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レンアイの贋作者

 はじまりは、こんな会話。

「うぃー。春の宮ー。調子どうよ。暇? 蹴鞠でもやんねー? 」

 「普通だよ。…まだ辰の刻なんだけど。僕、朝は寝てたいんだよね。なんでそんなテンション高いんだよ?」

 「わかる? やっぱわかるかー。そうだ、これやるわ。派遣のやつらが唐からもってきた書物、おまえそういうの好きだろ?」

 「だから、なんなんだよ」

 「いやお礼だよ。お礼。前に話した女いんじゃん?」

 「桔梗の君?」

 「そうそう。お前に書いてもらった和歌。あれでいっぱつで落ちたわ。まじお前スゲェな。パねぇ。ま、そんなわけで今俺らラブラブだからよー。桔梗たん、マジ俺に惚れてるみてー。ちょーアガるー」

 「へー。バレないもんなんだな。まぁ、よかったじゃん。でもまぁ、別に内容自体は変えてないよ。技法は工夫したけどさ。ま、いいやじゃあコレもらっとく」

 「おー。そういえば、松葉の宮と秋の中条もお前に和歌書いてもらいたいってよ」

 「まさか、ばらしたの?」

 「え? 駄目だったわけ?」

 「…どうだろ」

 だいぶ、昔の話。

 

**

ビルの屋上というのは、寒い。

 推測としてこの結論に達することは容易である。ちょっと考えれば誰にでも分かることだ。まず、屋外で、外気を遮る壁もない。切れるような寒さが直接伝わってくる。そして高い。高いということは風が強いということで、強い風にあたれば人間の体感温度は下がる。

 しかし同じ結論に経験から達する人は意外と少ない。何故かというと、普通の人はビルの屋上には用がないので来ないからだ。ビルの屋上が寒いということを身をもって知っている人間は、鳶職人とか、清掃会社の社員とか、自殺志願者とか、あるいは

「僕くらいのものだ」

 青年は自虐的に呟いた。周囲には誰もいない。彼のいる場所は雑居ビルの屋上である。8階建てのビルの屋上は、人間が上がってくることを想定されていない。当然ベンチもフェンスもなく、そこはまさにただの屋上、無愛想な空間だった。

黒のライダースジャケットに濃い色のジーンズをはいている彼の姿は夜の闇に溶け込んでおり、その姿に気づくものはいなかった。彼が屋上の縁にしゃがみこみ、望遠カメラのレンズを覗き込んで早2時間が過ぎていた。都会の喧騒を遥か下に、青年、佐倉春都は「仕事」の完成の瞬間を待っていた。

10月の東京にしては気温の低い夜だった。風が轟々と吹いており、春都の体を容赦なく冷やす。体は日常的に鍛えてはいるが、これ以上この寒空の下にいては体調をくずしかねない。

(寒い。寒すぎる。さっさと例のヤツをやってくれ)

前日のうちに仕掛けておいた盗撮用カメラが、偶然そうとは知らないホテルマンにより撤去されてしまったことが大変悔やまれた。魔法瓶にホットレモネードが生姜湯を入れてもってこなかったことも悔やまれた。

仕込みは間違いなかったはずだ。1ヶ月もかけて丹念に進めてきた。

望遠レンズで覗く先はホテルの1室。都内でも屈指のシティホテルのセミスイートルームである。セミスイートというだけあって、室内は広く、ソファやベッド、部屋の調度品も気品のあるものばかりであった。室内ではスーツ姿の男性がソファに浅く座り、ウィスキーを飲んでいる。どうも落ち着かないようで、ときにソファを立ち、部屋をウロウロと歩き回ってはまた座る。

この男性こそが、春都の今回のターゲットだった。

有名大学の政治研究会を2年前に卒業後、現在はとある地方議員の第二秘書をやっている男である。名は大江 健一郎。勉学に打ち込んだ学生時代を経て、青雲の志を抱き政界入りを希望しているそうだ。春都は依頼を受けたときに貰った情報とこの1ヶ月の仕事期間の間に男のことはおおむね理解しているつもりだった。

