第4章 18幕
シラは怒りのあまり顔をしかめ自室がある箱庭に進んだ。箱庭の木々達は今日も穏やかに彼女を迎え入れてくれる。しかしその木々達を眺める余裕はなかった。
そんな姿を後ろからサンガが追いかけて来る。不安そうな顔をしながらも彼女に声を掛けることはしなかった。
箱庭の中央にある書斎にたどり着くとシラは入り口で立ち止まる。
「姫様?」
サンガの心配そうな声にシラは振り返ると、無理やり作った笑顔を見せ「大丈夫……。サンガ、少しの間一人にさせてください」と言葉を発した。
「はい。姫様。では僕はここに」
サンガはそう言って頭を下げる。
「ありがとう」
書斎に入り、扉を閉める。大きな溜息を付いたシラは胸の前で両手を握りうつむいた。
「私は……皆を導かねば……」
『お前が揺らいでどうするんだよ! 俺達が命掛けるんだ! 死にに行けって! この先、生きる民の為に死んで来いって言えよ!!!』
ヤマトの言葉に胸が締め付けられる。
そうだ……自分は戦いの神になると決意したではないか。この世界から争いをなくす為に、この世界の平和を手に入れる為に……。
しかしその為に戦争をしている。自分の民を犠牲にしている。矛盾した行為……。
先程の軍議を思い出す。言葉自体は綺麗だった。しかしその裏を読み解けば、すべてを転生天使にさせようというものだった。思い出すだけでも吐き気がする。
今までだってそうだった。何かあれば中界軍が動いた。それを止めれない自分が歯がゆい。
『転生天使』、『天界天使』、『悪魔』、『堕天使』……。その違いは何なのだろう。なぜこんな世界の在り方になってしまったのだろう。
薄暗い部屋の中でシラは拳を見つめた。
「シラ! 返ったのかい?」
急に部屋の中から声が聞え驚く。そこにいたのは……。
「ジュノヴィス?」
薄暗い部屋の中にいたのは自分の許婚であり熾天使の騎士の一人、ジュノヴィスだった。
灰色の癖毛、黒の瞳にいつものグレーの軍服に身を包んだ彼は上機嫌でこちらに近づいて来る。
「どうしたんだい? 浮かない顔をして。僕が帰ってきたのに」
「…………」
シラは笑顔で近づいて来る彼を睨んだ。
「なぜここに? ジュノヴィス」
「なぜって……もうすぐ僕達の婚姻の儀が近いだろう? だから任務の間に君と打ち合わせがしたくてね。にしても、どうして婚姻の儀の衣装があんな隅の部屋にあるんだい? もっとみんなに見てもらう場所に移そう。折角のドレスがもったいない」
声を弾ませる彼にシラは大きく溜息を付いた。
「あなたは今の現状をお分かりですか? 婚姻の儀? それがこのまま予定通りに行われると?」
「何を言ってるんだい? この世界状況だからだよ。僕達の晴れ姿を見せて民を勇気づけよう。素敵じゃないか!」
ジュノヴィスの発言に呆れ、シラはその場に立ち尽くす。
「あなたは……戦争を分かっていますか? 人が命を落としているんですよ!? 今回の防衛戦でも中界軍が命を賭けてこの城を守ろうとしているのです……なのにあなたは」
「あはは! 君はまだ人間風情のことに気を留めているのかい? あんなの使い捨ての駒だろう? あいつらが抑えた後に、天界軍が地下へ攻撃を開始する。それで戦況も変わって僕達の勝利さ。だろう?」
ジュノヴィスは声を弾ませたままシラに近づくと横髪を触った。細く白い指。他の軍人とは違う綺麗なものだった。それは彼がどれほど無知で苦難のない生活をしているかが見えるものだった。
シラはそんな彼の行動に嫌悪感を抱き、後退する。しかし背中は壁で逃げ場がない。
「そこから僕達の婚姻の儀。素晴らしい。僕は待ち遠しいよ」
「……ジュノヴィス、あなたは何も分かっていない」
嬉しそうに話していた彼の顔が歪む。
「どうしてそんなことを言うんだい? また、君は変わってしまった。昔はお人形のように僕を見つめてくれていただろう? どうしてそんなに変わってしまったんだい?」
「…………」
シラは何も言わずに彼を睨み続ける。その力強いアクアブルーの瞳にジュノヴィスは髪から手を放すと、数歩後ずさりした。
