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入団テスト

「監督、今年の新人入団テストに期待するものは?」

「玉石混合ならまだしも石ばっかりだったということもあるからな、期待は抱かなんことにしている。まだドラフトの前でトライアウトだって残っている。支配下選手枠がある以上、面白いかな、ぐらいでは取れんよ」

「しかし、この参加人数は凄いですね。東京バーバリアンズの新人テストですら百名を越えることは滅多にありませんよ」

「それだけうちのレベルが低いと思われてるんじゃないか? 万年Bクラスなんだから仕方ないといえば仕方ないことだがな」

 プロ野球の新人選手入団テストというものは自信過剰の若者の夢を打ち砕く場でもあった。甲子園の常連校ともなれば新入生の過半数が中学やリトルリーグ時代にエースで4番を務めた者達で、それでもプロのスカウトの目に留まるのは、その中のほんの一握りだ。首尾良くプロとしてのスタートが切れたにせよ、一軍に定着する能力と幸運を併せ持った者ともなれば最早天文学的確率でしかない。『あわよくば――』程度の期待でテストに臨んだ若者が緊張で普段の力の半分も出すことが出来ず、一次選考で振るい落とされ肩を落とし球場を後にする姿が初秋の風物詩ともなりつつあった。そもそも50m走6.3秒以内、遠投95m以上などといった選考基準は現役のプロ選手でもクリアすることが困難な数字なのだ。

 自嘲気味に笑った星屋をスポーツ誌の記者や地元テレビ局が取り囲む。数が少なめなのはポストシーズンを戦う上位球団のゲームがまだ残っているためだ。

「FAでメジャーへ行く予定の藤村投手の後釜は、やはり早々に獲得を決めたデンゼル投手ですか? 彼はメジャーでの実績もありますよね」

「クローザーはやはり右がいい、デンゼルは左だし外国人投手は投げてみんと分からん。開幕までじっくり様子を見て決めるさ」

「宮城スポーツの仙道です。監督はどうして右のクローザーにこだわられるのでしょう」

 美人の女性記者の質問でなければ「勉強してこいっ!」と怒鳴りつけるところだったが、血圧が高く医者に興奮し過ぎないよう注意もされている。星屋はシーズン中とは別の顔で聞き返した。

「お嬢さん、スポーツ誌には最近移ってきたのかい?」

「はい、勉強不足で申し訳ありません」

「そうか、頑張りなさい。つまりこういうことだ。試合が1-0で勝っていて9回の裏、相手の攻撃が1アウト3塁、警戒すべきは先ずスクイズだ。走者を正面に見て投げられる右ピッチャーならバッターの動作を見てピッチドアウトも出来る。それが理由だよ。もういいかな?」

 頷く女性記者がどれだけ理解していたかは分からなかった。星屋はバッテリーコーチの西山に「一次選考が終わったら呼んでくれ、監督室にいる」と言って、グラウンドに足を運ぶことなく奥へ引っ込んでしまった。


 ――鈴木君の頼みとはいえ、その……えっと、村山君だったかな? 彼一人のために球場施設を使う訳には行かないんだよ、あれで結構な金がかかるものでね。年齢制限に目をつぶって入団テストを受けさせてあげよう――それでどうだろう?」

「ええ、充分です。ありがとうございました。ご無理を申し上げてすいません」

 ――いいからいいから、ただゴリ押しする私のメンツもある。せめて一次選考ぐらいは通過出来る選手であって欲しいものだな。それと暮れのタイトルマッチ――負けるなよ」

「最善を尽くします」

 村山 一途、33歳、ポジション投手、黄金水産高校卒、黄金信用金庫野球部所属か……鈴木君にああはいったが硬式の経験もない者が一次選考を通ることはないだろう。監督室の机に置かれた村山のプロフィールをくしゃくしゃと丸めると、星屋はゴミ箱に放り投げた。その時、ノックもなく監督室のドアが開き、西山が息せき切って飛び込んできた。

