下準備~美少女を騙すための~
そこは壁が前面鏡張りになったフローリングの部屋だった。30畳以上はあろうかという室内にしては広大な空間で弾けるように踊る少女が9名。たしかグループメンバーは13人だったはずだが、おそらく何名かは別の仕事でも外していたりするのだろう。
全員汗を飛び散らせながら、懸命に鏡に映る自身の動きと表情をチェックしていることがわかった。流れる楽曲にあわせて口を動かしながら、体を目一杯に動かすその姿からは熱気と迫力が感じられた。
アイドルが曲の練習をしているところなど見るのは初めてだが、思ったより本格的だな。どっちかというと部活みたいだ。春都はそんな風に感じた。彼自身、日本舞踊の心得があるだけに少女たちの動きの生み出す魅力が伝わってくる。おそらく、今日始めて練習する曲なのではないだろうか? メンバーの間に習得率にかなりの差があるようだ。などと分析していると、横から前谷がやや得意そうに春都を見ていた「どうです。うちの子たち。すごいでしょう」その目はそう語っているようだった。
「なーちゃん! そこはもっと大きく!!」
「ごめん!」
そんな檄も飛ぶ。今檄をとばしたほうは、たしか『高嶺 はるか』とかいう子だった。明確に決められてはいないが、グループのリーダー的存在でターゲットの小松 優菜とも親友どうしということだ。今回の仕事でも必要な人物かもしれない。春都はそう認識し、彼女のことを観察した。
情報より背が低いな。あれは150cmもないだろう。ダンスも上手い。仕切るのが上手だそうだがこの場だけでもそれは見て取れる。上手くリーダーシップをとって練習をまとめているようだ。
「あれ? 春…失礼、桜木さんは、たかみー派ですか?」
春都が高嶺はるかを観察していることに気づいた前谷がそう問いかける。このグループにはグループ全体のみならず、メンバー個々にもかなりの数のファンがいるそうだ。ちなみにたかみーというのは高嶺はるかの通称だ。
「いえ、別に」
たしかに、高嶺はアイドルだけあって愛らしい容姿をしている。小柄ながらもプロポーションはよく、長く栗色の髪もつややかだ。やや童顔だが目はパッチリと大きく、表情も明るい、声も高くて可愛らしい。バラエテティ番組などでトークもそれなりに面白いそうだし、それは人気も出るだろう。小柄で童顔というのはむしろチャームポイントであるといえる。
しかし、春都にとって、それはただの情報だった。そういう人物である、というだけだ。
「じゃあ、誰派ですか?」
「別に誰も。申し訳ないんですけど、僕はアイドルをあまり知らないもので」
「そうですかぁ」
前谷は少しシュンとしたが、すぐに立ち直り、手を叩いて大声を発した。
「はい!! 練習ちょっとストップ!! 一回集合してくだい」
前谷の声は部屋に良く響き、9名の少女は春都と前谷のところに集まってきた。
「お疲れさまです!」「お疲れ…さまでふ…」
あるものはハキハキと、またあるものはダンスの練習のせいかヘロヘロの声で前谷に挨拶をする。
「はい、お疲れさま。新曲の調子はいいみたいですね。あとはもう少し…、おっとこれはあとで話すとして、みんなに紹介したい人を連れてきました」
前谷がそういうと、みんなの視線が春都に注がれた。
「昨日言ったように、フライデー13のドキュメンタリーフォトブックが制作されることになりました。で、彼はカメラマンで作家でもある桜木さんです」
これは春都の提案だった。趣味思考を調べ上げ、仕掛けを行っていくうえで、小松優菜に近づく必要性があったからだ。ターゲットに一切の接触をせずに仕事をこなす場合もあるが、今回はやや難易度が高くそれは不可能に思えたので、春都は前谷に頼んで小松優菜に接触するための役割を与えてもらうことにしていた。
「えぇ~!?」「わぁお! 早速今日からですか~!」「若いし、イケメンじゃないですか~」(ペコリ)(チラチラ)「え? フォトブックってなに!? そんなこと昨日言ってたっけ?」
これまた、メンバーたちはそれぞれの反応を見せる。ちなみに無言でペコリと頭を下げたのが高嶺はるか、わぁお!が小松優菜である。
「桜木さんは、ニューヨークの大学で写真と文学の勉強をしていた方です。見ての通り大変お若いですが、とても才能のある方です。桜木さんが前に書いたインタビュー記事をみて、僕が指名しました」
これは全部が嘘というわけでない。春都は数年まえ修行の一環としてコロンビア大学で脚本の勉強をしたし、実際にドキュメンタリー記事を書いたことがある。全米の学生文学賞で賞をとったこともあった。
