第二話
教室の冷たい視線を背に、健太は屋上への階段を急いだ。
朝のホームルームで、蓮の仲間の嘲笑と、机に書かれた「底辺」の落書きが脳裏に焼き付いている。
昨日の屈辱と美咲の言葉が頭から離れない。
「強くなりたいなら本気を見せな」
ポケットのスマホには、雷神カイトの「ストリートファイト回避術」の動画が再生済みだった。
昨夜、部屋で繰り返し練習したブラジリアン柔術のステップが、体に染みついた気がした。
「俺の成長を……見せたい!」と胸が高鳴った。
屋上の扉を開けると、美咲は隅で格闘技雑誌を読んでいた。
「逃げずによく来たじゃん」と面倒そうに顔を上げる。
「あの、昨日教えてもらった動き……練習したんです!」
スマホを握り、緊張で声がかすれる。
彼女は肩をすくめ、「ふーん、やってみなよ」と立ち上がる。
彼はぎこちなく右足を引いて足さばきを試みた。
「バランスを見ろ」を思い出し、鏡の前で繰り返し練習した動きだ。
彼女は一瞥で冷たく告げる。
「絶望的に……センスがない」
「えっ!?」
健太は床に手をつきうなだれる。
「……夜通し頑張ったのに」
彼女は目を細め、低くつぶやく。
「はぁ……じゃ、試してみるか?」
特訓が始まる。
彼女が一歩踏み出し、キリリと構える。
屋上の空気がピンと張り詰め、静寂が重く漂う。
「あの蓮だっけ? あいつはボクサーだな。とりあえず速さに目を慣らせ。これがジャブだ」
右拳が鋭く伸び、風を切り裂く音が鳴る。
彼は恐れで足がすくみ、咄嗟に体を引くが、腕に硬い衝撃が走り、よろめく。
膝が震える中、「次、横から!」左フックが弧を描いて襲いかかる。
茜色の光にきらめく軌跡が視界を圧した。
体をひねるが間に合わず、腕をかすめ、健太は呻く。
「全体をよく見ろ!」
美咲の声が鋭く響く。
雷神カイトの「相手のバランスを捉えろ」を思い出し、彼女の体幹の動きを捉える。
「右……!」と心で呟き、咄嗟に右へ足をずらした。
「シュッ!」とジャブが空を切る。
彼女は「ふーん」と小さく微笑む。
「ギア上げるぞ」
彼女はジャブを次々に繰り出すと、健太はそのスピードと迫力に圧倒される。
彼は攻撃を喰らいながらも冷静に腰を落とし、映像の足さばきを頭で反芻。
5分間、攻撃を耐えながらも少しずつ身を翻し始める。
左フックが横から弧を描いて腕をかすめ、ストレートが素早く伸びてきて紙一重でよける。
「見える……少しずつ!」と心が震える。
彼女は体幹を揺らしフェイントをかけ、膝を跳ね上げる。
彼の体が硬直しかけるが、雷神カイトの「バランスの挙動を捉えろ」を思い出し、腰を沈めて左に身をかわす。
「シュッ!」と膝が空を切り、風が健太の耳をかすめる。
「へえ、フェイントに引っかからなかったな」と彼女がニヤリと笑った。
彼女の鋭い目つきと構えが、再び屋上の空気を重くする。
突然、彼女が「死ね」と言い放ち、顔へ強烈なパンチを繰り出す。
拳が鼻先数ミリでピタリと止まった。
恐怖で全身が凍りつくが、健太は目を閉じずパンチを見つめた。
視界がスローモーションのようになり、動作の細部まで捉えた。
彼女は「センスはないけど、良い資質だ」とニヤリと微笑む。
彼は唖然とし、「え……?」とつぶやく。
彼女は続ける。
「ボクサーは死にそうな瞬間でも目を開け続ける。さっきのストレート、目を閉じなかったろ? 昨日も敵の拳を目で追ってた。恐怖の中で動きを捉えるのは素人じゃ無理だ。お前の視界は、闘う武器になりうる」
健太はハッとする。
確かに、蓮の拳が迫る瞬間、恐怖で固まりながらも軌跡が見えた。
「……この目が、俺の才能」
「目を開け続けろ。動きを追え。それだけでお前は、この学校くらいでならトップに立てるかもな」
「この俺が学園のトップに……」
美咲は笑う。
「じゃあ、1,000円」
「えっ?」
「指導料だよ。早く出せ」
「……ははは」
健太が渋々お金を払う。
放課後、路地を歩く健太の背後から、突然声が響く。
「おい、健太!」
振り返ると、蓮と2人の仲間が立っている。
彼の後ろに立つ二人――背の高い痩せ型の男がニヤニヤしながら「こいつの泣き顔、SNSにアップしようぜ!」と煽った。
もう一人の短髪の男は、落ち着いた声で「昨日みたいに手ぇ抜くなよ」と言う。
