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普通なら楽勝~ただしイケメンに限る~

 なんということだろう。

 杉村幸太は絶望した。大いに絶望していた。

 いやまて、落ち着け。無くすはずはないのだ。もう一度サイフをチェックする。たしかにサイフに入れていた。ない。続いてポケットの中身と背負っていたリュックサックの中身を総点検してみる。しかし

「やっぱりない。うそだろ」

 おもわず独りでつぶやいてしまった。

 今夜は幸太が2ヶ月前から楽しみにしていた夜、フライデー13のアリーナライブが行われる夜だった。フライデーを愛してやまない幸太は当然ながら発売と同時にチケットを入手していた。S席お値段1万2千円。けして安い買い物ではなかった。だが、なくしてしまった。

「あー… はーっ…」

 一番、問題なのはお金のことではない。なによりも今日ライブ会場に入れないことが幸太の心を暗くしていた。

 優菜を近くで見て、歌を聴く。今のところ、幸太の生活のなかにこれに勝る楽しみはなかった。数少ない友達はフライデーのファンではないので付き合ってはくれないが、たとえ一人でも絶対に行きたかった。

 なのにチケットがない。入れておいたはずの場所にない。

 「あぁぁぁ」

 開演時間まであと30分程度しかない。当日券などは売っていない。

 幸太はただただウロウロした。考えられるのはどこかに落とした、ということだが、コンサート会場前の広場は人ごみも多く、しかもあたりはすでに暗くなっている。到底見つけられるとは思えない。

 幸太は肩を落とし、広場の一角にある芝生の上に座り込んだ。

 「あのー、すいません」

 はぁ、なんてことだ。仕方がないからあとでグッズだけでも買っていこう。

 「すいませーん」

 それにしても悲しい。次のコンサートはいつだっけ。ん?

 「どうしたんですか? そろそろ始まるみたいですよ?」

 幸太は自分が声をかけられていることに気づき、顔を上げた。

あまり知らない人と話をするのは得意ではない、というかかなり苦手だ。一瞬無視して立ち去ろうかと思ったが、それはいくらなんでも失礼だろう。少なくともこの人物は悪意があっては話しかけているわけではない。幸太は精一杯頑張って顔を上げ、声をかけてきた人物に答えた。とても小さく早口でボソボソと。

「それが…、あの…、その…チケット落としちゃって。はははしょうがないんですはいデュフフ」」

人と会話するときについ、変な笑いを浮かべるのもクセだった。目もみれない。

「え? マジですか?」

目はみれないが、ちらっと姿を確認してみた。声をかけてきた人物は自分と同年代、おそらくハタチ前後の男性だった。整った顔立ちでスマートな体型をしてはいるが、長く伸ばして結んだだけの黒髪とヨレヨレのシャツは「こちら側」の人間であることを感じさせる。

「まじですよ。はは、仕方が無いからグッズだけは買って帰ろうと思いますデュフフ」

言葉にするとさらに落ち込む。普段から力ない声で話す幸太だが、今日はさらにそれが顕著になる

「あ~。やっぱりそうですか。なにか探してたみたいだから。それでいきなりなんですが」

「はい?」

「もし、よかったらなんですけど、このチケット、買いません?」

「はい!?」

青年は座り込んでいた幸太の隣にしゃがみこみ、さきほどからずっと捜し求めていたものをかざした。

「ええ? なんで? …ですか?」

「あぁ、そうっすよね。まぁ、説明します」

彼は早口で説明してきた。統合するとこういうことらしい。彼、「あ、僕、小川って言います」。小川はディープなフライデーファンらしい。で、今回のコンサートで友達をこっちの世界に引き込むべく、チケットを用意したそうだ。

 「あー、布教活動ですか。なるほど」

 幸太にもそういう覚えがある。回りに同じ趣味の人がいてくれるのは嬉しいものだ。「○○ちゃんは最高だ!」「でも俺は××のほうが好きだ!」「わかる! それもわかる!」はたからみたらまぁ、ちょっとアレかもしれないが、それはそれは楽しいものだ。