努力家でお勉強が出来る。誠実な人柄で先輩や友人からの信頼は厚いが、親族に政治家はおらず後ろ盾はない。趣味はラグビー。酒は嗜む程度。ノンスモーカー。基本的には固く、融通の利かない性格。過去の恋愛は19歳から20歳の間に付き合った大学の同級生一人のみ。遊びはやらない性格なのでおそらく女性経験はこれのみだと推測される。嫌いなタイプの女性は、いわゆる「ギャル系」というやつで、好きなタイプはいわるゆる「お嬢様系」である。

(大江、お前ちゃんと誘った?)

実際に会ったことも会話をしたこともないが、春都は5つ年上の大江を呼び捨てにしている。これまでの苦労のせいもあって、つい上からの目線になってしまう。これは春都の仕事上のクセでもあった。

(きたか)

そんな中、大江のいる部屋に来客があった。若い女性である。ガーリーなワンピースの上に茶のジャケットを羽織り、若干明るめの髪をゆるく巻いている。化粧は控えめなナチュラルメイク、ここからでは確認できないが香水は石鹸の香りのするタイプを腰のあたりに軽くつけているはずだ。

この服装も髪型もメイクも香水も、すべて美容師に扮した春都の誘導によるものである。当然ながら大江の好みのタイプに完璧に一致しているはずだ。

女は室内に入ってきて、ソファではなく、ベッドに座った。さすがに彼女は大江とは違って、手馴れている。成人の男女がホテルの1室におり、さらに女性はベッドに座っているという状況であり。春都の仕事の完成はもはや確実と思われた。

女の名前は香坂 薫子。彼女のことも春都は依頼時の情報と仕事期間内の接触でおおむね理解していた。

現在私大の4年生。幼稚舎から一環の学校のため、受験経験は無し、本格的なスポーツ経験なし、成績は普通。容姿は良いほうなのでまずまず男性には評価が高く、男性経験は6人。趣味は料理とショッピング。愛読書は女子大生からOL向けの女性ファッション詩。        

春都にとってほとんど興味の湧かない人物像である。美容師として、あるいは占い師として彼女と話したことはあるが、さして魅力的な人物には思えなかった。絵に書いたようなスイーツ女だ。と思っている。大事なのはただ1点だけ。

大物政治家の娘であること。

つまりはそういうことだった。政治家志望の若く優秀な男と大物政治家の娘。依頼人は大江の恩師である大学教授である。最近はこの手の依頼が多い。俗な商売だ。ゲームとしては面白くないこともないが、やりがいなんてかけらも感じていなかった。

春都は寒さに震えながらも結末にむけて緊張をとかず、しばらく大江と香坂を見ていた。15分程度なんだかんだと会話をしているようだったが、ふいに大江のほうから香坂に近づいていった。

(よし。いけ。大丈夫だ拒否されない)

春都の期待に答え、二人は唇を重ねた。

夜の闇に小さなシャッター音が響いた。

これで春都の仕事は完了だった。香坂の携帯電話を盗みとり、大江の通勤路に落としておくところから初めて、1ヶ月。それなりに時間もかかったが、難易度としては中の下といったところか、達成感もないことはない。他人の恋路をコントロールして、思うようにことを運ぶのは誰にでも出来るようなことではない。依頼は達成され、この写真一枚でけして安くはない報酬ももらえる。

ただ、春都はそれでも仕事を達成したときにはため息をついてしまう。今回も例外ではない。やはり、むなしい、という気持ちを抑えることはできなかった。

ずっと昔、技術的には未熟で独り立ちもしていなかったころ、自分の一族の生業を素敵でロマンティックなものだと思っていたのが今では嘘のようだった。

ホテルの中では大江と香坂が早くも「キスの次の段階」に進み始めていたが、春都はそれを無視してカメラを仕舞い始める。興味がないわけではなかったが、仕事外で他人の情事を盗み見るのは少し気が引けた。