「ああ……。どんどん君が変わっていってしまう。戦争か!? 戦争が君を変えてしまったのかい?」
そこまで話すとジュノヴィスは何かを思い出し、大きく目を見開くと「あいつか!?」と声を荒げた。
「君はまだあの人間風情の下等生物のことを思っているのかい!?」
「……」
「あああ! あいつのせいだね! あの男がここに来てから君は変わってしまった。そして君は軍議にまで口出しして、戦争宣言まで……。あいつか! あの下等生物が……」
声を荒げ続ける彼を睨み、シラはゆっくりと口を開く。
「ジュノヴィス。この部屋から出ていきなさい。命令です」
「なッ……!? 何を言って……」
「最神としてあなたに言っています。私の前から消えなさい」
その力強い言葉と、薄暗い部屋の中でも光るアクアブルーの瞳にジュノヴィスはたじろぐ。そして部屋の入り口を激しい音で開け放ち、シラの前から姿を消した。
ヤマトは大きな溜息を付き赤い手すりの続く渡り廊下を歩く。少し進むと不安そうにこちらを見つめるポルクルが待っていた。
「悪かった。行こう」
「……はい」
そう頷き、苦い顔をしながら自分の後ろを着いて来る。あの距離だ。最後に自分が荒げた声をポルクルは聞いていたのかもしれない。
冷静になれ……。何度も心の中で唱える。
ーー何でここまで心が乱れるんだ。落ち着け。焦るな……。
ヤマトは頭の中に渦巻く不安を振り払うように歩幅を大きく取り、急いでその場を後にする。
すると目の前に見覚えのある姿が見えた。ワインレッドの髪をポニーテールにした高身長の女性。服装がダークグリーンの軍服に身を包んだ彼女は壁に寄りかかり腕を組んでいた。
「エレア?」
こちらに気が付いたエレクシアは「やっと来たか」と言う。
「なかなか来ないから、もう基地に戻ったのかと思ったぞ」
「何か用?」
ヤマトは彼女の前に立つと、平常心を保とうと笑って見せた。
「姫様が探してる。一旦箱庭に顔を出せ」
「ああ、そのことならもう終わった。さっき話をしたよ」
「それで、お前は本当にいいんだな?」
エレクシアは営業スマイルのヤマトを真剣な面持ちで見つめてくる。
そんな彼女の言葉に「お前もその話?」と少しイラついた声で言った。
「いや、私はそのことについてとやかく言う立場ではないよ」
彼女の顔が一瞬曇る。
「ただ……。出撃前に顔でも拝んでおこうかと思ってな」
「そりゃどうも」
そっけない言葉にエレクシアは呆れたように笑う。そのまま何か言おうと口を開いた瞬間、ヤマトの後ろから近づく影に目を奪われた。
そんな動きにヤマトも振り返る。渡り廊下を歩いてこちらに向かって来るのはグレーの軍服に身を包んだジュノヴィスだった。
「邪魔だ、どけ!」
怒りに満ちた言葉をこちらに向かって叫ぶ。そんなジュノヴィスに向かってポルクルが一歩出ると睨んだ。
「なんだ、劣等種」
怒りを露わにしているジュノヴィスは、ヤマトの前に出るポルクルに向かって吐き捨てた。
「……」
ポルクルは何も言わずに彼を睨み続ける。
そんな彼の肩に手を添え、ヤマトは「いい……」と声を掛けた。ポルクルはその意味を感じ取り、踏み出した一歩を後退させる。
「道を塞いで悪かった。どうぞどうぞ」
ヤマトはそう言ってわざとらしく道を開ける。
その動きにジュノヴィスは更に苛立ちを見せ「お前達、下等生物がこの地を歩くこと自体がおかしいはずなのに……。なぜ、こうなってしまったのか」と嫌味を言ってきた。
「ジュノヴィス中佐!」
エレクシアが声を上げ、その言葉を止める。
そんな彼女に向かってジュノヴィスは「僕に指図するのかエレクシア」とさらに声を上げた。
「こいつらが……人間がこの世界に足を踏み入れたことが問題なのだ。そして今はこの天界の城で我が物顔で歩いている、忌々しい」
「それは申訳ない。で? お前は何にカリカリしてるわけ?」
ヤマトは前に手を上げ、彼女にこれ以上の発言をさせないようにしながらジュノヴィスに問う。
「貴様には関係ない。この劣等種。早く僕の前から消えろ」
「言われなくても、もう出陣だ」
「ふんッ。ガナイド地区……貴様らにぴったりの舞台じゃないか」
「……」
