第4章 17幕
暗闇の中、ほのかに丸い光が漂う。一つが二つ。二つが三つ……数が増えていくそれはまるで蛍のよう。
その光に照らされるのは黒の軍服に黒の髪。全身黒づくめの男は座禅を組み手を付いて頭を垂れている。
静けさの中、光は辺りを漂いほのかな明るさを灯すとやがて消えていく。
「お待たせいたしました、ヤマト様」
その声に蛍のような光は一瞬で消え、暗がかりだった神殿の中は暖かな光に包まれた。
ヤマトはゆっくりと頭を上げ、瞼を上げる。
目の下にはクマを作り、髪の毛も無造作の状態。疲労が目に見て取れた。
そんな彼の前に幼女が鈴の音を鳴らしながら座る。ヤマトの手に触れるか触れないかのところに手を置き、一度深々と頭を下げる。
「急な謁見、大変申し訳ありません」
ヤマトの言葉に天界巫女、アカシナヒコナは首を振る。
「いえ……。して、お話は?」
巫女の透き通た声にヤマトは数日前に発見した古き時代の人間が作った産物……兵器の話を始めた。
地下に眠る戦闘機、核爆弾……。それが今の中界と同じ形を模していること、過去にその兵器が使われていたであろう記述を見つけたこと。見てきた全てを話す。
アカシナヒコナはその話を全て聞き終えると、瞳を閉じた。ヤマトは彼女を見つめ言葉を待つ。数分間の沈黙の後、アカシナヒコナは目を開け語り始める。
「それは……わたくしにもわかりません」
「巫女様にも?」
思いもよらぬ言葉にヤマトは驚くと、巫女は深く頷いた。
「我々の知ることは古き時代からの伝承のみ……。今のわたくしの力では、過去の出来事を垣間見ることは出来ません。それにわたくしたちが受け継いできた伝承は古き時代、三種族の戦争があったということだけ」
「その戦争がどのようだったのかも伝えられてない……と?」
「はい」
巫女の返事に大きく深呼吸をする。
「一つ、仮説を聞いて頂けますか?」
ヤマトの言葉に巫女は小さく頷く。
「以前、巫女様は古き時代の伝承のお話をされた時、人間王は初代最神に新しい世界を作ろうと話を持ち掛け、『中界』を作ったとおっしゃいました。もしそれ自体が間違っていたとしたら?」
「それは……」
「三種族戦争で核爆弾が落とされ、世界が汚染される。そこで最神は別の世界を作り、移住しようと計画していた……。自分はそう考えます」
「…………」
「七二の核爆弾。我々はあの地下でそのワードを目にしました。この世界に七二個の核が落とされていたのだとしたら。世界全体が戦場と化し多くの生物兵器、化学兵器が世界を覆っていたら……。大地や人体になにかしらの影響があった可能性は捨てきれません。その避難として中界を作った。しかしその世界に移住できたのは人間のみ……。そう考えると辻褄があう」
「…………」
「そして最神は汚染からの循環を変える為に『転生天使』を作った。もちろん中界をもう一度火の海にせぬよう監視させることも兼ねて。そして時が流れ、今の世界の理が完成した」
ヤマトはそこまで言うと口を閉ざす。しかしアカシナヒコナは大きく首を横に振った。
「申訳ありません。わたくしにはそのお話を肯定も否定も出来ない……。過去を見る力はわたくしにではなく、妹に備わってしまいましたので」
「妹君? レインと共に行動しているという?」
質問に巫女は小さく頷く。
「わたくしは未来、彼女は過去。二人は一つ……」
「では、妹君の過去を見る能力だと、自分の仮説が正しいかどうかが分かるのですか?」
次の質問にアカシナヒコナは今度は軽く首を横に振った。
「わたくしどもの能力は命を削る力……全てを見ようとすれば形残らず消えてしまうでしょう」
「命を削る?」
「はい。わたくしもまた……いつかは消える定め」
そこでヤマトはアカシナヒコナの体型が少し小さくなっているのに気が付く。
身体が縮んだ? いや、幼くなっている。
「巫女様……あなたは」
そう言葉にすると巫女はこちらに向かって微笑んだ。
「妹にわたくしの意志を伝える……今はこれが精一杯なのです」
「…………」
