第4話 前世の断片
一条竜也とカフェの外で別れた後、鈴原桜はすぐには帰宅しなかった。夕陽が彼女の影を細長く伸ばす。彼女は一人になり、この混乱した思考を整理する必要があった。
通りすがりのコンビニエンスストア。明るいショーウィンドウには様々な種類の茶葉が陳列されている。彼女の視線が、ふと、並べられた上品な紅茶のギフトボックスの列に留まり、足がぴたりと止まった。
『桜、これは伊藤の若旦那がわざわざ英国から持ち帰った紅茶だ。ぜひ試してみなさい』
従兄、鈴原翔太の、優しすぎるほどで吐き気を催すような声が、何の前触れもなく耳元で響いた。その声と共に、幻の、めまいがするほど甘ったるい紅茶の香りと、喉を何かに塞がれたような窒息感が襲ってくる。
彼女の顔色が微かに青ざめ、反射的に半歩後ずさり、その刺々しい陳列棚から身を避けた。
これは、ただの始まりだ。
帰路を歩いていると、一台の黒い高級セダンが、音もなく彼女の横を滑り抜けていった。その車種は、前世で彼女が最後に乗ったものと酷似している。車の窓ガラスに反射する夕陽は、まるで冷たい墓石のようだった。
心臓が、急激に締め付けられる。
『誕生日おめでとう、桜』
電話越しの鈴原翔太の声には、偽りの笑いが含まれていた。そして、その背景には、もう一人の、ぼやけて冷たい男の低い笑い声――伊藤健の声が混じっていた。
直後、身体が動かなくなる麻痺感。徐々に狭まり、暗くなっていく視界の絶望。そして、息が詰まるほどの暗闇の中、彼女の消えゆく意識に、すべてを貫くような、引き裂かれるような咆哮が、激しく突き刺さった――
『……桜あ――ッ!』
竜也だ。
彼女は思わず立ち止まり、路肩の街灯に掴まることで、どうにかぐらつく身体を支えた。夕陽の暖かさも、骨の髄から滲み出る冷たさを払拭することはできない。
そうか、裏切りと死の細部は、決して忘れ去られていなかったのだ。ただ、魂の深部に刻み込まれ、馴染みのある起爆剤を待っていただけで、今、轟音と共に爆発したのだ。
前世、彼女は竜也のあの叫びを、死の間際まで護衛失職による怒りだと信じ込んでいた。しかし、今、彼の瞳に宿っていた、彼女を灼き尽くさんばかりの**「失ったものを取り戻した」という感情を目の当たりにしたことで、初めて悟ったのだ。――あれは、すべてを失った絶望だった。
彼女は、彼の無言の守護を裏切り、命懸けで駆けつけた彼の想いを無駄にし、何よりも、彼女の死後に血に染まった復讐と決死の殉死をさせたのだ。
この事実は、死の記憶そのものよりも、彼女に重くのしかかった。
彼女は深く息を吸い込み、無理やり背筋を伸ばして、再び前へと歩き出す。指の爪を掌に食い込ませ、その明確な痛みで、彼女を冷たい前世から現実の戦場へと引き戻す。
もう、過去に溺れてはいられない。後悔は何の意味もない。竜也の帰還は、天が与えた二度目のチャンスだ。今世、彼女は裏切り者たちを二度と許さない。そして、彼に二度と、一人で全てを背負わせたりしない。
その時、バッグの中で携帯電話が鳴り、周囲の静寂を破った。
携帯を取り出す。画面に表示されたのは、「宅電(お屋敷の固定電話)」の二文字。
桜は点滅する名前を見つめ、瞳に残っていた最後の感情の波を完全に氷結させた。彼女は電話を取り、その声は感情を一切含まない平穏なものだった。
「はい」
「お嬢様」執事の形式的な声が聞こえてくる。「旦那様より、週末は必ずお屋敷にお戻りになるよう、ご伝言です。重要な用件があるとのこと」
重要な用件?
鈴原桜の口元に、冷たい弧が描かれた。
「承知いたしました」彼女は淡々と応じる。「時間通りに戻ります」
電話を切り、彼女は都市のスカイラインに沈みゆく夕陽を最後に一瞥した。そして踵を返し、確かな決意を秘めた足取りで、彼女のマンションへと向かう。
戦いは、自ら向かわなければならない。そしてその前に、彼女は自分の鎧と武器を準備する必要がある。
そして、今回、彼女はもう一人ではない。