「ですよね! でもアイツがですねぇ」

 さらに続ける小川。どうも、その友人という人が、突如これなくなったらしい。しかもその理由が

「あ、俺今日デート入っちゃった! わっり 金は返さなくていいからよ! ですよ? むかつきますよね。いやまぁ、金は払ってもらってたからいいんですよ? まぁ、アイツ金持ちですからね。でもフライデーのチケット取るのめっちゃ大変じゃないですか? ですよね? 抽選もなかなか当たらないし、アイツがちょっといってもいいかなー、とかいいやがるから僕は」

「はぁ…それはそれは」

 ひどい話だ。ファンの幸太にはわかる。チケットをとるのはものすごく大変なのだ。しかもキャンセルの理由が「デート」 なんて、俺だったら…。まぁ、キレられないな。彼女いるようなリア充のイケメンになんて怖くてキレられないよね。うん。爆発しろとは思うけど。

 ああ、でも小川の言いたいことが分かってきた。

「あぁ、そのチケット…ですか?」

「そーです。まぁ、いけないことではありますが。こんな僕たちが偶然であったんだし。定価…とはいいませんよ。半額…ああいいや、終わったあとのメシでもおごってくれれば。僕も一人で見に行くより誰かと盛り上がりたいし」

そうだ。たしかにいけないことだ。基本的にダフ屋行為を禁止されてるし、そもそもフライデーのコンサートチケットは公平な抽選で獲得すべきものだ。

しかし、さきほどまで感じていた絶望。(そうだ、そもそも俺はチケットに当たっていたのだ!)、この運命的な出会い(俺かなり人見知りなのに、小川くんとは結構普通に喋りやすい!)、そしてなによりも、俺、すっげーコンサート観たい! っていうか優菜!

「じゃあ…買います」

「まじっすか!」

「あ、でも…さすがにメシ代だけってのは悪いから、お金はちゃんと払うよ」

「え…」

小川くんが少し意外そうな顔をした。そんなにおかしいだろうか。

「あ、そうですか。じゃああとで。っていうか、もう時間ないですよ。行こう! えっと名前…なんていうんですか?」

「うん。ああぁ、じゃあ。…うん。俺、杉村幸太」

 こうして、幸太には新しい知人が出来た。


春都はコンサートを観ていた。現在日本でもっとも人気のあるアイドルグループのコンサートで、しかも春都と同行者の席はS席。好きな人にとっては大変魅力的で、熱狂すべき状態であるといえる。それは春都の隣で右手を勢いよく突き上げ、大声を上げている男、杉村幸太をみてもよくわかる。

 ちなみに春都自身、周囲の熱狂的なファンと同様に曲に合いの手をいれ、合わせた動きを激しく行い、ときには大声でメンバーの名前を叫んでいる。これは幸太に近づくために今回新規で誕生した「小川」というキャラクターである。ヨレたシャツに束ねた黒髪の長髪、予習の成果もあり、なまはんかなファンよりよっぽど熱心にみえるはずだ。しかし春都の心はステージでおこなわれているパフォーマンスとは別のところにあった。ターゲットB、杉村幸太のことである。

  チケットを幸太から掏り取るところはそれなりに苦労したが、そのあと連れだって連れ立ってコンサートを観るまでの過程は簡単なものだった。親近感をもつようなファッションに身を包み、話しかけるだけだ。もともと同じ趣味をもち、コンサート会場という親近感をもちやすい環境でもあるのだから、春都にとっては玉子を焼くより容易であったといえる。

「優菜―――!」

 さて、この横で叫んでる男、杉村幸太。実際接してみたところ、色々と問題が感じられる。

 まず、第一に外見だ。

 ヒョロヒョロで貧弱な体つきに、やや薄汚れたなんともいえない柄のパーカー、ハイウエストで履いているジーンズも趣味が悪い。髪の毛も無精なのか伸ばし放題でなんのスタイリングもされておらず、寝癖なのかなんなのかわからないハネ方をしている。一言でいうと、世間一般でいうところのイケてないオタクファッションだ。