とはいえ、前谷言い方はさすがにオーバーだった。メンバーは好奇心にみちた目で春都をみている。
さて、と。
春都は集中した。第一印象は人間関係において大変重要であるからだ。男女の感情に精通している春都は自分自身が他人に与える印象をある程度コントロールすることができる。それは修行の過程で修めた心理学の知識や演技力、あるいはもって生まれた容姿のなせる業だった。
好感を与えつつも男性としての好意は抱かせない。そして油断させて警戒を解く。
そのためにもっとも適した人物像として春都の導きだした結論は、明るく優しい好青年、お人好しで間抜けなところもある草食系男子、というものだった。。
「ええっと…あの…はじめまして! さふ(噛む)…すいません桜木 雄一郎です! さっき前谷さんにはあんな風に紹介してもらったけど、まだまだ駆け出しです。よろしくお願いします」
そういって笑顔を浮かべ頭を下げる。と、同時にほどいておいた靴紐をあせったそぶりを見せて結ぶ。
「あはは! 桜木さんおもしろー!!」「紐ほどけてるって!」「こちらこそよろしくおねがいします」
さすがに美少女が多いだけあって、笑いが起ると場の空気が和らぐ。これで掴みは完璧だ。春都は自分の技に満足した。
その後は、メンバーからの自己紹介を聞き、カメラマンとしての仕事の説明をする。まずしばらくはメンバーに同行し、ときに撮影し、ときに取材する、という程度のものだった。小松優菜の情報集めや仕事の仕込みにはこれで十分である。
前谷はそれからすぐに仕事に戻る、と言ってレッスンルームをあとにした。去り際に春都に意味ありげにウインクを投げてきたのは少々気持ちが悪かったが、春都は自分への期待現われなのだろうと理解した。
今回の依頼はたしかに芸能プロデューサーとしての戦略的意図もあるのだろうが、どうも前谷はそれ以上に、仕事の内容そのものに純粋な興味を持っているように思えた。
じゃあ、応えてあげるさ。春都は早速仕事に入ることにした。
「ええっと、練習をそのまま続けてください。勝手に撮ってますから。で、それとは別によければ一人ずつインタビューさせてもらっていいですか? 皆さんのことをもう少し知りたいと思うので」
春都の提案は勿論、ターゲットである小松優菜に接近し、情報を集めるためである。少女たちはそんな春都の意図に気づくはずもなく、春都の言葉を聞いた高嶺は代表して
「OKです! いい作品が出来るよう頑張ります!」
と、にこやかに快諾した。実に素直な子だ。浮かべている笑顔はまぶしいほどだった。僕は当たり前のように君たちを騙してるのに。春都は心の奥のほうにある、いつも閉じ込めている部分が少しだけ疼くのを感じた。
「ありがとう。じゃあ、えーっと、小松さんからお願いできますか?」
だが春都は仕事をためらったりはしない。
「えっ? わたし? いいよ! あ、えと、いいですよ」
ふいに名前を呼ばれた小松は自分を指差し、快諾する。最初敬語使わなかったのは、「桜木」の容姿が自分の年齢に近く、また権威やプレッシャーを与えないものだったから出てしまったもので、それを言い直したのはいくらそんな印象の人物でも仕事相手で今日が初対面だからだろう。
「あはは。別にタメ口で大丈夫ですよ。僕は皆さんの素を撮りたいと思ってますし。それに年もあんまり変らないし」
人間関係において、敬語というのは意外と難しいものだ。使わなければ無礼だと思われることもあるし、使うと他人行儀だと思われることもある。大事なのはさじ加減だ。春都のみたところ、小松はすぐに人に打ち解けるタイプだ。芸能界には当然目上の者もいるだろうから敬語が苦手なわけではないだろうが、本人が気楽に話せるのが一番だ。なにせ春都は今後、小松から無意識的に好むシチュエーションや男を探りだし、また精神状態も逐一確認しなければならないのだから、出来るだけリラックスさせて接してもらうほうがいい。そのための「桜木」である。
「そう? そっかー。良かったー。はは。じゃあそれでよろしくね」
小松は顔をクシャっとさせて笑う。親しみを感じさせる笑顔だった。
「はい。よろしくです。あ、じゃあ小松さんは僕と外にでてもらえますか? たしかエレベーター前のスペースににソファとテーブルがあったので、そこで座ってもらって撮りたいんですけど」
「んー。おっけー」
小松は手を上げて了解した。
他のメンバーに軽く声をかけ、レッスン室をでて移動する。
「小松さん。すいませんね。練習途中なのに」
