは!!」とポルクルは息を切らせながら叫ぶ。
「あなたは……僕の生きる意味でしょう? あなたが前を向かずしてどうするのです……」
ポルクルは、目を見開く大切な人に向かって叫んだ。
「あなたはジュラス元帥じゃない!!」
「…………ッ!?」
「あなたはあなたです! ヤマト元帥!! 僕はあなただからここまで着いてきた」
「俺は……」
――己を差し出せ。己を取り戻し記憶を呼び覚ませ。神に全てを捧げろ。
声が……聞こえる。
「ヤマト元帥、僕はあなたにお仕えしてるのです。みんなあなたの向かう先を見て進んでいるんです。ジュラス元帥じゃない、あなただからみんなは着いていくんです。だから……あなたの進むべき道を。想いを……」
ポルクルは力を振り絞りヤマトに微笑む。
「あなたの背中を僕の生きる場所にさせてください」
ポルクルはそう言い切ると、痛みで唸り声を上げ背を丸めた。
右羽を切り落とされた部分から血が溢れる。その光景を見つめヤマトは片膝を付いたままその場で息を吐いた。
「俺の想い……。進むべき道……」
――己を取り戻し、世界を変える力を。
「ジュラス元帥ではなく、俺の想い描く……」
『呪いだ! 殺せ!!』
新たな意識が脳裏に入って来る。それは背後に敵が来たことを指していた。
ヤマトの背の先に仮面の男が佇む。ヤマトを見下ろすその男はゆっくりとこちらに向かって大鎌を振り上げた。
「やはり地下界巫女の言葉に偽りはないですね」
そう口に出す声は……遥か昔に聞いたことのある声……。
ヤマトは痛みで息を上げるポルクルを抱きしめ、大きく息を吸った。
「ポルクル、すぐに治療できる場所に向かう、だから……もう少しここで待っていてくれ」
「閣下……」
ポルクルは血で染まる軍服を握りしめながらヤマトを見上げた。
その直後、辺りに雷鳴が轟き、曇天に稲光が無数におこりだす。
空気が変わっていき、張り詰めたその場に幾度となく雷が落ち始めた。
雷の鳴り響く中、ヤマトは立ち上がる。そして黒のマントを翻し、目の前に佇む仮面の男を睨んだ。
彼の髪が無風の中揺れ始め、徐々に髪の根元から純白へと変わっていく。
毛先まで白く染められた髪、真っ白の瞳。
ヤマトの背中に生えた翼が大きくはためくと、そこにはさらに四枚の翼が姿を現す。
黒い軍服身を包んだ彼の姿は、今までの黒騎士と呼ばれる出で立ちではなかった。
――全て思い出せ。そして世界を変える力を。己の信念を。
その言葉を聞き入れる。今まで見えていなかった世界の理が見える。
青い空、どこまでも続く平原。自分の知らない、しかしどこか懐かしい風景が目の前に広がっていく。
暖かな日差しの中、自分の敬愛する方の背中。白の翼にスカイブルーの髪の女性。その隣にいる赤い髪、黒い翼の男。愛し合う二人が微笑み、嬉しそうに自分の種族の話をしている。そんな光景がどれほど幸せだったか……。
「俺の……理想。そうか……なにも、昔から何も変わっていないんだ」と、ヤマトはその光景を見つめながらつぶやいた。
「そうか、転生天使の求めるものと、彼らの求めるものは同じ。全ての種族が笑い合える世界。そう、それが……古き時代からの俺の理想」
ヤマトは天界巫女の言葉を思い出す。
『ヤマト……いいえ、『セラフ』。あなた様の向かうべき道はここです。この道を歩き、皆を導く……そしていずれ過去を自分のものにするでしょう。さすればあなた様は世界を変える力となります』
ヤマトは刀の柄に手を添え、ゆっくりと目を開けた。
白の髪と瞳が雷に光輝き、黒の元帥マントが風に舞う。
そして男に告げる。
「久しいな……デミウルゴス」と……。
目の前に佇む仮面の男は大鎌を構え直す。
「ええ、古き時代のあの席以来ですね……セラフ」
デミウルゴスと呼ばれた男は淡々と受け応える。
「覚醒前に始末しておきたかったですが……致し方ないでしょう」
「へえ。あのチビ助が言うようになったな」
「あの時とは違います」
「今の名は?」
「リュウシェン……と」
名を告げられ、ヤマトは「ふ~ん」と純白の髪の毛をかき上げながら笑った。
「では、今の名で呼ぼう。魔王リュウシェン、お前は俺を殺しにこの戦場に?」
「いえ、あなたがセラフの生まれ変わりだということは先程、刃を交えるまでは気が付かなかった。しかし、この地に赴けば世界を変えられる力が見えると……」
「地下界巫女の予言か」
「はい」
ヤマトはそう言ってリュウシェンに近づく。
『呪いだ! 殺せ! 殺せ!!』
悪魔の前に立ち、脳内が呪いの言葉に飲み込まれる。過去の記憶を持っていても、この呪いは消えないようだ。
「で? お前は過去の記憶を所有していると?」
「はい。あなたも……もう思い出したのでしょう」
「ある程度はな。しかし、欠落している部分もある」
その言葉にリュウシェンは大鎌を支えにし考え始めた。
「さあ、本題に入ろう」
ヤマトはゆっくりと抜刀する。