 春都はこれまでの仕事経験でよくよくわかっている。人は外見が大事だ。

 たしかに、中身だよ、という意見もわからないではない。たしかにこれまでの仕事でも恋に落とすためには趣味やら考え方などをそれなりに誘導したり、脚色したりする必要があった、が。とにかくまずは外見なのだ。ここが駄目だと話にならない。いわば第一関門のふるいようなものだ。「ただしイケメンにかぎる」これはけして間違いではない。容姿にすぐれていればそれだけアドバンテージとなるし、基準点以下の場合はなにをどうしてももう駄目なのだ。そういうものなのだ。男が女に対してよりは、女が男に対してのほうが敷居は低いとはいえ、幸太の容姿ははっきりいってアウトだった。

 つぎに印象。

 これもハッキリいってよくなかった。声が小さく聞き取りづらいし、基本的に人と目をあわせない。男の自分にたいしてもそうなのだから、女性、まして小松優菜だともう絶望的といえよう。

 声質と目をあわせることも、恋愛においてとても大切なことだ。人は声だけで人に好感をもったり、不快感をもったりするし、目をあわせないで行うコミュニケーションはとても不安定な印象を与えてしまう。

 外見と印象、このもっとも大事と思われる二つの点で幸太はマイナス値だった。これではどんな策をもってケアしても、成功率はかなり低くなってしまう。アクションを起こす、すなわち二人を初めて接触させる前にここはなにか手をうっておかなくてはならない

。第一印象で悪いイメージをあたえてしまうと致命傷になりかねないからだ。

「小川くん?」

 ふいに幸太が声をかけてくる。考え込んでしまったせいで、一瞬「熱狂する演技」がとまってしまっていたらしい。

「なに?」

「あ、いや、大丈夫? あの…ひょっとして、あの…のどかわいた? 一応、、ペット、ぺペットボトルのお茶二つ、買ったんだけど…デュフフ」

 そう、ここは意外なポイントだった。

 事前情報によると杉村幸太は、21歳でニートで、アイドルをはじめとする多分野にわたるオタクで、恋愛の経験もなく、友人も少ないということだった。

 この情報から、春都は幸太を性格的にも問題のある困った人物である、と推測していた。

 たしかに、それはそうだと今でも思う。

 ただ、これまで接したなかでは、意外と真面目で、他人のことを考えることもできる人物であるとの印象を受けていた。少なくとも、という事前情報から推測していた、独りよがりでわがままで他人のことを考えない、といったような男ではなかった。チケットのくだりでも金を払うといったし、なにより、初対面の春都に対して、おそらくコミュニケーションは苦手なのだろうが、頑張って会話してきてくれている。語尾を濁して妙な笑いをいれるところはいただけない。

 もっとも、オドオドしすぎで挙動不審な態度が性格的な問題、といえばまさにそうなのだが。少なくとも悪い男ではない。

「飲んでいいの? さんきゅー」

 せっかくの好意なので、受け取る。少なくとも、悪い人間ではなさそうだ。そんな風に思う。

 しかし、現時点ではあくまでも、その程度だ。春都はお茶を一口飲むと、ステージに目を向けた。

「優菜―――――――!!」

「ななちゃーーーー―ん!!!」

 多くのファンに歓声を受けているステージ上の少女たち、なかでも今回のターゲットの小松優菜を見てみる。

 なるほど、たしかにこれだけの人間を夢中にさせるのもわからなくはない。

 先日、直接接したときも、愛らしい容姿に人懐っこい性格と魅力的であったが、ステージ上でプロとして振舞っているところをみると、感嘆すべきものがある。

 歌やダンスは、超人的に上手い、というわけではない。専門のシンガーやダンサーに比べれば数段劣るだろう。と、いうよりも、そうしたものとは根本的に性質の違う歌であり、ダンスである。

