プロローグ
宮城県は或る海沿いの町、立ち昇る陽炎の中ガレキの撤去にあたる5~6名の男女が居た。年齢も着ているものも様々、ツナギ服に身を包む者も居ればジーンズにTシャツ姿の者も居る。一見、寄せ集めの集団のようにも見えるが、その動きはよく統率のとれたものだ。今は倒れたコンクリート製の電柱を撤去しようしているようで、クレーン付きの作業車両まで持ち出して作業にあたっているのだが、積み重なったガレキと軟弱な足場が邪魔をしてなかなか思い通りに作業は進んでいない。
「正い、力いれてんのか?」
「目一杯だしてらあ、雄こそ手を添えてるだけじゃねえのかよ」
揃いのツナギを着た二十代半ばと思しき青年二人が大きな声でやり合う。だがそこに険悪さは微塵も感じられない。彼等にとってはそれが日常的な遣り取りなのだろう。片方は上背はそれほどでもないがガッシリした体躯で、もう一人の青年は均整のとれた体格をしていた。豪雨で緩んだ地盤を軽やかに歩く姿から細くとも柔軟で強靭な肉体の持ち主であることが伺える。
「喋ってないで手を動かせよ。昼間はこんなに暑くったってもう九月なんだ、日が暮れちまうぞ」
次に声を上げたのは額の広い男だった。中肉中背の三十代後半といった男の額には汗の粒が噴き出し、ジーンズの裾が汚れるのも厭わず汚泥に両足を突っ込み倒れた電柱に荷締ベルトを回している。隣にはベルトの束を抱えた若い女性が立っていた。男の要求に従って手渡しているのだろう。
「タッキーもね」
青年が一重瞼の目を細めて言い返す。正と呼ばれていた方の青年だ。腰をかがめていた額の広い男は体を伸ばすと怪訝そうな顔で訊ねた。
「何だよ? そのタッキーってのは」
「貴之だからタッキー、伊都淵さんとか長くて呼びにくいじゃん」
「あはは、いいじゃないですかそれ。アイドル歌手かなんかみたいで」
同じくツナギ服を着たドングリ眼の青年が屈託のない笑いを浮かべた。反してタッキーと呼ばれた男は苦々しい顔になる。
「勘弁してくれよ雄一郎君、歌も下手ならアラフォーなんだぜ。カタカナの仇名はキツい」
ベルトを抱えていた女性がくすりと笑い、頭の中だけで復唱した。
<タッキーですって>
<止めてくれよ、君まで>
同じく伊都淵が頭の中で抗議をしてからレッカー車に向かって叫んだ。
「カジさーん、ベルトオッケーです。ブームを振って下さい」
クレーン車のリモコンを手にした男は頷いて最大限まで伸びたブームを旋回させる。作業をする男達の頭上へとフックのついた先端が振られてきた。
「足りないな……もう少し車を寄せられませんか? 片荷になってベルトが抜け落ちちまう」
雄一郎の呼び掛けにカジと呼ばれた男が歩み寄ってきた。こちらも揃いのツナギ姿だが一番年嵩のようだ。ヘルメットを脱いだ髪の生え際には白いものがちらほらと見える。
「3mといったところか……あれ以上車は寄せられない。足場が軟弱でアウトリガーが埋まってしまうんだ。手作業でやるしかないだろうな」
「これを持ち上げろってのかい? 無理だよ、このサイズだと1トンはあるぜ」
「男はたった4人、一人頭250kgか……重量挙げの世界記録に近い数字だな」
正と伊都淵が交互に口にしたのはNO WAY だった。
「正、私達も手伝おうか?」
少し離れた所で見ていた華奢な女性が、ベルトを抱えた女性の隣に来てそう言った。
「かおりと依子さんは危ないから下がってなよ。ローラー台に乗せて少しづつ動かせないかな」
その問い掛けに伊都淵が応じる。
「無理だな、この足場では均等に並べることが出来ないし、キャパ250kgのローラー台はたった4枚。ベアリングがいかれるのが関の山だよ」
「だいたい、3.11からもう半年が経ってんだぜ? それなのにここいらは未だガレキの山だ。政府は一体、何をやってんだよ」
「連中の頭の中には利権の二文字しかないのさ。ジュンさがよく言ってたろ? 『テレビに政治家と女子アナの露出が多い国は間違ってる』って」
「まあな……それより雄、お前のタイトルマッチは三ヵ月後だろ? いいのかよ、こんなことしてて」
「いいトレーニングになってるよ。カジさんは人使いが荒いからよく走らされるし、こうやってウェイトトレーニングにも事欠かない。放射能汚染のせいで美味いものが食えないから体重の心配もない」
「へえ、なんでもいいけど負けんなよな。今や国内に世界チャンピオンはお前だけなんだから」
