工作~ファンレターは端からみるとキモいけど受けとると嬉しい~
芸能界という業界では深夜に仕事をしている者も多い。撮影や録音など、長時間の拘束を要求されることがあるからだ。したがって芸能事務所というところも一般的な企業と比べ、営業時間が長い。
そんなわけで、春都がこの仕事に取り掛かったのは、早朝4時だった。さすがに事、務所に他の人間はいないようだった。薄暗いオフィスには人の気配がまったくない。まぁ誰かしらいることもあるのだろうが、とりあえず、今日はいない。今後も定期的に続ける仕事なので、日々、人がいない時間を狙ってくる必要があるだろう。
あまり時間はない。すぐにすまさなければならなかった。
春都は速やかに優菜のマネージャーのデスクの引き出しを空けた。フライデーのプロデューサーである前谷には許可と鍵をもらってはいるのでけして犯罪行為ではない。
上から三番目の引き出しには大量の葉書や封筒など、つまり手紙がいくつかのクリアファイルにまとめられて入っている。クリアファイルにはそれぞれ違う日付のポストイットが張られており、それぞれ正確に50枚の手紙が入っているはずだ。
「ホント人気あるんだな。あの娘」
小声でつぶやいた春都は、それらの手紙をすべて取り出し、差出人をチェックする。
探している名前が見当たらない。
少々焦るが、差出人の名前が無い手紙が多くあることに気づき、春都は理解した。
幸太は優菜へのファンレターに自分の名前を書いていない。匿名でファンレターを送っている。
考えてみれば実に幸太らしいといえる。なぜそこまで謙虚というか、消極的というかとにかく自己主張が無いのだろうか?
しかしそういうファンは幸太だけではないようで、差出人がない手紙はおよそ二分の一はあった。
春都はため息をつくと、全ての手紙に目を通すことにした。幸太の筆跡は混んでいる居酒屋でペーパーに注文を書かせることで確認済みだ。「からあげ」の「か」、特徴的な字だった。おそらく発見にさほど時間はかからないだろう。
目を通していった五つ目、ごく普通の茶封筒に入った大学ノートの切れ端に幸太の筆跡を見つけた。
なになに。春都は文面に目をやった。
小松 優菜様。
今日、先行予約していた『クリスタルレイク』のPVが届きました。輝く湖をバックに歌うフライデーのメンバーが凄く素敵だったと思います。髪を下ろしていた優菜さんの雰囲気はいつもより柔らかく感じました。たしかあのPVの撮影のとき体調悪かったってブログに書いてあったけど、すごくよかったと思います。頑張ったんですね。なんだか感動しました。
明日は横浜のコンサートに行きます。元気な優菜さんにお会いできるのが楽しみです。少し寒くなってきたので、お体に気をつけてください。いつも応援しています。
字はさほど汚くは無い。長さもちょうど良いくらいだろう。そして文面は
(意外と悪くはないじゃん)
春都は素直に思った。基本的なところは抑えてある。
「ロマンスメイカー」のルーツから、春都は文章、とりわけ恋文の書き方を熟知している。これは和歌であっても、メールであっても、そしてファンレターであっても基本は同じだ。
相手を褒めること、図々しすぎないこと、相手を気遣うこと、好意を伝えること、そしてこれらを過剰にならずに自然に伝えることが大事なのだ。そうした意味で言うと、幸太のファンレターはそれなりの出来であるといえる。多少淡白で面白みにかける感もあるが、匿名のファンレターという媒体であることを考えると妥当であろう。
「文章はいじらなくていいかな」
当初春都は、文面を確認したあとで、加筆訂正を行う予定だった。ベッタリと好意を伝えたり、あるいは性的なニュアンスのある文面、常識を逸脱した文面、具体的には「優菜ちゃん可愛いよハァハァ」とかだった場合は、全部書き直すことも想定していた。
しかし幸太の手紙は内容自体は合格ラインだった。勿論、春都のスキルをもってすればより効果的な文章にすることもできるが、それはしたくなかった。そこまでしてしまうのは、なにか駄目な気がした。
少し考えた春都は結局文面はそのままにすることに決めた。真実なんてないのは分かっているが、わざわざ虚飾を増やすことはない。
(小細工はするけど)
春都は、幸太のファンレターが入っていた茶封筒を破り棄てて、持参した水色のレターブックと小瓶を取り出す。和紙で作られたレターブックに、小瓶からワンプッシュ分の液体を馴染ませる。そのレターブックの中に幸太のファンレターを入れ、差出人のさらにそれを日付ごとに分けられたクリアファイルに入っているファンレターの一番下、正確に上から30番目に忍ばせる。これで一日分が完成だ。差出人の名前は少し考えたが、優菜に与えるインパクトを考慮し、「ラーメン大好き小池さん」と入れておくことにした。