「このまま俺と一線交えるか? それともこの場を収めるか……」
「先ほどまでならまだしも、今の貴方様と戦うなど、死ぬのと同じ。天使階級序列一位、全ての戦の頂点である貴方様にかなうのはサタン様ぐらいでしょうから」
リュウシェンは微笑みそう言った。
先ほどまでの不気味な空気が一気に変わる。これが本来の彼なのだろう。
少しばかり古き時代の面影の残る笑みにヤマトも少し口元が緩む。
「じゃあ、もう一つ聞かせてくれ」
「はい」
「お前の目的は?」
リュウシェンは一度間を置く。そしてゆっくりと口を開けた。
「あの頃の続きを……」
その言葉にヤマトは大きく目を見開き驚いた。
「お前……あの二人にもう一度……あの続きをさせようというのか!?」
「はい。私はその為に今も生を得ています」
「…………」
「すべてはあの方々の想いの為」
ヤマトは黒い仮面を見つめた。不気味に見えていた仮面がどこかさみしげに感じる。
「その言葉に嘘偽りはないな?」
「はい。絶対的主君初代魔王陛下、サタン様の名にかけて」
リュウシェンのはっきりとした言葉にヤマトはニヤリと口元を歪ませ笑った。
あの頃の二人の為、あの時の想いを続ける為。
――すれ違い、憎しみあったまま命を絶ったあの二人の想いをもう一度……。
それは自分の理想そのものだった。
「乗った!!」
「……?」
「その話、俺も乗った!」
「セラフ……」とリュウシェンは少し呆れたような顔をする。
「今の名はヤマト。中界軍ヤマト熾天使元帥。俺もその話に乗ろうリュウシェン。我が神に誓って」
「ヤマト……」
リュウシェンは嬉しそうに笑うヤマトに戸惑いつつも「貴方様らしい」と笑った。
「では、ヤマト。我々が世界を変える力となりましょう」
「ああ、全ての覚悟はできた。我らの大切な人の為に、そして種族全ての笑顔の為に」
身体がギシギシと痛い。
ポルクルは痛みで顔を歪ませながら目を開けた。
誰かに抱えられている? その顔がぼやけて見えない。
ポルクルは少し深呼吸をして、痛みに耐えようと歯を食いしばる。
「目が覚めたか? ポルクル」
その声に抱えらている腕はヤマト元帥のものだと分かった。
「ここは……?」
「もうすぐ移動した本部に着く。少しの辛抱だ」
その声は先程のものとは全くの別人。いや、出会った頃の彼の温もりのある声。こちらを見つめる顔も心なしか明るい。
「ヤマト元帥……先ほどの敵は……」
「ああ、逃がした」
「にがし……た?」
意識がはっきりとしてきたポルクルは、ヤマト元帥の雰囲気以外に変わったところを見つけ、それに向かって手を伸ばした。
「閣下……髪が」
真っ黒だった髪の一部、左の横髪が真っ白に染められている。
「白く……なってる」
「ああ、ここだけ戻らなかった」
「戻る?」
先ほどヤマト元帥の顔を見つめた時、彼の髪が白く光り出したのを見た気がする……。そして元帥マントを翻す彼の背中に、純白の六枚羽が見えた。
あれは……幻?
しかし、今はそれ以外に彼の変化はない。翼も二枚で髪や目の色は一部分を覗いていつものまま、全て黒ずくめだ。
「さあ、着いた」
そう言ってヤマト元帥はガナイドの街はずれの家屋に近づいた。
「皆、揃っているか?」
ヤマトが姿を表すと兵士達が駆け寄り、安堵の声を漏らす。
「閣下! ご無事でしたか」
「ああ、戦況を報告してくれ」
「はい。ポルクル中佐の治療はこちらで」
「頼む」
すぐにタンカーが運ばれ、ポルクルはヤマト元帥の腕から離れた。
「閣下、僕も一緒に!」
ポルクルはタンカーから起き上がろうとする。ヤマト元帥はそんな動きを止めようと肩に手を置いた。
「ポルクル、ありがとう。お前のおかげで全てが見えた。そして……この先、俺が何をしていくべきかが」
「……?」
「俺の想い描く、進むべき道……それが見えたんだ」
ヤマト元帥はそう言ってポルクルの肩を放し、辺りに向かって叫ぶ。
「戦況を把握後、全部隊に告げろ! ガナイド地区を放棄、この戦場から撤退する!」
その場にいた全ての者がヤマト元帥を見つめ唖然とする。
「閣下! それでは、この作戦は!?」
「もう勝利は得た。これ以上の争いは起こらない」
「それは……何故に!?」
部下の言葉にヤマト元帥は遥か先に見えるガナイド地区の東を見つめた。
彼の見つめる先を皆が目で追う。しかしその先は曇天が広がっているだけだ。
「報告!!」
皆の不安をかき消すように、一人の伝令兵が走り込んで来る。
「悪魔軍がガナイド地区から撤退を始めました。防衛ラインはガナイド東入り口」
その場にいた全員から歓声が上がる。
周りの部下たちが安堵の顔を見せる姿を見てヤマトは嬉しくなり微笑んだ。そして遥か東を見つめる。
「デミウルゴス、いや、リュウシェン。お前は昔から約束事は必ず守るチビ助だったからな」
ボソリと吐いたその言葉は周りの歓声に消えていく。
その彼の微笑みを見てポルクルも胸を撫でおろしたのだった。