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戸惑い~未熟者の達人~

「はー。気持ちよかったーー」

 午後11時。優菜は自室のシャワールームを出るところだった。髪を乾かし服を着る。ちなみに優菜は寝巻きはTシャツ短パン派だ。

 続いてストレッチを済ませる。日中の仕事とレッスン、アイドルとしてまたシンガー志望者として、やるべきことは全て終えた。あとはリラックスタイムである。やっぱり自室は快適で、一番気が緩む。

「ふにゃー」

 ベッドに倒れこみ、締まっておいたクリアファイルを取り出す。クリアファイルの中には正確に30通のファンレター。これは事務所に届く分を毎日もらっている。夜眠る前には5通読んでいる。

あれ? 優菜は少し驚く。今日の30通目、つまり最後にベッドで読む分も、昨日と、一昨日と同じ便箋だった。水色の和紙で作られたレターブックに入った大学ノートの1ページ。たしか差出人は「ラーメン大好き小池さん」だった。連続で3日も同じものが最後に来るというのは面白い偶然だなー。

「クンクン」

思わず匂いをかいでみる。そうこの便箋は昨日も一昨日もそうだったけど、なんだかいい匂いがする。柑橘系で透明感がある、優菜の好きな香りだ。不思議な偶然と、素敵な香りに少しわくわくして便箋をあけてみる。


小松優菜さま

今日ブログに出てたラーメン屋。俺もいったことがあります。店名は書いてなかったですけど、新横浜の龍月庵ですよね? あそこ美味しいですよね。美味しそうに食べてる優菜さんが子どもみたいで可愛かったです。やっぱり魚介系スープには縮れ麺がいいと思うのです。ちなみに餃子もサクサクでウマーなのでゼヒ。ジーンズのCM見ました。いつもと違うクールな感じがカッコよかったです。俺は服屋は苦手なのですが…なんとか買いに…いけたらいいな、と思いました。ではでは、毎日お疲れさまです」


嬉しい驚きだった。龍月庵は食べ歩きの番組でいったラーメン屋だったのだが、わけあって放送が中止になってしまったので、店名は出さないという約束でブログにアップしたものだった。これをアップしたラーメンの画像でバッチリ当てられたのだ。

「餃子かー。気になってはいたんだよねー」

あと、ジーンズのCMも小柄で童顔の自分としては新境地に挑戦するべく、カッコイイ感じを意識していた。それも感じてくれたみたいで嬉しい。

食の好みといい、この人とは気があうかもしれないなー。そんな風に思うとなんだが心が弾むようだった。これまで届いた彼(彼女?)のファンレターも嬉しい内容だった。ベッドの上で読んではニヤニヤしてしまう。

明日もこの水色の便箋が届くといいな。優菜はそんな風に思った。


幸太が「小川」の母親が経営しているという設定のセレクトショップ「PCC」で働き始めてから3日が経った。

「小川くん。この靴はどこにおいたらいい?」

予想通り、というべきか、幸太の仕事ぶりにはいくらか問題があった。口下手な上に人見知り。接客態度ははっきりいってよくない。

「あー、うん。黒のパーカーのハンガーの下に置いといて」

「えっと、ここ? じゃあこれで並べるのは終わったから…倉庫の整理してくるよ」

 ただ、いいところも発見できていた。真面目な男。というのが春都の素朴な感想である。不器用ではあるが、ちゃんと仕事をしようとする姿勢はある。たいして面白くもないであろう仕事を黙々とこなして、覚えようと頑張っている。これなら、なんで今までニートなんてやってたんだろうと疑問がわくほどだ。

「倉庫はいいよ。それより新作のジャケットが入ってきたから、ちょっと試着してみてくれない? 僕だとサイズが合わなくてさ。お客さんに勧める参考にしたいからシルエットがみたい」

「えーっ? また?」

「お願い! ほら今誰も客いないし」

こうして何度と無く服を試着させていく。これも幸太をここで働かせる理由の一つである。

「う~ん」

幸太は試着が好きではない。本人の話では服を買いに行って店員が声をかけてきたら逃げてしまうほどらしい。

 それはわかる。そういう人は大勢いる。理由としては人と話すのが嫌、恥かしい。というのがある。特に幸太のような自分に自信のないタイプはオシャレな服屋でカッコイイ服を身につけるなど「どうせ似合いもしないくせに」と思われているようで辛いらしい。

「まぁまぁ、さっきのみたいに案外似合うかもしれないぜ」

 しかしそれではいけない。ファッションというのは人間関係において重要なファクターなのだ。武装といってもいい。清潔感のある服が相手に好感を与える理由の一つは健康であることをアピールできるからで、センスのよいものを着るのは、社会の状況と自分の個性を把握するコミニュケーション能力と知性の証明なのだ。健康、コミュニケーション能力、知性、これらの高さは動物の本能に訴える「魅力」なのだ。

