Day2 カリュブディスと皆で囲むピッツァ
翌日、日も登り切らない内に目が覚める。歳を取ってからは早朝に覚醒することが増えた気がする。まだ夜深い時に手洗いのため目が覚めることはないが、時間の問題だろうか。
昨日はその後レヴィの希望通り、赤身魚を使った料理を振る舞い、採れ過ぎた魚は街へ持って行った。人々から魚のお礼に魚を貰いかけて、慌てて遠慮した。旅を目的に出て来たのだから、一つの場所に長居するつもりはない。明日にでも次の街へ行くと告げれば、寂しい顔をされて、旅の門出にと強引に魚を渡されかけたので遠慮した。どうしても私に何か渡したいらしい。
寝具は遠征で使っていたものなので慣れているし、レヴィと肌を寄せ合って眠るので寒さは感じない。まだ眠っているレヴィにもたれ掛かりながら、私は朝日が顔を出すのを待った。
日が昇り、レヴィも目を覚ます。私と同じものを食べて育ったため舌が肥えてしまったレヴィは、今日も美味しい料理を食べたいと期待に胸を膨らませる。
一先ず次の目的地に行ってから食事することを決め、調理道具や食材の残りをまとめてレヴィの背に乗り込む。来た時よりも増えた荷物に重くないか訪ねれば、フンッと鼻を鳴らされた。
『この程度、なんの問題ではありません』
「流石レヴィだ」
大きく翼を動かし、風が砂を巻き上げる。浮かび上がった体を動かし、レヴィは空を飛ぶ。眼下に広がる海に朝日の光が反射して眩しい。
『…ノア』
目をすぼめていた私をレヴィが呼ぶ。声音から彼女が何か発見したと理解した。私は鱗に手を乗せ、頷く。
「頼む」
強く羽ばたいたレヴィが速さを緩めた先には、複数の漁船。日の出より早く出た船が、漁を終えて街に戻ろうとしていたのだろう。しかし漁船は動けずにその場に停滞している。それもそのはず、漁船は今、魔物に襲われているのだから。
「あれは…カリュブディス!」
『渦潮の形をした、海の魔物ですか』
ここらに生息していることは私も知っていたが、地元民である漁師たちが知らないはずはない。
「つまりカリュブディスが特異行動を起こしたということ。狩場が変わった…?1日3度の食事時間が変わった…?いやしかしカリュブディスの食事時間は推測された限り変わったことはない。であれば狩場に何か意変が?餌の減少か、はたまた他に何か?原因は一体、」
『分析している場合か!今にも食事が始まろうとしています!このままでは海水ごとあの漁船も飲み込まれますよ!』
レヴィの声に私はハッとする。カリュブディスがその大口を開けようとしていた。漁船は何とか逃げようとしているが、恐らく間に合わない。
「レヴィ!」
首を捻ったレヴィは、私に呆れた目を向ける。
『…そんなキラキラした目を向けずとも、私は止めません。お前の好きにすれば良い。ただ死にかけるようなことはしないでください』
「勿論だ」
荷物はレヴィの体に括りつけてあるから落ちる心配はない。
いつぶりだろうかと、体が浮足立つ。竜騎士団に入って、団長に任命されてからは前線ではなく後ろで支持を飛ばしてばかり。訓練を怠ったことはないが、実践はここ十数年ない。日々書類仕事に追われていたからだ。
若いときは良かった。レヴィと二人、毎日毎日魔物を討伐したものだ。
「久しぶりの戦い…強く討つべき敵…そして、未知なる魔物…」
腰に差していた剣を抜き、レヴィが降下によりカリュブディスに最も近づいたタイミングで、私はレヴィの背を蹴る。
「知りたい!」
漁船は相棒が助けてくれると分かっているから、私は迷うことなく魔物に向かうことができるのだ。
体の内、頭部以外の大半が渦潮であるカリュブディスを討伐するには、頭部を狙う他に方法はない。頭部以外を攻撃してもただ渦に飲み込まれるだけだ。しかし頭部は固い外皮で覆われているため、通常の武器では痛みを与えることさえできない。唯一の弱点は、喉部分。その喉部分は海の中にあり、しかも口元に近づけはカリュブディスに飲み込まれてしまうため、人による討伐はまず不可能だと言われている。
現在、カリュブディスを討伐できる唯一の方法は、竜だけなのだ。
頭部に降り立った私は、柄で頭部を穿つ。
「外皮は想像以上に固い…。しかし竜の鱗ほどではないのか。加工すれば良い防具になるな」
