前編
今日はーー今日もいつも通り、平凡でつまらない日だった。
いや、そのはず、だったんだ。
ーーあの電話がかかってくるまでは。
~
ブブブと、ポケットに入れていたスマートフォンが震えて、着信を知らせる。
こんな夜遅くにかけてくるなんて、迷惑な奴だな……。
悪態をつきながら、目の前の壁にかけてある時計に目をやる。午前2時22分ーー微妙にゾロ目だ。
そんな関係のないことを思いながら、未だに着信が続いているスマートフォンを手にとる。
「もしもし?」
液晶画面も見ずに、ボタンを押して耳にあてる。電話をかけてきた相手の名前は基本的に見ないのだ。というより、見る必要がない。
声と話し方でたいてい誰かは分かるし、何よりこんな夜遅くにかけてくる非常識な輩は、私が知る限り1人しかいない。
きっと、今日もハイテンションにしょうもないことを話し出すのだろう。夜も遅いというのに、毎日元気なことだ。
『あ……。もしもし……あのね』
しかし、今日は違った。
声も、話し方も、明らかにいつもとは違う。どうして?ーーなんて、それもそのはず。いつもと人が違うのだから。
スマートフォンを耳から離し、画面を見て確認する。
うん、やっぱり違う。……ちぇ、なんだか恥ずかしいじゃないか。
電話をかけてきた相手はいつも通りの予想していた輩ではなく、あまり話したこともないクラスメイトだった。
こんな夜遅くにかけてくる非常識な輩が私の周りに2人もいたとは……衝撃だ。
「……んっと、未来ちゃんがかけてくるなんて珍しいね。どうしたの?」
『……夜遅くに、いきなりごめんね。えっと、その、なんて言ったらいいのか、分からないんだけれどーー』
いつもハキハキと話す未来ちゃん……にしては珍しく、妙に歯切れが悪い。
なんだか分からないけれど、嫌な予感がする。
『……唯ちゃんって、菜緒と仲良かったよね。だから……っ。噂に流されずに知っていてほしいの。あの子もきっと、それを望んでると思う、から。うっ……』
話がまったくと言って良いほど、読めない。急に、菜緒ーーいつも電話をかけてくる非常識な輩ーーの名前を出してきたかと思うと、私に"知っていてほしい"? いったい、どういうこと?
それにーー泣いている。妙に歯切れが悪かったのは、電話越しの彼女が泣いているからだ。いったい、何故?
嫌な予感は膨らむ一方。
「ね、ねぇ。何で、泣いているの……?」
『前置きが、長くなっちゃったね……。どうしても、唯ちゃんに言うのは躊躇っちゃうんだ』
「だから! さっきから何のことなのってーー」
つい、もどかしくて、責めるような口調になってしまう。
しかし、その口調を更に強い言葉で遮られる。
『そんな呑気なことじゃないんだよっ! 今日、菜緒が死んだの……。マンションの屋上から飛び降りて、自殺だって……』
「は?」
耳に入ってきた言葉があまりにも聞き慣れないものばかりで、間抜けな声が漏れる。
ーー嫌な予感は、的中してしまった。
いやいや、待って。頭が追いつかない。菜緒が死んだ? しかも自殺? あの明るい菜緒が?
そんなはず……ない。あり得るわけがないじゃないか。悪い冗談に決まってる、未来ちゃんの話し方が真に迫って聞こえるのも気のせい。きっと今も未来ちゃんの隣で菜緒は、騙されてやんの、と笑ってるに違いない。
「は、ははっ。冗談やめてよね。菜緒だってそこにいるんでしょ?」
『……冗談じゃ、ないんだよ。冗談なんかで、こんなこと、言わないよ……。菜緒は……もう、いない。私が菜緒と同じマンションで部屋も隣なの知ってるよね? 菜緒は、うちのマンションの屋上から飛び降りて……。だから、見たし、知っているの』
淡々とまるで自分にも言い聞かせるように話を続ける未来ちゃん。先ほどまでの泣いている感じは、もうない。
「マンションが一緒なのは、知ってたけれど……。見たって……。本当に冗談じゃ、ない、の? だって、あの、菜緒だよ……?」
本当なわけがない。
頭の中で否定して否定して否定しつくして、未来ちゃんに確認する。電話越しに、尋ねた声は震えていた。
『冗談じゃない、よ。菜緒は死んだの。明日になって学校に行けば分かるよ。……なんなら、今からマンションにでも来る?』
こんな風に強く出られたら……本当のことのように、聞こえるからやめてほしい。
私には、まだ、あの子とお別れなんて受け入れられないし、受け取るつもりもない。
と、未来ちゃんへの返答に困っていたその瞬間だった。下ーー1階から、かなり大きな話し声が聞こえてきた。
