ターゲット~アイドルとニート~
スポットライトというものは、熱い。
これを経験的に知っている人はそんなにいないんじゃないかな。と優菜はふと思った。まぁ、光を放出しているわけで(しかも大量の!)、それがいくつもあたっているのだから、熱くて当然なんだけど。普通の人はこんなにスポットライトにあたる機会がないから、実感としてわかることはないに違いない。
実際、今もかなり熱い。
数えられるだけで7つの照明が優菜を照らしていた。他のメンバーも12人いるのだが、これからやる曲のセンターポジションは優菜なので、あたる光も若干大目だ。
「はーい。CM明けまで10秒です! 8、7、6」
カメラの後ろに立っている男性が声をかけた。
さー、本番だ。今日も頑張ろ。
優菜は仕事の前にはいつもそう自分に言い聞かせていた。
スポットライトは熱いけど、それに当たれる仕事につけた今の自分は幸運であると思っているから。自分を応援してくれるファンの人や、グループのメンバー、支えてくれる友達や家族に精一杯答えたいと思っているから。そしてなにより歌うことも踊ることも大好きだから。
「2、1、キュー!」
「それではお待たせしました。フライデー13の皆さんで新曲、『クリスタルレイク』です!」
男性の声が入ってから、番組MCの曲紹介をはさみ、曲がスタートする。
アップテンポなイントロから入り、弾けるようなダンスとともに、元気良く歌う。優菜のほかの12人も同じように踊り、歌っている。
恋の楽しさを歌った曲だった。
優菜自身はさほど恋愛経験があるわけではないし、現在特定の恋人もいないので、歌詞の意味を実感として理解できているかというと少し自信がないのだが、できるだけ感情をこめて歌う。すると自然に表情やちょっとした仕草もよくなるものなのだ。
ファンの方にもそこを褒めてくれる人も少ないけどいる。
ただ、可愛い! といわれるより、そっちのほうが嬉しかったりするものだ。
優菜は今日もそういうところを意識して頑張ってみた
生放送用のカットバージョン、2分13秒を全力で歌い終えたあとは、MC席に戻って少し喋ったりした。これで今日の仕事は終わりだった。
みんなで楽屋に戻って一息つく。この時間も優菜は大好きだった。
「ふぃ~。今日も、お疲れ! お疲れ! お疲…れい!」
来ていた衣装を脱ぎ捨てつつ。メンバー一人一人にやや荒っぽく声をかける。バシバシと肩を叩いてみたり、抱きついたり、あるいは別の部位を触ってみる。
「はいよー」
「優菜ちゃんおつかれー」
「ほんと疲れたースケジュール厳しすぎ」
「はい抱きつかない抱きつかない。暑いんだから」
「今日、声の出、よかったんじゃない?」
「ひっ、今、お尻触ったー!?エスカレートしすぎです!」
メンバーそれぞれの反応を示す。平均年齢19歳の13人組みのアイドルユニットの楽屋は若さと人数のおかげで賑やかであるのが常で、優菜はそれが嬉しかった。行ったことはないけど、仲の良い女子高の雰囲気に近いのではないかと感じていた。
「でもあれだね。出番が早くなったから、迎えくるまで結構時間あるよね?」
メンバーの一人が衣装から私服に着替えながら、ふと口にだす。
生放送で歌う順番が少し繰り上げられたことで、楽屋での待機時間が延びてしまっていた。
優菜にとっては大変な問題だった。
「ほんとだ。うっわー、どうしよう」
思わず声が出てしまった。
「どうしたの?」
「うん…あのさ」
問題を口に出そうとしたとき、不意に横からポットを差し出された。差し出したメンバーは2つ年下の高嶺はるかである。
「お腹すいてるんでしょ? これはお湯です! さっきかスタッフさんからもらっておいたよー」
さすがメンバー1の気配り屋さんだ、なんて気が利く子なのだろうと優菜は感激した。
「わーい! たかみー素敵。えらい。いい子だねー」
これで常備しているカップラーメンを作ることが出来る。優菜は高嶺の頭を撫でた。優菜も小柄なほうだが、身長148cmの高嶺の頭は実に撫でやすい高さにある。
「ちょ、頭はやめてって言ってるさー!」
少し撫でられたあと、照れてとことこと逃げるところも可愛い。沖縄出身のため、さーを多発する方言も可愛い。優菜は高嶺とは5年の付き合いだったが、このリアクションの可愛さは変らない。