「あのお方は今、苦しんでおられる。この世界の理の始まりを目の当たりにし、魂の記憶に飲まれそうになるのを必死で耐えていらっしゃいます」
巫女の微笑みが以前より幼く見えるのは気のせいではない。彼女は妹を通してレインに訴えている。古き時代の魂を受け入れるなと。
「巫女様。自分は……」と、ヤマトは言葉を詰まらせた。
「自分は、この先……どこに向かえばいいのでしょう。皆の進むべき道を示しているでしょうか……」
「ヤマト様」
「自分は……じぶんは……」
胸の苦しみを感じ、頭を垂れると床に額を付ける。そんな苦しそうなヤマトの頭にそっと手が添えられる。
「ヤマト……いいえ、『セラフ』。あなた様の向かうべき道はここです。この道を歩き、皆を導く……そしていずれ過去を自分のものにするでしょう。さすればあなた様は世界を変える力となります」
そう言ってアカシナヒコナはヤマトの額に軽く唇を押し当てた。
城の渡り廊下を歩く。その歩幅に合わせ、後ろから付いて来るポルクルは不安そうな顔をしていた。
いつもなら何か声を掛けてやるのだが、今のヤマトにはそんな余裕はない。
空はくすんだ色をしていて冴えない。今の自分の心の中を見ているように感じた。
アカシナヒコナの言葉が離れない。彼女の透き通た声が耳から……。
天使階級第一位、熾天使『セラフ』。それが自分という自覚はまったくない。シラやレインは一年前に起こった天界の城襲撃事件時に過去の自分を垣間見たらしいが、自分にはそれが無いからだ。
ーー果たして自分は本当に古き時代の生まれ変わりなのか? その力を覚醒させることが本当に出来るのか?
不安が頭の中を巡る。胸の中が何かに締め付けられる。
「ヤマト!」
急に声を掛けられ後ろを振り返ると、そこにいたのは藍色の軍服にマントを身に着けたシラだった。髪にはレインから貰ったかんざしを付けている。
「探しました」と、こちらを睨む。
「何か御用ですか? 最神」
シラの強い言い回しにヤマトは肩をすくめ声を掛けた。
「先ほどの軍議……あなたはあれで納得しているのですか!?」
怒りを露わにしている彼女。そんな彼女を見てヤマトは後ろにいたポルクルに「先に行け」と伝える。ポルクルは緊迫した空気を察して「はい」とだけ返事をすると最神に敬礼をして先に進んだ。
ハニーブラウンの頭が渡り廊下を進み角を曲がるのを確認すると「で? 何が?」と彼女に声を掛けた。
「とぼけないでください。あんな……なんな!!」
アクアブルーの瞳がしっかりとこちらを捉え、睨み付けて来る。
その雰囲気にヤマトは仕方なく彼女に身体を向けた。
先程のというのは巫女に会う前に行われた『ガナイド地区防衛戦』のことだろう。
「納得と言ってもな。あれであの場が収まったんだ。君もそれが望ましいと思ったろ?」
「思いません!」
シラは一歩こちらへ踏み込み、ヤマトの瞳を見つめてくる。
「あれは誘導です。あれでは中界軍が最前線戦へ向かうしかないではないですか!?」
シラが怒るのも無理はない。一時間前に行われた軍議。あれは全て仕組まれた場だった。
地下界へ繋がるゲート開発をしている土地が悪魔に侵略され、地下界軍がこちらに進行しはじめた。その防衛ラインをガナイドとし、その防衛戦を行うことは軍議前にすでに決められていたこと。その防衛は誰が向かいうのか、それが今回の議題であった。
そこで話された言葉……それが彼女にとっては納得できないものだったのだろう。
「あんなの!!」
軍議で浴びた言葉を全て思い出そうとは思わない。それは今まで浴びてきたのと大して変わらないからだ。しかしシラにとっては聞き捨てならぬものばかりだったのだろう。
ヤマトは怒りに震えるシラに向かって切なく微笑む。
「なにカリカリしてんだ? 最初からこの作戦は中界軍が向かうつもりだったし、綺麗にまとまってよかったじゃないか」
「ヤマトこそ、なにを言ってるんですか!? 最前線とは言え……今こちらに向かっている地下界軍の数を知っているでしょう? いくらなんでも!!」