「どうした? 一次選考が終わったのか?」

「ええ、それもありますが……」

 呼吸が整わないのか、次の句が出てこない。

「落ち着いて話せ。今年も一次選考で全滅か? 今更驚きもしないがな」

 何度も唾を呑み込んだ後、ようやく西山が言葉を発した。

「監督に頼まれて参加させた村山――あいつはバケモノです。遠投でホームプレートの5m後ろからバックスクリーンにぶち当てました。推定130――いや、140mは投げているでしょう」

 ガタンと椅子を蹴立てて、星屋が立ち上がった。

「記者も見ていたのか? それを」

「いいえ、体も人並みでジャージで参加の村山でしたから最期の試投にしておいたんです。100人を過ぎたところで合格者が一人も出ず、仙台福祉大の沢尻が逆指名を表明したらしく記者達はそちらへ……どうします? ベースランニングを見ますか?」

「テストは中止だ、記者発表は合格者なしと言っておけ。人払いをして村山を屋内練習場に連れてこい。投球は俺が直接見る」

「わかりました」


 星屋が屋内練習場に到着した時、村山はブルペン捕手相手に軽いキャッチボールをしていた。星屋をみとめると深々と頭を下げる。鷹揚に手を振ってウォーミングアップを続けさせ、西山の許へと歩み寄る。

「まだ、投げさせてなかったのか?」

「ええ、監督がいらしてからと思い……」

「準備が出来たならキャッチャーを座らせる。そちらから知らせてくれ」

「私はいつでも構いません」

 星屋は連れてきた球団職員にスピードガンを用意させ、村山に声をかけた。

「始めてくれ」

「はい」と答える村山だったがスパイクも履いていない。あれで140mを投げたのか……150km/hをゆうに超えるストレートを投げるのだろうな――その期待に反して球団職員の持つスピードガンの数値は147、149、146と星屋の期待には遠い。速球派の部類には入るが、内転筋のトレーニングを導入し始めた最近のピッチャーならこの程度の球速は珍しくもない。スパイクを履かせプレートの使い方を教えれば5kmは増すだろうが――契約を済ませていた選手ではなかったが、いつものクセで星屋は激を飛ばした。

「どうしたっ! 手を抜くのは百年早いぞ」

「はい」

 151、152、150……やはり遠投140mから期待した数値には上がってこない。ポロポロこぼすキャッチャーにも星屋の苛々が募った。

「誰だ? あのザルキャッチャーは。お前が代わってこい」

 え……冗談でしょ? といった顔で西山が見返すが、星屋は真顔だった。

「おい」

 首を傾げながらプロテクターを外すキャッチャーに星屋の厳しい声が飛ぶ。

「アマチュアの投げる真っ直ぐが取れんようじゃ話にならん、来季の契約はないと思っておけ」

「150km/hで動くボールなんか、初めての私には取れやしませんよ」

「動くだと?」

 交代した西山に目を遣ると、構えたミットをあたふたと上下左右に動かした挙句、やはりポロポロこぼしている。村山に待ったをかけミットを外した手をブルブルと振っているのは突き指でもしたのだろう。

「まったく、どいつもこいつも……」

 現役時代さながらにエキサイトしてしまった星屋はバッターズボックスに立つと村山に向かってこう言った。

「三球勝負のつもりで投げてこい。俺が納得する球を投げられなければテストは終了、失格だ」

 こくりと頷くと村山は初めて大きく振りかぶった。彼の手から放たれたボールは重力の法則を無視したような軌道で再び西山のミットをはじく。星屋の顔から表情が抜け落ちた。

「154km/hです」

 球団職員の声が上がる。その数字より何より、ボールの描く軌道が信じられない星屋だった。

「ワンストライク……ですよね?」

 マウンド上の村山が言った。

「あ……ああ」

 目の錯覚ではないのか? 投手ながら現役時代には3本のホームランを打っている星屋だ。軟式しか経験のない者に舐められてたまるかと、生来の負けん気に火が点く。

「ちょっと待て、バットを」

 ちゃんと構えれば球道を見定めることが出来るはず、そんな思惑で球団職員からバットを受け取る。

「プレイ再開だ」

 村山のテイクバックに合せてタイミングを計る。強いバントを足元に返して脅かしてやろうと思っていた。ところがとらえたと思った瞬間、ボールは星屋の視界から消えてなくなる。ホームプレートのすぐ後ろでショートバウンドするとプロテクターなしの西山の腹部を直撃して星屋の足元に転がった。