カリュブディスは大食いとして有名で、一日に三度、周囲の海水を飲み込み、餌となる魚介類など以外の不要な海水は吐き出す。この時生じる巨大な渦にもし巻き込まれてしまえば生きて帰ることは出来ない。
「一先ず、食事はお預けだ!」
カリュブディスの目に剣を突き刺す。どの生き物でも、剝き出しの眼球を傷つけられれば悶え苦しむ。中途半端に口を開けていたカリュブディスは、叫び声を上げて頭部を揺らした。宙に跳ねてもう片方の目に再び剣を突き刺す。至近距離で聞くカリュブディスの叫び声は甲高い。女性体との判断はこの声から決めたのだろうか。
両目を潰されても尚、カリュブディスは動きを止めなかった。自分の頭に敵がいると理解して、カリュブディスは海に戻ろうとする。完全に海に入る寸でのところで宙に浮かび上がった。カリュブディスの次の動きを考えていたが、海から黒い影が大きく膨らむ。
「真下か」
大口を開けて海面に出て来たカリュブディスは、私の真下を捕らえた。下で待ち構えるカリュブディスと、重力に引っ張られる私。このままならばカリュブディスの口の中に私が飲み込まれるのは時間の問題だった。
カリュブディスの喉に、鋭い牙が嚙みつく。悲鳴を上げるカリュブディスを自身の鋭い爪で掴み、レヴィは噛みついたまま羽ばたく。カリュブディスは海に逃げようとするが、レヴィの方が強かった。ブレスにより急所を燃やされ、力が緩んだカリュブディスを空へ引きづり出す。高く登った竜が口を開けば、カリュブディスは為す術もなく海へと落ちていく。海に打ち付けられた巨体により、津波ほどの波が引き起こされる。揺れる波の上で動かないカリュブディスは、既に息絶えていた。
「レ、」
ヴィと名前を呼ぶ前に、私は海に落ちる。しかしすぐに白銀の竜が引き上げてくれた。
「レヴィ、漁師たちは」
『波の影響を受けぬ沖まで連れて行きました。漁船は揺れるでしょうが、命に別状はないかと』
波が落ち着いたタイミングで漁船が現れる。手を振る様子から、皆無事なのだと分かった。
海に浮かぶカリュブディスを前に、私は現在レヴィに怒られていた。
『剣も構えずカリュブディスの口内を見つめるなど、何を考えていたのですか!お前の剣は飾りか!歳を取り少しは落ち着いたと思っていましたが、お前は魔物を前にしたときの知能低下をいい加減理解しなければなりません!私がいなければ本当に死んでいましたよ!一体何度目ですか!学習しろ馬鹿!』
「…すみません」
漁船の看板に下ろされ、ただただ説教をされる。私のことを知っているらしい漁師たちの奇妙なものを見る目が痛い。怒りがようやく落ち着いたのか、レヴィは『それで?』とため息を吐く。
『何か面白いものでもあったのですか?』
「!あぁ、凄いものを見た!カリュブディスの食事は周囲の海水を全て飲み込み、不要な物以外は放出する!その仕組みを論文で読んだことはあるが、実物を見たのは初めてだ!凄いぞ!口内にびっしりと付いている突起が魚介類を捕獲するだけではなく、食道は三つに分かれているんだ!大きさがそれぞれで変わり、捕獲した魚だけを通す食道が下の方に二つ、海水だけを通す食道が一つ。嚥下の際には三つの内二つだけ弁が閉じて残りの一つから海水が放出される!餌を効率的に確保し不要な物は排出する仕組み!素晴らしい!」
『全く…。見ることができて、良かったですね』
その後、漁船と共に帰還した私とレヴィを、街の人々は英雄だと迎えてくれた。カリュブディスと遭遇して無事に戻ることなどできない。奇跡が起きたのだと街はお祭り騒ぎだ。
レヴィがいるため、祭りは街近くの開けた平原で行われた。
「思う存分、祭りを楽しんでください!ノア様とレヴィースカ様は、我らにとって英雄なのですから!」
「当然のことをしたまでだ」
次々に挨拶へ来る民の相手をしていた私とは反対に、レヴィは目の前に置かれた食事にしか目が行っていない。食べていいか?とキラキラした目で問われては否と言うことなどできない。私の許可を得て食べ始める律儀な竜は、その表情を輝かせると食事にかぶりついた。
魔物に対して、つい夢中になってしまう私を、レヴィはよく『本当に子供ですね』と呆れた目で見てくるが、食事に夢中になるレヴィも大概子供だと思う。