「わかったよ。じゃあ」

 それを教え込まれている春都は、多少強引にでも幸太に似合う服を試着させ、賛辞を送ってその気にさせ、店員特典ということで安く購入させている。「友人」の言葉には説得力があることを利用した方法だった。

10分後。幸太は新しいジャケットを購入することにしていた。

「まあ、思ったより高くないし、いいかな。ちょっとかっこいいし…」

 照れ笑いを浮かべる幸太。どうやらオシャレをすることが少しずつ楽しくなってきているらしい。

 (そりゃそうだろう。その服はホントは売値の何十倍もする値段のブランド品なんだぜ・しかもこの僕が見立ててるんだから似合うに決まってるさ)

 春都はそんな言葉を飲み込む。このショップは表向きには「小川」の母親が経営している普通の服屋だが、裏の顔としては春都たちロマンスメイカーが仕事の際に衣装として利用する服や小物を集めた倉庫なのだ。当然、あらゆる局面に対応するため、最高の品揃えを誇っている。ファッションに疎い幸太はそのことに気づかないまま、着々と身だしなみが向上している。

「もう7時か。幸太、そろそろ閉店だからもうあがっていいよ」

時計をみた春都が声をかける。

「え? でも7時半まででしょ?」

「もう客もほとんど来ないだろうし、いいよ」

バイトとはいえ、それなりに疲労はするだろう。まして就業経験のない幸太ならなおさらだ。そう思っての言葉だった。

「い、いいよ。最後までいるよ。片付けとかもあるんでしょ? 俺も手伝うよ」

明らかに幸太は疲れてた。しかし春都、いや「小川」を気遣って残るといっている。

 春都はだんだん分かってきた。要するに幸太は自分のことを軽視し、人のことをよく考えるやつなのだ。だから臆病になって人付き合いが苦手で、自分の未来に希望をもってないから働こうとしない。しかし友人である「小川」のためなら働ける。不器用さから過去に周囲に馬鹿にされ続けた経験ゆえなのかもしれない。

 ニートでオタクで、まったくモテない上、友達もいない。そんな悲惨な状態の男ではある。だけどこんなに悲惨になって当然というようなヤツじゃない。そんな風に思う。

 「そう? んじゃ。お願い。あ、そーいえば、明日ひま?」

 幸太がひまなのはわかってた。予定などあるはずもない。

 「まぁ…ひま…かな。なんで?」

 「家いっていい? 前言ってた、鬼っ娘キキちゃんのDVD観たいんだよねー」

 仕事のためではあるが、まぁ、観たくないわけではない。これまで触れたことはなかったが、意外とマニアックなアニメというものも面白く感じ始めていた。

 「ああ! いいよ。この前ブルーレイも買ったんだよ! 俺もブルーレイではまだみてないんだよね!」

 「よろしく」

 その後しばらく、雑談をかわし、その日の春都の仕事は終わりとなった。

 帰り道。愛車であるヤマハの750CCのバイクを走らせながら、今回の仕事について少し考えた。難易度が非常に高いため、ターゲットと直接接触する機会がこれまでで一番多い。そのせいなのか、だんだんと幸太と仲良くなっていっているような自分が面白くて、春都は小さく笑った。


 幸太と別れて数時間後、春都は都内のホテルの1室に帰ってきた。ここが今回の仕事をしている間の仮の住まいである。

 「あ、春都くん。おかえりなさい」

 部屋のドアをあけると、マドカがソファで横になって雑誌を読んでくつろいでいた。

 「…なんでいるのさ」

 春都は若干うんざり目の声をだす。一日中働いてきたわけで、当然疲れている。さっさとと眠りたかった。

 「なんでじゃないですよ。報告がないから聞きにきたんですよ?」 

 「もう少し進んでから報告するつもりだったの」

 仕掛けは順調に進んでいるが、もう少し成果を確認してから報告するつもりだった。 「春都くんはそういうところをおろそかにするのは悪いところですよ。せっかく腕は抜群なのに、そんなんだからいつまでも…」

 「はいはい。わかったよ・じゃあ今から書くからさ」

 いつものマドカの小言が始まると面倒くさい。

 「また適当に書くつもりでしょ」

 「さぁ…」

 「わかりました。状況話してくれるだけでいいですよ。私が文字起こししますから」

 ありがたい申し出だった。さすが長年アシスタントをしてくれたマドカである。

 「じゃあそうしてくれる?」

 「りょーかい! さぁさぁ話して話して!」

 まあ、マドカにしてみれば、春都の負担軽減が半分、自分の興味が半分といったところだろう。他人の恋の話と裏事情が大好きなマドカ。ある意味仕事が天職ともいえる。マドカはソファからおきあがり、ノートパソコンを取り出した。