「……イム、タイムだ。私はもう受けれません。キャッチャーを替えて下さい」

 四つん這いでキャッチャーボックスから這い出る西山だった。仕方なく先ほどのブルペンキャッチャーを呼び戻す。

「どうです? バントでも当たらないボールなら受けれなくても当然でしょう?」

 ブルペンキャッチャーの意趣返しに返す言葉が見つからず顔を紅潮させて怒鳴りつける。

「うるさいっ、勝負はまだ一球残ってる」

「納得はしとらんぞ、この程度なら3Aにゴロゴロしとる。33歳にもなってプロのピッチャーを目指すなら俺の度肝を抜くぐらいのボールを投げてみろ」

 これは村山に言った言葉だ。実は既に度肝を抜かれていた星屋だったが、どこの馬の骨とも分からぬ男に舐められたままではプロの沽券に関わる。自身を鼓舞する意味でも強気の発言を続けた。

「最後です」

 村山はセットポジションに入った。何故、わざわざ球威の劣るセットになどするのだ? コントロールの正確さでも披露しようというのか――そんな星屋の思惑を村山の投げた最後の一球が強く打ち砕いた。真ん中低め辺りへの軌跡を描いたはずのボールはキャッチャーミットとマスクをはじき、分厚いクッションラバーの貼られた壁に轟音と共にめりこむ。それがポトリと落ちるまで声を上げる者は誰一人として居なかった。星屋はバッターズボックスで尻餅をつき、キャッチャーは仰向けに倒れたまま。ボールの行方を見ていたのは唯一離れた場所で様子を見守っていた西山だけだった。

「ひゃ、ひゃ、167km/hですっ! あれ?」

 スピードガンを構えた球団職員もボールと表示窓に集中していたため、何故星屋とキャッチャーが倒れているのかが分からない。

 グローブを外し右手を抑えている村山の様子がおかしい。西山はマウンドへ足を運んだ。

「どうしたんだね?」

「ストレートは一日二球が限度なんです。遠投の時は加減してましたけど、今はつい監督さんの挑発に乗ってしまって……」

 広げた右手、人差し指と中指の付け根付近が赤く腫れ上がっていた。だが西山が驚いたのはそちらではなく村山の話す言葉だった。加減していただと?

「じゃあ、さっきまでどうやって投げていたんだね」

「リリースの瞬間、こうして掌で押し出すようにして――投げている僕にさえ予測のつかない変化はそのせいでしょう。指先を縫い目にひっかける普通のストレートは負担が大き過ぎるからと医者に止められてまして――多分、もう一球で指が折れていたかも知れません」