「じゃー、早速つくろっかなー。今日はなにかなー、体力つかったらなー」
楽屋においてあったダンボールを物色して、月秦のカップラーメンをとりだす。前にCMに出た関係で同メーカーのラーメンを大量に貰っていた優菜はそれを楽屋においてもらっていた。
「あ、みんなは何がいい? 色々あるよ! コッテリ醤油トンコツ以外ならなんでもいいよ!?」
「本番前にお弁当食べたじゃん」
「太る」
「疲れててラーメンは食べられない」
「…遠慮します」
他。全員遠慮。これもいつものパターンだった。たまに高嶺は食べる。
「…いいもん。いいもん。じゃあ一人で食べるもん」
少しいじける優菜。だがすぐに気をとりなおす。なんといってもラーメンは美味しい。いつかみんなも分かってくれるだろう。
「ら~めん♪ ら~めん♪」
自作のラーメンのテーマを口ずさみつつお湯を入れる。あとは3分まつだけ。日本の技術力の高さには恐れ入る。誰だか知らないけど、優菜はこのとき、最初にカップラーメンを作った人にいつも感謝をささげることにしている。
完成までの間、優菜は自分のバックをあけて封筒やはがきの束をとりだす。
これは事務所に届けられた自分宛のファンレターの一部で、ラーメンの待ち時間にこれを23読むこともまた彼女の日課であった。
いつもありがとう。そう心の中でつぶやいてから封をあける。
人気のある芸能人には大量のファンレターが届く。とくに若いアイドルタレントのそれは大変な量になるものだ。読むだけでもかなりの時間がかかる。
優菜はそれを全部読むことにしている。出来るだけ全部、ではなく。全部だ。勿論ラーメンを待つ時間だけでは足りないので、移動の車の中、眠る前、半身浴中など、ちょっとした時間に少しずつ読んでいる。
それはタレントとしての義務感もあるのだが、単純に自分が読みたいからだった。応援してくれるファンの声はやっぱり嬉しい。小さな子どもも同世代の女性も、ちょっと変った男の人も、ファンレターはみんな嬉しい。温かい気持ちになるし、活力にもなった。たまに非難するような内容の手紙もあるけど、それはそれで参考になった。ときには素敵な手紙に感動して涙するときもあった。
当然、読むスピードがいつも送られてくる量に追いつくわけではないので、溜まっているときもあるのだが、優菜はそれでも読む。置いておくスペースがなくなったものはマネージャーにスキャンしてもらったものをメモリースティックにデータ化して保管してもらっている。最終的には引退してからでも溜まっているものを読む予定だった。
さてさて、今日はどんなかなー? 優菜は期待をこめて読み始めた。
優菜ちゃん
まじ可愛すぎ。眠る前にPVみて癒されてます! 新曲の『ぶちやぶ!』も最高! 仕事でしんどいときに頭の中で流してます。(30代 女性)
いやー。照れるぜ。『ぶちやぶ』! は私も好きだよ
小松 優菜様
娘の影響で私もファンになりました。これからもお仕事頑張ってください(40代 女性)
だいすきです(幼い字。上の人の娘らしい)
うれしいなー。うれしいなー。お姉さんがんばるよー。
優菜ちゃん
優菜は俺の嫁! それはそうとこの前の横浜のコンサートで『スピードハイウェイ』のときにこけてたけど、大丈夫?(20台男性)
いつの間にそんなことに!? あー、あれねー。ばれてたか。すぐ立ったのに。恥―ずかしー
と、いったような手紙だった。読み終えるた優菜は疲れた体がすこし元気になったような気がした。
3つ読み終えるとちょうど3分が経過した。張り切って蓋をあけるとトンコツのかぐわしい風味が立ち込める。
「いただきます」
携帯でメールをうったり、おしゃべりしたりして時間をつぶすほかのメンバーを尻目に優菜はラーメンを食べ始めた。歯ごたえのある太麺をほおばりながら、1日を振り返る。
昼はCMの撮影、大変おいしいお寿司だった。それをそのまま表して食べまくったら、メーカーさんも喜んでくれた。あのCMみた人が食べにいってくれたらいいな。と思う。
夜は生番組のリハーサルと本番。今日は声の出がよかったと思う。視聴率とかはまだわからないけど、楽しんで演れた。あの歌を聞いた人が好きになってくれたらいいな、と思う。
そして今、応援してくれる人のファンレターを読んで、内容をかみ締めつつラーメンを食べる幸せ。
