第4章 16幕
あの時。洞窟で彼の背中を見送った時。突然、別のビジョンが見えた。
空色の髪の女性。髪が揺れ、微笑みを見せるあの女性は……きっと彼の想い人。そう直感した。彼はこの方の為に生き、死ぬ。それが彼の全てなのだと。
それを阻むものがある。黒い何かだ。その何かがはっきりと分からない。
そしてそれを受け入れてはいけないと誰かが自分に言ってくる。その誰かがずっと分からなかった。
しかしあの時、その誰かがやっと分かった。
自分の心と魂の片割れ。天界巫女『アカシナヒコナ』だ。
双子の姉である彼女は自分よりも能力に長けていた。アカシナヒコナの名を受け継ぐのは一人のみ。自分はそのまま殺される運命だった。その運命を覆したのが姉だった。姉は自分を神殿の中から連れ出し、城の外へと逃がしてくれた。
姉は能力を使っている。『死』を早める自分達の能力。それは歳を遡ること。姉の姿が幼い子供に変わり果てたのはその為だろう。姉はこのまま能力を使い続ければやがて赤子になり、死ぬ。
しかしその姉がそうまでして見せて来るビジョン。
彼を黒い何かから遠ざけようと、空色の髪の女性を思い出せと、能力を使って自分に伝えて来る。命を削って。そこまでする意味とは……?
あの時、空色の髪の女性の姿と共に言葉が聞えた。
――生きて。
それを伝える為に、自分はこの作戦に参加したのだ。そう思った。彼を生かす為に、彼を……守るために。
自然と足は動いた。降りしきる雨の中、彼の姿は痛々しく、そして綺麗だった。
あの時、自分は彼に恋をした。
きっとそう……。いや、ずっと前からだったのかもしれない。一目見た時からだったのかもしれない。それはもう今となっては分からない。
彼の想い人の言葉を伝る為に来たはずなのに……自分の気持ちを伝えてしまった。
『生きて……』と。
コハルは大きな深呼吸をして目の前のドアを見つめた。
ここはシルメリアの役所近くにある街で一番大きな病院。その病室の一室の前にコハルはいた。
ドドンガ共同駆除作戦終了から数時間。辺りは昼間のスコールなどまるでなかったかのように穏やかで、窓の外は真っ赤な世界が広がっている。
コハルは窓の外のマーケットを眺め心を落ち着かせると、ドアをゆっりと押した。
静かな病室に入ると中は夕日の灯りに照らされ眩しい。日よけを掛けなければ、そう思ったところで立ち止まる。
「レイン様?」
病室の窓辺に手を添え、佇む青年の横顔に一瞬見とれる。物思いに更けた彼の表情に、胸の中がとくんと音を鳴らした。
「コハル……」
レインはこちらを振り返ると微笑む。その右手は痛々しく包帯で巻かれ、首から布で吊るしていた。
「すみません……ノックもせずに」
「あ、いや……大丈夫。少し前に目が覚めたんだ」
レインは少し不安そうな顔をしながら「ルイは?」と質問する。
「大丈夫です、隣の病室に。けど、まだ目は覚めていないので、お話は出来ていませんが」
「そう……よかった」
安堵の声を出す彼に近づき、握っていたものを差し出す。
コハルの手にあるのは綺麗に洗われ畳まれた赤のリボンだった。
「これ、大切なものなんですよね?」
レインは一瞬驚くと、微笑みながら差し出されたリボンを受け取る。
「うん。ありがとう……。すごく……すごく大切なものなんだ」
彼の切なそうな声にコハルの心がチクリとした。何を考えているんだ。そう自分を叱っても、その気持ちは止まらない。
「レイン様……あの……」
冷静さを取り戻そうと両手を自分の胸の前に持って来る。
「あの……あなた様の抱えているもの、それはとても大きいものです」
「……」
「レイン様。私はその大きなものが何かはまだ分かりません。けど……あなた様が抱えている重荷を私にも分けてください。その大きな何かを……私も……」
そこまで話して言葉が詰まってしまう。巫女としての言葉なのか、ただの自分の心の言葉なのか分からなくなったからだ。
彼の瞳にはあのお方がいる。けど……自分は……彼の力になりたい。
この気持ちに嘘は付きたくなかった。自分の心に素直になりたい。そう思った。
真剣な顔をしたコハルにレインは目を細める。それだけでよかった。コハルはその微笑みに自分も答えた。
イレアは赤く染まる空をぼうっと眺め、病院の廊下にある窓に頬杖を付いていた。身体のあちこちは切り傷だらけ、髪もスコールに打たれべたついている。しかし家に帰る気にもなれず、ただ夕日が沈んでいくのを眺めていた。
「イレア」
声を掛けられ振り向くと、そこにいたのは右腕を包帯で巻き、首から布で腕を吊るした姿のレインだった。