ソファに対面式に座ってすぐに春都はそう詫びるる。
「だいじょうぶだいじょうぶ。それよりさぁ、桜木さんも敬語使わなくていいよ。タメ口ばっちこい!」
あまりにていないけど、ばっちこい、というのはあるプロレスラーの物まねのようだった。
「いや。ちょっと恥ずかしいんですけど、僕は女の人と話すと緊張しちゃうんで、タメ口のほうが大変です」
桜木はそういう男だった。当然、春都は違う。『桜木』は気弱で優しいキャラなのだ。男っぽいところは極力ださない。そのほうが女性とは親しくなりやすいし、油断してもらえる。
「えー? ほんとかなぁ…。モテそうなあ顔しちゃって」
「いやマジです。それにモテないです。ええ全然。もうまったく全然。ずっと男子校だったもんで」
「ふーん。そっか。じゃあ無理しないでいいよ。あ、でも苗字じゃなくて名前で呼んでくれないかなぁ? あんまり苗字で呼ばれるの慣れてなくて」
「了解です。じゃー、優菜さん、で」
一連のやりとりを終えた春都は、アイドルになった理由など、あたりさわりのない質問をしつつ優菜を観察した。
さすがに国民的アイドルグループのメンバーなだけあって、とても愛らしい容姿をしている。まず思ったのはこれだ。
笑うとえくぼのできる頬、華奢な首と肩、すこし鼻にかかったような甘い声、ゆるくウエーブのかかった肩までの長さの亜麻色の髪、イタズラっぽい瞳、ときおり除く八重歯、すべてが調和していた。くるくるとよく変る表情や大きめに動く手の仕草も手伝い、彼女に周りには柔らかく温かい風が吹いているようだった。。
「ん? 桜木さん? どーしたの?」
思わず、じっと見つめてしまっていたようだ。これまで沢山の女性を見てきた春都でも、彼女には目を奪われるものがあった。
「いやー、そーいえば僕、フライデーの優菜さんと話してるんだなー、とか今更ながらしみじみ思ったりして。ファンの人にうらやましがられますね」
即座に誤魔化し、そして考える。
これは、少なくとも優菜のほうはいじる必要はなさそうだ。そういう結論に達した。はっきりいって、大半の男なら彼女を好むだろう。まあ、だからこそアイドルなんてやってられるのだろう。それにそもそも、今回の男ターゲットは優菜のファンなのだからなおそらだ。
「照れるぜ」
「ははは。すいません。じゃあ次の質問行きます」
春都はさらに質問を続ける。ここからが本番だった。徐々に質問内容を深く、細かくしていく。そして優菜の心を読み取っていく。どんな仕事でも、ターゲットの志向と考え方を読み取ることがなによりも大事だ。それなしではどんな工作も細工も仕掛けることができない。
春都はもっていたメモ帳を一度テーブルにおき、空いた左手を数回振った。これは集中するときの彼のクセである。
親しみを感じさせる笑顔をもつ美少女。明るく自然体な君を、まだ見たこともないニートの男性と交際させるべく、これから僕は仕事にはいります。春都は心の中でそうつぶやいた。
*
優菜の前にはガラステーブルを挟んで対面のソファに座った男性がいる。カメラマンで作家でもある桜木という人である。優菜が信頼する前谷の推薦なのだから、きっと才能のある人物なのだろう。
桜木はみるからに若い。優菜は今21歳だが、同年代くらいにみえる。細身で手足が長く、スタイルがよく、顔立ちも涼やかだった。そのわりには物腰は柔らかく優しげで、どことなく情けなさが漂っている。とても気楽な人柄ではあるが、たしかに本人が言うようにモテないかもしれない。なにか、男っぽさをあまり感じさせない人物だった。
写真付きのドキュメンタリー小説の制作が告げられ、しばらく、作家の人が自分たちに取材のために付くと告げられたのが昨日。そして桜木が来たのは今日。随分急な話だったし、緊張というか、不安もあったが桜木をみて優菜は安心していた。悪い人ではなさそうだし、タメ口も大丈夫。話しやすい人物だし好感ももてる。友達になれるかもしれないという思いもあった。
「優菜さん? どうしました?」
「え、あー、お返しにじっと見てみた」
「はぁ…」
桜木はさきほどから質問を続けてきていた。趣味や日課、仕事へ対する思いなどだ。これも不思議で、優菜もすらすらと答えてしまう。彼の質問の仕方や相槌が絶妙なのだ。簡単に答えられる質問から初めて、タイミングのよい感想や相槌をはさみ、一定のテンポでよりプライベートな質問に移っていく。なんとなく、答えるリズムのようなものが形成されて、それに乗せられているような気がして、自分のことをどんどん話してしまう。しかもそれが全然嫌でなく、楽しくすら感じられた。
