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透明人間になる薬

作者: レン太郎

 最寄の駅を降り、人がまばらな商店街を抜けると、手入れが行き届いていない殺風景な公園がある。

 その公園を横切った所に僕の通う大学があり、僕は毎日、その順路を通学路として利用している。

 そして、その商店街の一角にある、妙な貼り紙をした薬局が、僕はまた妙に気になっている。


『透明人間になる薬あります』


 最初に見た時は、ふざけた貼り紙だなと思った。だってそうだろう。いくら医学が発達した現代社会といえども、透明人間になる薬なんて、映画や小説の中だけの話で、現実にあるわけがない。

 だが面白いもので、毎日のようにその貼り紙を見ていると、なぜだが興味が沸いて来る。ただ、これは単に、好奇心の範囲内で、決して信じているわけではない。


 僕は、ある日の下校時、ついにその薬局へと入る決意を固めた。

 店の前にはアロエや、何か薬にまつわると思われる植物が栽培されており、中を覗こうにも、古めかしい扉にはめ込まれた焦げ茶色のガラスからは、店内の様子をうかがい知ることは困難をきわめた。

 仕方なく僕は、恐る恐ると扉を開いた。ギ、ギーという、ホラー映画で聞かれるような軋む音。店内に一歩、足を踏み入れると、湿っぽい上に埃っぽい。

 店内の様子は、薬とおぼしき物は並んでおらず、ホルマリンで漬けてあると思われる蛙や蛇、また、地球上の生命体かと疑わしい物までもが、くすんだ透明の瓶の中で、その生命を終えていた。

 僕は直感した。

「ヤバイ店に入ったな」と。

 だが、回れ右をして、即座にその異空間から脱出を試みたその時、しゃがれ声が僕を呼び止めた。


「あんたも透明人間になりたいのかね」


 振り向くとそこには、年老いた爺さんが、シワだらけの白衣を身にまとい佇んでいた。今思えばこの時、なぜ振り向いてしまったのだろう。

 透明人間になりたいから? いや違う。僕はきっと、今の生活から抜け出したかったのかもしれない。

 生活に不満があるわけではない。彼女はいるし大学は楽しい。ただ、なんか退屈。そんな思いが、僕の足を振り向かせたのだろう。


 僕が何も言わずにうなずくと、爺さんもまた何も言わず、何の変哲もない白い錠剤を僕に手渡し、店の奥へと消えていった。

 どこにでもありそうな白い錠剤。アルファベットで“B”が刻まれており、どこと無くバファリンに似ている。


 僕は家に帰ると、早速その錠剤を飲んでみることにした。ただ、これは単に、好奇心の範囲内で、決して信じているわけではない。

 洗面所に入ると、誰もいないことを確認し、錠剤を口に放り込み、水で一気に流し込んだ。

 その後、鏡に映る自分と10分くらい向き合っていたが、特に変化はなかった。


「やっぱり、ただのバファリンだったのかもしれない」


 そう思った矢先、可愛い我が妹が帰ってきた。僕は思った。透明人間になったかどうか、妹で試してみようと。

 妹はいわゆる、いまどきの高校生で、付けまつげにマスカラをテンコ盛りにし、錆びた髪をなびかせ、洗面所に向かって歩いてきた。

 最近は、あまり会話を交わさなくなった妹だ。兄としては寂しいところだが、いきなり全裸で飛び出してきたら、いくらなんでも「もう、お兄ちゃんのエッチー!」くらいの反応を示すだろう。

 僕は服を脱いで、生まれたままの姿になり、今まさに洗面所の前を横切ろうとしている妹の前に飛び出し、仁王立ちになった。

 するとどうだろう。妹は何の反応も示さず、僕の方を見もしないで自分の部屋に入っていったではないか。まるで、僕が見えていないように。

 マジか? マジで僕は。透明人間になってしまったようだ。

 僕は胸を踊らせた。そしてあまりの嬉しさに、気づけばそのまま──そう、全裸の状態で、玄関の扉を開き、裸足で駆け出していた。


「キャー!」




 僕は、公然猥褻の罪で警察に捕まった。家を飛び出した途端、近所の奥さんから悲鳴をあげられ、偶然近くを通り掛かったお巡りさんに御用になってしまったのだ。

 今回は、厳重注意ですぐに家に帰されたが、一番のショックは、透明人間になれなかったことでも、騙された自分の情けなさでもなく、妹が「僕の全裸に無反応」だということだった。

 僕に興味がないのか、男の裸を見慣れているのか。どちらにしろショックだった。


 僕は次の日も、変わらず大学へと通った。あの薬局の前を通ると、相変わらず、あの恨めしい貼り紙がある。文句を言ってやろうかとも思ったが、もう関わり合いたくないこともあり、そのまま通り過ぎた。

 だが、僕の悲劇は、これだけには終わらなかった。なんと、僕がストリーキングで逮捕されたとの噂が、大学中に知れ渡っていたのだ。みんな僕のことを白い目で見るようになり、誰も口を聞いてくれない。

 彼女からはメールで「最低!」とだけいわれ、どんなに言い訳してもメールの返信はおろか、電話すら着信拒否状態になってしまった。親しかった友人やサークル仲間さえも「話し掛けるな」と拒絶され、僕はたちまち孤独感に支配されていった。

 誰からも相手をされず、存在すら認められない。そう、僕はある意味、透明人間になってしまったのだ。

 そして僕は、人生に絶望した。無視されたからというより、友情や愛情とは、こんなにももろく浅はかなものであると、痛感したからだ。さらに妹は、「僕の全裸に無反応」ときたもんだ。

 もう死のうかとすら考えたが、その前に、僕をこんな目に遭わせた張本人に文句のひとつでも言ってやらないと、死んでも死に切れない。

 そう、あの薬局の店主である。そう思った時、僕は自然と走り出し、再びあの薬局を訪ねていた。


 相変わらずの店内。湿っぽいし埃っぽい。だが、そんなことを気にすることなく、僕は叫んだ。


「ちょっと!」


 すると奥から、あの爺さんが前と変わらずシワだらけの白衣で出てきた。

 そして、僕が再び来店するのをわかっていたかのように、こう言った。


「どうも、薬の効き目はどうでしたかな」


「冗談じゃない! あの薬のおかげで、酷い目にあったじゃないですか!」


「そうでしょうなぁ。あれは、ただの鎮痛剤じゃからな」


 やっぱり。やっぱりバファリンだったんだ! 僕は、そんな爺さんの態度にいらつき、わなわなと拳を握りしめた。

 すると、爺さんはまた薬を取り出し、僕に差し出した。


「じゃあ、今度はこの薬を飲んでみてはいかがかな」


「な、何ですかこれは」


「透明人間になる薬じゃよ」


 この爺さん、この期に及んで、またそんなざれ言を。


 僕の怒りは沸々とわき上がり、ついには握っていた拳を掲げ、爺さんに殴り掛かろうとしていた。

 だが爺さんは動じず、落ち着いた様子で、さらにこう続けた。


「この薬の成分は、毒じゃよ」


 僕は振り上げた拳を開き、黙ってその薬を受け取った。



(了)


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