こうした作業を黙々と続ける。数日分を完成させた幸太はひっそりと事務所をあとにした。
ファンレターへの細工を終えた8時間後、春都は都内のスタジオへ到着した。ここでは優菜が雑誌掲載用のグラビア撮影をしていることになっている。前谷の情報ではこの時間は撮影の合間の休憩時間のはずだ。
「お疲れさまでーす」
スタジオに入った春都は予想通りパイプイスに座って雑談をしている優菜に声をかける。
「あれ? 桜木さんだー。お疲れー。どしたの?」
優菜はサンタクロースの格好をした優菜が小さく手を振る。下は赤のミニスカート、多分クリスマスのころに発売される雑誌なのだろう。
「今日はメンバー一人一人を順番に撮影して回ってます。今、休憩時間ですか?」
「うん。実はグラビアの撮影って疲れるんだよ~」
「そーなんですか。せっかくの休憩時間に来ちゃってすいません。あ、じゃあ僕のほう優菜さんの休憩終わって撮影スタートしてから横からとりますね」
にっこりと笑ってみせる。優菜はいいの? と小首をかしげたが、特に問題はなかった。もともと春都の目的は撮影などではない。
「じゃあ、俺その辺ウロウロしときますね。あ、これ一応差し入れです。なんか優菜さんの好きなラーメン味のスナック菓子です。なんか、和歌山県でしか売られてないそうですよ」
これは幸太のブログで紹介されていたスナック菓子である。
「え? なにこれ!? すごい! しかもトンコツ味じゃ~ん。わざわざ調べて取り寄せてくれたんだ!?」
「いえ、たまたまネットで知ったんです。んで、そのページから通販のリンク張られてたんで」
「すごーい。食べてもいい?」
「どうぞどうぞ」
優菜は勢いよく袋をあけ、スナックを一口つまむ。
「おいしー。ありがと!」
ラーメン好きな優菜なので、おおむね予想通りの結果だった。このスナックは幸太のブログでも絶賛されていたものだが、思えば、幸太と優菜の数少ない共通点が味の好みで、春都はこれをフックに第一関門を突破するつもりだった。
「気に入ったのなら良かったです。…実は僕はあんまり好きじゃない味でした。はは」
「えーっ? そーなの? 美味しいのに~。もしかして在庫処分? まぁ、わたしは好きだからいいんだけどね」
「いやー。はは『つれづれ モータウン』っていう名前のブログで見つけたんですけど、なんか他にも優菜さんの好きそうなのでてましたよ。暇なときあったらみてみてください。……とか言ってごまかしてみました」
「あはは。そんなにあせらなくても。えっと『つれづれ モータウン』? だっけ。おっけー」
「じゃ、あとで」
一声かけて春都は場を離れた。これで十分である。春都は依頼人の前谷に頼み、今日の優菜のスケジュールには意図的に空き時間を多く入れてもらっている。彼女の性格からいって、絶対に一度はブログを覗いてくれるはずだ。そして直近の幸太のブログのネタは昨日、春都と一緒にいったラーメン屋の高評価。そして、優菜は数日後には偽の番組のロケでラーメン屋に行ってもらう。そして明日のラーメンはコスト等を度外視しいつもより遥かに美味しくしてもらう。
ここまでやってブログ作戦は完成だ。ラーメン好きで携帯でネットをみることの多い優菜ならば、情報収集がてら、彼女は幸太のブログを追うようになるはずだ。
ブログには勿論、ラーメンの批評だけではなく、幸太の性格や日常も書かれている。昨日彼の文章はオタクなだけあって、ボキャブラリーと雑学が豊富な上、斜めにぶっ飛んどいて、なかなか面白い。さすが毎日掲示板に書き込んでいるだけのことはあるね。というのが春都の感想である。この内容を優菜に伝えることが。今回想定した、遥かなゴールへの第一歩であった。
一端スタジオから出た春都はマドカに電話して指示を伝えたのち、30分ほど時間を空けてから優菜の側にもどった。
優菜さん、と声をかけようと思ったのだが、彼女が想定していない行動をとっていることに少し驚き、少し離れた位置から観察することにした。
幸太のブログをチェックしていないことは別に問題ない。今日はまだまだ時間がある。春都が驚いたのはそこではなく、彼女が楽譜らしきものを真剣な表情で書いていたことだった。時に鼻歌を歌い、頭をひねりつつ書き込んでいる。
彼女は芸能人だし、歌手でもある。が、アイドルだ。少なくとも事前に調べた情報では作曲などをする人物ではない。
