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院内怪異譚

異臭騒ぎ(11/12編集)

作者: 狂言巡

 魔鱗(まりん)学院の購買は、二階建ての建物の一階にある。そしてその建物の隅には、古い井戸が設置されていた。其処が最近、酷く臭いのだ。

 ぷうんとあまずっぱい、不快な臭いが漂ってきて、蝿がたかりはじめるのは時間の問題だろう。それほどまでに臭うというのに、井戸の底は暗く透き通っていて、顔が綺麗に映るくらいだ。

 上から覗くばかりでは原因など分かるはずもなく、外形に直接触れるだけも分からない。それでも、確かに酷い臭いは其処から溢れてちっとも収まらない。ならば、どうするべきか。方法は単純である。


「……というわけで、山本くん。君、井戸の底を調べてきてください」

「はあああっ!?」


 ある週末の早朝、二人の男が件の井戸の近くに集まっていた。

 そのうちの一人、紺色のジャージを着た中年男性--雅芳登行(がほうとうあん)。彼が持っている長い縄は、彼の正面に立っている、白のワイシャツに黒のスラックスという、ラフな格好をした美少年の細腰をぐるりと一回りして、しっかりと結ばれていた。


「どうして僕が……学院(ここ)の事務員や生徒になった覚えはないんだが」


 不服そうな美少年もとい山本に、化学兼物理担当教師の雅芳はニッコリ笑って言い切った。


「暇そうだったから」

「理不尽な」


 軽く、でもしっかり背中を押された山本は、ぶつぶつ言いながら井戸の中に繋がる梯子を掴んだ。


「あぁー、臭い臭い」


 近づくだけで、臭いの酷さがますます感じられる。思わず眉を顰めた山本はぎしりと縄を軋ませて、井戸の中へ降りていく。


「いくら上の命令だからって……何も僕が行くことは無いじゃないか」


 そう呟きながら、彼はだんだん生臭い臭いが強くなってくるのを感じていた。じめじめとしているのが、肌だけでも感じられる。視界からもそれは判別できた。現に今、目の前の苔の生えた積み上げられた石の壁を蛞蝓が這って行った。


「まさか加虐趣味があったとはな……」

「何か言ったかい」


 ぼやいたところで、雅芳の声が降ってきて少年は慌てて口をつぐむ。


(いかんいかん)


 うっかりしていたと思った時、ようやくぽちゃんと、爪先が水に触れる。視線をそちらに向ける。

 間近で見る井戸の底で見る水は、やはり上から見た時と同じく、おかしなところなどは見られない。ただ光の加減で墨色になっている水が揺れ、遥か高みにある井戸の上にある木の板が映っているだけだ。


(別におかしいところは無いけどな……)


 きょろきょろと周囲を見回しながら、山本はそっと井戸の水の中に入った。この臭いではどちらにせよ使えないと既に判断されているので、入ってしまっても問題は無い。


(生温い……)

(何だか気味が悪いな)


 今更なことを思いながら、山本はとりあえず周囲の壁を触ったり、浅く水の中を掻き回したりしてみる。


(どうしてこんな臭くて、生温かいんだろう)


 疑問に思いながらも、ざばざばと水を掻き回していた手を持ち上げる。ぬるりとした感触のその手は、何だか薄い膜がへばり付いているみたいで、彼は眉だけなく顔全体顰めた。


「どう、何か分かったー?」


 ふと呼び掛ける声がして、山本が見上げると、そこには井戸の中を見下ろしている雅芳がいる。


「何も無いですけど」


 山本はすぐ答えようとした。


「アァ……」


 しかし微かに聞こえた小さな声に、その動きも止まってしまう。


「ァアアア」

「ヒ……ャアァア……」


 途端、堰を切ったかのように聞こえてきた小さな声。それは狭い井戸の中で反響して、山本の耳に入る。


(何だ?)

(嫌な予感がする)


 さっさと井戸から出ようと縄梯子にぬめる手をかけた。片足を乗せた時、その片足が少しばかり重いことに気付き――ホラーのお約束如く――ついそちらを見てしまう。ぬるぬるとした、小さな赤黒い臓器のようなものが、そこにへばり付いていた。


「うわぁ!」


 それを見た途端、山本は思わず固まってしまったが、更にもぞりと動いたのを見たので、声を上げて勢い良く縄梯子を昇りはじめる。


「うわぁぁぁあっ!」


 相も変わらず不気味な声が響く中、自らの悲鳴もまた、うわんうわんと反響させて、山本は縄梯子を夢中で昇っていく。その足首には、小さな赤黒い塊がへばり付いたままである。いや、先程とは若干様子が違う。細長い管が一本、赤黒い塊から井戸の水底に向かって伸びているのだ。塊と同じく、てらてらと赤黒くぬめった光を宿すそれに、パニックを起こした彼は幸か不幸か、それには気付いていない。


「どうした!?」


 突然悲鳴を上げて縄梯子を昇ってくる少年の尋常ならぬその様子に、雅芳は思わず身を乗り出して井戸を深く覗き込んだ。そして。彼は見た、気づいてしまった。縄梯子を昇ってくる金髪の少年。その背後に映る井戸の水面に、ビッシリと詰まった無数の赤ん坊が、顔を上げてこちらを見ていることを。

 泣き叫んでいる者、無邪気に笑っている者、無表情な者、怒り狂っている者……。表情は様々だったが、まるで水の代わりと言わんばかりに敷き詰まっているそれが、微かに顫動して蠢く光景は、不気味であること極まりない。


「…………!」


 雅芳は反射的に、日差しで生暖かくなっている井戸の縁から手を離して後退った。同時に、ほうほうの体の美少年が井戸の中から飛び出すかのように出て来た。ごとんと地面に落ちてごろごろと二転三転した後、仰向けになった彼は荒い息をついている。


「……はぁー……喰われると思った」


 一息ついて、山本はようやく上半身を起こした。そこではたと、足にしがみつく赤黒い塊に気付く。


「ぎゃっ!」


 また悲鳴を上げて後退る山本を見ながら、雅芳は安堵の溜め息をつく。だが、その赤黒い管が繋がる井戸の中から、ずるうり。赤黒いモノが頭を覗かせた時に、それもまた、強張った。

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