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僕が生まれたのは、もう遠い昔のこと。数千年は昔だと思う。覚えていないくらい昔のことだ。僕はとある貴族の長男として生まれ、ごく普通に少年期を過ごし、親の決めた婚約者と成人を迎えてすぐ結婚した。特に疑問も持たず、ごくありふれた貴族としての結婚生活はそれなりに幸せなものだった。けれど、結婚して数年が過ぎても、子どもに恵まれなかった。正確には、子どもを授かっても、生まれる前に命を失くしてしまったり、生まれたとしても、すぐに死んでしまうことが続いた。跡取りをという周囲の期待に応えようとしたものの、結局うまくいかず、妻は身も心もボロボロになっていった。
そんな妻とは反対に、僕は全く年を取らず、そんなこともあって、面白おかしく広がって言った、「侯爵家は呪われている。アイオン侯爵は悪魔だ」といううわさと老いていく自分に耐え切れず、妻は自ら命を絶った。
僕自身も彼女の後を追おうと、何度も死のうとしたが、毒を飲んでも、崖から飛び降りても、自ら剣で傷をつけても、何をしても死ぬことはできなかった。
そんな時、妻の死を知った義父は最愛の娘の死を悼み、すべての原因は僕にあると、僕のことを恨み、僕のことを殺そうと殺し屋を差し向けた。夜更けに忍び込んだ殺し屋の剣が心臓を貫いて、これで僕自身も妻と亡くなった子どもたちのところへ行ける、と思ったのに、気が付いたら、胸の傷は何もなかったかのように消えていて、死ぬことはなかった。
それ以来、僕は家族からも忌み嫌われ、恐れられるようになってしまった。
不死身の悪魔侯爵と呼ばれて、誰も僕とは関わろうとしてくれなくなっていった。やがて父も母もこの世を去り、ひとり残された僕は屋敷を捨て、旅に出た。
どうしたら死ねるのだろう。そんなことばかりを考えてさまよい続けた。そうするうちにも、時は過ぎ、決して年を取らない僕は、人々に怪しまれる前に転々と住処を変え、時代の移り変わりをまるで他人事のように見ながら、幽霊のようにさまよい続けていた。
いろいろな人とも出会った。好意を寄せてくれる女性もいた。でも、妻のこともあったし、僕自身のことを知られて、また同じような目にあいたくなかったから、できるだけ深く関わらないように慎重に暮らしていた。それでも、ふと孤独に負けそうになり、何回か恋に落ち、家庭を持とうとしたこともあったが、やはり、子どもには恵まれなかった。
何千、何百の季節を超え、戦争に巻き込まれ、戦火の中で行き倒れていた貴族を助けたことで、僕のさすらいは終わった。助けた貴族は高齢で、戦争で息子を失くしていた。年恰好が同じくらいということもあって、僕を息子のようにかわいがってくれ、最後には養子に迎え、自分の財産を譲ってこの世を去った。それがこの屋敷だ。
執事が一人とその妻のメイドが身の回りの世話をしてくれた。亡くなった養父は、僕が不老不死であることを知っても、特別驚くこともなく、温かく受け入れてくれた。結果、その使用人である彼らも、僕が一向に年を取らないのを気にするそぶりも見せず、普通に接してくれたから、僕はこの屋敷で穏やかに暮らしていた。
そんな時、この敷地に隣接する場所に領地を与えられ、新たな領主としてやってきたのが、エレンの父、メルセンヌ侯爵だった。もともと僕の養父はこの辺り一帯を統治していたのだが、息子を失くし、社交界からも離れ、その存在は世間から忘れ去られていた。だからメルセンヌ侯爵はこちらのことは何も知らなかった。領地を見回るうちに、偶然この屋敷を見つけ、挨拶を交わすことになったのがきっかけで、パーティーに招待された。僕は本当は、新しい人間関係を築くことは望んでいなかったので、そんなに親しくなるつもりはなかったのだけど、パーティーで夏のヒマワリのような鮮やかな色のドレスに身を包んだエレンを見た瞬間に、僕は性懲りもなく、恋に落ちてしまったんだ。