第11話 桜華クレジットの青写真
場所は、一条竜也が新宿の中心地にある高級オフィスビルの最上階に構える執務室。見晴らしは抜群で、床から天井までの窓の外には、繁華街の全景が広がっている。しかし、室内の内装は、黒、グレー、シルバーを基調とした冷徹なモダン様式で、その主をそのまま表しているかのようだ。
鈴原桜は、巨大なホワイトボードの前に立ち、黒いマーカーペンを手にしていた。一条竜也は、少し離れた場所にある本革のソファに、リラックスした体勢で座っているが、その眼差しは、彼女とホワイトボードに集中して注がれている。
ホワイトボードには、既に初期の構造図といくつかの主要なポイントが書き込まれていた。
「表向きは」桜はペンの先でホワイトボードの左側を指し、その声は明確で冷静だった。「個人や零細企業向けに小口融資を行います。金利は適正、手続きはコンプライアンスを遵守します。目標は、初期の合法的な資金を蓄積すること。そして、何よりも重要なのは、正規の金融分野におけるビジネス上の人脈と信用記録を確立することです」
彼女はペンの先を移動させ、右側を指し示す。
「内側は」彼女の眼差しが鋭さを増す。「ここが、私たちの情報中継地点となります。融資業務を通じて接触したすべての顧客の背景、資金の流れ、社会的な繋がりを分析し、価値ある情報へと変換します。同時に、ここは未来の敵を埋葬するための最初の罠となります」
彼女は振り返り、竜也に向き直った。その瞳は灼熱を帯びている。
「私たちは融資業務を利用し、ターゲットとする企業の関連会社や個人に意図的に接近します。合法的な金融手段を通じて、浸透、影響、さらにはコントロールします。必要な時には、融資のピンポイントでの引き揚げ(抽貸)や停止(断貸)を行い、彼らを追い詰める最後の一押しとすることができます」
一条竜也は腕を組み、彼女を見ていた。その眼差しには、隠そうともしない賞賛が宿っている。そこに立つ彼女の姿は、冷静で、自信に満ち、すべてを見通しており、彼の記憶の中の「守られるべき大和撫子」のイメージとは全く異なっていたが、より一層輝いていた。
「最初のステップは」彼が口を開いた。声は低い。「誰を手始めにするつもりだ?」
鈴原桜のペンの先は、ホワイトボードの中央に丸で囲まれた名前に正確に止まった。――【伊藤商事傘下の、〇〇物産株式会社】。
「この会社です」彼女の口調は断定的だ。「公開されている決算報告と、黒田さんが集めたいくつかの非公開情報によると、この子会社は表面上、輸出入貿易を行っていますが、実態は長期にわたり伊藤商事への不透明な関連取引と資金の付け替えを行っており、財務上の欠陥は無視できません。彼らは、母体企業の輸血と、数社の関係の曖昧な信用組合に依存している状態です。そして、彼らはちょうど、短期融資が満期を迎え、新たな資金源を探しているところです」
彼女は一呼吸置き、竜也を見つめた。その口元には、冷酷な弧が描かれている。
「私たちの**『桜華クレジット』は、彼らに『雪中の炭(困っている人への援助)』を提供することができます」
一条竜也は立ち上がり、彼女のそばまで歩み寄り、丸で囲まれたその名前を凝視した。彼の長身がもたらす無形のプレッシャーは、その傍らに立つ華奢だが確固たる意志を持つ彼女と、奇妙な調和を生み出していた。
「計画は明確だ」彼は深く頷いた。そして、脇に控えている黒田哲也に向き直る。「黒田」
「はい、若頭!」黒田は即座に頭を下げた。
「今日から、桜小姐を全力で補佐しろ」竜也の命令は簡潔で力強い。「彼女が必要とするあらゆる資源、人手は、最優先で手配する。彼女の指示は、俺の指示と同等だと思え」
黒田は一切の躊躇なく、鈴原桜に向き直り、深く敬意を込めて頭を下げた。「畏まりました!奥様、何かご用命がございましたら、何なりとお申し付けください」
「奥様」という呼称に、鈴原桜は微かに戸惑った。だが、竜也の当然とばかりの表情と、黒田の恭しい態度を見て、彼女は訂正の言葉を口にしなかった。彼の世界において、この呼称は、彼女に不必要なトラブルを避けさせるための、一種の防護服なのかもしれない。
彼女は竜也を見つめる。二人の視線が交錯し、さらなる言葉は不要だった。互いの瞳の中に、同じ目標と決意を見出していた。
伊藤商事を埋葬するための序幕は、こうして切って落とされたのだ。