今日はよい一日だったと思う。
なんだか照れくさいのだが、小松優菜は今ではこう思っている。
わたしはアイドル。自分と人に笑顔を与えられるよう頑張ってます。
3
自室というのは快適だ。
おそらくほぼ全人類が、この事実に経験的にも論理的にも推測的でも気づいているだろう。
しかし、そのわりには人は自室にいる時間が少ないのではないか? 杉村幸太は常日頃からそう考えていた。
誰も彼も、仕事やら人付き合いやらで外に出ている。あれはなんだろう。果たして好きでやっているのだろうか。幸太には理解できなかった。だから、おそらくあいつらは気づいていないだけで本当はイヤイヤやっているのだろう。そのように推測される。いや、そう推測しないと幸太の精神衛生上よくない。すごくよくない。
そんな幸太の場合はどうか。
幸太は外出をあまりしない。ラーメン屋、コンビニ、コンサート会場、、DVDショップ4箇所くらいのものである。
これだけで、彼の生活は十分に事足りた。他に必要性を感じなかった。
もういいやと思うまで寝たら起床して、任意の時間に好きなことをして、眠くなったら寝る。幸太の生活はそれが全てだった。そしてそれが最高だと感じていた。
今日も幸太はそんな一日を過ごしていた。現在の時刻は午後十時。これからが彼の一日でもっとも活動的になる時間帯である。場所は8畳の自室。テレビとパソコン、いくつかのロボットもののフュギュア、アニメの影響で買ったけどまったく弾けないギター、630冊の漫画を収納した本棚、ベッド、テーブル兼デスクに囲まれたこの空間こそが幸太の唯一にして最大のテリトリーだった。
彼はテレビを観ながら、インターネットの実況掲示板に書き込みを行っている。
実況掲示板というのは、テレビやラジオなどを視聴しながら感想などをリアルタイムで書き込み、また人の書き込みを読めるものである。幸太はこれを良く利用する。自室に一人でいながらにして、複数の人間と無駄口を叩きあったり、一緒に盛り上がったりとしながらテレビをみる楽しみを得ることが出来るからだ。
〈来週のゲスト、さっぱり見る気がしないわ〉
幸太が見ていた番組は生放送の音楽番組で、5分前までは彼の好きなアイドルグループがアップテンポなラブソングを歌っていた。だから今週は観たのだが、来週のゲストはチャンドラーという男性グループだった。チャンドラーは大変ヤツラに人気のあるグループで、新曲を出すたびにヒットチャートベスト10には確実に入ってくる。グループの構成員はやたらと色が黒く、背が高く、押しも強そうだった。幸太はそのグループにすこしも興味がなかった。と、いうよりも、会ったこともない彼らが苦手だった。もし万が一、なにかの間違いで知り合うことになったとしても絶対に友達にはなれないだろう、むしろなにも悪いことしてないのに謝ってしまいそうだと思っていた。だからそう書き込んだ。
〈同意〉
〈ヤツらの曲が必須教養であるかのような現代社会が嫌い〉
〈え? そうか? 俺はチャンドラー結構、、、、、、、ねーよ〉
〈そんなことよりたかみーのソロパートが可愛すぎて死ぬ。録画してた俺は勝ち組〉
〈見逃した。動画アップしれ〉
幸太の書き込みは掲示板の住人の大半に賛同をもらえることができた。まあこれは予想できることだ。金曜の夜10時にインターネットの実況版にはりつきながらアイドルの歌を観ているような連中なのだ。チャンドラーはあくまでも社会の大多数を占めているヤツラに人気があるのであって、おれたちにはあまり好かれていない。分かりきったことだった。
〈俺も録画組。生で観て、すぐに観て、寝る前に見るのが俺のクオリティ 優菜可愛いよ優菜〉
さらに幸太は書き込みを続けた。もっとも好きなメンバーである小松 優菜についての言葉だった。
「あ、間違った」
そこでふと気づいた。やや興奮していたせいか実況とは違う掲示板に書き込んでしまっていた。幸太は実況掲示板とは別にいくつかの掲示板を同時に開いていたのだが、こういうことをすると、たまに間違えてしまうことがある。これを専門用語で誤爆と言う。
しかも幸太は『どうせ現実の女とは一生関係ないんだし、アニメの美少女への愛を書いていけ』という掲示板にアイドルへの愛を書き込んでしまっていた。荒れることが予想できる。