 あれはいわば、「アイドルの動き」なのだ、あくまでも愛らしい印象を与える声質、可愛い印象を与えるよう指先まで徹底されている。庇護欲をかきたてる首の傾けかた、胸をときめかせるウインクの表情、耳障りのよい歌声。あれは、そうしようとしてそうしているものだ。おそらく実力派といわれるシンガーやダンサーにも真似できないものだろう。それは照れとか、そういう問題ではなく、実際むずかしいのだ。

 春都はこれまでに、男女問わず、その心を掴むためのさまざまな術を学んできた。表情の作り方、声の出し方、ちょっとした動き、それはすべて人間の本能や、経験に基づく反射を計算したものだ。そんな春都の目からみれば、彼女たちのステージは「可愛い印象を与えて人の心を掴む」ための技術の塊のようなものだった。

 「たいしたもんだ」

 おもわず、小さな声でつぶやく。それは技術そのものに対してというより、それを習得するために、彼女たちがなしたであろう努力に対してだった。

先日、インタビューと称して素顔の優菜とは会話した。その時点では元気で、人懐っこくて、明るい、容姿もよいなど、好印象を与えるパーソナリティ、だが、普通の少女。という認識だった。だが、彼女はそれだけではない。まぎれもないプロだった。

「優菜ーーーーーーー―!! ちょーーーぜつ可愛いーーー!!」

この隣で絶叫している男とあの少女、これは…

「むずかしそうだ……」

「小川くん? あ、あの、、どうしたの?」

「なんでもないよ。高嶺ーーーーーー―!! さいこーーーだあああああ!!!!!」

春都はファンであることにした高嶺の名を大声で叫び、誤魔化した。


コンサートが終わった翌日、春都は都内のホテルの1室で、仕事の補佐役のマドカと電話で話していた。

「昨日今日の春都くんの行動はわかりました。で、どうなんですか? 二人の印象は? 今回は話きいただけでしんどそうですけど」

マドカは小さいときから春都の顔見知りの「お姉さん」で仕事仲間だ。ただ、今の質問は仕事としてではなく、彼女自身の興味から発したものだろう。人気美少女アイドルとそのファンのオタクのニート青年、この二人のラブロマンスはそれは関心を引くだろう。

「マドカさん暇なの? いや…、まぁいいんだけどさ。そうだな…まず杉村幸太だけど」

春都は幸太と過ごした夜のことをふりかえったみた。

「少なくとも嫌なやつではないよ。変なヤツではある」

「ほへー。そうなんですか?」

杉村幸太は嫌なやつではなかった。

コンサートが終わったあと、春都は幸太と一緒に帰り、チェーン店の居酒屋で飲んだ。した。おそらく幸太は普段、その日あったばかりの人間と飲みにいくような男ではないが、コンサートを見終わった直後という精神的興奮状態、同好の士であるということ、そしてなによりチケットを売ってくれた人間であることから、春都の誘いに応じたのだろう。要するにコンサートの感想や興奮を人と分かちあいたかったということだ。実際、フライデー13及び、高嶺ファンを完璧に演じた春都と幸太は大いに盛り上がった。

「でも、ニートですよね?」

マドカは容赦がない。まぁ、ニートというのはたしかにほめられたことではないだろう。特にマドカのような真面目で有能なオトナの女性からするともってのほかに思うのだろう。

「まあね」

春都はその辺もさりげなく聞いてみていた。

「学生?」

 違うことが分かっていて聞いた春都の質問に幸太は、自分は大学を中退したニートであると語った。突っ込んだ質問だったが、それなりに酒も飲ましておいたこともあり、本心に近い部分だったはずだ。

「い、いいんだよ。今のところ、人に迷惑かけてないし。いつか駄目になるかもしれないけど、今はそれで。貯金がなくなったら、もうしょうがないから、給料少なくても楽なバイトでもするしかないなデュフフ」

幸太の家庭はとくにお金持ちというわけではない。しかし理由は分からないが「今のところ誰にも迷惑かけていない」という発言の際に虚栄や誤魔化しのシグナルは見えなかった。もしかしたら過去になんらかの方法で当面の生活費を得ており、現在はそれを食いつぶして生活しているのかもしれない。