 確かに医師には診せていたが、それが投球のせいであることまでは話していない。指にかけた時の痛みの激しさから村山自身が導き出した結論だった。

 正気を取り戻した星屋が、二人の会話を訊いてあんぐりと口を開く。未だ立ち上がれないまま、その開いたままの口でこう怒鳴った。

「三球で指が折れるストレートだと? 150km/hのチェンジアップだと? そんなものは見たことも聞いたこともないぞ」

「今のがそうでしょうが」

 驚愕に監督への敬意を忘れ、西山がそう指摘する。ガバっと体を起こした星屋が大股でマウンドに歩み寄った。

「契約だっ! クローザーは決まった」

「しかし誰が受けられるんですか? あんな球……」

 西山の問いに答えたのは村山だった。

「ランナーを懸念されるなら、既に対策は練ってあります。実は……」

 声を潜める村山の話に星屋と西山は聞き入る。そして呆れたようにこう言った。

「本当にそんなことが出来るのか?」

「ええ、例え刺せないにせよキャンバスに釘付けにしておければいい話です。ノーリードではリッキー・ヘンダーソンでさえ盗塁は不可能だと思うのですが」

 ふうむと、顎に手を当て星屋は考える表情になる。

「よし、それも併せて見せてもらおう。明後日もう一度来てくれ。契約もある、印鑑と銀行の口座を忘れずにな」

「はいっ」

 直立不動の姿勢で答える村山の顔には満面の笑みが浮かんでいた。


「たまげたな……在野には、まだあんな原石が眠っているものなんですね。早速、支配下選手登録の手続きをさせましょう」

「それはまだ早い。秋季キャンプに行っている主軸を呼び寄せてもう一度テストする。あいつの言ったランナー対策も見ておきたいしな」

「契約だ、とおっしゃったじゃないですか」

「勿論、契約はするさ。ロジャー・クレメンスの球威でチェンジアップを放る男など二度と出てきやしないだろうからな。登録をしないのは考えがあってのことだ。どうせ新外国人が使い物にならなかった時のために枠は残してあるんだろう? いいから俺に任せておけ」

「キャッチャーはどうします? あんな球をうちで捕れるとしたら……」

「ダンプぐらいしか居ないだろうな、あいつの言うとおりランナーをベースに釘付けにしておけるなら肩の弱いヤツでも問題ないだろうさ。そもそも、誰があんなボールを打てるんだ」

「おっしゃる通りかも知れません……しかし、よくあんなのを見つけてきましたね。年齢条件を彼に限って外したのは監督の差配だと伺っていますが」

 一次選考も通らないようなら知らぬ顔を決め込み、使い物になりそうだったら自分の手柄にすればいい、と星屋は村山が雄一郎の紹介であることを誰にも知らせていなかった。野球人としての才能はもとよりプロ野球界における政治的手腕にも長けた星屋には、いずれどこかの球団社長に収まろうといった野望がある。安い賃金で素晴らしい成績を残せる選手ばかり集められればそれに越したことはない。夢と興奮を売っているようでも球団経営はビジネスなのだ。

「普段からアンテナを張り巡らせておけば、こんなこともあるということだ」

 そう嘯く星屋の脳裏にあったのは――他に紹介できる選手がいないか鈴木君に訊ねてみよう――だった。


 急なテスト中断でスタジアムから追い出された雄一郎達は、村山が屋内練習場から出てくるのを今や遅しと待っていた。遠目に仲間達を見つけた村山が両手で大きく丸を作った。

「やったー!」

 飛び上がって喜ぶ男達をよそにどこか不安げな表情の依子だった。伊都淵が訊ねる。

<どうした? 仲間の門出だぞ、もっと喜んでやる気にはならないのかい?>

<村山さんの合格はあたしも嬉しいわ、でも……>

<でも?>

<陸上競技なんかでもあるじゃない、ドーピング検査に引っかかって失格になったとかいう裁定が。野球には詳しくないけど彼のあの腕はルール違反なんじゃないの?>

<ルールには則ってはいても金にあかせて他球団の四番とエースを集めるチームのモラルはどうなんだ? 大地震に原発事故にと不遇続きだった東北だ、一つぐらいいいことがあったっていいじゃないか。それに……>

<それに?>

<いや、何でもない。とにかく君が心配するようなことにはならない。近いうちに磁気作用の原理を教えるよ>

<磁気作用? それが村山さんとどんな関係が?>

<それは君自身で学ぶんだ。意識の共有は錯覚をも共有してしまうことになる。俺が間違っていた場合、君にも間違った知識を植え付けてしまう危険は避けたい>

<あなたが間違うはずないわ>

<自慢じゃないが俺はちょくちょく判断を間違ってるよ。まあいい、今は村山君の合格を祝おう>

 小首を傾げる依子をその場に残し、伊都淵は歓喜の輪へと入っていった。


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