「せいぜい僕達の後の出陣の為に働くんだな」
「ジュノヴィス!!」
聞きずてならぬ言葉にエレクシアが叫んだ。
「これから戦地に向かう者に向かって言うセリフではないでしょう!? 撤回を!!」
そんな怒りの顔にジュノヴィスは鼻で笑う。
「何を言ってるんだい? エレクシア。こいつらは使い捨ての駒。僕達の世界の為に死にに行く……ただ、それだけの存在さ。一度死んでるんだ。死ぬのなど恐れぬのだろう?」
「ジュノヴィス中佐……あなたという人は」
「なに? エレクシア……君、この男に好意を寄せてるのかい?」
「…………!?」
突然の言葉にエレクシアは驚く。しかしそれ以上何も言わずに彼を睨んだ。
「はッ! 情けない。貴族である誇りは捨てたか? こんな下等生物に心を開くなど。ポルクル、貴様もだ。貴族という地位を捨て、血族の恥と思わないのか? どいつもこいつも……こんな劣等種に……」
しかしヤマトは営業スマイルのまま話を聞いている。今まで幾度となく聞いた言葉達だ。この男に何を言われても気になることではなかった。
「で? 俺はもう出陣の準備に行きたいんだが、話は終わったか?」と冷ややかに話す。
ジュノヴィスはそんなヤマトに舌打ちをする。
そして歩き出しながら、こちらをあざ笑うように「そういえば」と言い出した。
「ポルクル、聞いたぞ。お前の仕える中界軍元帥閣下は人間の頃、自ら命を絶ったそうじゃないか? 生きるのが苦痛になり死を選んだ愚か者が元帥? 笑わせる。中界軍のお飾り元帥らしい話じゃないか」
その瞬間、営業スマイルだったヤマトの顔が一遍した。殺意に満ちた黒色の瞳がジュノヴィスを捉える。
「……………」
その場にいた全員がヤマトが放つ殺気に身を震わし、息を飲んだ。
「ジュノヴィス……」
ゆっくりと口を開けると今にも斬り殺しそうな形相で彼を睨む。
「前にも言ったよな? 俺達に向かって安易に死を語るなと……」
黒の瞳が怒りに満ちた光を放つ。
ジュノヴィスはその空気に数歩後ずさり、それ以上言葉を発することが出来なかった。
そんな彼にヤマトもそれ以上何かを言うことなく「ポルクル、行くぞ」と言葉を掛けると歩き始める。
「は、はい!」
唖然としていたポルクルは、急に歩き出したヤマトを追いかけようと走り出す。
「ポルクル中佐!」
走り始めたポルクルはエレクシアに声を掛けられ振り返る。
彼女の顔は不安に満ちた顔で、今までの凛々しい姿は無い。
「あいつを……頼む」
そこには彼女の想い全てが詰め込まれていた。その全てを感じ取り、ポルクルはエレクシアへ頷く。
「はい。必ずあのお方をここにお連れします。この身に代えても……」
エレクシアに頷き返されたポルクルは少しだけ微笑むと、黒マントの背中を追いかけた。
苛立ちを隠せぬままジュノヴィスは渡り廊下を歩く。
シラの言葉、ヤマトの態度。全てが自分の中で渦を巻く。
「あいつが……あいつがこの地に来たからだ……。全てあいつが……」
独り言を吐き、右手の親指の爪を噛む。
「あいつさえいなければ」
ぶつぶつと独り言を発しながら自室む向かう。するとその自室の前で見慣れた姿を見つけた。
「叔父上?」
それは自分の慕う天界軍元帥のダスパルだった。部下を二人連れこちらに向かって来る彼を見て、苛立った気持ちを静める。
「おお、ジュノヴィス。丁度良かった。お前に次の任務を言い渡したくてな」
「でしたら僕が叔父上の書斎に向かいましたのに……どうしてまた」
「早急の案件だ。すぐに発てるか?」
「そんな急にですか!? 僕は先程この城に戻ってきたんですよ?………まさかガナイドでは?」
ジュノヴィスは一瞬不安になり言葉にしたが、ダスパル元帥は首を横に振る。
そして一つの封書を渡してきた。
ジュノヴィスはそれを受け取ると文面を見つめ、息を飲む。
「これは……?」
「ああ、居場所が分かったのでな。お前にこやつの殺害を頼みたい」
ダスパル元帥の言葉にジュノヴィスの顔がみるみる明るくなる。
「お任せください! 必ず! 必ず!!!」
そんなジュノヴィスの喜びようにダスパル元帥は口角を上げ、不気味に笑った。