「レインさん!」
一瞬嬉しくなり、大きな声を上げる。しかしここが病院だったことを思い出し、口を押えた。
「目が覚めたんですね」
「ああ、さっきね」
「お怪我は……その……大丈夫ですか?」
申し訳なさそうに話すとレインは笑い掛ける。
「大丈夫。シルメリアの治療はすごいな。綺麗に塞がりそうだ」
「そうですか……」
「ルイ、まだ目が覚めないって?」
「……はい」
イレアの曇った声にレインは「あいつ丈夫だからすぐ起きて来るさ」と声を掛けてくれた。
そんな彼の優しさに微笑む。
「あの、レインさん!」
イレアは急にかしこまった言い方をして、彼を見つめる。そんな声にレインは驚き「はい」と返事をした。
「あの! ごめんなさい」
イレアはそう言って頭を下げた。
「今回のこと……ごめんなさい」
「いや、イレアが謝る事じゃない。俺の体調が万全じゃなかったのも原因だし、ルイ自身にも問題があった。だから、俺の方こそごめん」
逆に謝られ、イレアは顔を上げる。
「俺がもう少ししっかりしないといけなかった。本来なら誰も怪我をしなかったかもしれない。今回のことは俺とルイが招いたことだ」
「……レインさん」
イレアは更に謝ろうと口を開ける。しかし思い止まった。
「レインさんはやっぱり救世主ですね」
「へ!?」
急な言葉にレインはイレアを見つめる。
「異国の衣を纏ったよそ者は、やがて街の救世主になる。小さい頃によく聞いたおとぎ話です。私、レインさんと初めてあった時、絶対そうだって思いました。私の運命を変える人だって。やっぱりそうだった……」
「俺は、何もしてないと思うけど?」
「いや、してます」とイレアは首を振る。
「私の素直な気持ちに気づかせてくれた救世主。ずっと逃げてたんです。……嫌だ嫌だっていいながら。けど……分かった」
「……?」
レインは何を言っているのか分からないようで首を傾げる。
「私の勝手な話ですみません。けど……ありがとうございました」
急にお礼を言われ、彼は更に首を傾ける。
「えっと……よくわからない」
「いいんです! いいんです!! 私なりのケジメなんです!」と、笑いながら手を振った。
レインはこちらに笑い返すと窓の外を眺める。そんな横顔に少し安心した。そして今まで気になっていたことを口にする。
「レインさんって、好きな人いるんですよね?」
「……!?」
急な質問に彼はイレアの顔を見る。日頃、大人びている表情とは違う一面を見たイレアは驚いた。こんな顔もするんだ……と。
「え? なに!? 急に……」
「いや、どうなのかなって」
「…………」
レインは恥ずかしそうにしながらもう一度窓の外を眺める。
「いるよ。大切な人が」
まっすぐな言葉と瞳にさらに驚く。
「どんな人なんですか?」とさらに質問すると、レインは少し顔を赤らめながら「そうだな……」と話し始めた。
「真っすぐな人だよ。自分の意志を強く持ってて、素直で……それでいて眩しい」
「……」
「青空みたいな、そんな人」
笑う彼を見てイレアは微笑む。ああ……これは敵わないや。そう思った。
レインは「そろそろ長のところに行かないと」と話を逸らし、窓から離れる。
恥ずかしそうにする彼を見れたのは新鮮だったが、イレアはそれ以上聞き出すのを辞めた。
彼の背中が小さくなり、曲がり角へ消える頃、イレアは大きな深呼吸をした。
何だろう。少しすっきりしている自分がいる。
そして大きく伸びをすると廊下から病室へと入った。中にはベッドに横になるコバルトブルーの髪の青年。目を閉じ、真っ白の肌をした彼の横に付くと隣の椅子に座る。
「……イレア?」
急に名を呼ばれ、イレアは座った椅子から立ち上がった。
「ルイ!?」
声を掛けると薄っすらと目を開けた彼がこちらを見ている。
「ルイ!」と、もう一度声を掛けた。
「聞こえてる……耳元でうるさい」
その声に安心したのか、イレアの頬に涙が伝った。
「……泣くなよ」
「だって……だって」と、イレアは鼻を啜りルイの顔を覗き込んだ。
「いなくなるのかと思った。あんなこと言って、いなくなるとか……嫌だ」
「……悪かった」
ルイの声が擦れる。いつもの威勢のいい声と違う彼にイレアは微笑む。
「イレア」と、ルイはもう一度名前を呼んだ。
「もう一回、言わせてくれ」
「何を?」
「好きだ……」
「……」
ルイの素直な言葉が心に溢れる。
「俺……どんなことがあろうと、お前とシルメリアを守っていきたい。俺は……ずっとまえから」そこまで話しルイは顔を赤くした。
「……なに言ってんだろ」
