Day13 白ワインにはご注意を
日も跨いでしまった現在。前方からチリチリと顔を焼く焚火よりも、熱せられたフライパンの熱気よりも、寒さの方が勝つ。それはきっと、随分な深夜だからだろう。
「極上のラクレットースト~ってな!ダハハ!」
「ノ、ノア様の触れていないものを口に入れるなんて…。ノア様が口に一度含まれたものを取り込みたい…」
決して、私を追っているかつての部下たちが、目の前で食事をしているからではないはずだ。
竜騎士団員、タスクとシズルが目の前にいて、私は気が気ではない。マント下は冷や汗ダラダラである。人懐こい笑みを浮かべておかわりを要求してくるタスクに、「は、はい」と上ずった声が出てしまうほどに、緊張していた。
「しかし婆さんはなんでまたこんなところにいるんだ?ここは街から近い森の入り口付近だ。魔物が出るかもしれないこの場所にいるよか、街で寝泊まりした方が安全だろ」
マッシュルームを用意しながら、さてどう答えるかと悩んだ。
「それはだな、ぁ、ぃゃ、それはですね、その…実は、街に入るための通行手形を持っていないんですよ」
他国に入る際、入国許可証が必要になる。そしてその国に住民票がない者は、街に入るための通行手形を発行しなければならない。これは入国の際に入国監査場で作成できるのだが、皆が作れるわけではない。他国の者は身元が明確をしなければならない他、お金がかかる。移民の者たちは入国だけして、街には入らず森で暮らすことはよくあることだった。しかし森に住めば、外壁により守られている街よりも魔物に襲われる危険性は高くなる。実際、移民の魔物被害数はかなりの数だ。そのため、我が国では移民属の村を支援したり、通行手形料を引き下げたりしている。
ちなみに本当は通行手形を当然所持している。それもプレミア、基本どの国のどの街でも通行できる。竜騎士団員の多くは、私と同じかワンランク下の通行手形を持っているので、それほどレアというわけではないのだが。
よくある話なので違和感なく受け入れてもらえたようだ。
「大変ダルメシアン~ってな!ダハハ!」
これ以上深堀されないために、丁度良く焼き上がったマッシュルームにチーズをかけてタスクに渡す。マッシュルームを口に含んだタスクは、二つの具材の抜群の相性に舌鼓を打つ。
「ん~!俺もちと料理をするが、結局凝ったもんよりシンプルなのが最高なんだよな!ダハハ!」
「料理するのか、じゃなくて、するんですか?」
齧る程度だけどな、と笑うタスクに意外だと思う。彼が料理をしているところを見たことはなかったから。
視界に入るのは、料理を拒絶するシズルである。私はついお節介を焼いてしまう。焼いたパンを皿におき、その上にチーズをかけて彼に差し出した。
「見たところ、竜騎士団のお方。今日も任務でお疲れだ、でしょう
案の定首を振られてしまう。
「いらない…。浄化されていないものを取り込むと、か、体が内部から腐るんだ…。だから、な、なるべく早く、ノア様と同じ空気を吸わねば、ノア様の存在を感じなければ…!」
私と同じ空気を吸ったり、存在を感じることが彼の生命活動にどんな影響を及ぼすのかは全く理解できない。浄化されているもの、そして私、となると、私は彼にとって浄化装置的なものなのだろうか。何なら今、目の前にいるのだから同じ空気を吸っていると言えるのだが。
「安心しろ。これはきちんと洗ってあるから、食べても体調が悪くなることはない…です。疲労を回復するためには、よく食べよく休みよく寝ること。これが一番だ…です。それに、若い人は食べて体を作らないとね」
「…………」
じーっとこちらを見るシズル。どうしたのだろうかと首を傾げれば、慌てて顔を背けられる。その時に皿も受け取ってくれたので、一安心だ。
「シズルが、他人の言うことを聞いた、だと…?!婆さん凄イグアナ~ってな!ダハハ!」
「そ、そうか、ですか?」
何が凄いのかはよく分からないので、取り敢えず「年の功が為せる業ですかね」と言っておいた。ふと、先程、シズルに無理やり皿を押し付けたのはいけなかったかと思う。嫌がる部下に対して、無理やり何かを強いることをパワハラ?と言うらしいと、耳にしたことがある。
しまった、と私は焦った。部下に嫌われたくなかったから、竜騎士団内でもなるべく優しくしていたつもりだ。まさかこんなところで気が緩むとは。シズルが嫌そうな顔をしていたらどうしよう…と恐る恐るフードの中から覗き見る。しかしシズルは嫌そうな顔をしていなかった。じっとこちらを見つめていたのだが、視線が合うと勢いよく逸らされてしまう。ラクレットを口に入れながらチラチラと伺い見てくる様子からは、嫌悪や憤怒は見られない。
一先ず良かったと息を吐き、今後も気を付けなければと気を引き締めた。
