第4章 19幕
降りしきる雨は身体を冷やし、俺は小刻みに震えてた。
周りを見回す。燃え盛る家屋。赤く染まる地面。泥にまみれ汚れていく白の羽……。
息が切れ、肩が大きく上下する。
握った刀は悪魔の血で染まり、先ほど斬り裂いた肉の感覚がまだ手に残っていた。
空を見上げる。そこは曇天で何も見えない。雨が俺の顔に当たっては流れる。
「なんで……」
出したその声はかすれていて雨音に消えた。
「みんな……」
先に見える家屋で爆発が起きる。その爆風で更に暗闇が消え、赤く染まる視界。
「ヤマト……」
擦れた声で名前を呼ばれ、俺は抱えている仲間に目をやった。仲間は手を地面に付け、能力を一定にしながらゲートを開き続ける。身体中が敵に攻撃された傷で血だらけだった。
「もう……援軍は来たか?」
「まだです……けど、もうすぐ……もうすぐですから」
今にも倒れそうな彼を支え、俺はゲートの先を見つめる。
俺達の隊がガナイドの街の中心にゲートを開いてからどれぐらい時間が経ったのだろう。辺りは敵、味方も分からなくなるほどの死体が転がっている。
目の前にはレインの最愛の人、スズシロ軍曹が倒れている。俺は更に先にある家屋での爆発音と刀のぶつかる金属音を聞きながら、ゲートを開き続ける仲間を支えた。
仲間は口元から血を流し息を上げる。俺はそんな彼に何もしてやれなかった。このゲートを死守しなければ、この戦に勝利はない。だから、だから……。
そんな悪夢のような時間がどれほど経ったのだろう。グレーの軍服に身を包んだ天界軍がゲートをくぐる頃、雨は上がっていた。
俺は大隊用のゲートを作り始める天界軍の軍人達を茫然と見つめながら、任務を終え安らかに眠る仲間を抱く。
しばらくすると巨大ゲートが開き、一斉にこちら側に天使達が押し寄せる。ゆっくりとした余裕のある歩き方で進む兵たち。俺はその場から動けずにいた。
黒い軍服の仲間達が地面に倒れ、その間をグレーの軍服が我が物顔で歩いていく。
悪魔達の死体を蹴り、残党兵を探し始める天界軍が俺を横切った。
「そこを退け、邪魔だ」と言われ、呆然とそいつを見上げる。
その男は俺に向かって冷たい目をしていた。
その目は……まるで……。
あれから何時間その場にいたのだろう。空は白くなり始め、辺りが明るくなる。
太陽の日差しを浴び、街は静けさが戻っていた。
俺は何もなくなった広場に座り続け、大きく空いたゲートを見つめていた。
仲間達が一人、また一人と運ばれるのを見送り、辺りは俺だけであとは大きなゲートの下に天界軍の軍人が数人いるだけだ。
家屋からまだ煙が上がる。その煙が空を舞い始めるのが見えるようになる頃、後ろから声を掛けられる。
「ヤマト……」
その声に俺はゆっくりと振り返った。
「閣下……」
そこには疲れ果てた顔をしたジュラス元帥がいた。
「帰ろう。みんなが待ってる」
「……」
ジュラス元帥がそっと手を差し伸べてくる。その手を俺は握ることができない。
「閣下……。作戦は成功ですか?」
「……」
「成功……ですか?」
ジュラス元帥は何も言わない。俺は元帥を睨み「閣下!!」と叫んだ。
怒りが込み上げた。何もできなかった自分の非力さと、死んでいった仲間達への弔いもないまま収束したこの戦場に……。
先ほどの天界軍の兵の目が焼き付いて離れない。あの蔑まれた目が……。
「俺達は……捨て駒ですか? 死ぬためにここに来たのですか? これが戦争なんですか?」
「…………」
「これが……俺達、転生天使の在り方ですか? 俺達は……」
元帥は歩み寄り、そっと俺を抱き寄せた。
元帥の肩に顔を埋める。その優しい温もりが俺の緊張をほぐす。張り詰めた心が急に解放され、頬に涙が溢れた。
「みんな死にました」
「……」
「みんな……俺の前で」
「……」
「何も出来なかった。ただ、ここにいて、みんなが死んでいくのをただ見てるだけで」
「違う。違うよ」
元帥は俺をさらに抱きしめる。
「お前は、ここを守った。お前がいなかったら、ここにゲートは出来なかった。お前は……よく頑張ったよ」
ジュラス元帥の優しい声に涙を流し続けた。
「違います……俺、なにも出来なかったんです。なにも……みんな……みんな……!」
「…………」
俺は叫びその場に崩れる。そんな俺をジュラス元帥は強く抱きしめ、頭を撫でてくれた。