出されたものはピザだ。平原近くにもピザ窯があり、焼き立てを食べることができた。
『っ~~~!生地は外はカリッと、中はモチモチで最高ですね!チーズがとろけ、素材の味がしっかりしていて、特に、窯焼きならではの香ばしさがたまらない!』
討伐完了を果たしたカリュブディスは、冒険者によって回収され、冒険ギルドに渡される。その後、武器や防具となるのだ。討伐報酬を出すと言われたが、全て街の人々へ渡すように頼んだ。この二日、色々お世話になったから、何か少しでも返すことができて良かった。
「ねぇねぇノア様!カリュブディス、強かった?」
「怖かった?」
挨拶も終わり、子供たちが私を囲む。怖いと思いながらも好奇心旺盛な瞳に応えねばと思う。
「あぁ、強かった。下から丸呑みされかけた時は、怖かったなぁ。しかしレヴィがやっつけてくれたから、もう怖くないよ」
「「レヴィースカ様、すっごーい!」」
私としては、カリュブディスの全長を見ることができたのも嬉しかった。持ち上げられたカリュブディスの渦潮が空に浮かぶ様は、一匹の大蛇が空を駆けているように見えた。中々見れるものではない。
差し出されたピザは種類も様々。定番のマルゲリータから、ジェノベーゼ、ポルチーニ、パルマ等。
「ピザの種類によって、生地やチーズ、具材の組み合わせが全然違って、奥が深い。それぞれのピザに個性があって、食べ比べるのが楽しいな」
魚介類も使われているが、以前立ち寄った国よりも乗せられた量が多い。国によっては食べ物一つにしても、歴史や文化、そしてこだわりがある。ちなみに私は魚介が好きなので、多く乗せられた方が嬉しい。
『ノア、このマルゲリータを食べて見なさい!とても美味しいですよ!』
「私も持っているから、それはお前が食べな」
嬉しそうに頬張るレヴィ。尻尾がブンブン揺れているだけでよかった。こんな人が多いところで悪癖を出されても困る。
美味しいピザと、楽しい会話、そして美しい景色。最高のひとときだ。
ふとまだレヴィが手を付けていないピザを見つけた。
「レヴィ。マルゲリータが好きなら、それも食べてみると言い」
『?これはマルゲリータではないのですか?』
「それはブファリーナだ。マルゲリータに使われているモッツァレラチーズは牛の乳から作られているが、ブファリーナに使われているのは水牛の父から作られたもの。マルゲリータよりも濃厚なモッツァレラチーズを堪能することができるぞ」
『マルゲリータ、よりも…?』
ごくりとレヴィが喉を鳴らし、恐る恐るブファリーナを口に含む。キラッと輝く瞳が良く見えた。
『こ、これは…!通常のモッツァレラチーズよりも濃厚で、とろけるような食感…!ミルキーなコクと、口の中で広がる豊かな風味、そしてトマトソースの酸味と甘みが、モッツァレラチーズの濃厚さと見事に調和しています!且つ、フレッシュなトマトのジューシーさが、全体の味を引き締めています!生地とチーズ、トマトソースのバランスが良く、シンプルながらも素材の良さが際立つ、まさしく至福の一品!』
「フフッ。だろ?」
喜ぶレヴィを見ると、私も嬉しくなるものだ。しかし、自分好みの味に、レヴィは興奮してしまった。バッタバッタと跳ねる尻尾、フンッと吐き出される鼻息、持ち上げられた手足。
「あ、しまった」
『ブファリーナ、最高です!』
ついにレヴィが踊り出してしまった。ドンッと降ろされる足は、レヴィ本人からすれば踊る際に軽く地面に付けている程度だが、人からすれば大災害のようなものだ。周囲にいた住民は悲鳴を上げて逃げ惑う。レヴィの足元にいた者たちを素早く回収し、遠くに避難させた私は彼らに離れた場所に移動するよう伝え、レヴィの元へ戻る。美味さのあまりに我を忘れた竜は、ブファリーナを手にまだ踊っている。
「いい加減に、目を覚まさないか!この馬鹿竜!」
踊って揺れる竜の体を駆けあがり、私は彼女の脳天に拳骨を食らわせる。鈍い音、そして何かが潰れされたような『ぐぇ!』という声の後、レヴィの巨体は地に伏せる。
その後目を覚ましたレヴィに説教をした後、脅えた住民たちにレヴィは頭を下げ、なんとか場は収まったのだった。