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2/12

宿舎

『試合終了です、これで仙台パイレーツは11連敗。完全にプレーオフ進出の夢が潰えた訳です。逆に東京ミリオンズはこれで優勝マジックが2となりました。解説の水落さん、如何でしたか? 試合を振り返って』

『打てない、守れない、肝心なところでミスが出るでは勝てませんね。パイレーツも前半終了時点までは5割を確保していたんですが粘りに欠けるようです。地元ファンも今年こそは、の期待もあったでしょうに』

 テレビカメラはパイレーツベンチで樹脂製の水槽を蹴り飛ばす星屋監督の姿を映し出す。ベンチ裏へと引き上げる選手達の背中は心なしか丸まっているように見えた。カメラが切り替わりヒーローインタビューが始まろうとしていた。

「弱いな……全く」

 ため息と共にテーブルを蹴飛ばしかけた自分の姿が星屋監督とダブって伊都淵は思い止まった。

「終わった? じゃあ次、俺が観るからね」

「ああ、どうぞ」

 テレビのリモコンを受け取った正がソファに体を沈める。私設ボランティアの彼等が宿舎として借り上げていたのは或る企業の保養施設だった。被災したそこは随所に手が加えられ何とか人が住める状態にはなっていたものの、割れたガラスがそのままにされた部分もある。ロビーに大は画面のテレビが置かれており憩いの一時を過ごす場所となっていた。但し、今そこに居るのは4人。テレビの前に陣取った二人と、その後ろで歓談する依子とかおり。カジと雄一郎の姿は見えなかった。

「パイレーツなんか応援するだけ無駄だよ。観てて腹が立つじゃん―― ああ……もう始まっちゃってる〝勝手にBKA44〟あれ……みいちゃんは? あっ、居た居た」

 揃いのユニフォームに身を包んだ少女達でフレームが一杯になる。誰がなんとかちゃんなのかは伊都淵には皆目見当がつかなかった。

「いつもの学芸会かい? これはこれで腹が立つけど見なきゃ済む話だからな」

「正はロリだもんねー」

 伊都淵の嫌味もかおりの憎まれ口も耳に入らないようだ。正は食い入るように画面を見ている。玄関のチャイムが鳴ったがこちらも耳に入らないようで口は半開きとなっていた。

「誰かしら?」

 席を立とうとした依子を制して伊都淵が言った。

「いいよ、俺が見てくる」

 

「あっ!やっぱりここだった、良かったあ――探しました」

 昼間のジャージ姿の男だった。雨でも降り出したのかな? 濡れた男の髪からそんなことを思ったが、外は涼しげな夜風がそよいでいるだけだった。

「ああ、昼間の……その節はどうも――どんなご用向きで?」

「一緒にいらした方はボクシングの世界フェザー級チャンピオン鈴木雄一郎さんですよね? 彼にお願いがあって伺ったんです」

 だったら、あんなに忙しなく去らなきゃ良かったのに……それとも後になって雄一郎の顔を思い出したのだろうか――伊都淵は続けた。

「サインですか? 生憎、雄一郎君はロードワークに出てまして……おっつけ戻ってくるとは思いますが」

「いえ、サインが欲しい訳では――そうでしたか……」

「入って待ってもらえば?」

 知らぬ間に後ろに立っていた依子がそう言う。

<悪い人じゃないみたいだし>

<そうだな>

「どうぞ、殺風景なところですが」

「ありがとうございます」

 招き入れた男の顔には汗の粒が吹き出している。濡れた髪といい、どこからかはわからないが走ってきたようだった。

「凄い汗だ。冷たいものでもどうですか?」

「いえ、結構です。実は僕もロードワーク中だったものですから」

 この男もボクサーなのだろうか? 雄一郎とは筋肉のつき方が違うように思えるが……首に巻いたタオルで顔の汗を拭い始める男は世に言う〝イケメン〟ではなかったが、強い意思を秘めたいい面構えをしている。太い眉ときつく引き結ばれた唇を見て、伊都淵はそんな印象を抱いた。遠慮がちに立ったままだった男に椅子を勧める。かおりは目の端でちらちらと男を見遣り、正は昼間あれほど興味を抱いた男の来訪も気づかぬかのようにテレビに熱中していた。玄関が開いて雄一郎とカジが戻ってきた。