 「んじゃまあ、パープルローズ作戦から」

 パープルローズ作戦。これはある有名な少女マンガから拝借した作戦名である。要は常にファンレターを出し続ける、という単純なものだ。

 心理学用語で「好意の返報性」というものがある。誰でも認められたら嬉しいし、好かれたら喜ぶ。そして自分を喜ばせる存在を好ましく思う。人は自分に好意をもつ相手に対して、好意を抱きやすく出来ているのだ。幸太の手紙はファンレターなのだから、当然優菜への好意をつづったもので、しかも文書の内容も悪くない。優菜にとって、それなりに嬉しい文面のはずだ。

 「優菜本人に聞いて確認してるけど、毎回確実に眠るまえに読んでるらしい。香り付けにも気づいている。」

 「なるほどなるほど。快適すりこみ攻撃ですか。まぁ基本ですよね」

 さらに細かい細工も加えてある。もともと幸太は優菜宛にファンレターを毎日出しているが、優菜の正確に毎日30通読むという習慣を利用し、幸太のファンレターを毎日決まった時間、すなわち優菜の就寝直前にあわせるというものだ。

 これは「自身が快適な状態の際に接触したものには好印象を抱きやすい」という人間の心理を利用するというテクニックである。誰でも暑かったり、空腹だったりするとイラつく、そしてそういう状態のときは周りのものにまでイライラしてしまうということは良く知られているが、実はその逆もまた真なのだ。そして大抵の人間がもっとも「快適である」と考えるのは自室。そして時間は一日の活動を終え、眠りにつく直前である。優菜の場合は室温はやや低め、眠る前にはヒーリング系の音楽を聞くことも分かっている。

さらにこの手紙のレターブックには優菜の好きな香りの染み付いた和紙を使用している。春都の家系に伝わる秘蔵の香水の一つだ。

 五感のなかでも嗅覚はダイレクトに大脳新皮質に伝わる唯一の感覚で、人は匂いによって感情や思考を左右されるのだ。ふとした香りで昔を思い出したりするのはこのためだ。

 優菜はこうした快適な状態の際に幸太の手紙を読みつづけている。そうするとどうなるか? 優菜は「この手紙は快適さを与えてくれる」と錯覚し、ひいては手紙に主に好印象を持つようになるのである。また手紙の内容自体も彼女にとって心地よいものだから、さらに香りのことも好きになる。そして、この香りがするものに無意識に好意を持つようになっていくのだ。

「もうどのくらい続けてるんでしたっけ?」

「今日で2週間。習慣化もそろそろ完成かな」

 そしてもっと重要な要素に「習慣化」と「定時性」がある。人は自分の習慣になったもの、見慣れたり、接触回数が多いものに愛着を持つようになるのだ。特に決まった時間ならなおよい。人が恋に落ちる最も大きな要因の一つがこれだ。と春都は教わっている。学校でとなりの席になった、バイトが同じ、家が近い。こうした理由で始まった恋人たちの大半はこれに強く影響されている。そして世の中にはこうしたカップルが一番多いのだ。

「ふんふん。なるほど。さすが春都くんですね!」

 カチャカチャとキーボードを鳴らし、マドカは満足気な笑みを浮かべた。

「で? ユーガットメール作戦のほうは?」

「そっちはまだ報告段階じゃないよ」

 こちらはある有名な恋愛映画から命名した作戦である。準備は着々と進んでいるが「とどめ」はまだだった。

 「今日の報告はもういいでしょ。うん。一応今のところ順調。このままいけば近いうちに最初の成果はでると思う。適当にまとめといてよ」。

 「わかりました。お疲れ様です」

 「はいお疲れ様です」

 部屋を出て行くマドカを横目にしつつ、春都はベッドに倒れこんだ。。

 「ふーっ…あれ?」

 ややかしまさい同僚をおいだした青年は体は疲れているはずなのになにか感情が高ぶっていてすぐに眠りにつけない自分に気づいた。どうやら自分は着々と進んでいる準備、つまり優菜と幸太にロマンスを与える裏工作をマドカに報告することであらためて確認し、その先、つまり準備がもたらす成果を想像したことで気分が高揚しているようだ。あの二人が恋に、落ちる。それをイメージすると何故かソワソワモゾモゾとしてしまう。こんなことは春都の仕事経験では一度もなかったことだった。その原因がなんなのか、それは人間の心理のプロである彼の知識をもってしても、分からなかった。

 

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