幸太は若干ドキドキしつつ掲示板の住人の反応を見てみた。
〈こんなところにアイドル派が〉
〈優菜はイケメンと付き合ってるに決まってるだろ。目をさませよキモオタ〉
〈現実の女はリア充じゃないとフル無視だぞ〉
〈つまり俺らはみんなゴミ 2次元美少女だけが俺らを愛してくれる〉
〈ミュージックチャンプみてんじゃねえょ。6チャンで夢見る天使エリンちゃんが再放送しているというのに〉
住人の反応は散々だった。まあ、それも予想できたことである。ここの住人はディープなアニメ美少女派でアイドル派とはそりがあわない。どちらもヤツラとは違うこちら側の住人だが、その中でも派閥はあるのだ。
ちなみに幸太はどちらでもいける。
幸太はしばらく、アイドル批判を読んでいたが、結局掲示板を離れ、ブログを更新することにした。どのみち他人の女性の嗜好など幸太の志向にはなんら影響のないことである。そんなことより、ブログのほうが大事だ。「つれづれモータウン」と称した幸太のブログはそれなりに読者もいる。
日々、考えたことや、食べたラーメンやの味の批評などを記載しているブログは友人の少ない幸太にとって数少なく、それでいて必要十分な外部への接触手段だった。今日は最近知った和歌山県限定生産のラーメンチップストンコツ味について熱く語る。これは大変おいしかった。
「ふう…」
ブログを書き終える。
部屋にある自分専用の小型冷蔵庫からビールをとりだし、プルトップを空ける。さきほどお湯を入れておいたカップラーメンも出来上がった。今日は新商品の月進コッテリコッテリ醤油トンコツの日だ。
さきほどのアイドル批判の掲示板の書き込み内容を思い出す。
よいではないか。アイドルが好きでもアニメ美少女が好きでも。どちらも等しく愛しいものだよ。幸太はさきほどのラーメンをすすり、ビールをあおりつつひとりごちた。
どうして彼らはこうも他者批判をするのだろうか、好きなものは好きでいいではないか。まして、俺たちは広い意味では仲間なのに。
多分、気弱で、押しが弱く、親しい人以外と行くカラオケが嫌いで、それほど社会的地位は高くなく、場を仕切るのが下手で、理屈っぽいが要領は悪く、遊び下手だけどオタク、ファッションというものが苦手で、容姿はよくない、概して女性にモテない。そんな感じの仲間のはずだ。
すべての要素をもっているかどうかはわからないけど、いくつかは当てはまるはずである。そうじゃなければあんな掲示板の住人になどなるはずがない。そんな仲間どうしで小さなことで揉めるのはいかがなものか。
ちなみに幸太はすべての要素を兼ね備えたスーパーエリートである。現代社会にはそんなヤツ沢山いるかと思うかもしれないが、全部を備えているヤツは意外といない。
楽しそうな同世代の若者、ヤツラを時々うらやみ、ねたみながらも、自分の生活もそれなりに快適なのでそこから逸脱することはない。と、いうか無理なのだ。
明るく楽しい青春なんて無理なので、快適で楽しい別の生活を選んだ者。それが俺だ。幸太はそう認識している。それはそれでいいのではないか、と考えている。もし無理をしてヤツラみたいにしようとしても、どうせ無理だし、ただストレスが溜まるだけだ。
俺はサーフィンの楽しさは分からないが、ゲームの面白さは知っている。服屋で買い物をするのは嫌いだが、ネットでの買い物大好きだ。流行の映画なんて興味はないが、アニメを見ると心が燃える。彼女などいたことがないが(ほしくないとはいわないが)アイドルと美少女アニメに熱狂できる。そしてなにより
俺には仕事による達成感もやりがいも稼ぎも学ぶ楽しさもないが、日がな一日ブラブラ、ダラダラする快適さがある。明日も明後日も明々後日も、仕事にも学校にもいかないでいい。最高!
これが、幸太が出した結論だった。
幸いにして、二年前に当てた宝クジの賞金はまだ残っている。同居している両親にはさほど迷惑はかけていないのだから我慢してほしい。世間のプレッシャーやヤツラへの憧れで分不相応に仕事などしてしまったら後悔するのは目に見えているのだし
「プッハー」
ビールを一気に飲み干した幸太は日課になっている小松優菜へのファンレターを書き始める。サラサラとペンを走らせつつ、若干上機嫌になってひとりごとを言った
「俺はニート。働いたら負けだと思っている」