気づけばマスコミの人には秘密にしていたファンレター一日30通読んでいる日課も、追っかけているブログのアドレスも、好きなラーメンの味。アイドルであるがゆえに普通に人と知り合って友達になるのが難しいことが悩みであることまで話してしまっている。
一言でいえば聞き上手なんだな。これがインタビュー記事を書く才能の一つなのかなぁ、すごいなぁ。そんな風に優菜は思う
桜木はさらに質問を続けてくる。意味はわからないけど、香りがしみこんだ紙を何種類か優菜にかがせてどれが一番好きか、ということや、自室の照明の具合とエアコンの設定温度など、変った質問もあった。作家の人は不思議なところを気にするんだなぁ、と少し感心してしまう。
「じゃあ、読者が興味もってそうな恋愛系の質問いきます。答えられることだけでいいでよ。まず、ずばり好きな男性のタイプは?」
「おっ、桜木さん急につっこむねぇ~。どしよっかな」
「金持ちとかイケメンとかはやめてくださいよ。それ当たり前なんで、別の要素で一つ」
もとから優菜はそんなことを答える気はなかった。アイドルとしてのイメージ云々ではなく。真実そういう男性へのそういう嗜好は持っていない。お金なんて普通に生活できるくらいで十分だと思う。それにルックスにしたってそうだ。たしかに容姿のよい男性をみると「ほえー、奇麗な顔だな~」とか「きゃーかっこいー!」とか思うときもあるけど、それはただそれだけで、別に「好き」という風にはならないと思う。こう、グッとくる感じではないのだ。少なくとも今は。だから少し考えて優菜は答えた。
「う~ん。やっぱり、誠実な人かな」
うん。これがやっぱり一番大事だと思う。たとえば仕事に対しても誠実な人はカッコイイ。一生懸命な人は応援したくなる。あと、女の子に対してもそう、ちゃんと向き合ってくれる真面目な人がいい。優菜はそれで少し思い出したことがあった。今でも少しだけ、胸が、痛い。
「へ~。最初に出てきたのが、誠実、ですか」桜木は意外そうな表情を浮かべる
「む。なによ~不満?」
「いえいえ、素晴らしいと思いますよ。いや、結構それ答える子、たくさんいるけど、僕がみたとこ、誠実でモテてる人いないかなー、と。ほかにはなんかありますか?」
「あとは…男らしい人とか、面白い人がいいなー」
「なるほど。でも、ほら、面白いって言っても、色々いるじゃないですか? お笑い芸人さんみたいに、必死な感じとか。あるいはボソッと面白いことをいう静かな人とかもたまにいますよね?」
「あー、なるほどー。うんとね」
このように桜木の質問と優菜の回答はしばらく続いた。と、いうよりもどちらかと、ただおしゃべりをしたような感じで、リラックスできたように思える。
「初日だし、こんなとこかな。ありがとうございました」
30分程度たち、桜木は切り上げる言葉を出した。
「はーい。お疲れ様です。どうするの? 次だれか呼んでこようか?」
優菜が声をかけると、桜木は少し考えて答えた。
「いやー、ちょっと喉渇いたから休憩します。それにたしか今日はこれから撮影で移動ですよね。バスのなかでやることにします」
たしかに、桜木の言うとおり、時計を見ると、もう18時。今日はそろそろプロモーションビデオの撮影のためにスタジオ入りする予定だった。
「あ、ほんとだ」
バスでの出発は18時半、これからレッスンに戻るには中途半端な時間だった。どうしようかな、と思いを巡らす。桜木をみると、彼は席をたって自販機にコインを入れているところだった。
「着替えて休んでたらどうですか? これどうぞ」
そういって、今購入した。コーラを差し出してくる。自分はウーロン茶を買ったようだ。
「ありがとー」
「じゃあ、僕はちょっと皆さんのレッスンを取ってきます」
桜木はそういうとウーロン茶を一気飲みしてゴミ箱に捨て、レッスン室に戻っていった。
残された優菜はコーラに口をつけた。炭酸の爽快の刺激が喉を通り爽やかな気持ちになる。
ドキュメンタリー小説のことも、桜木のことも、なんだか面白そうに思えてきた。そして、それ以外にもなんだかわからないけど、予感がした。なにか素敵なことが始まるような、気がする。どうしてだかわからないけど、優菜はそんな予感に胸が小さく弾むのを感じた。
四年前くらいに書いたものです。
一応最後まであるのですが、見直してから
投稿してます。
自分でさっぱりわからないので、読んでくれた人で、なんかコメントくれたら嬉しいです。