蓮は苛立ちを隠さず、「黙れ! 俺一人で十分だ!」と一喝する。
「昨日はあの女に邪魔されたが、今日こそ分からせる!」と吐き捨てる。
その目に、負けられない焦りとプライドが一瞬よぎる。
健太の心臓がドクンと跳ね、手が震える。
「や、やめて……」と呟く。
彼がニヤリと微笑み、「逃げても無駄だ」と構え、軽く身を揺らす。
体幹の挙動がわずかに見え、蓮は健太へと襲いかかる。
健太の肩に重い衝撃が走り、よろめく間もなく左のジャブが伸びる。
さらに、右ストレートが下から鋭角に突き上げるアッパーを繰り出し、風が顎をかすめる。
健太はよけようとするが、恐れで動作が硬直し、咄嗟に身を沈めて腕でガード。
蓮の右フックが腕に直撃しよろめく。
続けてジャブが肩をかすめ、慌てて一歩後退して距離を取ろうとするが、「うっ!」と呻く。
健太は「やっぱり……俺じゃダメなのか……」と挫折感が胸を刺すが、美咲の言葉が浮かぶ。
「センスはないけど、良い資質だ」
その言葉が心に火を灯す。
「まだ……終わらない!」
健太は歯を食いしばり、動きを見据える。
アッパーが来る瞬間、視界が鋭くなり、わずかに体をずらす。
蓮の拳が空を切り、風が「ヒュッ!」と唸る。
「見えた……!」
わずかな成功に胸が高鳴る。
健太は一歩踏み出す。
蓮が左のストレートを力強く繰り出す。
健太は昨夜の動画を思い出す――
「相手の肩の挙動を捉えろ」とカイトが言っていた。
蓮の肩がわずかに上がる瞬間を捉え、ぎこちなく腰を落とす。
「動きが……見える!」と気づき、咄嗟に身を翻す。
パンチが頬をかすめ、風が響く。
まだぎこちないが、初めて「避けた」感覚が胸を熱くする。
「美咲さんのジャブやフックを耐えたんだ……こいつの攻撃は避けられない訳がない!」
蓮が苛立ち、肩を震わせながら大振りのフックを放つ。
肘が外に開き、動きが一瞬大きくなる。
健太は素早く一歩後退して避ける。
風が耳元をかすめる。
その瞬間、路地の角から大きな声が響く。
「そこだ、かませ!」
美咲の声だ。
健太は拳が来る瞬間、腰を落として避け、咄嗟に右拳を振り上げる。
「バシッ!」と軽い音が響き、頬に当たる。
蓮が「あ?」と目を見開いた。
怒りに燃えた蓮がジャブを小刻みに連発し、鋭い連打からストレートを繰り出す。
健太は一歩後退して避けようとするが、間に合わず、連打が顔と腹に当たり、地面に倒れる。
「うっ……!」
血が鼻から滴り、視界が揺れる。
蓮は「二度と調子乗るな!」と吐き捨て、仲間が嘲笑しながら路地の角に消える。
健太は地面に項垂れる。
「こんなんじゃ……何も変えられない……」
美咲が近づき、笑う。
「ボコボコだけど、ちゃんと教えたことできてたじゃん。避けるの、昨日よりマシだったぞ」
彼は見上げる。
「え……?」
彼女は続ける。
「あの素人パンチ、蓮に当てたろ? 初めての反撃だ。才能あるって言っただろ」
彼女はスマホを手に、「連絡先教えな。次はもっと避けて、もっと殴れるようにしてやるよ」と言う。
彼は驚きつつ、スマホを渡し、連絡先を交換。
「あの……指導料は?」
「1,000円」
彼女は「じゃ」と一言、夕陽に照らされた背中が路地を去る。
家に帰り、健太はベッドに倒れ込む。
頬の痣を押さえると、鈍い痛みが走る。
鏡に映る傷だらけの自分を睨む。
「またボロボロか……」
だが、胸の奥に小さな熱が灯っていた。
拳を避け、初めて当てた感触が、確かにそこにあった。
「次は……もっとやれるはずだ」
「良い資質だ」という言葉が頭をよぎり、顔が熱くなる。
スマホが震え、通知が届く。
美咲からのメッセージだ。
「次はコレ見て勉強しろ」とリンクが貼られ、PicoTubeの動画「雷神カイトの反撃タイミング入門」が表示される。
サムネイルには、カイトがカウンターパンチを繰り出す姿が映っている。
説明文には「タイミングを見極め、カウンターで勝負を決めろ!」とある。
再生ボタンを押す。
「実戦じゃ、避けるだけじゃダメ。相手の隙を見極め、カウンターを叩き込め!」とカイトが叫ぶ。
ノートに「観察」「タイミング」と書き、ぎこちなくステップを試みる。
膝が震えるが、昨日の自分より軽い。
「これを続ければ……きっと強くなれる!」
小さな希望が胸に灯る。