「あのな、シラ」
ヤマトは大きな溜息を付いて腰に手を当てる。
「それが戦争だよ」
「けど! 中界だけで向かえだなんて……。天界軍との共同作戦ならまだ」
「それも議題で話しただろう? 今後のことを考えて戦力は最小限に抑えないと。こちらの全勢力をガナイドに集結させたら今後攻め込むのに不利だ」
「しかし……」
「こういった役は俺達。攻め入る派手な役は天界軍。昔からそう決まってるだろう?」
「けれど……」
「それに、あの地は俺達にとっても重要な土地だ。俺達があの地で食い止める……」
シラは伏せていた顔を上げ、悲痛な表情を見せた。それは『ガナイド地区悪魔討伐戦』を思い出したからだろう。あの戦いで数多くの仲間を失った。その地での戦争……。
彼女のスカイブルーの髪と、ヤマトの黒髪が風に揺れる。湿った空気が二人の間を駆け抜けた。
「シラ、この戦いを勝ち抜いて俺達中界軍は……転生天使はさらに上に行きたいんだ」
「上に?」とシラは繰り返す。
「そう、この立ち位置からの脱却。天界天使と同じ台に乗る。その為の戦争」
「ヤマト……」
「いくら蔑まされようと、いくら罵られようと……ここまで来たんだ。ここまで数多くの戦果を挙げてきた。そしてこの戦争で中界軍の地位を確立させる。これはその為の大舞台だ」
「けど、だからって……こんな。こんな」
シラの歯切れの悪い言葉……。それがヤマトの心を濁す。
ならず者集団だった転生天使達が『中界軍』と名乗りこの地を歩くようになって数年。ようやくここまで来た。七年前の対戦で成しえなかったことを再びする為に。蔑まされた種族が世界を守る為に、この世界に認められようと『転生天使』は足掻いている。
それなのに……。
空と同じようにヤマトの心の中が曇る。
「シラ……いや、最神。君は何を言ってるんだ?」
「……え?」
「君はちゃんと俺達に死しに行けって言えよ。この世界を守る為に、今までの同胞の弔いの為に、悪魔との決着をつける為の戦争の火種になれって……言えよ」
急な発言にシラは驚き、踏み出した一歩を後退させた。
「……ヤマト」と、不安に満ちた顔をする。その顔にさらに苛立ちが湧き上がった。
「言えよ! お前は俺達の神だろう!?」
「…………」
ヤマトはそう声を張り上げ、シラを見つめる。
「お前が揺らいでどうするんだよ! 俺達が命掛けるんだ! 死にに行けって! この先、生きる民の為に死んで来いって言えよ!!!」
そこまで口に出し、ヤマトは自分の発言に言葉を失う。今までため込んでいた言葉に自分自身が絶望した。
こんなことを言いたかったわけじゃない……。
四年前のガナイド地区悪魔討伐戦を思い出す。あの人の背中が自分の前を歩く……。
自分はあの人と同じ位置にいる。だからあの人の目指した先に向かい皆を率いて歩いていかなければならない。皆を率いて戦場に行く。その不安が自分を押しつぶしているのが分かる。
今までも数々の戦場を駆け抜けた。しかし今回の作戦は今までと比べ物にならない。
この大舞台、何が何でも勝利し、『中界軍』の名を世界に知らしめる。そして転生天使という種族を……。だからこの戦争は特別なのだ。
――例え仕組まれたものだとしても、俺達は……。
「…………悪い」
そう言って彼女から目を逸らす。シラはその場で両手を握りしめ、歯を食いしばった。
「君は戦いの神になるんだろう? 違うのか?」
ヤマトの言葉にシラは首を振り「違いません」と悔しそうにつぶやく。
「なら、頼む。胸を張って俺を送り出せよ……」
「…………」
シラは何かを言い掛けて躊躇し、ヤマトを見つめた。
そして一度深呼吸をすると背筋を伸ばし、堂々たる面持ちで言葉を紡ぐ。
「ヤマト熾天使元帥。今回の作戦、あなたの軍に全てお任せします。しかし死にに行けとは言いません。どうかご武運を……またここでお会いしましょう。私の騎士」
ヤマトは目線をシラに戻すとその場で片膝を付いた。黒いマントが広がる。
「必ず、勝利を貴女様の元へ……我が神」