――それが、俺のガナイド地区悪魔討伐戦の記憶。
曇天の中、武装した兵が街を取り囲み、緊張感が辺りを包み込んでいる。
低い家屋の立ち並び今は廃墟と化した街『ガナイド』。
街中の瓦礫の山の中を抜け、少し開けた場所がある。それが四年前に決行された、ガナイド地区悪魔討伐戦のゲート設置場所だ。
広場の中央にはまだその頃の傷跡が残るように、焼け焦げた瓦礫とゲート設置で使われた機材が放置されている。
そんな過去を思い出すように足元の石畳に手を添えた。黒いマントが湿った空気に舞い、辺りを覆う。
ヤマトは瞼を閉じ、広場の中央で黙祷を捧げた。
あの日以来のこの地……。様々な記憶が蘇る。
「ただいま……みんな」
小さく吐いたその言葉は誰にも届かない。そんなこと、分かっている……。
「俺、元帥になったんだ。あの頃なにも出来なかったのを悔やみながら……だから。今度は……今度こそは……」
――悲鳴が聞こえる。爆発音が聞こえる。刀のぶつかる音が聞こえる。仲間が死ぬ音が聞こえる……。
これからその音がまた響くことになるだろう。そう、この地はまた戦場になる。
「俺は……あの人みたいに……」
そう言ってゆっくりと立ち上がった。
広場の中心で黙祷を捧げるヤマト元帥を見つめ、ポルクルは近くの瓦礫に背中を預けた。
これで何度目の戦場だろうか。なのにこの胸騒ぎはなんなんだろう。
この地は……なんだか悲しい。
それはあの方がいつもと違うからだろうか。
「閣下……」
明らかに余裕のない立ち振る舞い。焦りで前が見えていない……そんな彼の言動。
『俺達が命掛けるんだ! 死にに行けって! この先、生きる民の為に死んで来いって言えよ!!!』
聞えてきたあの言葉が胸に引っかかる。
――違う……いつもの閣下ならそんなこと言わない。
ポルクルは胸に手を当て、不安な気持ちを抑え込もうとした。
この地がそうさせているのだろうか。この地が中界軍の全てを変えた。ヤマト元帥の全てを狂わせたこの地が。
「ポルクル」
掛けられ振り向くと、そこにいたのはいつもより寂しそうに微笑むオルバン大佐だった。
「大佐……」
「もう時間だよ。閣下は?」
「あちらに……」
ポルクルが目線を送ると、オルバン大佐は「だろうと思った」とヤマト元帥の方に歩みを進める。
ポルクルは瓦礫から背を放し後を追った。
「閣下!」
オルバン大佐が声を掛けるとマントを翻しヤマト元帥がこちらを向く。
その辛そうな顔を見てポルクルは更に不安になった。
「お時間です」
「ああ、分かってる」
二人の短い会話。緊迫した空気に息が詰まりそうになる。
「自分は最前線部隊なのでもう行きますね」
「ああ、すまない」
「なぜ謝るんですか? 自分が志願したんですから、我儘を聞いて頂いてありがとうございます」
「オルバン。お前、四年前にこの地に来れなかったこと、後悔してるのか?」
ヤマト元帥がオルバン大佐に向き合いそう口に出す。
「はい。ウォンロンやバンフェンと共にいれなかった自分が許せないです。だから……」
「そうか……」
ヤマト元帥はそう言って一度顔を伏せ、すぐにオルバン大佐を見つめた。
「死ぬなよ。オルバン」
その言葉に一瞬オルバンの細い目が開かれる。銀色の瞳が大きくなるが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「軍の長がそんなにはっきりとその言葉は言ってはいけませんよ?」
「……」
年相応の顔で歯を食いしばる彼の姿にポルクルは驚いた。いつも毅然とした態度で立つ彼とは違う、自分の感情を表に出した悲痛の顔。そんな彼を見てオルバンは大きく溜息を付いた。
「けど、君らしい。昔からなにも変わらないな、ヤマトは」とヤマト元帥の肩を何度か叩く。
「大丈夫、僕達がついてるよ。ヤマト、君はあのお方の示す道を進んでいる。胸を張りなさい」
「はい。ありがとうございます」
ヤマト元帥は更に顔をしかめオルバン大佐に頭を下げた。
オルバン大佐はヤマト元帥の横に立つポルクルに向かって微笑む。
「ポルクル。ヤマトを頼むよ」
「はい」
ポルクルが返事をすると、オルバンは頭を二度撫でその場を後にする。
彼の背中を少しの間見つめたヤマト元帥だったが、拳を握りしめると反対方向を歩き出した。
ポルクルは消えていくオルバン大佐の背中に向かって敬礼すると、ヤマト元帥の後を追いかけた。