1話 私の選択
⸺⸺魔の森⸺⸺
7歳になったばかりのある日のこと。私はお母様に連れられて、禁断の地である魔の森へと来ていた。
「おかーさま? ピクニックってどこまで行くの? この森は危ないから入っちゃだめって、おとーさまがいつも言ってたよ?」
そう言ってお母様のドレスを引っ張る。すると、お母様はものすごい形相で私の手を振り払った。
「触らないでちょうだい! 汚らわしい!」
「おかあ……さま?」
嫌われているとは思っていたけれど、こんな露骨なのは初めてだ。
そして、お母様は少し怯えた様子でニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「……あなたの母親が死んで、わたくしはあなたの父親と結婚して、伯爵夫人の座を得ました」
「……うん……」
「わたくし……ずっと我慢していたのですわ。伯爵夫人になったからと言って、どうしてあの大っ嫌いな姉の子の母親になどならなければならないのかって」
「……そう、なんだ……」
「この魔の森は奥に行けば決して出ることは叶わず、人を喰らう恐ろしい魔物の巣窟だと言われているのはあなたもご存知でしょう?」
「……うん……」
「姉が死んで……半年が経ちました。そろそろ頃合いですのよ。ストーリーはこうですわ。言うことを全く聞かないお転婆なあなたは、わたくしの制止も聞かず、この魔の森へ迷い込んでしまいます。わたくしはあなたを心配してすぐに後を追いかけましたが……あなたは恐ろしい魔物に食べられてしまうところでした。わたくしはあなたを助けようとしたけれど叶わず、命からがら屋敷へと戻るのですわ」
あはははは、と高笑いをしたこの女は、護身用のナイフを引き抜いた。
「っ!」
私、殺されるんだ……! 短かったな……私の第二の人生。キュッと目をつぶった⸺⸺
⸺⸺その時だった。
「やはり人間という種族は、クズばかりなのだな」
背後から突如聞こえた、男性の低い声。
「だ、誰ですの!? な、なんですの、その、容姿は……」
「?」
目の前の女の反応に気になって振り返ると、そこに立っていたのは大きな透明の羽を生やした若い青年だった。
銀のストレートでツヤツヤな長髪に、先の尖った大きな耳。キリッとして整った顔立ちに、全てを見透かしているかのような深く透き通ったエメラルドグリーンの瞳。
まさに命を狙われている絶体絶命な状態だと言うのに、私の口から出た言葉は「綺麗……」だった。
その青年はチラッとこっちを見ると「少し待っていなさい」と一言言って、地面から少しだけ浮き、スーッと滑るように私とあの女の間に割って入った。
「ま、まさか……人喰いの……魔物……!?」
女はガタガタと震えてナイフを落とし、腰を抜かして尻もちをついた。
「ふざけるな。貴様のような汚らわしい人間など誰が食べるものか。“エルフ”は肉は食らわない。ふむ、そうだな……そんなに喰われたいのであれば、人の食らう姿にしてやろう」
エルフ……! この人、エルフって言う種族なんだ!
そのエルフの青年が指をパチンと鳴らすと、腰を抜かしていた女の姿が一瞬で豚の姿へと変わってしまった。
「ブヒッ!?」
「う、嘘……!?」
思わず目を擦ってもう一度よく見てみるけれど、目の前にいるのは紛れもなく豚だ。
「ブヒヒッ、ブヒーッ!」
その豚はブヒブヒと鳴きながら尻尾を巻いて逃げ出していった。
「あっ、あの! 助けてくれてありがとうございました……!」
鋭角にペコリとお辞儀をする。すると、エルフの青年は振り向いて優しい声で「顔を上げなさい」と言ってくれた。
顔を上げると、再びその美しい容姿が視界いっぱいに広がる。
「うわぁ……エルフさんは……とっても綺麗なんだね……!」
目の保養になり過ぎて、思わず表情がふにゃっと崩れてしまう。
彼は、驚いた様子で目をぱちくりとさせていた。
「お前は見た目通り、素直な人間のようだな……。人間の中には心優しき者もいることを、私は知っている。それに、とても良く似ているのだ……“アンナ”に」
「アンナ!? アンナは私の本当のお母様だよ! あなたは、私のお母様に会ったことがあるの!?」
「何っ!? やはりか……! あぁ、15年ほど前であっただろうか……一度だけこの森で会ったことがある。物怖じしない彼女を森の外へ追い返すのはとても骨が折れた。しかし、それと同時にとても幸せな時を過ごしたことを覚えている」
彼は優しい表情でどこか遠くを見つめていた。と言うか15年前……!? 今、一体何歳なの……!?
「……何歳?」
「私か? いちいち数えていないため良く覚えてはいないが、700年は生きている」
「えーっ!? 長生きだね!?」
「エルフは長命なのだ。エルフだけではない。ドワーフあたりも長命だな……。そんなことより、先の女の言葉が正しければ、アンナは……死んだのであろうか」
彼は悲しい表情で私を見つめてきた。私は小さく頷いた。
「うん、死んじゃった……病気だったの」
「そうか……心の清らかな人間であっただけに、非常に残念だ……。アンナは追い返してしまったが、お前には選択の機会を与えよう。このまま人間の国に帰るのであれば、森の外まで送ってやる。帰らないのであれば、私の国まで連れて行ってやろう。ただし、私は家族を持つことは許されていない。お前を育ててやることはできん」
家族を持つことは許されていない……? そっか、だからお母様も追い返したんだ。
私は伯爵の娘で、私を嫌っていたあの女は豚になってしまったからもういない。
もしかしたら、今なら伸び伸び暮らせるかもしれない。だけどきっと、同じことの繰り返しだ。だって、お父様は女癖が悪いしだらしがないから……。
「私、エルフの国に行きたい……! 連れて行ってください!」
私が必死に懇願すると、彼はふっと微笑んだ。
「決まりだな。お前、名前は?」
「シルフィ。アンナお母様の旧姓はラベンダーだから、シルフィ・ラベンダーだよ」
伯爵の名前とはもうさよなら。私は、新しい私に生まれ変わるんだ……!
「私はオベロン。エルフの国である『ユグドーラ王国』を治める“妖精王”だ。では行こうか、シルフィ」
「へぇ〜……妖精王……。えぇぇっ!? 王様なの!?」
私がワンテンポ遅れてそう絶叫すると、オベロン王は「素直な反応だな」と言いつつ喉でクックと笑っていた。