「給料少なくてもいいの?」

「高い給料もらえるような仕事は俺には無理だから。底辺の生活でいきていくさ。それしかないでしょ」

 少し突っ込んで聞いてみた質問に幸太は、何を馬鹿な、とでも言いたげに答えた。

 春都の観察眼をもってしても、これが本心なのかどうか、わからなかった。いや、表情や口ぶりからは嘘を見つけられなかったが、そんなことは信じられなかったのだ。

 今は楽しいニートくらし、でもそれが終わることも分かっている。そのときが来たら、なにもかもあきらめる。まだ二十歳の青年が、心からそんな風に思えるのか、春都には推し量れなかった。

「っていう感じ。正直現段階ではわからないな」

「ふーん。私はそういう感じはあんまり好きじゃないです」

 マドカの口ぶりからは嫌悪感が感じられた。それもわかる。ネガティブに過ぎる言動が人に与える印象はこんなものだ。

「でも、嫌なヤツではないんですか?」

「だって、別に乱暴でも、卑怯でもないだろ? それに人のことを考えられるやつだと思う。自己中心的なやつよりましだよ。卑屈ではあるけどね」

 居酒屋からの帰り、春都は幸太と同じ電車で帰った。二人が乗ったとき、土曜の夜の車内は乗車率は100%、つまり立っている乗客はいなかったが、空いている席もない。という状態だった。

 そんななか、次の乗車駅でちょうど二人分の席が空いた。が、幸太は座ろうとしなかった。

「座らないの?」

「座らない」

「なんで? まだ先だろ?」

 席が空いているのに座らない。他に立っている客はいないのに。コンサートはオールスタンディングで脚は疲れているはずなのに。いや実際幸太は立っているのが辛そうだった。しかし座らない。

「だって、俺が座ったあとに、妊婦さんとか、おばあちゃんとか着たらきまずいから」

 さっぱりわからなかった。

「そしたらそのとき席譲ればいいんじゃないの?」

「そんなこと出来ないよウフフ。俺が座ってた席に座るのが嫌だと思われるかもしれないし、 周りの人にキモいくせいにカッコつけるなと思われるかもしれないし、他に譲ろうと思う人がいたら悪いし、譲ってあげたくなるだろうけど、実際やる決断するまで俺めっちゃ葛藤するし、そんな色々大変なくらいだったら、立ってるほうがずっとマシ。小川くんは座れば」

 幸太は一気にそう答えた。思わずポカンとしてしまったが、どうやら本気で言っているらしい。

「いや、たしかにそうかも。僕も立ってるよ」

 何故そういう思考回路になるのか理解に苦しむが、少なくとも、自分より体力の無い人間、立っているのが辛い人間に席を譲りたいという気持ちは持ってるわけだ。そこに思い至った春都はこの妙にネガティブな男に付き合いたい気持ちになったのだった。

 ちなみに、その後、妊婦やお年寄りは電車に乗ってこず、若い男が二人乗ってきて、あけていた席に座り、さきほどまで行っていた合コンの不満を語りあう結果になった。

「と、いう感じのヤツだった」

「うーん。それって…微妙じゃないですか?」

「おっしゃるとおりで。あ、そうそう。一応優菜との共通の趣味も見つけた」

「え? そんなのあったんですか? そこを突破口に!? なんなんですか?」

「ラーメンが好き」

「…それって共通の趣味ですか? それなら私だって好きですよ。春都くんは嫌いですか? それって役に立ちます?」

 マドカは不満そうだが、こういうところが意外と大事なのだ。

優菜はカップラーメンマニアであることは以前に確認済だったが。今日飲んだあとに〆にとよったラーメン屋でみせた幸太の態度もなかなかのものだった。

「ここのラーメンは鰹だしが前面に出てるけど、鮎、とびうおとか魚介系のだしが効いているんだよね。それで全体的に海の香りのするスープになってて色合いもいいよね。そのスープによく絡む、玉子を少しだけ使った縮れ麺があwせdrftgyhjk」