彼にイレアはくすくすと笑う。
そして「告白するならもっと特別なシチュエーションでしてよ。ルイなんて大っ嫌い」と言った。
レインは夕日に染まるマーケットを眺め街役場の階段を上がる。シルメリアの夕日はどんな街よりも美しい、そう思った。激しかったスコールなど忘れてしまいそうな夕日。
右手を見つめる。痛々しく巻かれた包帯に顔をしかめた。
いつもの自分らしさのない戦闘だった。心は乱れ、身体の動きも鈍く、全てが後手に回ってしまった。考えれば考えるほど、自分の未熟さを痛感する。
その発端といえるあの黒い渦。今は身を潜めているが、いつ自分を飲み込もうとするのか分からない。不安定な心の中に突如現れるその物体はなにか。
過去の記憶、魂の感情……。それとの関わり方を今後探していかないと。
目の前に長室の扉が見え始める。モヤモヤとした思考を止めなければと息を吸った。
今回の件、チームの皆を危険にさらしたのは自分の責任だ。いくらルイがリーダーとはいえ、自分が乱したのは目に見えている。それをきちんと報告するべきだと思いここまで来た。
しかし目の前の大きな扉は閉められている。入り口が閉ざされているということは来客中だ。
入り口までたどり着いたものの、中に入ることが出来ない状況にレインは悩んだ。
もう少しここで待ってみるか、それとも出直すか……。そう思っていると、扉がゆっくりと開かれる。
そこから顔を出したのは秘書のアグニスだった。ラビット族の彼女が自分の足音を聞き分け、開けてくれたのだろう。
「レイン、お帰りなさい。中へどうぞ」
アグニスは部屋の中へと戻る。中に進むとデスクに座るライの姿があった。
「おお! レイン、目が覚めたか?」
明るい声にレインは「先ほどですが……」と返事をした。
「すぐに来てくれたのか? 悪いな」
「俺の心配より、ルイの心配はいいんですか?」
「あいつのことは心配していない。どうせ生きてるんだろう? なら数日したらひょっこりここに来るだろうし」
「……あなたらしい」
レインの言葉にライはニヤリと笑う。そして「報告はこっちの案件が終わってから聞く」とデスクの前に立つ来客の姿を見つめた。
「お前を通したのは、ここ最近の軍事事情を一番に知ってるのはお前だと思ったからだ。この子たちの話が本当か聞いてくれ」
「本当です! 他の街はどんどん軍の鎮圧作戦で攻撃されてて、みんな行く宛がないんです! だから!!」
ライの言葉を遮るように来客は声を上げる。その声の主は小さな少年だった。少年は猫の耳と尾を持ったビーストで、歳は十五ぐらいだろう。その隣には更に小柄な同じ耳と尾を持った少女がいる。どうやら兄妹のようだ。
「その鎮圧された街で黒い軍の奴らが来て!」
少年の言葉を聞きながらレインはライの座る横に立った。
「あああ!!!」
急に少年に大きな声を上げられ、部屋にいる全員が驚く。
「おにい……」
妹が大きな声を出している兄の裾を引っ張りながら、こちらを指さす。
「本当にいた!!」と少年もレインを見つめた。
「え? なに?」
レインは今の状況が飲み込めずライを見る。ライもわけが分からず、肩を少し上げるだけだ。
「若草色の髪の、左目に大きな傷のある男……」
猫の兄妹はこちらをじっと見たまま動かない。レインはそんな二人に近づくと、片膝を付いて妹の目線をまで落とした。
「えっと……俺になにか?」と問いかけるが、妹は兄に抱き着いてこちらを警戒してしまう。
「黒い軍人が言ったんだ」
そんな妹を庇いつつ、兄は話を始めた。
「若草色の髪の、左目に大きな傷のある男を探せ。シルメリアにいるはずだって」
「…………」
レインはもう一度ライを見る。ライは「そいつはどんな奴だった?」と質問してみた。
「全身黒ずくめだった! 髪も目も! そんで真っ黒の大きなマントをして『黒騎士』って呼ばれてた」
レインは目を見開き息を飲む。
「ヤマト……」
その名を口に出すとライが何かを察し、「知り合いか?」と今度はこちらに質問してくる。
「ああ……。けど、ヤマトが元帥マントを? あいつが元帥に?」
レインの驚いた顔を見て、ライはますます面白そうにほくそ笑む。
「で? その元帥様が何て?」
少年はライの方を一瞬見るが、レインに向き直り話し始めた。
「黒ずくめの男はあんたを見つけたら伝言をしてくれって言ってきたんだ」
「伝言?」
レインの言葉に少年は頷く。
「……『よお、腐れ縁。世界を変える覚悟はできたか?』……って」
レインはその場から動くことが出来ず、ただ少年の瞳を見つめることしかできなかった。