「婆さんには振る舞ってもらったからな、こっちもお礼をしないと!」
キラッとタスクの目が光る。持っていた荷物を漁り取り出しされたのは、まさに私が望んでいたアレだった。
「ワ、ワインか!です!」
「おう!やっぱラクレットには、ワインだろ!」
定番の白ワイン。グラスではなく木製のコップで見た目は上品でも何でもないが、問題はない。濃厚なラクレットを一口食べ、白ワインを含む。
「「っく~~~!」」
「…………」
こってりと濃厚なラクレットのコクに、白ワインが爽やかさをもたらしてくれる。これぞ私が望んでいたもの。楽しくなり食べ飲むスピードが速まれば、酔いが回り、自然と口は軽くなる。
「いやだから~うちの姐さんはさ、ホント凄い人なんだよ~」
「ノア様は我らが元に天から遣わされた、まさしく天使…。いや、天使なんてものじゃない。偉大で、神秘的で、奇跡的な存在…。そう、神だ!」
目の前に本人がいるとも知らず、元竜騎士団長ノア・ランドールを褒め称える元部下たち。突然始まった可笑しな催しに、恥ずかしくて居たたまれなかった。しかし聞いていく内に照れが収まっていき、今では
「うんうん、そうだなぁ。髪は長いもんなぁ」
と話をきちんと聞けるようになった。
腹は十分に膨れてしまったため、もうラクレットを食べることはできないが、白ワインが入った容器を傾けて喉に流し込む。しかし、話を聞けば聞くほど、どうやら彼らは私を恨んでも憎んでもいないと思えてならなかった。逆にこれは、好意を抱いてもらえていたのかもしれない。
指名手配書が一体どのような意図で発行されたかは分からないが、元部下たちから嫌われていないという事実だけで、私の心は救われた。嫌われてもいないのなら、別に顔を隠しておく必要はない。正体を偽っていることに罪悪感を抱いたほどだ。
フードに手をかけて、彼らに私の身を明かそうとした次の瞬間、何やら鈍い音が聞こえた。見れば、木製の皿に強く突き刺さっているフォーク。
「え…」
柔らかい皿ではないのだが、なぜそのような有様になっているのか。恐る恐るフォークを突き刺した張本人、タスクを見れば、目が据わっていた。
「そうだ…。駄目だ…。駄目なんだ…。姐さんが今もどこかで、俺が作った以外の料理を食べて、生きてるのは、駄目なんだよ…。想像しただけでもおぞましいことだ。おぞましすぎて吐きそうだ。姐さんには、俺が作ったものだけで、その体を作らなきゃいけないんだから…。あぁ、だから、絶対に、姐さんを捕まえないといけないんだよ…」
暗い目からはとてもじゃないが好意なんてものは見えない。見えるのは、色んな感情がごちゃ混ぜになって、何の感情か分からなくなってしまったものだけだ。
「い、いやぁ~。わた、じゃなくて、ノア殿は別に、タスクの作ったものだけ食べて栄養を取って体を作らなきゃいけない、なんてことはないと思うが…。それ以前に、私お前の作ったもの食べたことないんだが?」
救いを求めてシズルを見ると、こちらを凝視していた彼と目が合う。先程とは違いすぐに目を逸らされないどころか、少し火照った顔でじーっと見つめてくる。
「ど、どうしたんだ?」
背中を汗が伝う。嫌な予感がする。
「…気のせいかと思った。でも、雰囲気とか、声とか、話し方とか、ノア様に似てる…いや、似すぎてる」
「ん~?そういや確かに、始めの方、なんか喋り方と声、無理してる感じあったけど、今は何か自然体だな。ほんとだ、姐さんに似てんな」
目を据わらせていたタスクの視線も合わさる。
まさかの嫌な予感が的中してしまい、私は自分を呪った。いくらお酒が入っていたとは言え、気を緩ませるべきではないと、つい先程引き締めたばかりだというのに。
「わ、私が、ですか?いやそんなまさか!ノア・ランドール様と似てるなんて光栄なお話だ、ですが!他人の空似だ、ですよ!」
話せば話すほど自分の首を絞めている気がしてならない。疑心の目がより深まってしまった。
「違うって言うなら、婆さん。一旦、そのフード下を見せてくれ」
「身長も体重も一緒…。やっぱり、ノ、ノア様と一致しすぎてる」
身長は分かるが、目視でどうやって体重が分かるというのだ。強硬手段に出ようとするタスクとシズル。だが私も、ここでバレるわけには行かない。フードを強く握りしめ、彼らから距離を取るために一歩下がれば、二歩詰められる。
どうしようと考えても良策は浮かばず、ただ距離が近づいてくだけだ。手が伸ばされる。振り払ったらもっと怪しまれ、振り払わなければ顔を見られてしまう。
もう終わりだ、と目を強く閉じる。心の中で、助けてくれとレヴィを呼んだ。
通行手形は色識別。役職名が記載されている身分証明用のタグがまた別にあります。