声からしてお母さんのはずだけれど、おかしいな。確か寝ていたはずなのに……。
ほんの少しの疑問から間もなくして、ドタドタという音と共にお母さんが私の部屋に飛び込んできた。急いでいたのか、ノックもせずに、だ。
「え、なに? ……ちょっとごめん、未来ちゃん」
いきなりのことに驚きながら、未来ちゃんに一言詫びて、お母さんに目をやる。
「さっきね、電話があって……。菜緒ちゃん、マンションから飛び降り自殺だって……」
「もう……なんでなのっ……。知ってる……知ってるんだってば! お母さんはちょっと出ててよっ!」
同じことを何度も言われて、頭に血がのぼったのかもしれない。夜も遅いというのに、大声で怒鳴ってしまった。はっとして正気に戻ったときには、もう遅い。
「……ごめんね」
一言だけ残して、お母さんは私の言った通りに部屋から出て行ってくれた。
「うぅ……ひっ、菜緒ぉ…っ」
お母さんが出て行ったと思ったらなんだか、安心して無意識のうちに泣いていた。目から溢れる涙が止まらない。ーー止め方が、分からない。
『……全部聞いちゃってて、ごめん』
しばらくして、スマートフォンから未来ちゃんの声が聞こえてきた。
そっか、繋がったままだったっけ。
「…………別に良いよ。冗談じゃないってことも、分かったし……」
分かりたくも、なかったけれど。そんな心の独り言は、口に出さなかった。
もう何も言いたくないし、考えたくない。でもこれ以上、電話で沈黙を続けるのも、なんとなく気まずかった。
少しの間、心を落ち着けて冷静に考えて涙を拭ってーー意を決した。
「で、さ。未来ちゃんは私に何かを知ってほしい……んだよね? それってどういう意味?」
何かを知る勇気。奈緒が最期……に、残そうとしたものがあるのなら。
それがどんなものであろうと、私は知りたい。
『うんーー菜緒から唯ちゃん宛に、って手紙を預かってるの。昨日渡されて……そのときには、もう死ぬことを決めてたんだと思う。だから正真正銘、唯ちゃんに向けた最期のメッセージ。……直接渡せって言ったんだけれど、私に渡してほしいって……泣いてしまうからって。これが菜緒から私への最期のお願いなの。唯ちゃんに手紙を渡してーー』
未来ちゃんの言葉を聞こうとしても、上手く頭に入ってこない。
ーー手紙? メッセージ?
そんなの、いらない。泣いてしまう、なんて。泣けば良かったのに。私に、一言でも相談してくれれば良かったのにーー。
そういえば、菜緒の泣き顔を見たことがなかった。相談もいつも私がする側で、菜緒に相談されたことはなかった。自分自身の嫌なところがどんどん思い浮かんでくる。
私がもっと話を聞いていれば……頼りがいがあれば。
そんな考えても仕方がないことばかり、頭の中をぐるぐる回る。
ダメだなぁ。後悔ばっかり。こんなことなら、もっと菜緒に、好きだ大切だって伝えていれば良かった。いつも照れ隠しで、素っ気ない態度ばかりしていた私は……バカみたいだ。
あぁ、またダメ。考えても、もう遅いのに。
だから、さっき決めたんだ。何かを、菜緒が伝えたかったことを、知るって。例えそれが、私に対する恨みであろうと。何であろうと。
泣いて泣いて後悔するのは、何かを知ってからでも遅くはない。遅すぎることは、ないはずだ。ーーもう一度、涙を拭う。
「ね……その、手紙。今から取りに行っても良い?未来ちゃんのマンション、知ってるし」
気付けば、私はそう口走っていた。
きっと話の文脈ガン無視で、もしかすると、未来ちゃんがまだ話していたかもしれない。だけど、どうしても、今。今しかない気がして、今すぐにでも何かをしたい。でないと、ずっと菜緒のことを考えてしまいそうなんだ。
『今から? ……良い、けど。今はまだマンションに……警察とか、いっぱいいるから**公園で待ち合わせでどう?』
「了解。すぐ、向かうから」
意外とすんなり了承してくれたことに驚きながら言って、電話を切る。
指定された公園は、私の家と菜緒……未来ちゃんのマンションのちょうど真ん中くらいだ。
歩いても行けるが、自転車で行くことにする。ーー早く早く早く。何かに急かされるようにして、引き出しから自転車の鍵を取り、格好もそのままに階段を駆け下りる。
「お母さん、ごめん。ちょっと、本当にちょっとなの。菜緒に……菜緒の最期の言葉、聞いてくるね」
玄関で靴を履きながら、何事かと心配して出てきたお母さんに告げる。
無反応なお母さんに、じゃあね、と言って外に出る。
「……気をつけて、行ってきなさい」
ドアを開けた瞬間、そんなお母さんの声が聞こえた気がした。