さらに近づき譜面を覗きみてみる。楽譜らしきもの、それはやはり楽譜だった。しかも本格的な音楽記号が使われており、そしてちゃんと「曲」になっていた。春都が脳内で再生してみるとやや完成度は低いように思えるが、優しげな旋律だった。これはフライデー13の明るく可愛らしさを強調した曲調とは違う。
「優菜さん。それって…楽譜ですか?」
少し考えたが、春都は普通に声をかけることにした。ターゲットの意外な一面は押さえておく必要も感じたのは勿論だが、純粋に興味もあった。
「え? あ、やだなー。桜木さん。覗きみすんなよー」
少し照れた様子を見せるが、特に気分を害しているわけではなさそうだった。
「すいません。つい」
「んー。そう。楽譜だよ」
「へー。作曲ですか? そんなこともしてるんですか?」
この際、はっきり聞いておいたほうがいいとの判断だった。
優菜は少し、はにかみを見せ答えた。
「うん。まぁ。あ、でも全然まだまだ未熟なんだけどね」
「すごいじゃないですか! 僕は全然音楽とか分からないですけど、難しいんですよね?」
「いやいやいやいや! 全然! ほんとまだ全然! 今勉強中…。あ、これは記事にしないでくれる?」
手を小刻みにふり、否定してみせたあと、ふいに真面目な表情で春都に懇願した。春都のふんする「桜木」はドキュメンタリー小説の作者という設定だ。特に隠れて楽譜を書いていたわけではないから、少なくとも芸能関係者の間では秘密というわけではないのだろうが、文章にされて、一般には知られたくない情報ということだろうか?
「それは、優菜さんがそういうなら。でもどうしてですか? たしか将来的にはソロの歌手になるのが夢、ですよね? それなら別に」
音楽的なスキルがあることををアピールできてイメージアップになるんじゃないのか。そう思う。
「まだたいした曲もかけてないし、それでみんなに知られるとねー。なんだか恥ずかしいよ。納得できるくらいちゃんとしたのものが出来るようになってからにしたいんだ。だから…お願いっ」
茶化したような口調で笑顔も浮かべていたが、その言葉はよどみがなく、重さがあった。
「なるほど。わかりました。大丈夫ですよ。このことは書きません。安心してください」
そうきっぱりと答えると、優菜は安堵のため息をもらした。やはり本気だったようだ。
多分、こういうことだろう、と春都は推測する。
春都がみるに、優菜の書いていた曲は面白い要素を含んでいるようだが、技法などの点でプロのそれのレベルには至っていない。だがあれだけ人気のある彼女の書いた曲なら、おそらく世間はその内容を知りたがり、そして知れば不当にもてはやすだろう。きっと彼女はそれが嫌なのだ。
「ありがと」
「いえいえ。でもちょっと残念ではあります。いいネタだから」
春都はすこし陰りをもたした声と情けない表情を作ってみせる。ドキュメンタリー小説の出来にかかわる、そういう含みを持たせたつもりだ。そうすればもう少し聞きだせるだろう。という判断だった。
「ごめんね…うんとね」
そんな春都の思惑を知るはずもなく優菜はすまなそうに言葉を続けた。
「わたし、作詞作曲する歌手になりたいんだ。シンガーソングライター。でもちゃんと実力をつけてからじゃなきゃ嫌なの。フライデーに入って、いろんな経験できて、勉強になてる。うん。いつか卒業するけど。そのときまで一人前? みたいになりたくて。にだから…」
「そういうことなら喜んで協力しますよ! 僕のことは気にしないでください!」
途中で大きく遮る。おおむね聞き出したことで必要性はなくなったからだ。別に必死で自分の考えを説明してくれる彼女をこれ以上申し訳ない気持ちにさせたくなかった、というわけではない。はずだ。
「それにしても、優菜さんはしっかりしてますね。正直感心しましたよ」
へへへ。と優菜は頭をかいてみせる。子どもみたいな仕草だった。
「照れるぜ」
もういつもの調子に戻ったようだった。
「小松さーん。そろそろ撮影再開しますよー!!」
休憩時間の終了を伝える声が届いた。じゃあ、行ってくるね。と声をかけ優菜は小走りに戻っていく。
「ふーっ」
気づけば、春都は息を漏らしていた。
楽譜の件も想定外だったが、それ以上に優菜の歌手という夢にたいする真摯な姿勢はそれ以上に想定外だった。
フライデーで色々な経験をつんで、勉強して、歌手になりたい。そう語っていた。だがそれは近い将来のこととしてまでは考えていないようだ。
それはフライデーのプロデューサーで今回の依頼人の前谷が、優菜と幸太を結びつけるということを通して描いているシナリオとは少し違う未来のように思えた。