「疲れてくると左肘の角度が甘くなるクセは直ってないようだな、あれではリバーをとらえても力が逃げてしまうぞ。それと右クロスのタイミングが悪い。身長差のある挑戦者だ。左ジャブに合わせて打ち下ろすつもりで行け」

「はい、気をつけます」

 サウナスーツと呼ばれるゴム引きの上下からは蒸気が上がっている。雄一郎は玄関脇にかけてあったタオルを取ると頭からスッポリと被った。

「雄一郎君、お客さんだよ」

 伊都淵の声に雄一郎がタオルの隙間から男に視線を振った。誰だろう? といった不審さはすぐ笑顔に変わった。

「ああ、昼間の……俺に何か?」

「はい、突然お邪魔して申し訳ありません」

「そう、硬くならないで下さい。お見受けしたところ僕より歳も上のようですし……しかし凄い力でしたね、あれ」

 その言葉が耳の届いたのか、訪ねてきた男が誰であるかに気づいたようで正が首を捻って振り返った。

「ああ、あのジン……重量上げでもやってらしたんですか?」

 人工筋肉を口にしないだけの分別は、テレビに夢中になっていても失ってはいないようだ。

 恐縮しきりの男だったが、雄一郎の気安い様子に安心したのか、堰を切ったように語り始めた。

「大変、不躾かとは思いますがお願いがあってまいりました。チャンピオンは以前テレビで仙台パイレーツの星屋監督と対談なさっていましたよね? 今も親交がおありなら―― 

――無茶なお願いということは重々承知しておりますが、何とかチャンピオンからお口添え願えませんでしょうか」

 男のお願いというのはパイレーツの入団テストに関するもので、遠投と50m走の一次試験には受かる自信がある。しかし18歳~24歳という年齢制限だけは33歳の彼には如何ともし難いものだった。自分は必ずパイレーツの戦力になれる、なんとか星屋監督に投球を見てもらう機会を与えてもらえないだろうか。土下座をせんばかりに懇願を繰り返す男の背後でカジが伊都淵に目配せを送る。男の頭の中を探る。大きく〝東北復興〟が浮かび上がっていた。悪い人間ではない、との意味を込め伊都淵はカジに頷き返した。試合前のスピードガンコンテストで何とか球団の目に留まろうとしたが何度応募しても抽選に外れる。球場に足を運んで監督やコーチの出待ちをしてみたが相手にもしてもらえない。そう語る彼が偶然顔を合わせた雄一郎に一筋の光明を見出したのは無理からぬことのようだ。

 二つに腰を折ったまま顔を上げない男に困惑の表情を浮かべ、雄一郎が伊都淵に訊ねる。

「今夜の試合はどうでした?」

 伊都淵は大きく首を横に振った。

「そうですか……では監督の機嫌のよさそうな時期を見計らって電話してみます。但し期待はしないで下さい。あちらは超有名人、僕は駆け出しのボクサーなんですから」

 メジャー二団体のタイトルを無敗のまま統一したチャンピオンのネームバリューが、12球団もある島国のプロ野球チームの監督に劣るはずがない。雄一郎は自分を過小評価し過ぎるきらいがあった。

「それで結構です、ありがとうございます。宜しくお願いします」

 男が差し出した名刺には肩書きも何もなく、ただこう書かれていた。〝村山 一途 電話番号:080-●×68-678□〟

 その村山がバツが悪そうにこう続けた。

「お金はありません。紹介していただくお礼にボランティアを手伝わせてもらうというのではどうでしょう。毎朝ここに来ます」

 雄一郎と並んだ姿を見てもせいぜい175cm程度の村山だ。正のような逞しさも見受けられない。そんな彼が、その主張通りパイレーツの戦力になれるのかどうか――いや、それ以前に星屋監督が彼の投球を見る気になるだろうか――それでも昼間見たあの怪力が根拠のない期待を伊都淵に抱かせていた。


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