 カメラをバックに締まった春都は携帯電話を取り出し、短縮ダイヤルの3をかけた。

「お疲れさま。春都くん」

 電話に出るのは若干高めで透き通った声の持ち主の女性、彼女は春都の3つ年上の仕事仲間である。春都にとって仕事仲間であるということは、親族か幼馴染のどちらかということになるのだが、この女性、マドカは幼馴染のほうだ。小さなころは知り合いの優しくて奇麗なお姉さんという位置づけだった彼女だが、今では仕事の仲介人兼サポート担当者である。

「仕事は終わったよ。写真はあとでメールで送っとく」

「了解です。さすが、予定通りですね」

 いつものやりとりであった。春都は実戦に出るようになった15のときから、これまで一度も仕事をしくじったことはない。それはひとえに自身の才能と幼少のときより積み上げた努力によるものだ、と春都は認識している。

「まあね。それよりも寒い、二度と外からの盗撮はやりたくない。報告は明日するからもう帰っていい? 早くストーブにあたりたいよ」

「あー、それなんですけどね? 申し訳ないんですけど、次の依頼がはいってるんですよ」

 しかしマドカはそんな春都の思いを当然のように無視した。

「え? なに? それ、これからすぐにってこと?」

「はい、そうです」

 マドカは昔からそうだったが、優しげな声とふわふわとした容姿とは裏腹に物事ははっきりと言う。おそらく今電話口でも笑顔で喋ってるはずだ。春都は少しうんざりした。

「それはちょっと…最低、中3日くらいは貰いたいんだけど。春樹さんかジェイクにやらせれば? あいてるでしょ?」

 春都が名前を出した二人は数少ない実行部隊の同僚である。

「たしかに二人ともあいてるんですけど」

「じゃあそれで」

「でも、本締めからのご指名で。春都くんにやらせるようにって」

 本締めというのは、春都のやっている仕事のギルドのボスであり、祖父にあたる人物でもある。

「なんで?」

「さあ?」

「ああ、そうだ。本締めから言伝があります」

「なんだって?」

「これが『約束の仕事』だそうです」

 約束の仕事。一瞬なんのことだがわからなかったが、春都はすぐに理解した。最初の仕事を終えたあとに祖父とした約束のことだ。

 そうか、ついにきたか。だったらしょうがない。寒いし眠いけどしょうがない。気合を入れて全力でやってやる。

「なんのことなんですか?」

 マドカは約束のことを知らない。

「まー、ちょっとしたこと」

 まだ、マドカに言うまい。なんだかんだと止められるに決まっている。気にすることはない。まずは仕事を片付けることが先決だ。春都はすでに次の仕事に向けて、気力を高めていた。

 どんな男だろうと、女だろうと、どんな状況だろうと。その後どうなるかなんてわからない。だけど僕がそいつらを主人公にしてやる。ラブロマンスという陳腐なドラマの舞台にあげてやる。そうだ、僕は失敗しない。

「データをメールで送っといて。じゃ、僕はとりあえず熱いコーヒーでも飲んでくる」

 そういって電話を切る。

 綿密に、狡猾に、大胆に、繊細に、だけど君たちは気づくことはない。造り出されたロマンスだとは知ることもないまま、楽しい夢をみるといい。僕は失敗しない。

 祖父との約束。この仕事を達成すれば、「仕事」をやめさせてくれる、というもの。だから今回はいつも以上に全力で臨む。

 春都の職業は現在では「ロマンスメイカー」などと気取って呼ばれたりしているが、ずっと昔の日本では「結び人」と、ちょっと昔のヨーロッパでは「フェイカー」と呼ばれていたらしい。春都はこちらのほうが気に入っていた。と、いうよりも、より真実に近いと思っていた。

だからもし、嘘をつかなくていい状況で(そんなことはほんとないが)人に職業は? と聞かれたときに佐倉 春都はこう答えようと思っている。

僕はフェイカー。恋の贋作者だ。


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