「負けるつもりで試合に臨むつもりはないけど、それは相手も同じだからな。勝った方が負けた方より強かったってだけさ」
「謙虚というか頼りないというか……」
「さあ、お喋りは終わりだ。早くこの電柱をどかさないと次に進めない」
カジに促され、青年二人は折れた電柱に回した荷締ベルトの間隔を均等に振り分ける。
「クレーンは使えない、人手はないとなるとあの手だな」
「そうゆうこと」
ツナギ服の三人とかおりと呼ばれた女性の視線が、伊都淵と依子に集まった。
「またかよ……」
伊都淵がうんざりした顔で呟く。
「そう言うな、ボランティアに身を投じない――力を貸そうとしない人の全てが善意を失っている訳ではない。プライドや羞恥心がを邪魔をしているのなら、それを取り除いてやるのもボランティアの一環だろう。手を貸してくれた人々はみんな清々しい顔になって帰って行くじゃないか」
「はいはい、分かりました。4~5人、見繕ってこればいいんでしょ? ――依子、行こう」
「ええ」
カジに促され伊都淵は依子を伴って通りへと向かった。
脳波は電気活動である。電位の変化が人の思考や行動に反映される。それを視認し操作出来るということは他人の意思に介入することに他ならない。そんな特異な能力の持ち主であった伊都淵と依子は、過去にも何度か人足の手配を仰せつかっていた。正の言った〝あの手〟である。ぶらぶら歩いているだけの通行人や、物見遊山気分で被災地を訪れる観光客を意識誘導して作業を手伝わせていたのだ。
人々が不可侵領域だと信じて疑わない頭の中、誰にも気づかれまいと思い浮かべる思考なのだから勿論綺麗なものばかりではない。言葉という包装紙を持たずダイレクトに伝わるイメージには思わず目を背けたくなるようなことも屡々で、ボランティアのためとは言え気乗りしない理由はそこにあった。なるべく人の良さそうなのを見つけて引っ張ってこようと思ったが平日の昼日中では人通りも少なく、選り好みなどしていられない状況に思えた。
「見事に誰も居やしないな……」
「あたし、水産加工場の方を見てくる」
「車に気をつけるんだよ」
「子供じゃないのよ、心配しないで」
笑顔で駆け出す依子を見送る伊都淵の目は、父親が愛娘を見るそれに似ていた。歳の離れた恋人を思いやる時、誰もがこうなるのだろうか……ふっと笑って人足探しの視線に切り替えると、海側から走ってくる一人の男が目をついた。上下ジャージ姿で年の頃は三十代半ばといったその男は、さして特徴のない外見をしている。先ずは意識操作なしで声を掛けてみた。
「すみません。今、そこでガレキの撤去をしているんですが重機が入らないところにもってきて人手が――」
「ご苦労様です。いいですよ、お手伝いします」
頼み事を言い終わる前に快諾が返ってきた。「4~5人連れてくる」と言った手前、もう少し粘ってみようと思ったのだが、通りに人通りは全くない。依子がなんとかしてくれるだろう――伊都淵は男と連れ立って先に仲間のところへ戻ることにした。
「なんだ、君も一人しか連れてこれなかったのか」
依子が連れてきたのは、腰まであるゴム長を履いた中年の男だった。自分が何故ここに居るのか分からないといった顔で突っ立っている。
「だって、誰も居なかったんですもの。この人だってやっと――」
<意識操作して引っ張ってきたのよ? 頭の中は『ブラジャーの紐が透けてる』ばっかり。他に誰か居ればこんなの連れてこなかったわよ。ねえ、そんなに透けてる?>
<いっそTシャツを脱いで歩いてれば意識操作ナシでも、大勢集まったのかもな>
<バカ>
<あはは、冗談だよ――都合六人か……何とかなるだろう>
「さあ、配置につくんだ」
カジの号令で、それぞれが等間隔に巻かれた荷締ベルトの前に立つ。
「よし、いちにのさんで持ち上げてそちらへどかそう。いち、にいのー」
三の合図より早く、ジャージ姿――上着を脱いでTシャツ一枚になってはいたが――の男が電柱の片側を持ち上げてしまう。慌てた全員がそれぞれのベルトに通した首に力を込め、顔を真っ赤にしてようやく電柱が持ち上がった。
「そのまま、そのまま――足の上に落とすなよ、骨なんか一発で砕けてしまうからな」
カジの声も掠れていた、それぞれが耐えていた重量はそれほどのものだったのだ。5m弱の距離を移動してゆっくりと電柱を下ろす。ベルトから抜いた首を大きく回しながら正が言った。
「ちょろいもんだ、1tもなかったんじゃないのか?」