 などと色々解説してくれたし、実際ラーメンも美味かった。人によってはウザイと思われそうな一面だが、語り口は面白く感じられたし、特徴はないよりあったほうがやりやすい。

「まあ、役に立つかどうかは僕のやり方によるよ」

「ふーん。じゃあ期待してますよ。で、優菜ちゃんのほうは?」

 話題が優菜のほうに移る。おそらくマドカはあまり幸太に興味がないのだろう。

「なんでちゃん付けなのさ?」

「ファンですから」

「…あぁ、そう。じゃあ今度サイン貰ってきてあげるよ。まぁ、そうだな。優菜は…」

 一言で言えば、いい子だった。普段見せる快活で柔らかな表情も、ステージでみせる努力の裏打ちされた華麗な振る舞いも、普通の男なら夢中になってしまうのも仕方がないだろう。

 春都は今夜、「小川」として幸太に接触する直前まで、「桜木」として小松優菜をはじめとするフライデー13のメンバーと一緒だった。ドキュメンタリー小説を書くという、理由付けをしてもらい、小松優菜を探るためだ。

 「桜木さん、ステージ中はどうしてるの?」

 優菜はリアーサル後の休憩時間、しばらく携帯電話で趣味のコミュニティサイトを閲覧したあと(ラーメンサイト、映画サイト、サッカーサイトだった)に春都に話しかけてきた。

 「え? ああ今日は普通に客席でみますよ。実はちゃんとコンサートみたことないですし、ファンの方の熱気を感じたいので」

僕は君を恋に落とす相手に接触しないといけないものでね。そんな思考を知るはずもないだろう優菜は満面の笑みを浮かべた。

「あ、そーなんだ! よーし、もともと気合入ってたけど、さらに倍だぜ!」

「期待してます」

 そんなやりとりがあったが、実際たいしたものだった。

「そうでしょ? 優菜ちゃんはすごいんですよー」

 マドカがファンになるのも、まぁわからないでもない。

「でも、あの子もまだ、なんというか、わからない部分もあるかな」

「え? どういうところがですか?」

 ファンなだけあって、マドカは優菜情報に過敏に反応する。すこし面倒くさくなった。それに、春都自身、優菜のなにがわからないのか、それ自体がわからなかった。こんなことは珍しい。

「色々さ」

 なので、とりあえず曖昧な返答で済ますことにした。

「なるほどなるほど、で?」

 この場合の「で?」というのは、幸太のことも優菜のこともまぁ大体わかりました。それで、二人をラブロマンスに落とすためにどうするんですか? という意味だろう。

「とりあえず、方針は決まったよ。事前準備も今日で5割は終わってる」

 そう、今日までで今後の動きはある程度決めていた。そのための下準備も済ましてある。

「準備ですか? 例えば? わたしアドバイスしましょうか?」

「そのうち中間報告書でまとめるよ。じゃあ僕、明日は桜木として早起きだから、もー寝る。じゃ」

「ほんとに報告書だしますか? 結果がよければいいというものじゃ」

 プツッ。

 なにやら電話口でわめいていたマドカを無視して、春都は電話を切った。どうせ、そのうち報告書を出さないといけないのだから二度手間だ。

 マドカに相談するまでもなく、先のプランは立ててある。

 幸太が定期的に優菜宛にファンレターを送っているという事実、居酒屋で注文をとるときに確認した幸太の筆跡、密着取材で記録した優菜のファンレターを読む頻度と時間、幸太のブログのURLとその内容、優菜の好む香り、幸太の体格と顔の作り、その他モロモロ。必要な情報はそろい、シナリオは苦しいながらなんとか出来ていた。

 たしかに今回の依頼はいつも以上に難しい。おそらく難易度は過去最高で綱渡りのような作戦になると思われる。だが、絶対に達成させなくてはならない。これを最後の仕事にするために。

 優菜さん、幸太、明日が君たちの恋物語の開幕だ。

 春都は心のなかで、ターゲットの二人に向けて宣言した。

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