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日記に書かれていた祖父母の離婚の本当の理由を、母は知らなかったのだろう。そうでなければ、この屋敷を相続するなど、考えるはずもなかった。
晩年の祖母はいつも窓辺のソファに座っては、窓から森のほうを見ては物思いにふけっていた。おそらく、その視線の先にあったのは、永遠の命を持つアイオンの屋敷に違いなかった。
アイオンは、その後どうしたのだろう。私は急にそわそわとして落ち着かなくなった。
私は、玄関のドアを開け、外へ出ると森へ向かおうとした。
「エステル?どこへいくの?」
後ろから母の声がした。
「少し、散歩してくるわ。日が暮れる前には戻るから」
「大丈夫?気を付けてよ」
「わかったわ」
屋敷を出ると私の足はどんどんと速度を上げ、いつの間にか走り出していた。人通りが途絶えて久しいのか、森の中は木の枝や、草で覆われていて、進むのに苦労した。顔や腕をひっかく枝葉をかき分けながら進んでいくと、いきなり視界が開け、古びた屋敷が現れた。
屋敷へと続く路は、桜並木になっており、散り始めた花びらで淡いピンク色に染められていた。弾んだ息を整えながら、門のほうへ歩みを進める。その時、一陣の風が吹き、開かれた門の中から、彼が現れた。銀色の長い髪、エメラルドグリーンの瞳、この世のものとは思えないほど美しく整った顔立ち。
「アイオン…?」
私がつぶやくと、彼は、目を見張り、立ち止まった。
「君は…」
戸惑い、恐れ、怯えながらも、私をじっと見つめる彼の姿に、私は祖母の犯した罪の重さを知った。
「私は、ソフィアの孫のエステルです。あなたに謝りたくて…」
そこまで言うと、私の目からは涙が零れ落ちた。
祖母の日記を読んで、死にたいと願っても死ぬことができず、ひとり孤独に永遠の時を生き続けなければならないアイオンを傷つけた祖母を許せなくなっていた。
「なぜ君が謝らないといけないんだい?」
アイオンは優しく問いかけた。
「祖母があなたにひどいことをしてしまって…祖母はどうかしてしまっていたんだわ」
アイオンはそっと私に歩み寄って、泣きじゃくりながら言う私の肩に手を置いた。
「君は僕たちのことを知っているんだね。僕のことも」
優しい声で問いかけるアイオンに、私は小さくうなづいた。
「もういいんだ。過ぎてしまったことだ。彼女だって、最初は本当に僕を救おうとしていたのだから」
寂しそうに微笑みながら言うアイオンを見ていると私の胸は締め付けられた。
「よかったら、お茶でも飲んでいかないか。そうしてもらえると嬉しい。お客さんが来るのは本当に久しぶりだから」
アイオンはそういうと柔らかく微笑んで、私を屋敷へと招き入れた。
応接間に通され、ソファに座ると私は辺りを見回した。屋敷の中はきれいに整えられていて、丁寧な暮らしぶりがうかがえた。古めかしい調度品も、手入れが行き届いており、アイオンの人となりを表しているようだった。
ふと壁に目をやると、そこに飾られていたのは他でもない、エレンの肖像画だった。
「エレン…」
紅茶を用意してきたアイオンが、私のつぶやきに気づいた。
「君はエレンによく似ている。ソフィアよりも似ている」
肖像画を愛おしげに見つめている姿を見ると、私は思わずずっと気になっていたことを口に出してしまった。
「エレンはあなたとはどういう関係だったのですか?」
はっとしたようにこちらを見たアイオンは、紅茶をひと口飲むと、ため息をひとつ吐いて話し始めた。
「遠い昔の話だ。長くなるかもしれないけれど、聴いてくれるかな」
私は答える代わりに、じっと彼の目を見つめ、うなづいた。