「でも、あの鉄筋の量だぜ。それ近くはあるさ」
「じゃあ、あの人は……」
視線が集中すると照れくさそうな笑みを浮かべ「じゃあ」と言ってジャージ姿の男は走り去ってしまった。
<驚いたな……人工筋肉か、実用化されていたんだ>
<そんなものがあるの? 今の人がそれを?>
<ああ、こういう仕組みだ>
網目SMA人口筋肉の概要を依子に送った。人間の筋肉並みの高伸縮率を維持しながら500MPaの応力を発生さすことのできるそれは、冷感時の応答性の悪さはあるものの従来の導電性ポリマの弱点であった耐久性を解消する次世代の技術である。動作電圧に関してもかなり低く抑えられていたのだろう。上着を脱いでTシャツ姿になった男がどこかに電源を背負っている様子もなかった。今しがた目にしたとんでもない筋力と不自然な動作は、そうとしか考えられない伊都淵だった。
<あの人も意識誘導をして連れてきたの?>
<いや、困ってる旨を話したら進んで力を貸すと言ってくれたんだ。震災ででも傷めて治療されたのかな? あの腕は……電柱を持ち上げた瞬間、大きな電位を感じたよ>
<脳波に?>
<……腕に……かな? 一瞬だったから、よく分からない>
「二人だけでわかってないで俺達にも教えてくれよ。何だったのさ? 今の人は」
二人が思考だけで意思疎通の出来ることを仲間達は知っている。伊都淵は依子に伝えたのと同じイメージを正の意識に送りつけた。
「やっ、止めて……だめだってば、俺にはそんなの理解出来ないって。言葉で言ってくれよ言葉で」
意識をそのまま受け取ることに慣れていない正にとって、奔流を成して大量に届くイメージは、脳内に巻き起こる嵐のように感じられた。
「言葉にした途端、聴く側が構築するイメージは自身の理解の及ぶ範囲で形を成すものだ。イメージのまま捉えれば先入観に囚われることなく意思は伝達される。慣れてくれば便利なものだぞ」
「無理だって俺には。なあ、何だったんだい?」
仕方なく伊都淵は説明した――言葉を用いて。
「じゃあ、さっきの人がその気になれば何十tの物も持ち上げられるってことですか?」
半信半疑で訊ねてくる雄一郎に伊都淵は人差し指を振って答えた。
「骨格――関節の許容量を超える重量は無理だろう。よく重量上げの選手が競技に失敗して関節や腱を痛めるのを見ないか? それに質量が増えれば作動電圧も大きなものが必要になる。あくまでも失った部分を補填するものだと考えるべきだろうな」
「なんだ、やっぱりスーパーマンは漫画の話か……でも、蟻は自分の体重の何十倍ものものを運ぶって言わないか?」
力自慢の正には興味を惹かれる話題だったようだ。
「昆虫はあのサイズだからそれが可能なんだ。外骨格と内骨格の生物では実現できる体のサイズに大きな違いがあるからあくまでも仮定の話にはなるが。体長1センチの蟻が1mになったとしよう。質量はその3乗になるから100万倍になる。ところが発揮出来る筋力は筋肉の断面積に比例しするから2乗の1万倍に過ぎない。予想値の100分の1となってしまう訳だ――これは中学生の時に習ってるはずだぞ」
「習ったような習わなかったような……」
「同じ電源を背負わされるならパワードスーツの方がいいだろうな。肉体に手を加えることなくスーパーマン並みの力持ちになれるんだから。勿論、靭帯や関節を傷める心配もない」
「パワードスーツって?」
「エイリアンの何作目かで主人公が乗っていたのを見たことはないかな? アバターでも似たようなのが出ていた」
「はいはい、アレね。でもそれだと下りた途端、生身に戻っちゃうじゃん」
「だったら正君の体内に蟻の遺伝子導入でもしてもらうよう知り合いの医師に頼んでやるよ、真っ黒でカチンカチンのボディだ。雄一郎君の左フックでもビクともしないぞ」
「へえー……いいかも」
どんな変化を創造したのか正しは夢見るような表情になる。
「あんたがそんな風になったら、すぐに別れるからね」
「あっ!嘘、嘘。人間で我慢するって」
正の変身願望を打ち砕いたのは、恋人であるかおりの一言だった。
私の拙作をお読みいただき、ありがとうございます。この作品は P300A の続編にあたりますが、主人公・設定などは異なります。CHICE 以外の作品は同一の世界観で書いております。登場人物の出自・背景などは他作品を参照願えれば幸いです。皆様の忌憚ないご意見をお聞かせください。